【十三】 出発前
家族会議の翌日、ディドリクはアマーリアを伴い、隠密裏にグリス領につながる途中にある遺跡に連れて行った。
その日はあえて護衛もつけず、二人きりで騎馬で向かう。
王家の栗毛を駆り、七歳の妹を前に座らせてしっかりと自身に固定して進む。
石組みの遺構の中を進み、例の祭壇へ来る。
そして水入りの革袋で祭壇を清め、アルテ・グリス文字の痕跡をたどり、真音詠唱に入る。
そして現われる、陽炎のように揺れる影。
アマーリアは兄のバンドをしっかりと握りしめ、隠れるようにして見ている。
「ふむ、おまえか」とその熊の皮をかぶった人物が現れ、今度は最初から現代語で話しかけてくる。
「して、何用だ」と。
ディドリクは後ろに隠れていた妹を前に出し、
「これは私の同母妹アマーリアです」
そして自分がこれからしばらくこの地を離れることを伝えて、
「どうかその間、我が妹に害が及ばぬよう、守っていただきたいのです」
ディドリクは自分がこれから帝都へ派遣されること、その間妹を守れる者がいなくなること、などを告げる。
ベクターはその娘を熊皮フードの下から睨みつける。
しばらくして、失望したような声で
「我に子守をせよ、と言うのか?」と問う。
「ベクター、まだ王都には妖術使の影がありますし、別の密偵が入っている気配を感じています」
「そうだろうな、五人か? 聞きに来なかったので、自分で解決できると思っていたが」
「人数までは把握していませんでした、さすがです」
そして自分の手が離れる時、妹に危機が及ぶ可能性がわずかにあることを伝えた。
「妹は、文法を学んでおりますれば」とディドリクが言うに及んで、それまでの面倒くさそうな姿勢が一変する。
「ふむ、法術の同志ということなのだな?」と、とたんに声が嬉しそうになる。
「まだそれほど深い術は教えておりませんが」
ベクターは再びアマーリアに視線を落とし、
「少し見せてみろ」と言う。
ディドリクがアマーリアに頷いて見せたので、アマーリアは胸の前に手を組み、頭の中で霊言文字を変化させる。
アマーリアの周囲の空間がぼやけ、分身が浮かび上がる、2体、3体、4体と。
「まだ学習途上ですのでこれくらいしかできませんが、いずれは私と同等にはしたいと思っています」
アマーリアは術を解き、またディドリクに密着するようにして隠れようとする。
「良いだろう、しかしその娘は、私を信用できるのかな?」
ディドリクが再び妹を前に出し、
「ついこの前、七歳になったばかりですし、少しばかり晩生なだけです」と言って、そのまま抱きしめる。
「まぁいいだろう、だがまだ声を聴いていないので、聞かせてほしい」と言ったので、
「アマーリア・フーネと申します、まだまだ未熟な身ですので、御不興を抱かれるかもしれませんが、よろしくお願いします」とだけ、細々と告げる。
ベクターがフードをはずし、顔を見せる。
その異質な美を称えた顔貌に、アマーリアもハッとして目が釘付けになる。
「兄から聞いているとは思うが、念のためにに言っておく」とベクター。
「法術は秘匿の学術体系だ、口外は禁止されていると思え、私の存在も例外ではない」
アマーリアが大きくうなずく。
要するにこの熊皮をかぶった人のことを誰にも言っちゃいけない、ということ、と頭の中で繰り返す。
続けて、ベクターがこの見霊台の遺跡に縛られているわけではないので、召喚術式を覚えることを言い渡す。
そして急なピンチになった時のために、自身を召喚する霊言呪文を教える。
「だからいちいちここに来る必要はなかったのだがな」とディドリクを見てチラリと言う。
「残念ながら、我が家では人の目をかいくぐるのが難しかったので」と言い訳っぽくディドリクが答える。
交渉を終えて遺跡から出て帰宅すると、母付きのメイド・ヴィヴィアナから、母が兄妹を探していた、と聞かされて、急ぎ母の書斎へと向かう。
そこにはメシューゼラ、パオラ妃、正妃イングリッドも呼ばれていた。
少し家を空けていたことを注意されたのち、
「帝都に行くあなたたちに私から言っておくことがあります」と母マレーネ。
「王の侍従ブランドも同行するようですので、儀礼的な問題は起こらないと思いますが」と前置きして、告げる。
フネリック王国を代表していくのであるから、その誇りを忘れぬように。
会議ではノルドハイムの一員と見られてはいけない、と語ったが、それでも現地ではノルドハイム王国を味方につけなさい。
ノルドハイム王国からは、ディドリクから見て祖父にあたるベルンハルト四世ではなく、伯父ヘルベルトが参加するらしいことを告げられる。
「兄ヘルベルトはその巨体に似合わず知恵の回る男です、油断をしてはいけません。味方にすると言っても口約束などは絶対にしないように」
と、冷たく言い放つ。
たとえ肉親であっても、現在の立場の方が優先される、ということを言っており、それはノルドハイムでも同じだ、と言うのだ。
ディドリクにとって、血のつながった伯父であっても、油断してはならない、と。
この母の厳しさと優しさ、久しぶりに見る思いだった。
そしてマレーネの知る他の三国、帝室についての情報も与えられる。
「そしてこれはイングリッド様からお願いします」と、正妃に場を譲った。
「これはエルメネリヒ王、そしてガイゼルとも相談して決めたことなのですが」と切り出す。
ガイゼルが参加しないのは、あの病の後遺症が長引いているからだ、ということを理由に使ってもらいたい、ということだった。
厳密にいえばウソなのだが、王太子快癒後の情報は届いていないだろうし、ガイゼルはもっぱら内政のみに携わっているので、詳細を知る人はほとんどいないはいずだから、と言うのだ。
これもディドリクの現地での立場を不利にしないためとわかって、内心嬉しかった。
マレーネはメシューゼラにも向いて、
「現場はすべて敵だと思い、スキを見せないように」と釘をさす。
この辺、義理とはいえ母としての立場ではなく、王妃の一人としての発言である。
「あなたにまかせることについて信頼はしてますが、メシューゼラ様をしっかりお守りして、同時にハメをはずさせないように注意しなさい」
とディドリクに対しても言う。
メシューゼラはこの一連の諸注意についてうなずくだけだったが、ディドリクは
「暖かいお言葉感謝します、母上、そしてイングリッド様、忠告をしっかりと守って、勤めを果たしてきます」と言ってまとめた。
マレーネの忠告が終わった後、メシューゼラがこっそりディドリクに話しかける。
「マレーネ様、やっぱり怖い」と。
「僕たちの身を案じているんだよ」と言って、帰宅させた。
アマーリアはディドリクと、メシューゼラはパオラ、イヴリンと、出発前の最後のひと時を過ごすのだった。
翌朝、出発の馬車が王宮に並べられる。
護衛の騎士団員の他、文官なども付き従うが、その中には前日話に上がった侍従ブランドとその子息、イングマールもいた。
旅程は、まず隣国コロニェ教会領を通り、西方の大国(と言ってもフネリック王国が西方辺境なので、王国からは東に位置するわけだが)ガラクライヒ王国を経て、そして帝都である。
片道だけで十二日の予定となる。