【十二】 王家家族会議
グリス州を去る前夜、ディドリクはコルプス男爵と一対一でこっそりと密談していた。
そこでディドリクから出た提案、グリス領を穀倉地帯にしたい、という案に男爵はほんの少しだけ驚いたものの、さして動揺は見せなかった。
「塩抜きさえできれば、と私も考えておりましたが、その塩抜きに行き詰まっていたのです」
「今後、男爵にはいろいろと力になってほしいのです」
「私はもう老い先短い身ですから、ご期待にどこまで添えるかどうか」
王子からの提案は嬉しい、としながらも、自身の身の現実に少し想いを走らせる。
「男爵のこれまでの国への忠誠は伺っています。どなたか伴侶となれそうな御婦人はいないのでしょうか」
「貴族と言っても末席ですし、このからだですから」とコルプスは自分の足に視線を落とす。
「私の方でもう一つ提案がありまして」と、ディドリクは魔術通信について持ち出す。
「そんなことが可能なのですか?」と問う男爵、ディドリクは法術や妹たちの名前は出さず、概略を説明する。
そして二枚の小さな護符を取り出し、自身の血を滴らせ、男爵にも指先を切ってもらい、魔術文字を書き入れる。
「これをペンダントか指輪、首飾りなどの中に入れて、誰にも見られずに、握ってください」
男爵がその護符紙片を腕輪の中に仕込み、左腕に装着、それを見たディドリクがもう一枚の護符紙片に指を置く。
(これが魔術通信です)と、念話のように話しかけてみる。
男爵は左腕を押さえながら、ハッとした表情、さすがにこれには驚いたようす。
「王都にいる者との間で既に実験をしてありますから、距離の遠さに関係なく通信ができるはずです」
「なぜこれほどまでに、私にしていただけるのでしょうか」と問うコルプスに、
「あなたがかつての革命戦争で、いかに国のために働いた忠臣か、というのを聞きました」
そして彼がこの辺境の地を与えられてなお、衛生や農耕などの慣れぬ学問に身を投じ、慕ってくれる民のために後半生を生きようとしていたことなどをあげる。
「失礼ながら、これほど貧しい土地なのに、子供が死なずに増えている、男爵のご指導の賜物かと思います」
コルプスはじっと聞き入っている。
「その貧しい土地、の部分をわずかであっても改善したい、それができればあとは男爵がうまくやってくれる、という期待からです」
男爵は、下を向きながらひとこと、ありがとうございます、と消え入りそうな声で言う。
「だがそのためには、お互いの情報が遅れることなくつながっていることが必要かと思いまして」
そして、妹たちに言ったように、どうかこれを誰にも知られないように運用してほしい旨を伝える。
もちろんディドリクの考えの中には、穀倉地帯を作れれば財政にもプラスになるという視点もあり、それも伝えたが、まず第一にこの忠臣に報いてやりたい、という想いが強かったのも確かだった。
グリス州を出て馬車に揺られること六日、一行は王都に帰京する。
父王と宰相に成果を報告した時、二人の顔が少し曇っていることに気づいた。
「御苦労だった、この件とは別に後で話があるので、忌憚ない意見を聞かせてほしい」と父に告げられて、帰宅する。
アマーリアとの再会を喜んでいると、ガイゼルとメシューゼラも来ていると言う。
旅装を解くと、すぐさまガイゼル主催による兄妹会議が久しぶりに開かれる、と告げられた。
場所はこの第二離宮、その応接間、参加者はガイゼル、ディドリク、アマーリア、メシューゼラ。
「ディドリク、お疲れ様。帰ってすぐで申し訳ないんだけど、少し情勢が変化しつつあるので、早めに伝えておきたくて」
とガイゼルが切り出した。
「父上から後日、王家家族会議が開催されて、そこで正式な議題に上ると思うんだけど、誰か帝都に派遣しなくてはいけなくなりそうなんだ」
「帝都へ?」とディドリク。
ガイゼルが話を続ける。
神聖帝国皇帝ペトロプロス11世の嫡孫・キロロスが十四歳となり、成人式を開くとのこと。
帝国内外の諸王国、諸教会、有力者を招いて大々的な式になるらしい。
そこでフネリック王国王家からも誰かを出席させなくてはいけないのだが、父王、ガイゼル、ともに今王国を離れられない事情がある。
そこでおそらくディドリクに白羽の矢が当たるのではないか、ということだった。
「帝都プラーゲホーフですか」とディドリクがつぶやくように言う。
「わかりました、他には?」
「驚かないんだね」とカイゼルが聞くと
「驚いてますよ、十分。でもそれだけではないんでしょ?」
「ああ、向こうの成人式では男女ペアで参加しなくてはいけないらしい、それは兄妹、親子であってもかまわないのだが」
と、ガイゼルが言いにくそうに答える。
「つまりイングリッド様と私が指名される可能性がある、ということですか?」とディドリク。
「ああ、もちろんその可能性もあるんだが、私はむしろマレーネ様になる可能性を考えていてね」とガイゼルが言う。
この言葉が三人の頭の中に入るのを待って、ガイゼルが続ける。
「母上は正妃だけどディドリクと実の親子ではないということ。
そしてマレーネ様は四大選帝王国の一つ、ノルドハイム王国の出自なので、外交的に有利に働く可能性があるから」
さらに付け加えて、
「可能性という点では、メシューゼラやアマーリアにも可能性があるんだけど、さすがに成人前なのでそれはないだろう、と個人的には思っているんだけど」
「あら、私はかまわなくてよ、ガイ兄さま」
とメシューゼラが目を輝かせて乗り出してくる。
「むしろ行ってみたいですわ、帝都。他国の美しい姫君や王子様なんかも参加されるのでしょう?」
ガイゼルが少し驚いた様子で、赤髪の異母妹を見つめる。
「それにディー兄様と一緒でしたら安心安全ですし」と付け加えるメシューゼラ。
その様子をアマーリアは静かに見つめていた。
いかにもその本心、帝都ではなく(ディドリクと一緒)の方に力点が置かれていることを見抜いているかのように。
「いや、まだ決定事項ではないし、父上や宰相の意見もあるけど、当日いきなりで吃驚しないように、私の独断だけど伝えておこうと思ってね」
とガイゼルが言って、兄妹会議は幕を閉じた。
その夜、ディドリクが寝台に腰かけて、左隣に座るアマーリアの髪をなでていた。
「心配かい?」
コクリとうなずくアマーリア。
「式に参加するだけなら三日程度だと思う。ただ旅程が片道十日以上かかるから、往復と滞在で一月と少しかな」
アマーリアはいつものように、ディドリクの左胸に右の耳をあてる。
「仮に僕が選ばれたとしても、おまえを連れていくことはできない、まだちっちゃいし」
「首飾りに慣れておいて、よかったです」と、その顔を兄の胸に押し付けるようにして言う。
「そうだな、でももう少し安全策を講じておくよ」
と言って、その幼いからだを抱きしめるのだった。
翌々日、エルメネリヒ王から、王家のメンバーに「家族会議」が召集される。
公式のものゆえ、デーガー宰相や、侍従ブランド、達も臨席していた。
王家の者は、まだ幼いイヴリンとヘルムートを除き全員。
三人の王妃、二人の王子、そして二人の姫。
エルメネリヒ王から、帝都にて現皇帝ペトロプロス11世の嫡孫キロロスが14歳の誕生日を迎えられるにあたり、成人式が開催されるということ。
そしてフネリック王国から、王家の血筋たる男女二人を派遣する必要があること、などが伝えられる。
(血筋)という言葉に少しひっかかったディドリク、(それだと王妃は該当しないのかな)と思う。
だが、エルネメリヒ王は、まだ決定ではなく提案だ、と断ったうえで、ガイゼルが予想した通り、ディドリクとマレーネの名前を挙げた。
「ご意見させていただいてもよろしゅうございましょうか」と一通り説明が終わったあと、マレーネが挙手をする。
「王国の代表として、私とディドリクの名前を挙げて頂いたことは、光栄至極に存じます。陛下の恩情と御期待に身が震えるばかりです」
母上の挙動はいつ見ても洗練されている、とあらためて思うディドリク。
しかし指名を受ける気などさらさらない、というのは、この段階で見て取れた。
「されど、一国の王が参加されない以上、その妃が物見遊山のように園遊会目当てに見えるような参加はいかがなものでしょうか」
(そうら、やっぱり)と思ってしまうディドリク。
「加えて、私はノルドハイム王国の出身です。当然ノルドハイムからもそれ相応の人物が、いえ、ひょっとすると我が兄、我が父が参加されているかもしれません」
我が父、というのは現ノルドハイム王国国王ベルンハルト四世、我が兄というのは、その嫡子にして王太子ヘルベルトのことである。
「そうなりますと、はたして私がフネリックの代表と見られることができるかどうか、少し自信がありません」
(すごいものだな)とディドリクは考えてしまう。
母は嫁いでから里帰りをしていない。
そして嫁ぐ前も父や兄とは家族仲は良かったと聞いている。
つまり、父や兄とは16年以上も会っておらず、当然再会は嬉しいはずなのだが、それ以上に国益をとる、と言っているのだ。
ノルドハイムの秩序の中に一支国として入ることを良しとはしていないのだから。
もっとも正確には、国益というより、長男である自分のために、というのがあるかもしれない、とも感じていたのだが。
「本来ならば、国王が参加されない以上、その名代としては、王太子であるガイゼル様が赴くべきかと考えますが、ガイゼル様の内政での御多忙ぶりは聞いておりますし、それも無理なことでございましょう」
「まだ未熟の一語ではございますが、我が子ディドリクを代表として頂くのは、母として光栄の一語です。したがってディドリクの派遣については、誠に嬉しいこと、と言わせてくださいませ」
ここまでは、発言し始めた時に予想できたのだが、では母は代案を持っているのだろうか、と考え直す。
「僭越なのは重々承知しておりますが」とマレーネは言葉をつなぐ。
「この大任、メシューゼラ様こそが適任かと、私は考えます」
メシューゼラは、自分の名前が他ならぬマレーネから出たことにかなり驚いている。
「しかしマレーネよ、メシューゼラはまだ成人前である、それはかえって先方に失礼なのではあるまいか」と父王。
「陛下、来賓の資格は成人に限定されているものではありません、あくまで習慣上、そうなっているだけでございます」
そう言って、チラリと宰相の方に視線を送る。
「あ、はい、さようでございます。今回は公式の任命式ではなく私的な成人式ですので、来賓女性は成人女性に限定されているわけではございません」
と宰相が慌ててつけ加える。
「現在の王家未婚女子の中で、メシューゼラ様ほど美しく、今まさに大輪の花が咲きこぼれんとしている方がおられますでしょうか」
ディドリクはここでも驚かされた。
アマーリアだってゼラに劣らぬくらい美しく愛らしいのに、と思ってしまったが、アマーリアだとゼラ以上に年齢の壁が立ちふさがる。
そういったことも、瞬時に把握してのことであったのだろう。
それからマレーネは、こういった式が、若者の祭典となることも暗示して、一同を見渡した。
最初、マレーネとディドリクに行ってもらうつもりだったエルメネリヒ王も、少しずつメシューゼラでも良いか、と思い始めていた。
「メシューゼラよ、マレーネの意見に私はかなり心動かされている、おまえの気持ちを聞きたい」と娘に意見を求める。
「父上、そしてマレーネ様、あまりに御過分の評価、嬉しい以上に恐れ多く感じてしまいます」と切り出す美しい赤髪の娘。
既に12歳の誕生日を迎えて成人式一歩手前のこの少女は、マレーネが言うように今まさに大輪の花が開きそうな美しさをたたえている。
「でも、もしお許しがいただけるのでしたら、私も帝都を見てみたい、この気持ちは強くあります」
かくして、帝都派遣の人選はディドリクとメシューゼラに決定した。