【五】 戴冠式
戴冠式とは、宗教権威者が世俗権威者にその帝位(もしくは王位)を認める宗教儀式だ。
つまり、皇帝が即位するときに教皇がやってきて、地上での地位を認め、保証するもの。
稀に、皇帝が教皇庁に行くこともあったが、だいたいは皇帝の居城で行われる。
四大選帝王国の王位はこの帝位に次ぐため、これも教皇がやってくることが多い。
きわめて形式的な儀式で、それ自体が一種の芝居のようでもある。
会場奥、疑似的に玉座に見立てた上座に、王位を宣言するヘルベルト王太子が座り、その周囲に妃、子女が配置される。
既に結婚し他家の者となっているヴァルトラウテを除く三人の子どもたち、ハルブラント、ジークリンデ、ヴァルターが正装で座につく。
やはり注目を浴びるのは正装のジークリンデで、幕間から現れ、座に就くと、会場のあちこちから憧れのため息がもれる。
フネリック代表団もその例外ではなく、メシューゼラやアマーリア、リュカ、ノラ、なども目を輝かせて見ている。
白銀に細い水色のラインが縦に走るドレスに身を包み、肩から頸部を経て頭部に至る白い肌、整った顔立ちが、目を引いている。
座順も正妃ヒルデガルト、嫡男ハルブラント、次男ヴァルターの次、王家末席にも関わらず、まるで光り輝くように座している。
前王ベルンハルト四世が下座のトップ、長女ヴァルトラウテは第二席、夫グリューネンベルイ公爵とともにいて、上座と対面しているような形だ。
会場中央、教皇が渡る予定の玉道の左右に、列席者が配置され、フネリック王国は右翼最前列。
その背後にイェータラント王国国王夫妻、そしてキンブリー公国公王夫妻らが続く。
儀式前は適度にざわついており、ディドリクもこのイェータラント国王から挨拶を受けた。
ディドリクも二人の妹を紹介し、それほど国交のある国同士ではなかったため、儀礼的な挨拶だけを交わしておく。
やがて儀式が始まり、種々の口上ののち、金管楽器が教皇来場の楽を奏でる。
入り口から教皇を含む一団が現われ、玉道を通り、ゆっくりと疑似玉座へと向かっていく。
ノルドハイム王国の建築、及び会場の美術が清楚で地味な色彩だったこともあり、教皇庁伝統の赤と金色を軸にした装飾は、かなり派手に見える。
台座に運ばれて、上座のすぐ下に現れた教皇、シルメ五世。
今にも枯れ落ちてしまいそうな高齢の貴人で、足取りもおぼつかず、ゆらゆらと歩を進めていく。
聖帽をかぶっているので頭髪、もしくはその有無は見えないものの、真っ白な髭が胸元まで垂れ下がっている。
教皇庁古典語の一つ、ルーグ語で教皇到着と、戴冠の儀を告げ、儀式の開幕となる。
いろいろややこしい文面を展開させて、戴冠を承認する、みたいなことを言ってるのだが、会場の大半の人間にとってはまるで意味のない呪文を聞かされているようで、いささか退屈気味。
これを理解しているのはおそらく文法家だけだろう、はたしてこの中に何人いるのか。
だが同時にディドリクは、この年老いた教皇が、その意味を認識した上で発音し、韻律を整えているのに気が付いた。
長い文言の後、いよいよ戴冠の儀となり、ヘルベルト皇太子がその疑似玉座から降りてきて、教皇の前に膝を突く。
教皇は従者が運んできた宝具箱を開け、重そうな宝冠を取り出す。
この老人に持てるのだろうか、と思っていたが、そこは儀式のそれ、従者が手を貸し、教皇は持っているというより、触れているだけの状態で、宝冠をヘルベルトの頭に備え付ける。
立ち上がったヘルベルトは、再び教皇の前に膝をつき、戴冠の儀を母国語で語り、そしてまた立ち上がる。
そして
「余が、ノルドハイム王国国王ヘルベルト・キューレベルンである」と宣言して、主たる儀式は終了。
ちなみに王国史においてヘルベルトの名前は初出となるため、系図的には今後二世が登場すると、ヘルベルト一世となる。
教会音楽、あるいは宣誓、各宣言、等を経て、主たる儀式は終了。
王太子任命式は、翌日である。
新王太子の任命には教皇庁の認可は必要ないのだが、戴冠式と並行して行われるため、教皇以下も出席するらしい。
式後、ささやかな交流会となる。
会場となった謁見の大広間、それに続く幾多の客間が解放され、それぞれの交流会になり、さながら園遊会のような空気になる。
飲食が提供され、楽の音が響き、会場で舞を楽しむ者も現れて、雰囲気は園遊会と大差ない。
このあたりは軍事国家であっても、商業国家であってもかわりはない。
ディドリクは教皇庁使節団を見かけたので、シルメ五世にお目通りの許可を求めに言って、快諾された。
「教皇猊下、御挨拶させていただく許可をいただきありがとうございます。フネリック王国第二王子、ディドリク・フーネと申します」
「おお、お若い方じゃ」と言われたので、つい調子に乗って
「さきほどのルーグ語による神命語典、感動いたしました」と言ってしまった。
周囲の者が少しギョッとした反応を見せたものの、教皇は
「お若いのに、古式文法がおわかりですか」と言って、興味を持ってくれる。
「辺境の田舎で学んでおりますゆえ、まだまだ付け焼刃程度の知識ですが」と言ったものの、関心を示してくれて、しばし、歓談させてもらった。
座に戻ると、メシューゼラの周りにダンスの申し込みがいくつも来ていて、このあたりは帝都も北方大国もかわらんなぁ、と思ってしまう。
驚いたことに、アマーリアにも申し込んでいる男もいる。
七つの少女にダンスの申込とか、いったいどんな男だ、と思って顔を見ると、式典を終えたばかりのヴァルターがいるではないか。
「ヴァルター、さすがにこれはちょっと」とディドリクが言いかけると、
「ディドリク、昨日からぜひに、と思ってたんだが」などと言い出す始末。
「良いではないか、申込を受けてもらえないかな、踊るだけなんだし」と、背後から声がかかったので、振り返るとそこにはハルブラント。
「私はこの赤髪の美姫に、最初の相手をお願いしたいのだが」と、メシューゼラの手を取っている。
メシューゼラの方はまんざらでもなさそうだったので許すが、アマーリアの方は不安そうな目を向けている。
「ヴァルター、勘弁願えませんか、妹はこういった式典そのものが初めてですし」
すると、後ろから急いで駆けつけてきたような靴音が聞こえたかと思うと
「アマーリア、私となら、どう?」と言う声が聞こえる。
ふり返ると、急いで着替えて来たのか、騎士姿に男装したジークリンデがいる。
視界の片隅にヴァルトラウテとヒルデガルトの顔が映り
(いったいあの娘はなんてかっこうしてるの)
と言わんがばかりの顔をしている。
ディドリクが返答に窮しているとアマーリアが
「兄様、ジークリンデ様となら、私、踊ってみたい」と言い出すではないか。
ふふん、と得意顔になって弟を見るジークリンデ。
後ろでヴァルターも額を抑えている。
ディドリクもため息をついて
「踊るだけですよ、一曲すんだらすぐに戻ってくること」と言って、二人を舞いの中へ送り出す。
壁際にあった椅子に座りこむと、横にヴァルターもやってきて
「過保護一色ってわけでもないんだね」と言って笑いかける。
「いや、アマーリアはまだ幼いし、初めての式典だし、過保護一色でいようと思ってたんだけど」
二組を目で追いながら、ディドリクが返す。
ヘルベルトほどではないが長身のハルブラントとやや小柄なメシューゼラは、かなりの凸凹ペアに見えるが、それでも形の上では優雅に舞っている。
アマーリアの方は、ジークリンデが帝都の時と同様、うまく誘導して、形になっている。
ジークリンデも女性としては上背が高い方で、まだ幼女と言ってもいいアマーリアとだと相当の身長差だったが、上手に相手を務めてくれている。
かなりの組がダンスを楽しんでいたが、やはりメシューゼラとジークリンデが目立つこともあり、徐々に見学へと移ってくる。
そして一曲終わると、拍手の嵐、もちろんこれは、主催であるノルドハイム王家兄妹だから、という方が強いのだが。
ちょこんとスカートの端をつまんで、終りの礼をした二人の妹が戻ってくると、
「二人とも綺麗だったよ」と兄が声をかける。
「ハルブラント様、うまく誘導していただきありがとうございます」と、明日王太子になる人に声をかけると
「いやいや、メシューゼラ嬢も若いのに見事なステップで、私も舞っていて楽しかったよ」と言ってくれる。
もう嬉しくてたまらない、と言った表情になるメシューゼラ。
そして、自分の横にピタリとひっついてくるアマーリアを片手で抱きかかえながら
「ジークリンデ様もありがとうございます、アマーリアにとって一生ものの経験になるでしょう」と言うと、
「私には老獪な兄と我儘な姉、生意気な弟しかいなかったので、こんな可愛い妹がいるあなた達がうらやましいわ」
するとヴァルターが
「姉上には、抑圧される弟の気持ちも少しはわかってほしいです」などと言い始める。
ハルブラントが会場の中心へ戻り、
「皆さん、もっと楽しんでいってください」と言い、別の貴族令嬢と踊り始めた。
「ところでディドリク」
会場の中心に戻らずヴァルターとともにとどまっていたジークリンデが話しかけてくる。
「聞けばメシューゼラの成人式はまだやってないっていうじゃないの」
そういえば、帝都からの帰還と、この度の式典参加が立て続けだったこともあり、誕生会も簡単にすませていたのだった。
「フネリック王国では、女子の成人式はやらないの?」
「いえ、そんなことはなかったはずですが...」と言いかけるディドリク。
ただし、そういった式典の挙行云々は家長たる父王の判断なので、少し判断しかねるところもあった。
「やるとしたら帰国後ですかね」と少し曖昧な返事をすると、
「ならばするときは、ノルドハイムへも招待状を出しなさい」
え? と思って顔を見つめると、
「さすがに国王になった父上は無理だと思うけど、私は必ず参加するわ」
このやりとりを聞いて、メシューゼラが目を輝かせてこちらを見てくる。
少し考えた後
「挙行については父上の判断なので、確約はできませんが、しっかりと覚えておきます」と答える。
「ジークリンデ、フネリックへ来て下さるの?」
メシューゼラがこの会話に入り込んでくる。
「そうよ、だからディドリク、エルメネリヒ王を説き伏せて、必ず挙行すること」とピシャリと言い放つ。
宴も高まり、フネリック王国にも商談やダンスの申し込みがチラチラ現れる。
その中に、ヘンゼル商会の代表がいた。
「ヘンゼル商会のゴットリープ・カルルセンと言います、殿下、お見知りおきを」
ヘンゼル商会はノルドハイムやイェータラントで主として活動する北方の商会だが、ネロモン商会と違い海上貿易を得意としている。
これまでほとんど交渉がなかったのだが、フネリック王国にも支店を置かせてほしい、と言う。
多くの商会と関係を持つことは国にとっても良いことなので、前向きに考えておきます、と言うディドリク。
恐らく鉄鉱山での取引だろう、と思っていたが、意外なことに、畜産用の穀物で取引をしたい、と言う。
「最近、フネリック王国グリス州で粟、稗などの増産がなされているとお聞きしています」と言うことだ。
そうか、グリス州での農地改革がうまくいっているのか、と思い始めたが、自分よりも早く知っている、彼ら有名商会の情報力にも驚かされた。
また、キンブリー公国の可憐な令嬢も、席が近かったキンブリー公王ラインホルトから紹介された。
「エルガ・フンケルと申します、王子様」とにっこり微笑む。
綺麗な金髪を結い上げて、大きな青紫の瞳をいっぱいに開いて、ディドリクを見つめる。
キンブリー公国ならノルドハイムと近い種族だが、体格は小柄。歳はメシューゼラと同じく13歳。
「近国のよしみです、どうか一曲お願いできますでしょうか」
高位貴族、王族でのダンスのお誘いは普通男からするものだが、こうやって事前に取り決めてから、男側が勧誘するという形式もある。
「兄様の舞も見てみたいです」というメシューゼラの言葉に押されて、一曲舞うことにした。
「それではフンケル嬢、私はまだ拙いですが、一曲ご所望いたします」と膝をついて右手を差し出す。
メシューゼラも兄以上に申し込まれていたが、全て断って、アマーリアとともに兄の舞を見ている。
エルガは礼装と言うよりかなりの軽装で、舞うたびにくるくるとスカートが翻る。
季節は冬なのに、上衣も軽やかなブラウスになっていて、袖、襟もない。
白地に青の縞模様が入り、高位貴族と言うより、町娘と踊っているような感覚になる。
だが話を聞いてみると、公王ラインホルトの妹の息女、つまり公の姪だと言う。
「帝都の成人式にも参加させていただいたのですが、王子様とお話する機会が持てなくて」
「すぐに帰ってしまいましたからね」と言うと、
「これからもよろしくお願いします」と言って、微笑む。
なにごともなく時が進み、ようやくお開きになる。
翌日は、ハルブラントの王太子任命式が予定さている。