【五】 金髪と赤髪の舞
園遊会、二日目。
できれば帝室か、東西の大国、オストリンデかガラクライヒには顔を出しておきたいと考えたのだが、朝一番から人に取り囲まれている。
フネリック王国から見て距離が最も離れている東方大国オストリンデ王国とは、過去にもほとんど接触がなかったこともあり、顔見せくらいはしておきたかったのだが。
ディドリクがそんなことを思いながら、少しウロウロしていると、ネロモン商会のミュルカ嬢に声をかけられた。
「王子様、昨日はお相手をしていただきありがとうございました」
どうしようか、と少し戸惑っていたところだったので、ミュルカ嬢と出会えたのは幸いだった。
「いえいえもこちらこそ右も左もわからぬところでしたので、ありがたかったです」
しかしそれまでディドリクの後ろについていたメシューゼラが、キッと睨みつける。
一瞬のことで、すぐ元の表情に戻ったが、ミュルカ嬢はしっかりととらえていた。
まだ昼前と言うこともあり、舞踏会などは始まっておらず、人の波もパラパラと言ったところである。
選帝四大国の周りにのみ人が集まっている様子なので、それ以外の場所は一層まばらな印象になっている。
ミュルカ嬢が、そっと耳打ちをしてくる。
「面白い方がお見えですわよ」と。
「ほら、あそこ」と目線である場所を教えると、そこには数人の老人がたむろっていた。
「帝都文法学院の先生方ですわ」
老人たちの中にひとり、若い男がいたのが目についた。
それを見て、ディドリクは少なからず驚いてしまい、それに気づいたミュルカが
「いかがされましたか? ご紹介させてくださいますか?」と聞いてくる。
ミュルカがその老人たちの中に入っていくと、みな彼女とは面識があるようで、にこやかな顔になる。
そして何やらディドリクの方を見て、招いてくれた。
その中から一人、唯一の若い男が、
「殿下ではありませんか」と驚いて声をかける。
石客研究会に名を連ねていた、ブランケ・ロートマンだった。
「あら、お知り合いでしたか」とミュルカが声をかける。
「ええ、私はフネリック王国王立学院にも席を置いておりますので」とロートマン。
振りむいて、老人連の一人に紹介する。
「ギルダネス先生、こちらが先ほど話題に上がりました、フネリック王国のディドリク王子です」
白い髭を胸まで垂らし、杖によりかかるように歩いていた老人が、ディドリクの方に向き直る。
「おお、あなたがお若いのに古典文法学を学んでおられる王子ですか」と話しかける。
「いえ、まだ始めたばかりの浅学ですので」とひとまずは謙遜してみせたが、ロートマンが熱を帯びた口調で否定する。
「先生、信じてはいけません。殿下はルグの箴言集を解析して、その文法体形を整理しておられるのです」
「ほお、それはすごい、少しお時間をいただけますかな」と、自己紹介もまだなのに、食いついてきた老学者。
ルグの箴言...以前研究会で見せた文言集に入れてたっけ、と思い返しながら、まさかこんなところにまで広がっていたのか、と思い、少し後悔するディドリク。
だがその意味を理解していたロートマンも、ただの学生ではない、と気づいていた。
確か研究会で、収集した例文の多くに「見覚えがある」と唯一言っていたし。
「先生、まだ自己紹介もされてないのに、いささか性急ですわ」とミュルカが良いタイミングで熱をさましてくれる。
「おお、これは失礼しました、私は文法学院で古典古代の韻文文法を研究しているルカス・ギルダネスと申します」
「今回、フネリック王国を代表してやってまいりました、ディドリク・フーネです」
「ネロモン商会では文法学院のテキストの印刷もさせていただいてますのよ」とミュルカが場をまとめる。
その後、そこに同席した老学者たちにも紹介され、古典文法やその研究史の話題に花が咲く。
一緒にいたものかどうか、と思いつつ、ニコニコと笑顔を浮かべていたメシューゼラがかなり退屈になってきたのだが、まだ舞踏会が始まっていないこともあり、退屈と戦いながら傍らで佇んでいた。
「お暇なようね」
不意に背後から声がかかり、ハッとして振り向くメシューゼラ。
そこには北方大国ノルドハイム王国王子ハルブラントと、王女ジークリンデが立っていた。
「やあ、フネリックの可愛い代表団君」と、王子はにこやかに話しかける。
声を聴いてディドリクも驚き「失礼」と会話を打ち切って、ハルブラントの方を向く。
老学者達も、北方大国ノルドハイム王家の二人が声をかけてきたため、驚いてそちらを見つめている。
いかにも貴公子然とした長身痩躯を銀色に水色が走る北方の装束で身を包み、にこやかに微笑むハルブラント。
そしてそれ以上に驚かされたのがジークリンデのいでたち。
兄ハルブラントと同じく銀色の装束なのだが、脚部にフィットしたズボン様の下衣を履き、見事に男装していた。
帝国の美髪と言われるその金髪を後頭部でまとめていることもあり、中性的な美しさが引き立っている。
「お美しいです、ジークリンデ様」とディドリクが声を上げると、ハルブラントが
「いやぁ、スカートをいやがってね」と苦笑いしている。
そしてギルダネスの方を向いて、
「先生、歓談の途中申し訳ないのですが、御二人をお借りしてもよろしゅうございますか」と問う。
「おお、これはこれは、ノルドハイムの殿下、もちろんでございます」と言って、にこやかに引いてくれる。
「それではディドリク王子、また機会がありましたら、いろいろお話しようではありませんか」と言って場を離れていく。
「先日は妹がたいへん失礼をした、ディドリク、そしてメシューゼラ姫」
とハルブラント。
ディドリクには敬称をつけていないのは、従兄弟としての気安さからか。
「そこでお詫びをしたいと思ってね、君たちが来場したのを見て来た次第だ。お邪魔してしまって悪かったね」
「いえ、そのようなことは。でもハルブラント様の方でもいろいろ他の方々と対応があったのでは」と言いかけるとハルブラントがそれを遮って
「『様』なんかつけなくていいよ、ディドリク。従兄弟なんだし、父がいないときは君も呼び捨てで呼んでほしい」
ハルブラントが先日の会見では見せたことのない明るい笑顔を見せながら言う。
「それにあんな面倒なのは、父にまかせておけば良いんだ、私にはそもそも決定権がないんだからね」
一方ジークリンデはメシューゼラの方に向き直って、
「お詫びにきたのよ、メシューゼラ、この間は失礼したわ」
メシューゼラが緊張して何も言えないでいると、
「退屈ね、一曲お願いできるかしら」と聞いて、準備をしていた数名の楽師に目で合図する。
メシューゼラが動揺してディドリクの方を見ると、
「良いんじゃないか、素晴らしい思い出になるよ」とディドリクは言って、妹の手を従姉に託す。
「ジークリンデ様、お気遣いありがとうございます」
ゆるやかな三拍子の舞曲が流れて来た。
ジークリンデが男役を務め、手を差し出して、赤髪の少女を招く。
「やってないんだったら、私たちで勝手に始めてしまえばいいのよ」とジークリンデ。
メシューゼラはその手を取って、ここでようやく笑顔になることができた。
最初はゆっくりと、優雅にステップを踏み、流れるように舞っていく。
メシューゼラがジークリンデに手を取られ、その腕の中で緩やかに回る。
二人の美姫が、かたや男装の麗人、かたや赤髪の令嬢となって、ゆるやかな流れの中で踊る。
会場の目が二人に集まってくる。
やがて曲は激しい動きに変わり、二人も時に離れ、時に合流し、くるくる舞い踊る。
ジークリンデの豪快な、それでいて繊細な美しさを秘めた動きの上に、メシューゼラが放たれた駒のように、舞い、踊る。
それまで商談に夢中だった人々までが、二人の舞踏に見入っていく。
男装であってもジークリンデの美しさは隠しようがなく、キラキラと輝くばかり。
腰をキュッと絞ったベルトにより、ヒップラインが引き立ち、凹凸の曲線美が返って強調されている。
そしてその手に乗って、その赤い髪が、さながら爆ぜる火の妖精のようにはねまわるメシューゼラの小柄な肢体。
体格の対比、髪の対比、そして動きの対比。
美の化身が乗り移ったかのような二人の舞いに、いつしか会場は言葉を失っていく。
やがて曲は再びゆるやかなセレナーデとなり、静かに終わる。
ジークリンデがメシューゼラの手を少し上げて、一礼をし、メシューゼラもそれに応える。
終りの一礼とともに、拍手が響きわたった。
「ジークリンデ様、ありがとうございます」と瞳をキラキラさせて微笑むメシューゼラ。
二人の舞姫は、それぞれの兄の元へと戻っていく。
「ディー兄様!」
懐に勢いよく飛び込んできた赤髪の美姫を腕に抱き、ディドリクは笑顔で応える。
「きれいだったよ、まるで妖精のようだった」と言うと、メシューゼラも満面の笑みをたたえている。
二人のダンスを境にして、かなり早い園遊会の幕開けとなった。