【十】 採取風景
グリス州に到着。
今回は前回のような急な訪問ではなかったため、コルプス男爵もそれなりに用意をしてくれていた。
「殿下、再度の来訪、ありがとうございます」
今回は体調が良いのか、メイドに左肩を支えてもらいながら出迎えてくれた。
「男爵、どうかご無理はなさらないでください」
「大丈夫ですよ、殿下、ぜひあれからの畠を見ていただきたく思い、気が急いてしまいました」
ここで、ミュルカ以下の来訪者たちに気づいて、
「この方達が視察の商人たちですか?」と尋ねる。
今回は時間的余裕があったので、早馬で商人たちに塩の採掘を見せる旨を伝えておいたのだ。
一同、用意された宿舎の一室に入り、その後、男爵邸の客間に移る。
前回同様狭い客間だったので、ディドリクとミュルカ、それにコルプス男爵と執事の4人が入るのみ。
前回からまだ二か月しか経っていなかったが、男爵が「畠」と言ったことが少し気になっていた。
しかしそれはまだ口に出さず、今後のスケジュールを決めていく。
まず畠を見て、その後、さらに西方にある荒地へ向かい、そこで塩抜きの実演。
そこでミュルカが口を開く。
「お初にお目にかかります、コルプス男爵、挨拶が遅れましたが、ネロモン商会のミュルカです」
そして今回、彼女以外にも商会から塩の専門家を連れてきているという。
ドアのところに戻り「入って」と伝えて、その男が入ってきた。
小男の中年だったが、それでも5人になると、かなり狭く感じてしまう。
椅子も空きがないため、その男、カンペルは立ったままとなる。
カンペルは出発前にミュルカから簡単に名前だけ聞かされていた。
聞けば帝都の大学で学んだインテリらしい。
だがその腰の低さはとても学者には見えず、さすがに商会の一員と言ったところだった。
「今回、私も視察に同行させていただくことになりました、殿下、男爵、よろしくお願いします」と会釈する。
日程と手順を決めたあとは、あてがわれた宿舎、そして用意してきた寝台馬車にそれぞれ分かれて旅の疲れをとく。
以前も滞在したところだったが、人数が増えているため、いっそう手狭に感じられた。
ただし、随行員の中ではミュルカだけが女性だったので、男爵邸に泊めてもらうことになる。
ディドリクも疲れていたので、すぐに就寝しようと思っていたら、前回男爵に敬意を示していたメイド、アンネが訪ねてきた。
「お疲れのところ、申し訳ありません、殿下」と言いつつ、感謝の言葉を述べた。
「明日、ご覧になられると思いますが、塩抜きしていただいた地に植物が根付き始めているのです、もうなんと感謝していいか」
「まだはやいよ、ちゃんと穀物がとれるようになってからでないと」と言ったものの、不敬を承知で謝意を述べに来た、というあたりで不問である。
「これまで暗い顔で食うや食わずだった村の男どもも、元気になっています」と付け加えて、退室していった。
翌朝、ディドリク、ミュルカ、カンペル、男爵、そして護衛の騎士と鉱夫を数名つれて馬車での視察が始まる。
ミッテ・グリスを出てしばらくすると草地のような場所に出た。
(うん、こんなところに草地があったっけ)と思いよく見てみると、それは育ちつつあった穀物の畠だった。
ミュルカやカンペルなど、初めて来た面々は大して注意も払わなかったが、ディドリクは変化に驚いてコルプス男爵を見る。
「殿下、稗が根付きました。もうすぐ収穫できそうです」と嬉しそうにディドリクを見る。
「塩を抜いただけでここまでにはなりません、男爵のその後の努力があったればこそ、かと思います」とディドリクも、ミッテ・グラス領民の功をほめた。
「え、ここは最初からこうではなったのですか?」とミュルカが二人の会話に驚いて入ってくる。
「もう少し行けば、以前の荒地に出ますよ」とディドリク。
畠地を抜けると、そこには以前のような、草一本生えない土壌の地が広がってきた。
「前はこうでした」と語るコルプス。
「まさか」とミュルカは信じられない様子。
ディドリクは境目の地に下りて、作業の位置を鉱夫に示す。
「この境目に、道を通すか、植林するのが良いと思います、穀類の生育速度なども見ておきたいですし」と男爵に伝えたあと、徒歩で奥地に入っていく。
しばらくして適当な位置を見つけ、鉄杭を打たせる。
今回は最初から、鉄杭の頭頂部に鉄線を巻き付けておく。
「この鉄の杭を使うのですね?」とミュルカが何やら嬉しそうに尋ねる。
「そうなのですが、少し危険かもしれないため、もう少し距離をとっていただければ」
雷撃術を使うと伝えていたので「危険がある」という点には納得して少し離れてもらったが、どうやら近くでまじまじと観察したかったようだ。
電撃にかなりの法術的工夫をこめるため、近くで見られたからといって技術は真似できないし、そもそも雷撃を流すだけで遊離ができるわけでもない。
前回同様、ディドリクが鉄杭の頂点に両手を重ね、雷撃の発動。
バチバチっと火花が散り、鉄杭が鈍い光を少し帯びる。
土壌の上を何かが走り寄るような気配ののち、杭の周囲が盛り上がり始める。
すると杭が少しずつ白味を帯び始め、また土中からも白い蒸気のような粒子が舞い上がり始める。
ディドリクは杭から離れて鉄線を握り、雷撃を続ける。
みるみるうちに鉄杭の周りに白い塩が付着し始め、高さを増していく。
ミュルカとカンペルは、驚きに目を見張らせている。
そんな中、どんどん塩の柱は大きくなっていき、前回よりははるかに高い塩の塔が出来上がった。
以前の土地より塩の度数が高かったようだ。
ディドリクが作業を終えると「ちょっと失礼」と言ってカンペルが小さなスコップと小袋を持ってきて、塩を削り始める。
光をあてたり、舐めたりしたのち
「塩です、正真正銘、いや、驚きました」
「こうやって、塩を抜いたのですが、この地は前回より塩が多く含まれています」とディドリクが説明すると、男爵が
「もう少しやっていただかなかれば抜けない、ということですね」と追加する。
「前回同様、明日もやってみますが、とりあえずもう少し先まで二本目を打ち込みましょう」と言って、鉄杭を打ったままにして、さらに奥地へと歩き始める。
「殿下、まだ自分の目が見たものが、信じられません」と歩きながらミュルカが言う。
「雷撃術にこんな使い方があったなんて」
「いえ、雷撃術だけでは無理で、少し研究の成果も交えています」とディドリク。
「法術ですよね?」と問うミュルカだったが、ディドリクはそれには答えず、進んでいく。
騎士団の面々に、塩の塔を削り取らせながら、二本目、三本目、四本目、と打ち込んでいき、塩抜きをして初日が終わる。
「今回は四日くらいかけた方が良いかもしれません」と男爵に言うと
「そんな感じですね、前回よりも塩の高さが違いますし」と応える。
翌日、そして三日目、四日目と同じ作業を繰り返しつつ塩を採集していくと、瞬く間に空だった荷馬車がふさがってしまう。
一段落したあと、ディドリクが男爵邸で、ミュルカ、カンペルと話をする。
「どうです? 言葉通りでしたでしょ」と確認を求めた。
「驚きました、こんな採取方法は初めて見ました」とカンペル。
「確認はしましたけど、他でも使えるようには教えていただけなかったのが心残りです」とミュルカ。
「商会の方なら、技術はタダではない、ということはご存じかと思いましたけど」とディドリクが返すと
「ごもっともです」とミュルカも笑顔で応える・・・きわめて業務的な笑顔だが。
「その代わりと言ってはなんですが、今後塩の扱いに関しては、ネロモン商会を第一にと考えておきますから」
そしてディドリクは前回から考えていたことをここであかす。
「それとは別にネロモン商会にお願いしたいのですが」
「なんでしょう、殿下のお頼みなら、もうなんでも聞いちゃいたい、そんな気分です」
「肥料を安価に回していただけないでしょうか」
横で聞いていた男爵が言葉をはさむ。
「殿下、そこまでしていただいては」
「いえ、これは今後も、ネロモン商会の助けが必要になることですし、可能ならお願いしたいのです」
「商談、ということでよろしいのですね?」とミュルカ。
細かなことは帰京したあと、ということで、一段落する。
宿舎に戻り、アンネに少しばかりここの領民について尋ねてみた。
年齢構成、人口、等。
採集、刈り入れまではまだ少し時間がかかる。
それまでここの人々を餓えさせてはならないし、男爵の持ち出しに頼るのも良くない。
形式としては貸付になるが、どのくらいの量が必要かも考えておかないといけないから。
そんなことを考えていると、魔術通信が入った。
(ディー兄様、お仕事順調ですか? どうぞ)
アンネを帰して、一人になれる蔵の方へ行き、通信する。
(順調だよ、もうしばらくしたら帰る。行程は六日ほど)
話してみると、近くにアマーリアもいるらしい。
メシューゼラがアマーリアをパオラ邸に招いて、通信してみよう、ということになったらしい。
そこでディドリクの方でも、今度はアマーリアに通信を送る。
(アマーリアへ。今ゼラの家にいるのかい)
(はい、パオラ様からおいしい手料理をいただいたところです)と返してきた。
メシューゼラがアマーリアの気持ちを察していろいろとかまってくれていたようだ。
これほどの距離が離れていても十分に会話ができたことから、ディドリクはグリス州との間にも連絡網が作れるかもしれない、と思い始めていた。