【二】 ヘルベルト王太子一家
ガラクライヒから真東に進み、帝都西門へと到達する。
そこで検問を受け、帝都プラーゲホーフに入城。
帝都プラーゲホーフ、そして副都ベルシノアは双子都市で、この両都市を持って帝都が形成されている。
当初、帝都は皇帝が鎮座する場所に過ぎなかったが、現在のハビヒツベルグ家が選ばれた後は、ここプラーゲホーフが帝都として固定されている。
選挙王政とは言っても、皇帝によほどの不始末や、大規模な戦争、内乱、あるいは後継者なく廃嫡、という事態にでもならなければ、一応世襲されていく。
それゆえ他の諸国王都に比べて歴史が浅いのだが、権力と資金が集中することもあり、新しい都市としての魅力にあふれている。
西門をくぐると、そこは商業都市の姿があり、ギルド本部や帝国財閥中枢の拠点、豪邸が展開する。
さらに進むと高級住宅街となり、皇帝の住む城へとつながっていく。
そこを南に折れて、ベルシノアとの境界近くに外交使節や宿泊所が集中しており、その一角にフネリック王国の常宿処があった。
外相が他国要人の滞在状況等を確かめて、報告にやってきた。
到着がまだ昼前だったこともあり、出発前から言われていたノルドハイム王国代表団の元に挨拶に行くべく、訪問申請の使者を出す。
ノルドハイムの常宿処が近かったこともあり、返事はすぐに戻ってきた。
すぐにでも会いに行けるようなので、ディドリクはメシューゼラ、外相、それに数人の護衛を伴ってノルドハイム王国宿舎へと向かう。
四大選帝王国の一つということで身構えていたが、その宿舎は驚くほど質素だった。
勤務する人員が多いためそれなりの広さはあるものの、玄関口から応接間に至るまで装飾品は数少なく、色も薄い水色に統一された壁紙でおおわれているのみ。
護衛が応接間横の待合室に通され、ディドリク、メシューゼラ、外相のみが広々とした応接間に通される。
しばらくして、軽装に身を包んだ巨漢が、数人の若者を伴い、やってくる。
この大男が、王太子ヘルベルトだろうか、とディドリクは思った。
血縁ではあるが、ノルドハイムに行ったこともなければ、彼らがフネリックに来たこともない。つまり初対面である。
「お待たせしてしまったかな、フネリックの可愛い代表団さん」とその巨漢がガラク語で話しかける。
ディドリクは立ち上がり、自身の名をノルド語で語り、面会の許可をもらったことに謝意を示す。
「我々が時間を割いていただいたのですから、ノルド語で十分です、閣下。外相はもちろん、妹もノルド語は習得しておりますので」
以下、会話はノルドハイムの国語であるノルド語で進んでいく。
「それではお言葉に甘えて、母国語で話をさせてもらおう、私はノルドハイム王国王太子ヘルベルトだ」
と言い、ソファに身を沈める。
白地に水色のラインが細く入った室内着というラフな格好で話すヘルベルトはまさに巨漢。
衣服を通してさえその下にある筋骨隆々といった体躯が眼前に迫ってくる。
彫りの深い顔立ちに、美しい顎鬚をたくわえていたが、口ひげは剃っているようだ。
「貴国同様、ノルドハイムもいろいろ多忙でな、父国王が参列できないため、王太子である私が妻子を連れてきた」
と言って、背後に控えていた男女を脇のソファに座らせる。
王太子妃ヒルデガルト、そして三人の子供たちが紹介される。
銀髪の王太子妃ヒルデガルトはこの中では一番小柄だが、それでもそこそこの身長である。
嫡男ハルブラントは父同様の巨体だが、父に比べるとまだ中肉かもしれない。
整った顔立ちだが、父ヘルベルトのようにまだ美髭はたくわえてはいない。
深い青の瞳は、この王族の知性を象徴しているかのよう。
父とは違い、軽い礼装ではあったが、それでも鍛えられた肉体が目につく。
美貌の次女ジークリンデもまた長身であるが、それでも父、兄に比べるとまだ小柄、と言ってもディドリクよりは相当に高いのだが。
金髪碧眼、彫像のような美しい顔貌にメシューゼラの目が釘付けになったことを、ディドリクが気づく。
薄青の室内ドレスに身を包んでいるが、スカートには鯨骨の類は入れておらず、からだの動きに合わせて軽やかに波打っている。
次男ヴァルターはまだ若く、ディドリクと同年齢か、少し上、と言ったところ。
兄、姉同様、金髪碧眼に整った体形であるが、こちらは父と同じくラフな室内着である。
ディドリクはその姿を見た瞬間、魔術師であることを直感する。
「この上に長女がいるのだが、すでに嫁いでいるうえに身重なこともあり、今回は連れてこなかった」とヘルベルト。
ヒルデガルトも含めて皆、見事なプラチナブロンドで、さすがは髪の美しさでは帝国随一と言われるノルドハイムの王族である。
一通りディドリクの側からの説明を聞いた後、ヘルベルトが言う。
「ディドリク殿とは初見だが、我が妹マレーネの子息で間違いないな?」
ディドリクが肯定すると、
「そうか、さすれば私の甥ということだな」と相好を崩す。
「はい、まず母からも、帝都に着いたらまずヘルベルト様を頼れ、と言われております」
それを聞いてヘルベルトはニヤリと笑い、
「ふふ、そうか、そうか、あれは賢い女だったからな」
だがジロリとメシューゼラへ視線を返し、
「だがそちらはノルドハイムの血縁ではないな、さきほど貴公の妹と言っていたが」
「はい、私はフネリック王国南方州出自の母パオラと、父王エルメネリヒの娘でございます」
メシューゼラがそういうと、一瞬、ヘルベルトの姫と王子の視線が鋭くなったが、すぐにその光は消える。
ヘルベルトが何かを思い出すように
「そうだったな、確かマレーネが嫁いだあと、エルメネリヒはもう一人側室を迎えたとか」と言った。
けっこう不躾な言い方だが、ノルドハイムが大国であることを考えれば仕方のないことで、それにヘルベルトからは少なくとも敵意は感じられない。
だが脇に控えているハルブラントとジークリンデの目に敵意が映る。
メシューゼラもその突き刺すような視線を感じて、一瞬身をすくませる。
サッと手を挙げたヘルベルトに対応するように、ハルブラントはすぐに和やかな視線に戻すが、ジークリンデはそのままだ。
「よさぬか、ジークリンデ。他国の代表に対して、そんなギラギラした殺気をもらすでない」とヘルベルト。
ヘルベルトがメシューゼラを見つめて
「バカ娘が失礼をした。どうか許してほしい」と謝罪するが、ジークリンデはまだギラギラした目でメシューゼラを見つめている。
委縮して声が出せないメシューゼラに代わり、ディドリクが
「いえ、こちらこそ妹がジークリンデ様に失礼な視線を向けてしまった様子です。ジークリンデ様、御寛恕願います」
だがジークリンデはぷい、と視線を逸らすだけで、儀礼的な謝罪さえもなく、会話に混ざろうとはしない。
「知っての通り我が国は一夫一婦制で、混血も少なく民族の純度も高い。それゆえ多妻の国や多民族国家に対して敵意を持つ者も多い」
とヘルベルトがジークリンデの視線を説明する。
「だが、私が君を同族だと意識し、親近感を持っている点は、どうか疑わないでほしい」と付け加えた。
「暖かいお言葉、感謝します。私の妹もノルドハイムの血こそ流れておりませんが、父を同じくする大切な妹。閣下におかれましては私同様親近感を持っていただければ、と願うばかりです」と返すディドリク。
「だが貴公が『妹を連れてきた』と聞いたときは、マレーネの娘の方かと思ったぞ」
「母を同じくする方の妹アマーリアは、まだ七つになったばかり。さすがにこういう式典にはまだ無理かと思いまして」
「残念だな、私はマレーネ叔母のご令嬢にぜひ会いたかったのだが」とハルブランドが口をはさむ。
「ジークリンデとヴァルターはまだ幼かったのでそれほど記憶も残っていないだろうが、私はマレーネ叔母が嫁ぐ前の姿を覚えているので、会ってみたかったのだ」
その後、ハルブランドも交えて三人で情報交換やら歓談やらを楽しんだが、ジークリンデは不機嫌そうに会話に混ざらず、ヴァルターもなぜか無口なまま。
メシューゼラもジークリンデの威圧に怯んでしまったか、ディドリクが話題を向けたときに応える程度しかできなかった。
しばしの時を経て、フネリック代表団は暇を告げる。
フネリック代表団が帰ったあと、ハルブランドは表情を変えて、ジークリンデの頭頂に拳骨を落とす。
「バカ者が! これは公式の場だとあれほど言っただろうが」
「ハルブランド、おまえも妹にあたるのはやめよ」
ジークリンデは抗弁するでもなく、頭を抱えて涙目になりつつ、兄を見上げている。
赤髪の少女をにらみつけていた時とは打って変わったしおらしい表情になり、兄に叱られてしゅん、となっていた。
そしてヘルベルトがヴァルターに問う。
「で、どうだ? おまえの目にはどう映った?」
ヴァルターがぼそぼそとした声で応える。
「恐ろしい少年です」
その言葉に首をかしげる父と兄に対して、ヴァルターが語る。
あの少年は我々が入室するや、瞬時に私が魔術師であることを見抜いたようです。
さらに姉上があの赤髪を見た瞬間に抱いた殺気にもいち早く気づいておりました。おそらく父上よりも早く。
「な・・・」と言葉につまるジークリンデに対して、さらに続ける。
「姉上は女性用の礼装でしたが、下に隠し持った短剣、あるいは剣姫であることも気づかれていたようですし」
ヘルベルトが「ふむ」と声を漏らして、ソファに座り直す。
「我々の味方になれそうか?」
「正確にはわかりかねますが、少なくとも父上に対しては好意を抱いているように見えました」
ヘルベルトが三人の子供たちに向き合って、王太子の顔として言う。
「あらためて言っておく。帝国内最強の武力を誇る我が国が、これまで失敗し続けてきたのは、外交上の失策があったからだ。
その失敗を重ねてはならぬ。我が妹が嫁したフネリックは小国ではあるがガラクライヒのさらに西にあるという地勢、豊富な鉄鉱山という利点がある。
なんとしてでもフネリックはわが陣中に留めおかねばならない。そのことを肝に銘じておけ」
一方宿舎にについたディドリクは、腕にしがみついてガタガタ震えているメシューゼラを優しく抱きしめる。
「ディー兄様、怖かったです」
「すまない、おまえを守ってやらなくてはいけなかったのに、まさかあんな反応をされるとは予想外だったよ」とディドリク。
外相がその言葉を聞いて
「あれは不可抗力でございますよ、若君」とフォローしてくれるが、あの敵意はかなりやっかいかもしれない、とディドリクは思い返す。
「おまえは胸を張って自己紹介できたのだから、気に病まなくてもいい。今後、ジークリンデの相手は僕がするから」
かくして、帝都初日が終わろうとしていた。