【一】 嫉妬
帰国した代表団一行は、まず王城へ向かい、報告をする。
エルメネリヒ王、王妃イングリッド、王太子ガイゼル、そしてデーガー宰相を前にして、帝都での様子が語られる。
暗殺隊に襲われた件については、暴漢に襲われた、という程度に薄めておいて、帰国理由とした。
選帝大国のうち、三つまでと交渉を持ち、とりわけガラクライヒ、ノルドハイム両王国とはうまくやれたようだ、という報告が一番父王達を喜ばせた。
「御苦労でした、ディドリク」ガイゼルが目を細めて評価する。
「やはりディドリクにまかせて正解でした、私ではここまで人脈を広げられなかったでしょう」と言うガイゼルだったが
「いえ、僕もトラブルにまきこまれましたし、オストリンデと交渉できなかったのが心残りです」とディドリクが言う。
「オストリンデとはこれまでほとんど没交渉でしたから、王子が心配されることではありません」と外相がカバーしてくれる。
王や宰相たちも、帝都・帝室の面々についてはさほど話題に上げないので、大切なのは四つの実力王国のことだ、というのが伝わってきた。
ホルガーテ王国出自の帝室が、四王国の妥協であり、かつ傀儡であるということが、フネリックのように帝都から遠く離れた王国でも認識されていたのだろう。
報告を終えた後、解散となり、ディドリクは第二離宮のマレーネ家へ、メシューゼラは第三離宮のパオラ家の元へと戻っていく。
ペトラを第二離宮横のメイド寮の一室に置き、グランツァに紹介する。
グランツァは通いではあったが、第二離宮メイド長のような地位にあり、全てのメイドを統括しているので、まず彼女に話をしておこうと考えたのだ。
「ゆえあって、彼女を僕の専属メイドとして雇うことになった。どうかいろいろ教えてやってほしい」
明らかに異国人とわかるその容貌を見て、少し怪訝な表情をするグランツァだったが、快諾してくれた。
ペトラにも、グランツァの指示にしっかりと従うように言って、その場を離れる。
「まだガラク語になれていないので、言葉使いがおかしいときもある。そんな時は怒らず指導してやってほしい」と付け加えて。
「ただいま」と帰還を告げると、まず一番にやってきたのはアマーリア。
長期間家を空けると、涙で迎えてくれることが多かったアマーリアだが、今回は笑顔でお出迎えしてくれる。
左腕に抱き着きながら「おかえりなさい」とつぶやくように言う妹のあと、母がやってくる。
帰還の報告をして、ノルドハイムのことなどを伝える。
「ジークリンデ様が、何か名目を見つけて招待状を出すので来てほしい、と言ってました」
と言うと、マレーネは
「あそこは寒いだけで何もない国ですけど、もし気に入られたのなら、羽根を伸ばしていらっしゃい」と言ってくれた。
「母上は行かれないのですか?」と不審に思って尋ねてみると
「私が行くと、いろんな憶測を生みますからね」とそっけない返事。
しかしジークリンデのあの口ぶりを思うと、アマーリアも連れて行った方がよさそうだし、と、それを伝えると
「招待状が来てから考えましょう」と、この話はおしまいになった。
そしてメイドを一人連れてきて、雇うことになった、ということも付け加える。
純血主義が骨の髄までしみこんでいるノルドハイムの出身であるためか、やはりあまり良い顔はしなかったが、
「あなたの命の恩人ということであれば、無碍にもできませんね」と妥協してくれた。
メイドや侍従たちに帰還の挨拶をした後、自室に戻る兄妹。
時刻はもう夕闇迫る頃になっていた。
寝台の縁に腰かけたディドリク、その傍らに座るアマーリア。
「そのようすだと、事件とかはなかったようだね」と、髪をなでながら言うと、
「はい」と頭を傾け、身を寄せる。
「でも、待ち遠しかったです」
妹の肩を抱きしめたあと、ディドリクはベクターの気配を感じて、呼ぶ。
「滅身の術?」と問うと、
「さよう、汝ら二人にしか我の姿は見えず、我の声は聞こえぬ」と、ベクターがその姿を現す。
夕刻とはいえ、まだ働いているメイド達もいるので、ドアを閉めた後、ベクターに向き合う。
「大事無くてよかったよ、密偵はその後どうしてる?」と聞くと、
「汝が発ったあと三人がそれについていき、二人この地に残っておった。そしていままた五人になろうとしている」
「帝都に行ってみて、なんとなく呪いの目星がついてきたところなんだ。その密偵も関与している可能性が高いので、そのうち対処する。力を貸してほしい」
ベクターがニヤリと笑う。
「もちろんだ、我のみならず、汝の愛妹も力となるであろう」
え? と思って、ディドリクはベクターとアマーリアの顔を交互に見る。
「ベクターにいくつか法術を習いました」
とアマーリアがキラキラ輝く笑顔で答える。
兄の力になりたい、喜んでほしい。
そんな想いでいっぱいだったアマーリアだったが、一瞬兄の表情が曇ったのを見逃さなかった。
「と言っても一か月弱のことゆえ、大した伝授はできなかったがな、アマーリア、見せてみよ」
そう言ってベクターはアマーリアを立たせ、向き合う。
ベクターがドアまで下がり、右手を胸の前に置き、掌を向ける。
ベクターの右手を中心にして、氷の欠片が十数個形成される。
それが鋭利な切片となり、アマーリアに襲いかかる。
アマーリアは真剣な目で、頭の中で文字を組み替え、体内の法力に伝達し、発動させる。
切片が、アマーリアの身体に到達する数十cm手前で、弾かれ、床に落ちた。
まるでそこに見えない壁があるかのように。
続いてベクターが腕の周りに空気の渦を起こし、温度を急速に上げていく。
瞬く間に赤い炎となり、それが一条の流れとなってアマーリアに突進する。
すると今度も、まるでアマーリアの前に何かの障壁があるがごとく、遮られ、止まる。
「視覚で終える程度であれば、防げるようになった」とベクターが言い、続けて
「もう少し修練すれば、無意識化での発動や、思念に対する障壁も可能になるであろう」とつけ加える。
呆然と見ていたディドリクは、それに応えることができず、しばらく佇んでいたが、
「すごいよ、アマーリア、才能はあると思ってたけど」と、ぎこちなく賞賛する。
「兄様?」
兄のあいまいさの残る賞賛や、目の中にちらちら浮かぶ黒い炎に気づいてしまったアマーリアも、そこで言葉が出なくなってしまう。
「い、いや、少し驚いただけさ」と言い、部屋を出ていってしまった。
アマーリアは寝台の上に再び腰を下ろし、自身の肩を抱き、うつむいてしまう。
ベクターは(まだまだこどもじゃのう)と思いながら、アマーリアに
「ここで待っておれ」と言い、姿を消す
一人残されたアマーリアはそのまま動かず、声も出さずに、涙を流してしまった。
外に出たディドリクの前にベクターが現われる。
もちろん滅身の術が発動しているため、他人の目には映らない。
「妹が自ら身を守れるようになれば、汝の負担も減ると思ったのだがな」
「わかっています、感謝していますよ、ベクター」と力なくディドリクは言う。
「僕は醜いな」と、ポツリとつぶやく。
あの娘を守ってやれると思っていた。
守ってやるのは自分にしかできないと思っていた。
泣かせてはいけないと思っていた。
僕の方が強い力を持ち、強い立場であるから。
母も父も僕の方を愛してくれていると実感していたから。
アマーリアは、女子である、というだけの理由で、母に可愛がってもらえなかった。
だから自分が、自分こそが、幼くて弱い妹を守ってやらなければ、と思っていた。
だがその妹が、わずか七歳で、自分と同程度の防御法術ができるようになってしまった。
まだ未完成ではあるが、すぐに自分の領域に追いついてくる。
僕の方が強い、僕が守ってやらなければいけない、と思っていたのに。
そう、これは嫉妬だ、うぬぼれだ。
なんて醜い兄なんだ。
「さすがに賢いな、汝は」とベクターが近よってきて、続ける。
「ならば、早ければ早いほど良いのではないか?」と。
ディドリクは大きく息を吸い込んで、
「ありがとう、ベクター」と言い、部屋に戻っていく。
私は兄様の言いつけに背いてしまったのだろうか。
無断で、兄以外から禁断の術について学んでしまった。
兄様の力になれるから、兄様が喜んでくれるから。
そう思って一生懸命勉強したつもりだったのに。
兄様の言われることだけを、ただそれだけを忠実に守っていれば良かったのに。
兄様はいつだって私の身を案じてくれていたのに。
母様のように、兄様からも見捨てられてしまうのだろうか。
いやだ、いやだ、もう見捨てられたくない。
兄様に捨てられたくない...。
想いが頭の中でグルグルうずまいているとき、ディドリクが自室に戻ってきた。
ディドリクがアマーリアの両肩をつかんで立たせ、顔を見つめる。
その涙の後を見て、後悔と悲しみが押し寄せてくる。
「アマーリア!」
そう言って、力いっぱい抱きしめる。
「愚かな僕を許してほしい」
そして再び愛する妹の瞳を見つめる。
「お前があまりに優秀で、嫉妬してしまったんだ」
そう言って身を離し、額をアマーリアのおでこに、こつん、とくっつける。
「お前がベクターから学んだこと、僕は賞賛するよ」と。
「もうおまえの泣くところは見たくなかったのに、僕が原因で泣かせてしまった」
そして自分の想いを一気に吐き出していく。
「おまえを守って生きていく、傲慢な考えだった。
そうじゃない、一緒に助け合って生きていくんだ。
僕がおまえを守りたいと思うのと同時に、おまえも僕の身を案じてくれる。
そして僕がおまえの力になり、おまえが僕の力になり、ともに困難に立ち向かっていく。
兄妹というのは、死ぬまで変わらない、大切な絆なんだから」
アマーリアはディドリクの胸の中に顔をうずめて
「はい」「はい」と弱々しく返事をするだけ。
涙が止まらなかった。
でもそれが、先ほどのまでの悲しみの涙ではないことを二人ともわかっていた。




