【十七】 婚姻問題~序
その夜、王城第三離宮、すなわちパオラ家でささやかな食事会が催された。
思ったより大掛かりな式典になってしまったため、身内での食事会も少しだけ、という王の発案で、ごく少数の食事会となった。
遠来組は式典参加の名目を終えて、帰っていく。
リッツ大伯だけが妙にしつこく残ろうとしたが、丁重にお帰り頂く。
あんなにしつこくアプローチされるとは思っていなかったメシューゼラは、少し辟易してしまったようだ。
一方ノルドハイム組は海路で来たため、夜間の航海をさけたい、ということで、一泊したのち帰ることになり、ジークリンデと護衛の四人が参加することになる。
そして、もはや地元と言っていいネロモン商会のミュルカ嬢。
ただし同商会のフガート氏はコロニェ教会領担当ということもあり、ヒュッケルト司教とともに戻っていった。
「アマーリア、また芋煮を出すわよ!」
メシューゼラのこのことばにアマーリアはすごく嬉しそう。
いつぞやかの誕生日以来、来客を招いての食事会、誕生パーティには、もはや定番となってしまった感のあるパオラ家の芋煮。
アマーリアだけでなく、ガイゼルやディトリクも楽しみになってしまっていた。
「芋煮、ですか、そういえばパオラ様は南方タゲフル州の御出身でしたね」とミュルカ嬢。
「キルタル芋自体は土地の痩せたところでもとれますので、割と産地を選びませんが、こういう調理をするのは我が故郷の特産なのです」
とパオラ妃が説明してくれた。
北国の五人も、初めて見る料理を興味深そうに眺めている。
メシューゼラの言葉で、ささやかな食事会が始まった。
「皆さま、今日はありがとう!」
「メシューゼラ、お祝いが遅れたけど、おめでとう」とディドリク、次いでアマーリアとイヴリンが
「おねえさま、おめでとうございます」と言ってくる。
ヘルムートももじもじしていたが、同様に祝意を述べる。
幼いイヴリンとヘルムートも少し成長して、礼儀や読み書きを学び始めたところだ。
一方、ミュルカとノルドハイム組は、芋煮と砂糖菓子をつまんでいた。
砂糖菓子は、ディドリクが帝都で買いつけてきたもので、来客用としてのストックでもあった。
「なるほど、おいしく煮込んでますね」とミュルカ嬢。
「これは十分観光価値を持ちますよ」とも言ってくれているが、王家の人間で理解できていた人は少なかった。
ヘドヴィヒとフリューダイク、ハルベの三人は「うまい、うまい」と言って、芋煮ばかりほおばっている。
聞けばノルドハイムにも芋料理は豆料理と同じくらい豊富にあるのだが、味噌や醤油に匹敵するものが氷の王国では高価なため、こういう調理は存在しないらしい。
同じようにその味を楽しんでいたクレエムヒルトが、同僚たちがあまりにそればかりかきこんでいるので、少し注意する。
「まったく、あなたたちは...」
フリューダイクとハルベはクレエムヒルトの言葉に少し自重するも、ヘドヴィヒは動ずる様子もなく
「お嬢は硬いなぁ、こうやって膳を交わすのも友好ってもんですよ」などと嘯いている。
「私はマナーを言っているのだけど?」と少し険悪な空気になり始めていたので、ジークリンデがごほん、と咳払いをして、二人を諫めている。
ミュルカ嬢は今度はエルメネリヒ王の元へ行き、少し波紋を投げかける言葉をもらしていく。
「国王陛下、美しき姫君の御成人、おめでとうございます」上機嫌だった王に挨拶したのち、
「これで姫君も結婚できますね」と言ってしまったのだ。
王の顔が少し歪んだのだが、それは一瞬で
「そうなのだが、父としては、いつまでも自分のひざ元にいてほしいものなのだよ」と返していく。
しかし成人が該当する三人は、この言葉をそれぞれの胸の内で反芻していた。
ディドリクはテラスに出ていたガイゼルの元へ行く。
「兄上には縁談の話はないのですか?」
「まぁ、来てないことはないんだけどね」
そう言ったあと、しばらくの間をおいて
「どうも気が乗らないというか、何か他人事のように感じてしまってね」
「そうですか」と言ったあと、どう切り出したものかとディドリクが考えていると
「おまえにもそろそろ来るよ」と言う。
「兄上、僕の考えを言わせてもらっていいですか」
「そんな言い方をするなんて珍しいね、どういう考えだい」
「僕は兄上に早く結婚してほしいと思っています」
室内は暖炉から熱を取っているが、テラスに出るとさすがに寒い。
しかしその冷気は適度に頭を冷やすには良い塩梅だ。
「世継ぎかい?」とガイゼルが聞くと、ディドリクは頷く。
「ブランドもそんなことを言ってたよ」
そう言ったあと、深いため息をつきながら
「王家に生まれた者の宿命なんだけどね」とも。
だがディドリクの発言はブランドのそれと、細かなところが違っていたようである。
「世継ぎ、というのも確かにそうなのですが、この国に内紛が起こらないように、という想いからです」
「内紛?」
「僕が少し派手に動きすぎているのかもしれません、もし僕を擁立しようとする勢力が出たら、というのを懸念しています」
ガイゼルが異母弟を、驚くような目つきでも見ている。
「もちろん僕にそんな意図がないことは信じてほしいのですが」
「何か心当たりがあるのかい?」
「いえ、まったく」
だが、人はその意思ではなく立場を見て動くものだ。
そちら側につけば自分に有利になるかも、と考えれば、その人間がどう考えているかなど関係ない、と思ってしまうこともあるかもしれない。
「これは極論ですけど」と断ったうえで、ディドリクが続ける。
「兄上に男児が生まれてさえいれば、奥方の身分ですら関係ないと思っているのですよ」
頭の中に(貴賎結婚ですから)と言っていたコルプス男爵の言葉が鳴り響いている。
「僕は結婚はしません、少なくとも兄上がお世継ぎをもうけられるまでは」
その言葉を受けて、ガイゼルは少し考えていたが、
「忌憚のない意見、ありがとう」と答えた。
ディドリクはなにげなく聞いてみる。
「兄上に想い人はいないのですか」と。
「私たちの立場だと、こと結婚問題に関しては、できることは著しく限られているけどね」
そう言って、ガイゼルは室内に戻っていく。
室内に戻ると、熱はすっかりいきわたっているようだ。
アマーリアとマレーネの回りをノルドハイム組が取り囲んで、歓談中。
さすがにこういう場だと、マレーネも愛想よくふるまっているように見えた。
だが、ときおりノルド語が漏れてきても、マレーネは常にガラク語で答えており、そのあたりの徹底ぶりはさすがである。
ディドリクの姿を認めると、アマーリアとジークリンデが近寄ってくる。
「兄様」
そう言って、胸元に抱きついてくるアマーリア。
こちらも抱き着く位置で、成長が感じられたりもする。
「我々は明日未明に帰る」
ジークリンデはこう言って、ディドリクに握手を求めてくる。
ディドリクが手を握り返すと
「末永く友好でありたいものだな、国同士としても、個人としても」
「私も同じ考えです」
夜は更けていき、宴も終わり、それぞれが眠りの中に落ちていく。
ディドリクが第二離宮の寝室に戻ると、アマーリアが寝間着に着替えて、寝台の片隅に座っていた。
「どうした? からだが冷えたのかい?」と聞くと
「少し...」と言って、わずかに微笑む。
ディドリクが傍らに座ると
「そりゃあ、たいへんだ」と言って、肩を引き寄せる。
「えへへ」と言いながら、アマーリアも頬をディドリクの左胸に押し当てる。
「毛布が暖かくなったから、もう一人でも大丈夫だよ」と言うと、
「いじわる」と小さな声で応える。
毛布をかぶせて、その上から肩を抱きしめる。
「いろいろ立て続けにイベントが起こったから、じっくり話すことがなかったね」
「うん」
「もうみんな寝たから大丈夫だよ」と言って、促すと、
「父上とミュルカさんのことばが耳に入って...」
「そうだね、そういう時期になりつつあるね」
「兄様も結婚しちゃうの?」
「だいぶ先のことだよ」
しばらく黙っていたのち、消え入りそうな声で尋ねてくる。
「遠くへ、いっちゃうの?」
ディドリクはここで初めて妹の目を見る。
「真面目に話すと、僕の立場上、この離宮を離れることはないはずだよ」と答える。
「少なくとも、お前が成人して、誰かの元に嫁ぐまではここにいるかな」
だがその言葉には、すぐに反応して、少し大きめの声でアマーリアは言った。
「わたし...結婚なんかしたくありません」
アマーリアは、兄の左胸に顔をうずめてしまう。
しばらくそのままにしていたが、やがてディドリクが話し始める。
ずいぶん前に言ったけど、今も変わらない気持ちが一つある。
それは、僕とおまえは永遠に、死ぬまで、同じ血が流れた兄妹なんだ。
たとえ誰かと結婚して、子どもができて、そして幸せな家庭を築いていっても、
またその結婚がうまくいかなくて、不幸にして離別してしまっても、
その前からあった兄妹っていうのは、絶対に変わらないんだ。
離婚したら結婚は終るかもしれない。
でも兄妹は、絶対に終わらないんだ。
歴史の本なんかを読んでいると、兄弟姉妹で争いあい、殺しあう話がいくつもでてくる。
一人の個人として立つと、そういう争いも起こるだろう。
でも僕は。
ここでディドリクは言葉を切り、ゆっくりと話す。
同じ血が流れる兄妹っていうのは、親子と同じくらい強い絆だと思っている。
それは一生変わらない、このことを、愛する妹に誓うよ。
アマーリアがゆっくりと顔を起こす。
瞳が湿りながらもキラキラ輝いている。
「わたしも...誓わせてください、愛するにいさま」
しがみついて離れようとしないため、久しぶりにアマーリアを左胸に抱いて、眠りにつく。
毛布の中は暖かく、二人の目を眠気に誘う。
「おまえが一人にならないよう、遠征に連れていきたい」
この言葉を耳に抱くアマーリア。
「だがそのためには、法術を習得しなくちゃいけない、できるね」
いっそう強くしがみついて、押し殺したような声で応えた。
「はい」
アマーリアの髪をなでながら、ディドリクもまた眠りの中に落ちていく。