【四】 鉄と塩
城下町を妹とめぐった数日後、ディドリクはまた別の目的で、レムリックとともに街へ降りた。
今回は商店街の南方、森林地帯との境目にある貧民街。
十数年前の革命戦争以来、生活基盤を失った者たちが少しずつ集まってきたのだが、ここ数年で急激に増えた。
主としてグリス領からの難民である。
荒地が広がるだけのグリス領だったが、泉水が発見されてから少し人口が増えた。
しかし産業基盤のない土地ゆえ、少しずつ流れてくるのだという。
今のところは大きな事件は起こっていないものの、貧民街の許容面積を思うと、そろそろ限界のようにも見えた。
森林と荒地に覆われたこのフネリック王国では農業が成立しづらく、国内の産業はほとんど鉱業のみといっていい。
王都から東方にかけていくつもある鉄鉱山、ほとんどこれだけが王国の産業である。
この鉱山が枯れる時が、王国の命脈がつきるとき。
幸いなことにまだ鉱山は潤沢に鉄鉱石を産出しているものの、無尽蔵というわけにはいかないだろう。
森林地帯を抱えるゆえ、林業も考えられるところで過去にそれを目指したこともあったが、森の民とのトラブルを生んでしまった。
また農業も、南方、タゲフル州やイリイス州では耕地がわずかばかりあるものの、量的には輸出はおろか、国内の民を養うことすらできない。
なにか産業を見つけなければならない、それはカスパールも言っていた、王国が生存するための命題なのだ。
ディドリクは自身の研究の中で、法術家の雷撃術に可能性があることがわかり始めた。
ただまだそれは明確なプランとなることもなく、頭の中でくすぶっているだけなのだが。
そんなある日、王都で宰相オトカルル・デーガーに呼び止められ、ある人物との接見を依頼された。
いくつかある王都の客間の一つに招き入れられたディドリクは、そこで父王エルネメリヒ、兄ガイゼルとともにいた人物に紹介される。
「ディドリク、こちらネロモン商会の次期オーナー、キドロ・ネロモン氏だ」と、ガイゼルがその人物を紹介する。
黒い髪、黒い瞳、白い肌。
体躯はそれほど高くはないが、がっしりとした肉付きである。
そしてその傍らにいたもう一人。
「そしてキドロ氏の妹君にあたるミュルカ嬢、同じくネロモン商会の実務に当たっておられる」
こちらはまだ幼さの残る容貌で、ディドリクと近い年齢。同じく黒髪、黒瞳。
「お初にお目にかかります、ディドリク様、王国と商いをせていただいておりますネロモン商会のキドロです」
「初めまして、キドロ様、ミュルカ嬢、文書課に籍を置く、ディドリク・フーネです」と、貴族式に挨拶をする。
ネロモン商会の現オーナー、トートルキア・ネロモン氏は何度か顔を合わせたことはあるが、言葉を交わすところまではいってない。
それゆえ、彼らとはあまり接点もないまま来たのだが、なぜか今日はこの謁見に呼ばれている。
「今回は不躾にもお呼びだてしてしまい、申し訳ありません、妹がぜひ第二王子様に紹介してほしい、と申しまして」
と言うと、傍らにいた少女がグイッと前に出てきて
「ミュルカ・ネロモンにございます、殿下」と、スカートの裾をつまみ貴族式に則った丁重な社交礼。
国内唯一の産業と言っていい鉄鉱山、そこから産出される鉄鉱石を商い、輸出品として商ってくれているのがこのネロモン商会である。
そこの次期後継者と目される人物とその妹から、名指しされたことで、少し緊張するディドリク。
ディドリクがその理由をはかろうとしてガイゼルを見ると、
「この弟こそが、国内最大の文法家、法術家です」とやたら持ち上げる発言をして、ますますわけがわからなくなる。
「いえ、そんな、国内で文法家がほとんどいないだけですので」
しかしミュルカ嬢はそんなことばを受け止めるでもなく、続ける。
「殿下、直截な言い方、御寛恕願います」と断ってから
「私も文法家を目指している者なのです」と意外なことを言い始める。
「しかし殿下もご存じのごとく、文法家としての教養を得るためには、帝都の文法学院か、教皇庁の文典学院に学ぶしかありません、通常は」
ネロモン商会は神聖帝国有数の財閥であり、また同族経営でも知られていたところだったので、当然その一員であるミュルカも商会の中で生きていくもの、と勝手に考えてしまっていた。
現にガイゼルも「商会の実務に当たっている」と言ったばかりではないか。
「ところが殿下が独学で古典古代の文法を習得し、法術の域にまで達せられている、と王太子殿下から教えていただき、ぜひにとご紹介していただきたく、父や兄に無理を言ってお願いしたのでございます」
快気してから国政の実務にあたっていたガイゼルが、その商売相手に対しては隠しとおせなかったのは、仕方ないかもしれない、と思い返すディドリク。
しかし法術が使える、と言ったあたりは隠しておきたかったのだが。
そこでディドリクは考える。いったい彼女はどこまで聞いたのであろうか、と。
兄が知っている自分の法術は、あの解呪だけのはず、と推測した。
父とブランドには電気魔術も見せたことがあったが、あれを法術と解釈したかは不明。
そこでまだこの少女は、解呪の法術しか聞かされていない、と判断して、
「ひょっとして兄の解呪のことをおっしゃっているのであれば、それはそれに特化して、必死で勉強したからです、それ以上のものではありません」
これで納得してくれるかどうか、それは反応を見て考えよう、と思っていると、ミュルカがキドロをチラッと見て、
「そうですか、文法を学ばれた際の教則本などがあれば、お見せいただければ、と思ったのですが」と、微妙に話題をずらしてきた。
法術はあくまで「文法学習の結果、到達点」としての意識しか持っていませんよ、ということだ。
その解答にはかなりひっかかるものも感じたが、都合がいいので乗ることにした。
「文法、とまではいきませんが、妹に字を教える時に使ったものがあります。そんなものでよければお持ちしますが」と言うと、
「まぁ、それはぜひ拝見させていただきたいですわ」と言って、いったんこの話題をしまってくれた。
再びミュルカがキドロをチラと見て、何かの合図を送ったように見えた。
すると、キドロが別の話題を切り出してきた。
「殿下、今日は、国王陛下に鉱山の採掘権についてのお話でやってきました、妹の話はついでです」といかにも話題を変えるような発言をする。
「鉱山の採掘権?」とディドリクが父王の方を見ると
「そうなのだ、ネロモン商会の方で面倒な鉱山の採掘を取り仕切ってやろう、という相談なので、それで採掘権を」
ディドリクの背中に冷たいものが流れた。
「父上、まさか鉱山採掘権を」
「なんと金貨800ターレルで買い取ってくれるというのだ」
ディドリクは思わず自分の立ち位置を忘れて声を荒げてしまう。
「なりません、父上! いったい何を考えているのですか!?」
エルメネリヒ王は、これまで見たことのない第二王子の怒りを目の当たりに見て、一瞬ひるんでしまう。
「宰相もついていながら、なぜ父上を止めていただけなかったのですか」
「若、これは我が国にとって重要なことで」
「そうです、重要なことです。我が国の産業は現状ほとんど鉱業だけなのですから」
「採掘権を売る、ということは、鉱山からの産出調整を我が国の一存では決められなくなのですよ」
宰相も父王も、意味を把握していないのか、きょとん、としている。
「鉱山の労働者たちはどうするのですか、最悪、仕事を失うかもしれませんし、そこまででなくても、採掘方法を全て他国の商会に依存することになります」
鉱山労働者は、失業時の保険も兼ねている。
それを自国の政府ではない別の意思決定機関に左右されるのだ。
「さすがです」とキドロが笑みを漏らす。
「おまえの予想通りだったよ、ミュルカ」と妹を見る。
「我々にとっても良い話なので、うまくいけばそのまま買い取ろうとしたのですがね」と言うと宰相が
「え、ではこの話は」
「失礼ですが、少し試させていただいたのです。自国の産業管轄権を売りに出す、というのは、破産寸前の国家でもない限りやりませんからな」と。
宰相は思わず下を向いてしまう。
キドロはディドリクに向き直って
「ちゃんと経済をわかっている方がこの国の中枢にいた、という判断をさせてもらいます」
「そうですわ、副会長、文法家に無能な者などいませんから」とミュルカが付け加える。
ミュルカがディドリクをしっかりと見つめながら
「あらためて、私共と交渉していただけますか、殿下」と手を差し出す。
ディドリクがその差し出された手を取るでもなく見つめていると
「殿下、それに陛下、試させてもらったことは大変失礼いたしました、深く陳謝いたします」とキドロが話し始める。
「わたくしどももビジネスです。未来のある事業から重点的に注力していく方針です」
「フネリック王国は先代の国王から長くつきあってまいりましたが、そろそろ打ち切ってはどうか、という話が出てきまして」
父王と宰相、そしてガイゼルはこの話に驚いた。
「さきほども申しましたが、我々は商会です。利益のために動く存在です。申し上げにくいのですが、この国ではもう利益を得られない、そこで鉱山採掘権を買っておしまいにしよう、というのが商会の判断だったのですが」
とここまで言うと、ミュルカが変わって話し始める。
「でもここには文法家がいる、という話を聞きました。帝都でも教皇庁でもないこんな小国に、少し信じられなかったのです」
ミュルカは続ける。
「そこでその文法家が本物かどうか、それを見極めてから今後のつきあいを考えたい、と思いましたの」
取ってもらえなかった手を引っ込めて、
「魔術でも法術でも、若くして到達した者は己が技を誇り、その力を強く宣伝する者が多いのです。ところがあなたはそれを隠そうとしておりました」
にっこりと笑みを浮かべてて
「さらに、鉱山の採掘権を売る、ということの意味を一瞬で看破されました」
そして今度はしっかりとディドリクの目を見つめ、真剣な表情で
「これは本物だと思ったのです」
キドロが国王に向き直り、
「どうか気を悪くなされないでください、我々は貴国を再評価したいと考えております」と、膝をつく。
「それでは取引は」と宰相。
「今まで通り、と言いたいところですが、惰性での交渉ではなく、お互いの利益のために煮詰めていきたく思っております」
ミュルカがディドリクに言う。
「できれば殿下も交渉の場に立ってほしいのですけど」と言いかけて、最初の話題に戻っていく。
「あ、でも先ほどの、文法の教則本については本心ですのよ、ぜひ見せていただきたいのです」とも。
ディドリクは、自分が交渉の場に立つことは、辞退した。
「今回のことはたまたまです、少しこの国の産業を勉強していたからにすぎません。全体としては、やはり宰相を通していただくのが筋かと思います」
「用心深いのですね」とミュルカ。
ディドリクはこの少女がどこまで見抜いているのか少し不安になった。
そこで今度はこちらから話題を振ってみる。
「キドロ副会長、せっかくこの場に呼んでいただいたのですから、僕からも一つうかがいたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「なんなりと」
「商会では塩を扱っておいででしょうか」
唐突な話題の変換に、今度はキドロの方が少し戸惑ってしまう。
「塩、でございますか?」
しかし少しの間を置いて、塩を購入したいということではなく、塩を輸出したいという意味だと解釈して、
「しかしこの国には岩塩杭も塩田もなかったように記憶しているのですが」と答える。
「ええ、今までは」とディドリク。
キドロはその言に反応して、
「品質というか、純度のことなのですが、それさえこちらの基準を満たしてくれていれば、当商会でも商品として扱っております」
ディドリクはその言質を得て、次回の会合までに用意する旨を伝えて、この場から退出した。




