【八】 ペトラ
ディドリクの反応を見て、シシュリーがゆらりと立ち上がる。
「失礼します」
と言って、シシュリーは左手でディドリクの左胸に触れた。
その瞬間、ディドリクの胸の中を、何かが爆ぜたように駆け巡る。
そうだ、これはあの第十四世から夢の中で講義を受けた時感じたもの。
兄ガイゼルを解呪した時に感じたもの。
妹アマーリアが生まれた時に感じたもの。
だが、過去に感じたそのいずれよりも、強く、激しく、胸の中を駆け巡る。
苦しそうに呼吸するディドリクの姿を見て
「なるほど、まだ鬼眼術を使われたことがないのですね」
質問をしようとするが、声が出ない。
ただ荒く呼吸をするだけ。
シシュリーの言葉も、耳から、というより頭に中に直接響いてくるようだ。
「でもあなたの中に、鬼眼師の器が作られていることはわかりました」
(ウツワ? ウツワと言うのは?)
シシュリーは椅子に戻り、話す、というよりつぶやくように言う。
「鬼眼師というのは、一世代に一人、と言われています。
しかしそれは平均値であり、何世代も生まれなかったり、一世代に複数誕生したこともあります。
おそらく、私の方が先に開眼してしまったため、あなたが遅れてしまったのかもしれません、推測ですが」
「私にはやりたいことがあります。
恐らくそれは時を待てば可能となるところでした。
私以外に鬼眼師がいなければ。
私からのお願いです、どうか私と敵対しないでください」
(そしてできれば私を手伝って)
ここまで聞こえて、ディドリクは意識を失った。
卓上に失神したディドリクを見つめて、シシュリーは卓に張った結界を開く。
そしてまず後方で、王子を助けようとして二人の兵士に遮られているヨハネス・クセノパエトスを見る。
その目に見つめられて、ヨハネスが気を失い、膝から崩れていく。
次は二人の兵士を見て
「帰りなさい、この宿屋で起こってたことは全て忘れて」と言う。
すると二人の兵士は、操り人形のようにフラフラと出ていく。
続いて、ペトラを見て、命じる。
「この王子様をお守りなさい」
少し間をおいて
「おまえの命に代えても」
と、少し調子を強めて言う。
そして、どこまでしゃべっていいか、どこからは不可か、ということを確認して、人差し指でペトラの額に触れる。
ペトラの瞳の色が赤から黒に変わる。
ゆらゆらとからだを揺すり、そしてハッと何かに気づくような反応となる。
シシュリーは卓へ戻り、右腕を水平に伸ばす。
するとその姿がぼやけていき、やがて白い泡となって、消えていく。
床に染み後のようなものを残して姿が消えると、そのシミも、まるで蒸発していくように消えていく。
かくして宿屋にはペトラと、失神したディドリク、それにヨハネスだけが残った。
ディドリクが目を覚ますと、肌の浅黒い、小柄な少女の顔が目に入った。
知っているはずなのに、どこか違うその顔。
そうだ、赤目が黒目になっている。
「王子サマ、気ヅカレマシタカ」とその少女、ペトラが言う。
「ああ、君か、ペトラ」と言って、エルトラム語で言ってしまったことに気づいて、
「ししゅりーハドウシタ?」と、アルルマンド語で尋ねる。
「王子様、少しなら、帝都のことば、わかる」とエルトラム語で答えたペトラが
「師は行かれた、命じられた、王子様の命を守れ、と」
「僕を守る?」
「暗殺隊、来るかもしれない」
ディドリクは少し考えて、
「シシュリーの話にあったあれか、理由が不鮮明だけど、法術使いを殺そうとしている、そして僕がそうだとわかってしまった?」
「たぶん、そう、私、詳しく聞いてない」
そしてディドリクを見ながら
「王子様にお願い、師の名前、人前で言わないでほしい」
シシュリーは(自分が法術家であるかもしれない)と言っていた。
そして同時に、上から見られているかもしれないと言って、結界を張っていた。
つまりそれだけの危険を冒して僕に会いに来てくれたのだろう、と思い、その秘匿の意味を理解した。
「わかった、じゃあ何と呼んだらいいのだろう」と聞いてみると
「わからない、でも支障ない、思う」
法術は極力秘匿せよ、これは師である十四世の言葉でもあった。
なんとなくそれに準じる気がして、ディドリクも感覚的に納得する。
「ところで、どれくらい失神していたんだ?」と尋ねると
「十数分、そんなに長くない、でもあっち、まだ寝てる」と、ヨハネスの方を指さす。
「君の言うことを信じるよ、でもこれからどうする? 我々と行動をともにするのか?」
「師から指示をもらってる。王子様の弟子ということにしてほしい」
少し考えるディドリク。
嘘をつくことになるが、知り合いから誘われて街区六番に来た、そこでヤバいのにからまれたので、この少女に助けてもらった、このあたりの話にするか?
そういったことをペトラに話し、納得してもらう。
「でも君はまだ若いようだし、両親とか家族とかは大丈夫なのかい?」
「私、街区七番ノ生マレ、孤児トシテ生マレタノデ、親ナンカ見タコトモナイ」と、アルルマンド語で答える。
帝都語では説明しにくかったのだろう。
しかしそれならなぜアルルマンド語を使用しているのか、と聞くと。
「育テテクレタ人、あるるまんど人ダッタ、トテモ優シカッタ」
こういったあと、少し肩を竦めながら、
「ドロボウダッタケドネ、縄張リ争イデ殺サレタ」などと、物騒な情報も追加してくれる。
「師、トハ、ドウイウ関係?」と聞いてみると、
「ぱろ、育テテクレタ人ガ死ンダ後、私モ殺サレソウニナッタトコロヲ助ケテクレタ」
なるほど、そういう経緯か、と思い、
「とりあえず、他人がいる時はなるべくエルトラム語を使ってほしいけど、できるかい?」
「努力する、でも王子様の故郷の言葉、ガラク語はさっぱりわからない」
え? ついてくるつもりなの?
と思ったが声は出さない。
確かに、命を守る、ということなら、フネリックにも来るってことだよなぁ、と思うディドリク。
どういう設定にするか、と考えていたら、ペトラがさらに付け加える。
「私、大して力ない、魔術も少ししか使えない、でも帝都の地理がわかる。それに...」
と言いかけて、少し言葉につまる。
「どうしたの?」
「暗殺隊、私の昔の仲間がいるかもしれないから」と答える。
「なるほど、暗殺隊のメンバーがわかるかもしれない、ということか、でも君は裏切者として」
「関係ない、師の言葉は絶対命令、昔の知り合いだって、金で裏切ったり平気でしてる」
と言うが、少し間をおいて
「でも、ものすごく強いヤツも知ってる、あいつらが暗殺隊だったら私は勝てない、不安」
「誰が暗殺隊か、を教えくれれば良いさ、できるだけ早く、正確にね」
こういうと、初めてペトラはにっこりと微笑んだ。
笑うと、少女特有の幼い愛らしさが顔に広がる。
聞けば歳はまだ13だと言う。
王国なら女子の成人式を迎えている歳だ。
だいたいどういう経緯かを、ディドリクが考えた設定を教え込んで、ヨハネスを起こす。
「旦那、申し訳ねぇ」と涙をこぼして謝ってくるが、無事ということなので、帰る旨を伝える。
「で、旦那、そのあまっちょは?」と聞くので、設定通りしゃべってみる。
「変なのにからまれそうだったところを助けてもらったんだよ」
「ふうん、そうですか、この部屋に悪いヤツがいたんですかい?」とヨハネスが言う。
どうやら、この部屋に入ったあたりの記憶はすっかりと消されているようだった。
「おまえの情報もすごく役に立ったが、このペトラは裏の情報にも通じているみたいなので、しばらく雇う予定だ、仲良くしてやってほしい」
「先輩、よろしくお願いします」
とペトラが頭を下げたので、少しモヤモヤした気分になりかけていたヨハネスは上機嫌になって
「よっしゃぁ、先輩についてこいや」とディドリクの前では見せなかった態度になる。
ディドリクがそれに気づいてニヤニヤしていると、
「だ、旦那、すまねぇ、調子に乗っちっまたみたいで。こんな可愛いあまっちょに先輩って言われたもんで、つい」
(可愛い?)と言うので、あらためてペトラの顔を見ると、確かに庶民的で、とっつきやすい愛嬌に気づいた。
階下に降りていくと、二人の兵士が陽気に酒杯を傾けていた。
そのとき違和感を感じたが、それはペトラの時と同様、目の色だった。
部屋ではチラリとしか見えなかったが、確かにあの兵士の目も赤かった。
それが今では黒い色に変わっている。
シシュリーの暗示で操られていたのだろう。
だがペトラのように、納得づくでシシュリーから命じられたわけではない、強制だったのだろう、ということもわかった。
同じような通路で帰宅し、ヨハネスをキドロの元へ帰し、キドロに礼を言う。
宿泊所に戻ったときはももうすっかり暗くなっていて、メシューゼラがちょっぴりお冠。
「ネロモン商会の方から連絡がありましたけど、それでも少し心配でした」
「いや、ごめんごめん、少しトラブルに巻き込まれたので、こちらのペトラに助けてもらったんだよ」とペトラを紹介する。
ふうん、という顔で、ペトラを観察するメシューゼラ。
「それで孤児で、弟子にしてほしい、ということだったので、恩も兼ねて僕専用のメイドにするつもりだ」
こういうと、メシューゼラが言葉にならない声を上げて、口をパクパクさせていた。




