【七】 白色の少女
ディドリクとヨハネスは宿舎南方の街道筋にある馬車の停留所で民営の乗り合い馬車に乗り込み、南へと下った。
王城近くでは高位の者が主となるため、ほとんどが手持ちの馬車を使うので、乗合馬車を利用する人間も少ない。
しかし下っていくにしたがって少しずつ客は増えていく。
王城園遊会ではお目にかかれない庶民の装束である。
馬車に揺られること数十分、目指す街区六番の入り口に到着。
大半の客が下りてゆき、ディドリクもヨハネスの助言に従ってここで降りた。
地図によれば脇道が多くあるものの、ときどきふさがったりするため、入り口から大通りを行った方が良い、とのこと。
「脇道は、街区七番のやつらが勝手に住み着いていたりもするので、夕刻になればこっちの方が安全でさ」
「ヨハネスはネロモン商会には長いのかい?」
「いえ、おらは商会というより、キドロさまの使用人です。父もそうでしたので」
なるほど、確かに商会の人間というより、貴族の下働きのような風体だ。
「親父が死んでから、おっかあも病気で死んでしまって、それからキドロの旦那には目をかけていただいております」
愛想のよい顔からはちょっと想像しにくい辛い過去をサラッと話してくれた。
そうこうするうちに、目的地のエルトルル通りに着く。
「着きましたぜ、王子様、してこれからどこに?」
「ヨハネス、王子様という呼び名は控えてほしい、そうだなぁ、君さえかまわなければ旦那、くらいで」
ディドリクは「ピコの宿屋」という名前を出すが、ヨハネス・クセノパエトスはその名に心あたりがなかった。
それで宿屋のあるあたりを中心に地図を睨みながら探していくと、
「旦那、あれじゃないですかね」とヨハネスが手を向ける。
宿屋という風情ではない、小料理屋のような店で、近寄れば「宿屋」という看板も見えた。
入ってみると、どうやら宿屋は二階より上になっているようで、一回の土間は酒房、あるいは軽食を出す食堂のような場所だった。
入り口で、会計を担当していると思しき中年女に
「ヘケイトのかまどが来た」とささやいてみる。
仏頂面で座っていた中年女の顔がみるみる変わっていき、何か恐ろしいものでも見るような目つきに変わる。
「しばらくお待ちを」と言って、階上へと駆け上がっていくのが見えた。
待つこと数分、階段を小柄な一人の少女が中年女とともに下りてきて、ディドリクを見つめて、挨拶をする。
「ワレハ、使ヒノ娘ペトラ」とアルルマンド語で語る。
「ナレ、へけいとのかまど、ニ、間違イナキヤ?」
ディドリクはこんなところで辺境のアルルマンド語を聞いていささか驚くが、
「然リ、我ハ白イ影法師ノオ誘イニヨリ、参上シタ」と正嫡のアルルマンド語で応える。
これにはそのペトラという少女の方が驚いてしまったようだが、それについては触れず、二人を階上へと案内する。
アルルマンド語は南方大国ジュードニア王国の東辺で語られている土俗語で、ジュードニアにある十二の公用語の一つではあるが、アルルマンド族以外には広がっていないため、ジュードニア以外で知る人は少ない。
階段をのぼりながらその少女ペトラを観察すると、黒髪、赤眼、やや浅黒い肌、そして上位に灰色のチュニック状、下は膝頭が隠れる程度のやや短めのスカートが目につく。
ただし繊維はお粗末で、いかにも中から下の階級を思わせる。
三階に上り、奥の部屋へと案内される。
衝立がいくつかあり、個々のテープルを隠せるできるようになっている、やや広めの部屋だ。
しかし壁などは古びた木材がむき出しになっており、この宿屋としては上の部類なのだろうが、やはり庶民向けである。
照明はろうそくが各テーブルに数本立っているだけで、窓はあるものの、全体的に薄暗い。
入って一番奥に寝台があり、その傍らにあるテーブルから、小柄な人物が立ち上がった。
フードつきローブを身に着けており、顔が見えない。
そのシルエットだけで見れば、子どものような体格だ。
「ヨウコソ、でぃどりく王子サマ」と、またアルルマンド語で話しかけてくる。
「オ招キニヨリ、参リマシタ」と、ディドリクもまたアルルマント語で応える。
それを聞いてその小柄な人物は、衝立で隠されている入り口側のテーブルに声をかける。
「あなたたちは下がってください、ディドリク様の同行者の方と一緒に」と、今度は帝都公用語のエルトラム語で命じる。
すると影のように見えていた場所から二人の影が立ち上がり、ヨハネスに向かって
「お連れの方はこちらへ」と言う。
二人の人物は兵士で、剣を携帯していたため一瞬緊張が走るが、
「ドウカ、危害ハ加エマセンノデ安心シテクダサイ」と、その小柄な人物が言う。
それほど離れるわけでもないので、ディドリクはヨハネスに離れるように言い、その人物と向き合い、
「会話ハ何語デ話シタラ良イノデショウカ」とアルルマンド語で訪ねてみる。
その小柄な人物はそれに答えることなくディドリクを自分のいる卓に招き寄せ、その後、両手を中空にかざす。
結界が張られた。
それもディドリクとこの小柄な人物の卓を中心にした、きわめて狭い範囲に。
ディドリクは万一のことを考えて、この結界を切り開く手段を頭に描く。
するとこの人物が頭にかぶっていたフードをバサリと払いのけて、その素顔を見せる。
ディドリクは思わず息をのんだ。
真っ白な、白子だったのだ。
老人のような総白髪、そしてとても人の肌とは思えぬ純白の肌。
ノルドハイムのような北方人に見られる色素の薄い「白い肌」と表現される色ではなく、絵の具の白色のような「白」なのである。
そしてその瞳は血のように赤い色。
「わたくしがお招きしたのですから、あなたの祖国の言葉、ガラク語でかまいません」とその白い少女はガラク語で言う。
「私の名はシシュリー、苗字は特にございません」
ディドリクが言葉を出せずに沈黙していると、
「結界を張ったことにはご容赦願います、上の者には知られたくないので」とシシュリーは語った。
「これは失礼しました、予想外のことで少し驚いてしまいまして」と、沈黙を続けてしまったことを詫びる。
「どうぞ、おかけになってください」とシシュリーに勧められてディドリクが座ると、シシュリーが話し始める。
「あまり時間もございませんので、要件のみを伝えますが、その前にあなたが法術家であるのは間違いありませんね?」
「ええ、自分ではそのつもりですが、周囲に法術家がいないので、どの程度のレベルかは把握しておりません」
「ペトラを遣わしたのは、あなたが帝都や西方ではまず聞かないであろうアルルマンド語を解するかどうかを知りたかったためです」
「あなたも法術を?」とディドリクは聞いてみる。
「私の目が法術かそれ以外のものかは、私自身まだつかんでいないのですが、たぶん法術だろうと思います」と意味が測りかねる曖昧な答え。
目? 目とはいったい?
「これからあなたに伝えようとすることは、密告です。したがって、内密にお願いしたいのですが、約束していただけますか?」
法術家同士の約束は、ひとたび交わすと、術的な力、強制力を持つ。
一瞬考えてしまったが、内密にすることで害があるとは思えなかったため、了承する。
シシュリーが語ったのは以下の通り。
帝都の暗殺部隊が、法術の絶滅を目論んでいます。
帝都内の文法家達には、法術への道を意図的に止めて、ごくまれに生まれる強力な力を秘めた者だけを組織内で養成します。
私は彼らにはまだ「法術家」とは認識されていません。
これまでに、何人かの法術家が闇から闇に葬られました。
しかしまだあなたは、暗殺部隊の面々には「法術家」とは認識されていません。
暗殺部隊は同時に、帝国内の小王国を、領邦として取り込んでいくことを目論んでおります。
つまりホルガーテ王国は、第五の選帝大国ならんとしているのです。
あなたの弟達が呪い殺されたのはその一環です。
当初、この二つは別々の問題でしたが、フネリック王国で失敗したため、その可能性をうかがう者が出てきました。
貴方が法術家と判明すれば、暗殺部隊が動きます。
ここまで聞いて、ディドリクは内心大いな驚嘆と不快感が沸き起こってきた。
弟たちが殺されたのは、意図的な組織犯罪だったということなのか。
しかし少し冷静になって考える。
この少女がほんとうに真実を密告しているとして、なぜこの少女がそれを自分に伝えるのだろうか。
この問いを投げつけてみると、シシュリーは
「あなたが私の同類かもしれないからです」
同類? ドウルイ? 頭の中で反復してみるが、どうもよくわからない。
同じ法術家として、ということだろうか、しかしそれにしては、法術という言葉にそれほどの熱意も感じられない。
ここで少し話を切って、シシュリーが言う。
「ここからが本題なのですが、重ねてお願いします。秘密を守ってください」と。
ディドリクが頷くと、シシュリーが続ける。
「あなたは、鬼眼師ですか?」
ディドリクはこの言葉の意味が分からず、答えられなかった。
(キガンシ? キガンシとは何だ?)
頭の中で反復してみるが、答えが出ない。
しかしシシュリーはさらに問いかける。
「それともあなたの妹が鬼眼師なのですか?」
妹、妹とは誰のことだ?
アマーリアかメシューゼラかイヴリンか。
「おわかりいだたけませんか?」と言い、シシュリーがじっと自分の目を見つめている。
「私は、鬼眼師なのです」と。