【十二】 帰路
「ムシゴの民?」
いきなり剣を抜いたジークリンデに驚いて、イングマールがその言葉を繰り返す。
ディドリクやメシューゼラも何が何なのかさっぱりわからずに見つめていると、ロガガが剣を突き付けられたままの姿勢で、後ろへ跳躍した。
「なんでわかった?」
今までの弱々しい敗北者のようだった表情が一変して、ロガガはキッとジークリンデを見つめる。
「そりゃ、わかるわ」
と軽微な笑みを浮かべてジークリンドは再び剣を構える。
ヴァルターが当たり前のことのように付け足す。
「魔物使いは独特の匂いだからね」
「ロガガ、ほんとなのね」とペトラが悲しそうな顔で少年を見つめる。
「ごめんよ、ペトラ、騙すつもりじゃなかったんだ」
そこへディドリクが問いかける。
「弱ったふりをして、スキをうかがってたの?」
「それも違う、そろそろこの帝都を出たかったので、渡りに船かと思ってね」
「僕はそれでもかまわないんだけど」
ディドリクがこういうと、ジークリンデがにらみつける。
「ディドリク、ムシゴの民がどんなことをしてきたか、知らないのですか?」
「もう何十年も前の話ですよね、しかもこの子は僕に対して害意はもっていない」
「ディドリク、それは感心できんなぁ」とヴァルター。
「こいつらは一匹入れると、ゾロゾロついてくるよ」
ヴァルターは少しずつ距離をとりつつ、ロガガが跳躍して飛びのいた後方をとり始める。
「魔術師か?」
と背後に回ったヴァルターを見てロガガが言う。
「僕はペトラと同じ孤児だ。僕の背後から同族がやってくるなんてありえないし、そいつらと戦えと言われれば、戦うつもりだった」
後方へ回り、退路を断つ位置に立ったヴァルターからディドリクに視線を移し、
「しかしまぁ、君の迷惑になるようなら、ここらで退散するよ」
「この帝都に張られている魔物よけの結界を知らないようだね」とヴァルター。
「魔物を呼べないのであれば、我が剣の敵ではない」とジークリンデ。
「逃がさないよ」とヴァルター。
「ディドリク、親切に言ってくれて嬉しいよ、またどこかで会おう」とロガガが言うや、ブーンという低い音が響いてくる。
次の瞬間、無数の羽虫が襲来し、ロガガのからだを隠す。
庭園での戦いの時とは比べ物にならないくらいの大量の羽虫。
その羽虫がロガガの周囲へと集まってきて、巨大な球体を作っていく。
ジークリンデがその中に剣を突き立てるが、虫群の塊がどんどん大きくなり、剣はロガガをとらえきれない。
「確かに結界はあるみたいだけど、この結界では温血の魔物しか防げないよ」と中からロガガの声が聞こえる。
「姉上、離れてください」とヴァルターが詠唱を始める。
「聖なる天焔よ、邪気を焼き尽くせ!」
ヴァルターの両腕から青白色の焔が渦巻き、虫群に躍りかかる。
その炎は暗殺者の一人エンブロウが放ったものとは比べ物にならないくらいの熱量、威力で、燃やすだけでなく、金属さえも溶解してしまう力だった。
直径数メートルはあろうかという巨大な虫群ボールが出来上がっていたが、ヴァルターのその青い火焔が包み込むように焼いていく。
だが、焼いても焼いても集まってくる無数の羽虫。
そして、ようやくヴァルターの火焔が焼き尽くしていく。
だがその中に、既にロガガの姿はなかった。
「そなたの青焔術でとらえきれないとは...」
ジークリンデが弟に声をかける。
ヴァルターは出会った時のような平静さを装っていたが、相当に悔しかったのだろう、笑顔が少しひきつっていた。
「あいつ、僕たちを襲った時は本気を出してなかったのか」ディドリクのこの言葉に、ペトラが応える。
「わからない、ロガガの術、何度か見た、でも、あんな大きな虫の玉、見たことない」
あの時ディドリクはペトラの解呪をしていた。
ペトラを助けたかったのかもしれない。
そうなると、あの契約の呪いも自分で解呪できたのに、接近してくる名目のため、弱々しい演技をしていたのだろうか。
ディドリクがそんなことを考えていると、ジークリンデが今度はペトラを見て言う。
「そちらの女はただの孤児のようだな、南方系のようだが」
そしてディドリクの方を見て、
「メイドにしたい、という話だったようだが、ノルドハイムから招待状が届いても、その女は連れてくるな」と言った。
「私が認めた異民族の血は、おまえの妹が唯一だ、そのことを忘れるな」
「ジークリンデ様」と、メシューゼラが少しばかり感動している。
ディドリクが「ありがとうございます」と言って、ジークリンデに礼を言う。
やってきた帝都警察に、死体のこと、暗殺者に襲われたことなどを報告して、一行はそれぞれ家路についた。
ディドリク達だけなら事情聴取が長引いただろうが、四大選帝王国が一つノルドハイムの王族が証人として立ってくれたことで、意外と簡単に帰してもらえた。
ディドリクは外相とイングマールに相談し、危険性も考えて、式典参加を三日で終えて帰路につくことを決める。
出発は翌日の四日目。
帝都の式典主催側やノルドハイム王国、ガラクライヒ王国、ネロモン商会などに告知した後、出発した。
帰路は往路と同じコース、帝都から真西へと向かい、ガラクライヒ王国へと入る。
帝都西辺と接するガラクライヒ王国東部諸州で一泊した後、来たとき同様のコースをたどり、王都ルテティアの東端に到着する。
帝都西門ほどではないが立派な東門があり、そこでの通過許可をもらい、王都へと入る。
往路ではメシューゼラに我慢してもらった見学と買い物をここで楽しむこととなった。
フネリック王国常宿に到着の後、ディドリクは護衛役も兼ねたイングマールとともに、メシューゼラを伴ってお忍びの買い物に出かける。
メシューゼラの方は最後の方で事件があったこともあり、そうとう疲れていたようすだったが
「買い物に行くけどどうする?」と聞くと
「行く!」と目を輝かせて即答で答が返ってきた。
帰国すればまもなく冬なので、ディドリクは服屋、寝具屋、毛皮屋などを巡っていく。
ところがメシューゼラは、服屋で足が釘付けになってしまったかのように動かない。
文化大国にして商業大国ガラクライヒの服飾店である。
広さも品ぞろえもフネリックの比ではない。
それどころか、帝都でもこのレベルの店はないだろう。
こんな巨大店舗があと五つ六つあると言う。
種類も多彩で、見物していくだけでも数日はかかりそうな規模なので、目を引き付けられてしまうのも仕方がない。
そこでイングマールを護衛に残して、ディドリクは母やアマーリアのために毛皮製の寝具、夜着、などを見てまわる。
必要最低限の購入をすませて服屋に戻ると、メシューゼラはまだ動きそうになかった。
そこで明日一日を帝都散策にあてて、いったん宿舎に戻ることになった。
翌日、ショップ周りにすっかり心とらわれているメシューゼラだったが、さすがに儀礼は尽くしておかねばならないため、前国王に謁見を求めにいく。
往路で対面したときと同じように、ガラクカイヒ前国王ペピーヌス四世は、急な来訪にも関わらず快く会ってくれた。
「お早いお帰りじゃな、帝都はどうであった?」
と聞いてくれたので、会場で現国王カルルマン二世や、嫡孫である王太子ペピーヌス五世のことなどを話した。
もちろんノルドハイムに対しては良い感情を持っていないということを外相から聞いていたので、そちらは最小限にとどめる。
「このガラクライヒ王国でも、そして帝都でも王家の方々に親切にしていただいたこと、改めて御礼申し上げます」
こういう対応に慣れてきたのかメシューゼラも
「ありがとうございます」とようやく声を出して礼を言うことができた。
王宮を出ると、とたんにメシューゼラの目の色が変わり、一目散に町へと降りていく。
結局その日の残りは、メシューゼラの買い物と王都散策に費やされてしまった。
とは言っても、ほとんどがウィンドゥショッピングである。
王族と言っても、無尽蔵に金が使えるわけではない。
メシューゼラもそのことは頭でわかっているのだが、どれもこれも欲しくなってしまい、仕方がない。
見学を楽しみつつも、必死に物欲をこらえている姿を見ながら、ディドリクにも少し心の平安が戻ってきた。
翌日、まだまだ見て回りたいメシューゼラを、なんとかなだめすかして帰路につく。
そしてこの帰路の途中、ディドリクは連れて来たペトラにガラク語を仕込んでいた。
言うまでもなく、ガラクライヒ王国、コロニェ教会領、そしてフネリック王国の公用語だ。
まだ若いこともあり、ペトラの吸収力は強く、かなりのペースで言語を習得していった。
フネリック王国についたころには、簡単な会話はもちろん、書物もほぼ読めるようなところまで来ていた。
そしてルテティアを出てガラクライヒと教会領の国境まで、車中泊を重ねつつ、ようやく到着。
故郷がどんどん近づいてくる感覚になった。
教会領までくれば、その隣がディドリク達の母国、フネリック王国である。