【五】 模擬試合
「は?」
一瞬、言ってる意味がわからなかったディドリクが、間の抜けた声を出してしまう。
しかし同時に、王族を狙う者か? とも考え直す。
その少し警戒したような表情を見て、ブロムが続ける。
「剣の腕を...いや真剣ではなく木剣でよいのですが、お手合わせ願いたいのです」
「お断わりします」少年は、今度は即答した。
「まず第一に、ぼくは剣戟の練習はこの学院に来てからだし、弱いですよ、そんなぼくと剣を交えたって、あなたの練習にはなりません」
だがその程度ではブロムはあきらめない。
「魔法を使っていただいてもかまわない、むしろそうして欲しいのですが」
しかし、他者との接触を極力絶ってきたこともあり、ディドリクは重ねて否定する。
「お断りします、危険なことは家族からも禁止されていますので」と。
まだ何か言いたげなブロムを後に残してディドリクは講義室を後にした。
帰りの馬車の中でディドリクは回想する。
(危ない、少し目立ってしまったかも)と。
帰宅すると、メイド・リュカが頬を紅潮させて報告に来た。
「坊ちゃま、奥様が懐妊されました」
リュカはブルネットの髪をアップにした、メイドたちの中でも一番の美少女。
つい最近雇われたばかりで、本来なら死んだ下の弟の世話をする予定だったらしい。
その彼女が、興奮を隠しきれず、教えてくれた。
弟が死んで一年半。
母にとっては第四子にあたるこの懐妊。
ディドリクは急いで母マレーネの元へと向かった。
「母上!」
寝台に横たわり、医師の診断を受けている真っ最中。
(すると今判明したところなのだろうか)と思いつつ、母に祝意を述べる。
「母上、おめでとうございます」
満面の笑みを抱いてマレーネは息子を見た。
「ありがとうディドリク、今度こそ、あなたもおにいちゃんよ」と嬉しそうに言った。
マレーネは序列では二位だが、父王の妃の中では最年長である。
ひょっとするとこれが最後かもしれない、という想いもあるのだろう、嬉しそうな反面、何か強い意思のようなものも感じた。
まだ見た目は腹部もふくらんでおらず、実感はわかなかったけれど、ディドリク自身も嬉しかった。
母の寝室を出て、食堂でメイド長グランツァに進められるまま夕食を食べ、一人になる。
するとまた夕刻のことを思い出して、ブロムについて考えてしまう。
(ただの腕試しには見えなかったなぁ)
結論の出ない想像の中で、いつしか眠りに落ちていった。
数か月の後、ディドリクは三たび、飛び級試験を受けた。
今度も難なく合格し、最高学年、高等科三年に進むことになったが、なんとあのブロムもともに合格していた。
試験会場でその姿を見た時、少しばかり驚かされたが、あの手合わせ所望の時以来、言葉も交わしていなかったので、やり過ごしていた。
しかし合格発表の日、同じ高等科三年に進級していたのを見て、やはり何かの意図を感じてしまった。
新学年に上って二日目。
教練の実技で、模擬試合が始まることを知らされた。
なんでも高等科二年から始まるため、そこを飛び級で通過してしまったディドリクにとっては初の経験。
とはいえ、教練の中でのことなので、そう大したことではないだろう、と思ってたら、意外と本格的。
それぞれが武器を選び、一対一の対戦を行うのだ。
高等科を卒業した者の多くは、すぐさま実務につく。
その中には実際に武器で自身を守らねばならない者も出てくるので、その練習と考えればありえる話なのかもしれない、と考え直す。
もちろん武器と言ってもほとんどが木製で、安全には気を使われているし、それぞれの試合に審判として補助教員もつく。
とはいえ、まだ八歳にも満たぬ身で、こういう模擬的な殺し合いは、心身を鍛えるという本来の目的から逸脱している。
そこで適当にやって、ケガをしないうちに負けておこう、と思っていたのだが...。
「試合は各自の能力に応じて、剣技、体術だけでなく、魔術の使用も可」と聞き、少し興味が出てしまった。
対人魔法戦...これは将来必要になるかもしれない、と思い、気を入れ直すディドリク。
最初、ランダムに組み合わされた対戦がなされ、次に勝った者同士で組み合わされていく。
負けたものは、順次、同じ星同士で戦っていく。
武器は学院側から用意されており、それぞれ木製の物を、各自、自由に選んで待機する。
ディドリクは円盾を選んだが、防具を選ぶ者は少数派。
武器は一品のみの使用なので、防具を選ぶということは、自動的に攻撃は拳闘か魔術の使用になり、相手方に対策されてしまうからでもある。
しかし「ケガをしないこと」が第一なのと、それほど勝負には執着もなかったので、ディドリクとしては良い選択だと思ったのだ。
第一試合が始まった。
別に順番があるわけではないのだが、必ずしも一斉にするわけではなく、他人の試合からも学ぶことがある、ということで、まずは少し観戦してみることにする。
出てきたのが、木剣を持ったブロムと、先端を丸めた棒状の木杖を持った少年。
木杖はブロムの木剣より五割方長く、使い手も慣れているような感じだった。
両者、開始線の外側に立って向かい合い、武器を構える。
ブロムの腕ってどんなものなのだろう、そうとうに強いのかしら、と思いつつ見ていると、横にいた二人組がボソボソ話しあっている。
「あれが黒檀族の留学剣士?」
「黒檀族の試合を見られるなんて、ラッキーだ」などともらしているではないか。
(そうか、やはり相当強いのか)と、ディドリクはさらに興味をかきたてられた。
皆の注目の中、補助教員が手を上げて準備をさせ、「はじめ」と手をふりおろす。
勝負は一瞬だった、いや、一瞬すらかからなかったかもしれない。
ブロムが開始と同時に弾丸のような速度で飛び出し、木剣で切り払い、木杖の少年を吹き飛ばしてしまった。
あまりに速かったので、目で追えなかった者もいて「え? 何が起こったの?」という声もチラホラ。
相手の少年を引き起こして、引き上げてきたブロムと目が合う。
少し微笑んでいるように見えた。
何試合かを経て、ディドリクの番が回ってきた。
相手はドッドノンという巨漢。
ディドリクの倍以上ある巨体と、腕、胸、腹部、脚部と、ぎっしり筋肉が詰まった大男である。
心の中で(うわ...)と思ってしまったディドリクだったが、魔術戦闘限定に切り替えなきゃ、と思った。
(負けても良いと思ってたけど、中途半端にやるとかえってケガをする)と感じてしまったので、方針を変換。
小柄な八歳に満たない少年と、学年中最大の容積を誇る巨漢の対戦、ということで、ブロムの試合同様、注目の的になってしまった。
ドッドノンの武器は、とみると、木製棍棒。
(まさか鉄心とか入ってたりしないだろうな)と不安になるディドリク。
巨腕に棍棒を構え、開始線につくドットノン。
相手が小柄な少年であっても、にらみつけるような目がらんらんと輝いている。
(本気だ)と感じたディドリクも、小さな体を一層かがめて、開始線に立つ。
補助教員の手がふりおろされた。試合、開始。
ブロム同様、このドッドノンも開始の合図とともに突進。
ブロムほどのスピードはなかったとは言え、瞬時にディドリクの前に現れ、棍棒を振り下ろす。
棍棒がディドリクの円盾をとらえた時、一瞬何かが光ったように見えたが、次の瞬間、ディドリクが大きく後ろへ吹き飛ばされる。
観戦者達は(勝負あった)と見ていたが、補助教員の審判は、ディドリクの勝ちを宣言する。
(審判、ひょっとして間違えた?)
(王族だからか?)
(これが忖度と言うやつ?)
とか言う言葉がチラチラ漏れたのだが、両者が接触した場所で、ドッドノンが呻きながら倒れていたのに気づく。
一方、土煙の中からディドリクが立ち上がって、よろよろと開始線まで戻る。
少数の者を除いて、何が起こったのか、わかる者はいなかった。
「大丈夫ですか?」とディドリクが手を差し出すと、
「今のは...電撃術?」と大きく息を吐いて立ち上がるドッドノン。
「おまえ、強いな」と言って、手を差し出してきた。
ディドリクはその手を取って「一種の奇襲ですから、強いって言っていいのかどうか」
巨漢で、お世辞にも美形とは言いかねる狂暴な面構えのドッドノンだったが、外見とは違い、試合後は好意的に接してきた。