【四】 白い影法師
宿舎に戻って寛いでいると、湯で疲れを落としたメシューゼラがディドリクの部屋へやってきた。
既に寝着に着替えているので、寝る前のおしゃべりに来たのだろう。
「楽しかったです、来て良かった」と、ニコニコしながら、ディドリクの横にちょこんと座る。
「もてもてだったじゃないか、僕も嬉しかったよ」と言うと、
「えへへ」と可愛い笑顔を浮かべて、もたれかかる。
「ディー兄様が、美しいのは髪だけじゃない、って言ってくれたのが、一番かな」
ディドリクが肩を抱きよせながら、顔を起こして頬をそっとなでる。
「昨日ほど思ったことはなかったよ、自慢の妹がこんなにきれいだったなんて」
その自慢の妹は、少し顔を赤らめながら
「うふん」と息を漏らして、頬に添えられた兄の左手に頭部を寄せる。
赤髪は衣装に映えて豪華に映り、幼さよりも若さが押し優るその白い肌は白雪のように美しく、瞳はキラキラと宝石のように輝く。
公式の場になればなるほど、その美しさ、愛らしさが魅力を発揮する。
父がパオラ様に恋をしたのも、こんな感じだったのかな、と思ってしまうディドリク。
いっそうからだを密着させてくるメシューゼラの肩をつかんで少し引き離し、
「それだけに少し心配にもなる。いいかい、決して場を離れて一人っきりになったりしたらいけないよ」
この言葉も、自分を心配している気持ちとして受け止めて、笑みが満面に広がっていくメシューゼラ。
「明日は、名目上、交友会だ。僕も他国の偉い人に挨拶にいくつもりだから、どうか注意して」
「私も同行した方がいいの?」
「まあ少しは同行してほしいかな、でも交友会は名目だから、ゼラはいろんなものを見て、楽しんでおいで」
そう、明日も園遊会は続くのだ。
帝都の成人式、結婚式、任命式などはこの園遊会が一つの名物にもなっていて、参加したがる王族貴族や大商人が多いのもこれが目当てだからだ。
「ただ、かなり予想外だったこともあるので、十分注意して」
「予想外って?」
「ゼラが人の目をひきつけすぎてたってこと、きれいなのも善し悪しだし」
きょとん、とした顔をしている妹に、兄は言う。
「決して一人にならないように、会場の外へは出ないように」と。
「あそこにいる人が、そしてゼラの美しさにひかれてくる人が、全て善意の人じゃないかもしれないから、言ってる意味、わかるよね?」
ディドリクは妹の目を見つめて話す。
「ま、僕の目の届く範囲にさえいてくれたら、いろいろ経験を積んで、楽しんできたらいいさ」
と最後は笑顔でしめくくる。
メシューゼラは去り際、少しいたずらっぽく
「ディー兄様が嫉妬してくださるのも、それはそれで嬉しいです」と言って去っていった。
(やれやれ、あの娘は)と思いつつ(嫉妬じゃないぞ)と胸の中で言うディドリク。
でもそれを言われて少し、別の嬉しさも出てきたとき、寝室に妙な気配を感じる。
妹が自室へと退去した後の、ディドリクの寝室。
閉じられたドア。夜も遅く、多くの者が眠りにつき始めている時刻。
灯りも消して暗闇となった室内、窓からさす月明かりだけが唯一の光。
そして物音ひとつしない部屋。
そんな中、何かの気配を感じる。
寝台と、扉の間、ほんの少しの空間。
そこに何やら白いものがうずくまっている。
その白い何かが、ゆらゆらと揺れ動き、まるで立ち上がったかのように、上に伸びる。
「...わたしは...×××...あなたは★★★ですか...」
と声のように聞こえるものがそこから発せられる。
だが、その名前にあたるような箇所は、まるで小さなノイズがかぶったようになり、聞こえない。
白い影は、その立ち起こった場所から動こうとはしないものの、小さな子供のような動きを見せつつ、声のような音を発している。
「ああ、ようやく気付いていただけたのですね、わたしは×××」
いったい何語だろうか、と思ったのだが、その声のような音は、耳を介してではなく、直接頭の中に語り掛けてくるような、音だ。
これは声として発せられているのではなく、僕だけに伝えられる...念話?
という考えが頭の中を走る。
「わたし×××は、あなたにお話したいことがあります、だいじなことです、ぜひ会いに来てください」
白い影は少しずつ人の姿をとりつつあるように見えた。
だが詳細まではわからず、依然として、影か揺れているように見える。
「どうか、きてください...街区六番、エクトルル通り、ピコの宿屋...」
「合言葉は、ヘケイトのかまど、ヘケイトのかまど」
今度は固有名詞がよく聞き取れた。
人名だとかすれるのだろうか?
返事をするでもなく、ディドリクがその白い影法師を見つめていると、
(わたしは×××...明後日の夜までお待ちしています)
そういうと、白い影が動きを止めて、顔の部分だけ明瞭になっていく。
男なのか、女なのか、どうにもはっきりとはしないものの、子どもの顔ように見えた。
白い影法師は、再びぶるぶると震えだし、少し伸びあがったかと思うと、床へ吸い込まれるようにして、消えていった。
しばらく呆然と、その白い影法師が消えてしまったところを見つめていたが、やがてハッと我に帰り、今の現象を考え始める。
(夢ではないようだ)と、部屋の中を少し歩き回ってみる。
いや、なにかの術にかかってしまっていたのだとすると、夢なのかどうかは判断できないが、少なくとも時間経過は正常に進んでいる。
月は少し動いていたが、メシューゼラが部屋を出た時と同じ形。
そして、それが魔術なのか、法術なのか、そのあたりが少し判断できかねた。
声の主は、女のように聞こえたが、女というよりは、童子のもののようにも聞こえた。
いや、術にかけられていたのだとすると、そういう判断も怪しいか、と思い直して、床につく。
(会いたがっている、ということは、今の時点では敵意はないのだろう)と考えて休むことにした。
その言葉が頭の中に渦巻いて、なかなか寝付けられなかったのだが。
それでも翌朝目が覚めた時には、それなりには眠れていたようで、前日の疲れはほとんど残っていない。
だがあの影法師は、起きた直後も、じっと頭の中に残っていた。
王城での嫡孫成人式の二日目、というより、園遊会の二日目となっているその日。
ディドリク達は出かけるため、馬車に乗り込む。
歩いてでも行ける距離なのだが、そこは王族の登城、客車仕様の馬車で入ることとなる。
行軍時と違い、ディドリク、メシューゼラと同席するのは、メシューゼラのメイド、ノラ。
髪を整えたり、薄らと白粉を塗ったりしている。
そんなもの塗らなくても、十分妹は美しいのに、と思いつつ、ディドリクは眺めていた。
「ディドリク様、お嬢様の肌の美しさに白粉や紅は不要、と思っておられるのでしょうけど」
と、まるで心を見透かしたように、ノラが話しかける。
「照明の加減もございますから、それに応じて少しお化粧を入れておくのが良いのですよ」とも。
確かにまだ濃い化粧をしているわけではない。色の色相を整えているだけ、とも見える。
さすがにメシューゼラ付きの専属メイドだけあって、よく主人の顔や特性を見ている。
そして髪は、昨日とは違う形に結い上げられ、赤い炎が頭頂部から肩口、肩甲骨へと流れていくようだ。
「これは大国との挨拶には、ぜひ同行してもらいたくなるね」
メシューゼラはにっこり微笑んで
「ディー兄様のお望みのままに」と言う。
ノラが少し笑みをもらし、ディドリク同様、仕上げ終わった主人の若い美しさに見とれていた。
かくしてフネリック王国代表団は、帝都の園遊会場へと乗り込んでいく。