【十一】 私を憎め
深夜。
キンバリー公国に夜の帷がおりる。
公王の姪エルガは自分の家に帰らず、伯父である公爵家に、すなわち公国の宮殿に滞在していた。
昼間の出来事が頭を去らず、あのマリアとの思い出が頭の中を駆け巡っていた。
「あの優しかったマリアが、あの物知りだったマリアが...」
まだ十代半ばのエルガにとって、三年前というのは、そうとう昔の感覚だ。
まだ自分が小さかった頃にやってきたマリアは、エルガの目には大人の女性に見えた―実際はそのときまだマリアも15~16だったのだが。
隣国・コロニェ教会領の生まれだと言う彼女は、いろんな国の流行を知っていた。
機転が利いて、叔母である公妃や、従兄アウクストの妻アガーテの受けもたいそう良かった。
そしてなにより優しかった。
掃除や家事やら、仕事の途中でも、まだ幼かったエルガが話を聞きに行っても邪険にしなかったし、できる範囲で相手もしてくれた。
そのマリアが、公太子の男児を何人も呪殺した?
自分に見せてくれていた、あの優しい顔は、全部嘘だったのか。
にわかには信じられず、そしてこれから行われる共犯者の捕縛計画に、頭がついていかなかった。
そんなエルガをヴァルターの部下の一人が呼びに来る。
いよいよ捕り物が始まるので、同定してほしい、とのこと。
その頃、城館の壁面を音もなく伝い忍び込む影があった。
ある部屋の窓に到達して、そこで止まる。
その窓は施錠されていたが、内側からかかっていた鍵がコトリと動き、窓が内側から開く。
力場により、外から鍵が開けられたのだ。
その影は瞬時に窓から中へ侵入し、窓を閉める。
使用人の仮眠室のような粗末な部屋で、数台の寝台が並べられている。
そのうちの一つに影が近づき、何か長い針のようなものを取り出すと、そのこんもりとふくらんだ寝台に突き立てた。
「おまえがペーター・ブロックか?」
入り口から声が聞こえて、その影が窓から逃げようとするが、そこにも既に別の人物が立っていた。
灯りがともされ、その影が顔を見せる。
ヴァルターがエルガに問う。
「どうですか?」と尋ねると、エルガは目を見開いてその男を見続けている。
「ブロック、どうして...」
その男、ブロックが入り口を見ると、そこにはヴァルターと公爵の姪、それに縛られたマリアがいるのを確認した。
するとこれは? と思い寝台を見ると、それは枕を詰め込んでふくらませただけの寝台。
ブロックは失敗したと感じた。
だが、今度は術者とヴァルターとの間に少し距離があった。
奥歯をかみしめると、ひざを折って倒れる。
「しまった...」とつぶやく少年が、ヴァルターの後ろから現れる。
「武闘派は自殺しないと思ってました」
奥歯に毒を仕込んでいたのだろう。
公王夫妻を起こして、事件の顛末を語るヴァルター。
それに続いて、ディドリクが補足する。
「これでたぶん呪いの恐怖は去ったはずです」
恐らく暗殺隊は諸国に呪術者を放っているため、見破られたところにはすぐさま追加は来ない、と判断していた。
少なくともフネリック王国では解呪と呪殺者の排除が図られたあと、生まれた男子にはなんら異変が起こらなかったので。
後はまだ自害していないマリア・ダンジューをどうするか、という問題だけである。
「背後組織を確定できなかったのは残念ですが、キンブリー公国には当面の危機は去ったと思います」
その言葉を聞いて、ラインホルト公王以下、血族の者たちは皆、胸をなでおろした。
ヴァルターが
「もし何か異変の兆候を感じましたら、わたくしどもの方へ」と言う。
今後公国に問題が出てきたら、ノルドハイムで処理する、ということなのだろう。
ヴァルターもディドリクに目で合図を送り
(でももし今回みたいに手に負えなくなったら頼むよ)
と言ったようなことを送ってきた。
さるぐつわをかまされたままのマリアにエルガが近寄る。
ヴァルターが「まだ近寄ってはいけない」と引き離そうとするが、エルガはマリアの瞳を見つめながら
「マリア、マリア、どうしてこんなことを」と涙を浮かべている。
そんなエルガに伯父ラインホルト公が優しく語り掛ける。
「エルガ、こいつは恐ろしい殺人者だったんだ、すぐにも処刑して...」
だがそれでも、エルガは続ける。
「あなたはいろんなことを教えてくれた、お話も聞かせてくれた、私の相手もしてくれた、なのに、なぜ」
涙声になり、単語が聞き取れなくなってくる。
ディドリクは、この時マリア・ダンジューことヨハンナ・プロスペロが頭を下げて悲し気な表情になったのを見た。
(呪術者の洗脳がそれほど深くない?)と感じる。
あのワントブーフは相当に手練れの暗殺者だった。
このマリアも既に他国で暗殺の経験は積んでいる。
しかしまだ年若い。
加えて聞き出せる情報は、あれが全てだっただろう。
そこである考えをヴァルターに耳打ちする。
続いてヴァルターが公王に耳打ちして、これからしようとしていることの許可を取る。
衛兵、配下の魔術師に周囲の警備をしっかりと固めさせて、マリアのさるぐつわをはずした。
「マリア、暗殺者の運命はわかっているな」と言いつつ、マリアに末期の言葉を言う時間を与えた
ヴァルターをチラッと見たあと、マリアはエルガに言う。
「あんたは使いやすかったよ、全然疑わなかったからな」
この言葉に目を見開くエルガ。
しかしヴァルターはマリアの意図を察して、彼女にしゃべらせた。
「城内で動きやすくするには、公爵家の人間に取り入るのが近道だからな、赤子の髪を使うのにも機会はたんまりできた」
(そうか、マリアは媒介を使う近接型の呪術者か)とディドリクは察する。
「まぬけめ、ここには他国のスパイに対する防御態勢もなっちゃいなかったからな」そしてディドリクの方を見て
「この様子だと、もう全部吐かされてしまったんだろうな」と言うが、その目は悲し気で、とても敵を見る目ではない。
「私は失敗した、だが思い上がるなよ、ノトラ様はおまえなんか、子どもの手をひねるように殺してくれるさ、ディドリク王子」
(マリアは、そしてその背後にいるノトラは僕のことを認識していた?)ディドリクは驚いたが、それはおくびにも出さず
「良く知っているね」と続きを促す。
ここでディドリクにもマリアの意図がはっきりしてきた。
「ノトラ様は帝国一の妖術師だ、同時に魔術の腕も優れている、おまえがワントブーフを倒したのもとっくにお見通しさ」
ノトラについてもう少し詳しく聞いておくべきだった、と反省しつつも、ディドリクは次を促す。
「私は末端さ、暗示で聞き出そうとしても、どうせ大したものは出てこなかったろうよ」
マリアがその毒づきとは裏腹に、今にも泣き崩れんばかりに表情が曇っていく。
「殺せよ」と、最後につぶやくように言って、終わる。
マリアの言葉が終わったのを見て、ヴァルターは連れていくように命じて、退室させる。
「ディドリクが解呪をする少し前から索敵結界を張ってました。もう領内に暗殺者はいないと判断していいでしょう」
そう語って公王夫妻を安心させ、
「後始末は明日の朝にでも考えましょう」と言って、一同を退室させる。
二人きりになると、ヴァルターがディドリクに声を潜めて言う。
「よくわかったね、マリアの洗脳が解けているって」
「いや、まだ解けてませんよ、ただマリアも言ってたように、彼女は末端なのでそこまで重要な駒ではなかったのでしょう。それで洗脳もいい加減だったんじゃないかな」
なのでまだ自殺の可能性があるので、監視はしっかりとしておくように、と付け足す。
「エルガに通じたかな」とヴァルター。
「僕はエルガ嬢とはノルドハイムに来てから知り合った程度なので良くわかりませんが、そうであると良いですね」
そう、マリアは計画が完全に失敗しただけでなく暗殺計画そのものも知られてしまったことを知って、自身の運命を悟った。
そして、潜伏中に自分を慕ってくれるエルガに対して、最後の大芝居を打ったのだ。
こんな自分に未練を残してはいけない、と。
メイドのマリアは卑劣な暗殺者で、死刑になる、そんな女をいつまでも心にとめておいてはいけない、と。
だから毒舌を吐いて、実はこんなに醜い女だったんだ、と知らせたかったのだ。
エルガが言うように、マリアは賢い女だった。
彼女の口から救貧院という言葉も漏れた。
恐らくは孤児か、もしくは親が育てられなかった子どもだったのだろう。
だがその頭の回りの速さをノトラという人物に目をつけられて、暗殺者に育てられた。
しかしまだ若かったがゆえに、エルガを騙すのに胸が苦しかったのかもしれない。
ディドリクはいたたまれない気持ちになったが、今の自分にはこれしか思いつかない。
彼の意を察してか、ヴァルターが軽く肩を叩いて
「お疲れさん、ありがとう。こまごまとしたことは明日決めよう」と言って、それぞれの寝室へと退場した。




