【六】 舞踏会の後
まだ昼だったが、二人の舞いを経て、舞踏会が始まる。
同時に、ジークリンデとメシューゼラの元へ舞踏のお誘いが殺到する。
ジークリンデは巧妙にそれらをかわし、兄ハルブラントの元でティーカップを手にしていた。
一方メシューゼラはうまく対応できず、兄に助けを求める。
「皆さま、お申し出はたいへん嬉しいのですが、妹は少し疲れております、どうかしばしの猶予をいただけませぬか」
とディドリクが言うと、皆にこやかに引いてくれた。
「お疲れ様」と言って労うと、
「ジークリンデ様のお相手はお兄様がしてくださる、っておっしゃってたのに」と少し抗議めいた目で兄を見上げる。
「でも、たしかに良い経験かも。ノルドハイムの姫君に手を取ってもらえたのだから」と、いまだ熱もさめやらぬ様子。
ふふ、と微笑みながら、ディドリクは妹の髪の一房をくるくると回して遊んでいる。
「でもほんとに綺麗だったよ、ゼラ」
ほてった顔にうっすらと笑みを浮かべて、メシューゼラは兄の胸にしなだれかかる。
「ディー兄様に言ってもらえるのが、いちばん嬉しい」
一方、ノルドハイム側では
「兄上、あれでよろしゅございましたか」と、北方大国の金色の姫君が兄を見つめている。
その表情は、いつもの氷河の冷たさと美しさに戻っていた。
「上出来だ、向こうもお前への恐怖心を解いてくれたようだし」とハルブラント。
王太子ヘルベルトとその妃ヒルデガルトもやってきて、ジークリンデを称える。
「とても美しかったわ、でも男装して、というのは少しひっかかるところだけど」と母・王太子妃。
それに対して王太子が、
「いやいや、ジークリンドの美しさは正装であれ、男装であれ、なんら変わるところはない」と親バカぶりをそろって発揮している。
「姉上も実に楽しそうで、あの赤髪の娘をお気に入られたようでしたし」と末弟ヴァルターが言うと
「何をバカなことを。私はあんな赤髪の娘に心を許したりはしません」とジークリンデはピシャとはねつける。
「まぁ、そういうことにしておこう、若い代表団だし、感情面で悪くとられたくないしな」とハルブラントがまとめる。
ジークリンデはこの兄と弟の言にはいささか不満だったものの、確かに先日メシューゼラに感じた不快感は消えていた。
(踊りはうまかったわね)と頭の中で理由をつけながら。
一息入れたところで、メシューゼラはディドリクが選んだ貴人と舞うことにした。
それは西方大国ガラクライヒ王国の王弟リッツである。
そしてディドリクは現国王カルルマン二世と、その王太子ペピーヌス五世と歓談していた。
「こちらへ来る途中、領内を通過させていただきました、遅ればせながら、感謝の意を述べさせてください」
「父と会われましたかな?」とカルルマン国王。
「はい、ペピーヌス四世陛下にはいろいろ便宜を図っていただき、深く感謝いたしております」
「まぁ、我が国を迂回するとなれば、倍以上の日程がかかってしまいますからな」と好意的に語らってくれる。
ディドリクがガラクライヒ国王と話している頃、メシューゼラはリッツ大伯と円舞曲を楽しんでいた。
「隣国に貴女のような美しい姫君がおられたとは、うかつにも知りませんでした」と大伯。
(厳密にはコロニェをはさむので隣国ではないのだけど)と思いつつも
「もったないお言葉です」と返しておいた。
ただし、自分をことさらほめたたえるのは、踊っていた相手がノルドハイムの姫君だったから、というのもかなりあったのだろう、とは推測できた。
帝都入国前、外相が言っていた「ガラクライヒとノルドハイムは仲が悪い」と言うのを思い出したからだ。
選帝四大国はそれぞれ仲が悪いが、その中でも軍事大国のノルドハイム、オストリンデは特に仲が悪い。
しかし実際の戦争となると、ノルドハイムとガラクライヒ間の戦争がいちばん多く、ガラクライヒは何度も煮え湯を飲まされてきた。
にも拘わらず国境の変更がほとんどなく、依然としてガラクライヒの方が広大なのは、その政治力にあったからだ。
それゆえ双方の首脳は、お互いに憎悪の対象になっている。
リッツ大伯の方でも、ともするとこの隣国の美姫がノルドハイムの男装娘と踊っていたのは気にくわないのだが、それは顔に出さない。
大国同士が争っているがゆえに、周囲の小国とはことを起こしたくないからだ。
舞踏の場であっても、政治のかけひきがなされている。
その後、主に西方と南方に展開するいくつかの小国の代表団に挨拶をして回るディドリク。
最初にメシューゼラがジークリンデと踊り、耳目を集めていたことが良い方に作用して、どこでも赤髪の美姫は大歓迎だった。
だが当初の目的であった東方大国オストリンデとは接触できぬまま二日目が終えようとしていた。
オストリンデはこの二日目で帰還するとのことで、今回は接触はできぬままに終わる。
オストリンデのさらに東方、草原の民、遊牧の騎馬民族との緊張がまだあるため、そうそう長居もしていられないらしい。
もっともそれに備えているのか、今回の代表団も王族は参加しておらず、外相を中心とした外交団だったようである。
フネリックから見て遠隔地、東の果てのような場所であり、今までも大した接触はなく、今後もそれほど頻繁に交流もないかもしれない、と思い、ディドリクはあきらめた。
しばらくして、クタクタになった表情でメシューゼラが戻ってくる。
無理もない。
数か国の代表団、王族らを相手に、七~八回、踊っていたのだか。
表情が明るく、笑みが絶えないため、それほど疲れていないように見えるが、さすがにそろそろ限界だろうと思い、ディドリクはここで打ち切ろうと考える。
「ええ、兄様、まだまだ踊りたいです」と言うものの、翌日これは確実にキそうだったので、打ち切りを決めた。
まだ夕刻前だが、既に義務である時間は過ぎているので、ここで引き上げても問題はない。
実際、退去しかけているところは他にもあった。
馬車に連れていき、ノラに化粧の落としを頼む。
メシューゼラはノラに、どこそこの王子は顔が良かったとか、どこそこの大臣子息にくどかれたとか、有頂天で話している。
(昨日の注意を忘れているな)と思い、ディドリクは早々の退去が正しかったことを知る。
メシューゼラの支度はノラにまかせて、ディドリクが馬車を出て外の空気を吸っていると、たまたま近くにネロモン商会のキドロがいて、声をかけてくる。
「おや、ディドリク王子、お引き上げですか?」
「ええ、妹に対応をまかせすぎて、少し疲れてしまったようなので」
と返すとキドロは笑いながら、
「たしかにメシューゼラ姫は大人気でした。わたくしどもの周辺でも『あの美姫はいったいどこの令嬢だ』と話題でしたよ」
たぶんに外交辞令もあろうけど、こう言ってもらえるのは嬉しいことだ。
「まだ幼いですし、場数もそれほどふんでませんから、明日あたり筋肉痛になるかもしれません」と笑顔で返しておく。
「ところで、少しおうかがいしたいのですが」と、ディドリクはキドロの姿を見て考えていたことを尋ねてみる。
「街区六番の、エクトルル通り、というのは、ここから近いのでしょうか」
唐突な話題の変換に、少し驚いた表情を見せながら、
「エクトルル通りですか? まぁそこまで距離はありませんが、それでも少しありますかね」と言って、少し考えたそぶりを見せる。
「何か問題のある地域なのですか?」と聞いてみると、
「街区六番というのは庶民の商業街で、エクトルル通りというのはその南端近くなのですが、その向こう、街区七番というのがですね」
と言って、ここで少し言葉を切る。
「私が言った、とは言わないでいただきたいのですが、その、なんと言いますか、貧民街なのですよ」
「街区六番自体はさほど問題のない地域なのですが、エクトルル通りまで行くと、ときどき街区七番の貧民が紛れてくることが多くて」
なるほど、危険地域に隣接しているので、あまり高位の者は行ったり、興味を持ったりしない、ということか。
キドロは帝都の庶民が住む、北にある十の街区、南にある九の街区について簡単に教えてくれたのち、
「そうそう」と言って自分の馬車に戻り、地図を持ってきてくれた。
「だいたいこんな感じです」と言って地図を見せてくれたのだが
「ひょっとして、行かれるつもりじゃないでしょうね?」と切り出す。
ディドリクが「少し所用があるので」と言うと、
「殿下の法力は妹から聞いてますが、やはり地理に強い強力な護衛をつけた方が良いでしょう」と言い、一人の青年を貸し出してくれた。
「ヨハネス・クセノパエトスと申します、こいつはこの南街区で生まれ育った者ですので、頼りになりますよ」と言って紹介してくれた。
けっこうな大男で、肌は浅黒く、くせ毛の黒髪だが、顔には愛嬌のある笑みが浮かび、ごつい顔のつくりの割りには、可愛いく見える。
だが胸板は厚く、ぎっしりと筋肉が全身を覆っていた。
「ヨハネス、おまえはこの王子の護衛をしろ、そして王子の命令は私の命令だと思い、忠実に動け」とキドロが命ずる。
「へい、若」と、訛りの強そうなエルトラム語(帝都公用語)で答える。
キドロの申し出には感謝したものの、正直やっかいなことになった、とも思っていた。
何か危険があって、法術を使う羽目になると、それを見られてしまうからだ。
しかし素人目には、魔術も法術もその発現に大差なく見えるので、ま、いいか、と思い、キドロの申し出を受けた。
クセノパエトスに挨拶を交わしたのち、
「クセノパエトス、途中で魔術を使うことがあるかもしれないが、それについては他言無用でな」と言っておく。
これで法術を使っても、魔術と認識してくれるだろう。
「ヨハネスでかまいません、王子」と言うので、以後ヨハネスと呼ぶ。
フネリック側の馬車に戻り、少し所用ができたことを伝え、彼らだけ宿舎に戻しておく。
少し装束を変えて目立たぬようにして、あの白い影法師が指定した場所へと赴くディドリク。