【一】 コロニェ教会領と西方大国ガラクライヒ
隣国コロニェ教会領は王都から近く、馬車で二日の距離。
帝国内に七つある、皇帝選挙権を持つ四つの選帝王国と三つの教会領のうち、唯一、四大選帝王国の外側にある領域で、他の教会領同様、領域は狭い。
教会領とは選挙権を持たない教皇庁の配下にある飛び地のような領土だが、それぞれが自治権を持つため、政体としては他の小王国群と大差ない。
農地があり、平民がいて、そして統治機構がある。
だが、教会領の性格から血統王家は存在せず、その政体のトップたる大司教の任命は教皇庁が決定する。
軍隊も存在するが、いづれの教会領においても自衛のための傭兵団で、戦力としては微々たるものだ。
そのコロニェ教会領の主座(教会領では首都をこう呼ぶ)コロニェに到達するまで、外相がディトリクとメシューゼラの馬車にやってきて、簡単な説明をしていく。
「お二方とも、言葉の問題に関しましては、何も問題はございますまい」
と、その年老いた外相クーゲルスタムが言う。
ディドリクは文法学の立場から、そしてメシューゼラはそのディドリクから既に他言語についてはかなりのところまで教わっていた。
西方大国ガラクライヒと、ここコロニェ教会領ではフネリック王国と同じガラク語が用いられており、ここまでは言語面での不安はない。
帝都では公式にはエルトラム語が用いられているが、これは古典古代の後継言語で、俗古典語とも言われている。
エルトラム語に関しては、ディドリクが最も得意とする言語でもあるので問題はなく、メシューゼラにもかなりの部分まで教えている。
少なくともこの2言語については問題はないし、公式文書は全てエルトラム語で記載、発表されるので、それほどの心配はなかろう、ということだった。
コロニェに到着するが、既に大司教一行は帝都に向かった後だと言う。
宗教関係者は何かと準備が必要らしい。
ここで一泊するので、ディドリクは数名の護衛とともに、メシューゼラを市場へ連れていく。
既に夕刻だったが、市場の賑わいは続いており、人口の少ないフネリック王国とは違う華やかさはまだ残っていた。
服飾店に向かったメシューゼラが、あれもこれもと買いたそうにしていたので、
「買い物は帰りでね、同じルートで帰るから」とディドリクが言うと、少し心残りな表情も見せつつ、従ってくれた。
ディドリク自身も国外に出るのは初めてだったので、物珍しさもあったが、既にお祝いの品は用意しているし、ここでは必要性を感じなかった。
一泊の後、一行はさらに東方へ。
コロニェと同様、ガラクライヒにも通過の申請は出しているので、問題なく首都に入る。
首都ルテティアの市門を通るや、目に入る光景に圧倒される。
華やかな商店街、膨大な数の市民、そして色とりどりに着飾るその装束の多彩さ。
フネリックやコロニェではまったく見られなかった、壮大な都市空間。
それもそのはず、ガラクライヒ王国は、帝国内屈指の商業国家であり、富の蓄財においても群を抜いており、国家の富裕度においては突出しているからだ。
人口こそ南方の選帝王国ジュードニアより少ないものの、帝国内では第2位であり、帝国の事実上の心臓部にして財政の首都と言っていい。
これほどの大国でありながら、軍事においてはノルドハイムより弱い。
兵士の数などはノルドハイムの倍以上あるものの、その練度において劣ると言われている。
そういう事情もあって、帝国内の四大国は適度にバランスが取れているらしい。
だが同時に、四大国は自国内で経済も軍事も完結しているため、同盟を結ぶ必要もなく、それぞれに仲が悪い。
文化大国でもあるガラクライヒはそれほど好戦的というわけでもないが、ディドリクがその血を引いているノルドハイムについては決して好感を持たれているわけではない、ということをしっかりと覚えておいてほしい、と外相に言われる。
首都ルテティアを貫く大河セクァーヌを渡ったころに、フネリック王国の常宿があり、ここでも一泊することになる。
外相は何度も来ているらしく、手慣れた様子で宿泊の指示を出していく。
割り当てられた部屋で寛いでいると、来客の知らせ。
ディドリクがメシューゼラを伴って応対に出ると、そこにはネロモン商会の面々が挨拶に来ていた。
今でこそ帝都プラーゲホーフに本店を構える大商会ネロモンであるが、血統的出自は、ここガラクライヒだと言う。
「王子、お久しぶりでございます」と、初老の紳士、トートルキア・ネロモンが前に出る。
彼の背後にはギドロにミュルカ、そしてまだ顔を知らない三人の男女がいて、たぶんミュルカの兄、姉たちであろう。
「我々も帝都に戻るところです、できればご一緒したく、まいりました」とギドロが引き継ぐ。
「それは心強い。商会の方々と御同行できれば、不安もかなり軽減されます」とディドリクが応える。
ブランドも交えて簡単な打ち合わせをした後、ネロモン一族が帰り始めると、ミュルカが一人残って、
「殿下、私も馬車をご一緒してもよろしいかしら」と切り出してきた。
「それはいけません」とディドリクはその申し出を辞退する。
「仮にも我々は、それぞれの代表として来ているわけですから、誤解を招きかねないことはやめるべきかと」
「誤解、ですか」
とミュルカは言い、少し残念そうな表情を見せる。
「では、少し遊びに来るくらいなら」
「それくらいならもちろん、歓迎ですよ」
その言葉を聞いて、ひとまずはこの場を退出する商会の末娘だった。
「うまくいかなかったようだな」と、ギドロがニヤニヤと末妹を見つめる。
「もう、いやになるくらい用心深い!」といささかお冠のミュルカ。
出立の準備を進めるネロモン商会のルテティア支店で、長兄と末妹が立ち話。
「確かにお前が王家に嫁いでくれれば、商会としては足掛かりになるので歓迎なのだが、できればガラクライヒのような大国であってほしかったがな」
とも付け加えた。
「いやよ、あんな頭の悪そうな王子」
と、滞在中の王国についての悪口を平気でとばす妹に、苦笑いが漏れる長兄。
「おいおい、口には気をつけろよ」と忠告するが、もちろん妹がTPOを常に意識していることは知っている。
「あら、ごめんあそばせ」と、こちらもニヤリと笑みを浮かべるミュルカ嬢。
「それでどうする? もうあきらめるかい?」というギドロの軽口に、
「何を言ってるんですか、相手が手ごわいほど、闘志がわくものですわ」とミュルカ嬢も応えるのだった。
ガラクライヒ王国でも既に国王夫妻と王太子一行は代表団として出発した後だったが、前王ペピーヌス四世は老齢のため付き添えず、残っていた。
フネリック王国代表団は、ディドリクとメシューゼラがこの前王に接見とあいさつを求めて、許可されていた。
「陛下、会見の許可をいただきありがとうございます」とディドリクは恭しく、かつ丁重に挨拶する。
「おお、エルメネリヒ王の王子に姫君か、この度はそなたたちが代表になられておるのだな」
と、ソファに深々と身を沈めたまま答える前国王。
「はい、父も、兄王太子も、政務が片付かず、やむなく私どもが向かうこととなりました。この度の、領内通行の許可、深く感謝しております」
「よいよい、私はもう一線を退いておるし、そなたらが国に害をなすとは考えておらぬゆえ、楽にいたせ」
「暖かいお言葉、重ねて感謝いたします」
大国同士はそれぞれ敵視しあっているが、周辺の小国に対しては、国格の違いもあってか、悪い関係になっているところは少ない。
ガラクライヒにとってはフネリックなど、1/10以下の国力なのだから。
外相の言っていた不安は、一応は解消しているようである。
あいさつを終えて、二人は馬車へと向かった。
帝都へ向かって出発する馬車の中で、メシューゼラが無口になっているのに気づいたディドリクが
「疲れたかい?」と聞くと
「はい、少し」
思っていたより多くの外交儀礼が必要だったことに心労の色があった。
「ゼラがそんなに緊張することないよ、儀礼的なのは全部まかせておいて」と言って、美しい赤髪を撫でてみる。
「うん・・・」と力なく言ったあと、ディドリクにもたれかかる。
教会領ではまだ外で見る珍しいものに心躍っていたが、ディドリクがやっていた面倒な対応を見て、いささか怯んでしまっていた。
(私もしなくちゃいけないのかな)という想いが、じわじわとわいてきているところだった。
ガラクライヒ領の東を進んでいると、ディドリクが「アマーリアと話してみよう」と提案してきた。
遠距離通話を試す意味もあったので、メシューゼラはこの提案に乗る。
ディドリクがアマーリアと首飾り通信をしたあと、メシューゼラが話しかける
「アマーリア? メシューゼラよ、元気にしてる?」
「ゼラ姉さま! はい、元気にしてますけど、お帰りが待ち遠しいです」
「まだ帝都にはついてもいないのよ、我慢しなさい」
「はぁい・・・」などと交わしている。
自分だけでなく、メシューゼラともちゃんと話せるようになっている妹の姿を思いながら、嬉しくなるディドリク。
メシューゼラにとっても久しぶりに聞くアマーリアの声に、心が落ち着いていくようだった。
馬車はやがて、帝都の西門へと近づいていく。