【一】 成長
三年の歳月が流れた。
正妃イングリッドが男児を出産し、それが無事すくすくと育っていったことから、王家にとりついた呪いが完全に解決したことを示していた。
ディドリクは十四歳になり、成人式を迎える。
王太子任命式を兼ねた兄ガイゼルの成人式ほどではないとはいえ、王位継承権を持つ王家の男児ということもあり、盛大に祝われた。
ただし、ガイゼルに弟が誕生したことで、ディドリクの継承順位は二位から三位になってはいたのだが。
フネリック王国の継承順は、まず正妃の男児が優先されるためである。
王家の子供たちはそれぞれ、嫡男であり王太子でもあるガイゼルが十七歳、三男ヘルムートが三歳。
メシューゼラが十一歳、アマーリアが六歳、イブリンが五歳になっていた。
ガイゼルとヘルムートの間に一人、メシューゼラとイヴリンの間に一人、そしてディドリクとアマーリアの間に二人、それぞれ男児がいたはずなのだが、ワントブーフの呪術によりこの世にはもういない。
結局、呪術者の背後関係はわからずじまいだったが、それに対する備えとして、国内の魔術関連の整理が進んでいく。
研究科を出たディドリクは、王室の文書課に所属することになり、文献の整理にその力を発揮していた。
ディドリクによるアマーリアへの文法授業は、かなりの水準にまで達していた。
既に霊言文字の習得と、簡単な古典古代の文であれば読み下すことが可能になっていて、太古の曲用を使う法術に、あと一歩のところである。
メシューゼラの方は古典古代の文法があまり進展せず、むしろ多言語への理解にその個性を発揮していた。
恐らくアマーリアは自分と同じように法術を操れるようになるだろう。
しかしメシューゼラには文法家のセンスが欠落、とまではいかないが不足している。
だが反面、この歳になってくると、メシューゼラには魔術の才があることが見え隠れするようになってきた。
逆にアマーリアには魔術のセンスが不足している。
「ヅボラーシャー」と詠唱すると、赤毛の妹の周囲に炎が舞い、意のままに操れるようになっている。
大気に眠る魔素の力を顕現させて、炎を、風刃を、氷結弾を、出せるところまで来ていたのだ。
魔術を使える者は貴族であっても少数派である。
メシューゼラの母パオラが魔術を使えないことから見ても、魔術は遺伝ではなく、突然変異だ。
同じことが法術にも言えるのだが、アマーリアの適性は同母兄であるディドリクによく似ていた。
そこでいよいよアマーリアにも法術の発現を体感させる時期が来ていたことを感じていた。
「蛇の八格を思い描いて」そこに曲用を流し込み、統辞を変異させるよう指示する。
するとどうだろう、アマーリアの映像がゆがみ始める。
あるイメージを持って変異させようとするのだが、まだ完成形にまでは至らず、解けてしまった。
疲労困憊といった感じでアマーリアがへたりこむのを見ていると、まだ幼くて体力不足が原因かも、と思ってしまいそうだが、実は法術には体力はあまり関係ない。
法術は文法の深い理解で組み立てていくもの。
つまりまだ真の理解に到達していないということ。
それでもディドリクはアマーリアの背中をさするようになでながら、
「すごいことができるようになってきたね」と、ほめてやると、幼い妹が疲れの中でにっこりと笑顔を見せる。
それを見てメシューゼラも心配そうにのぞき込んでいたが、こちらの魔術訓練は順調である。
魔術は体内に魔素を一度取り込むため、法術と違い体力も関係してくるが、さすがに骨格ができあがりつつあることもあり、最近とみにうまく操作できるようになっていた。
いつのまにか読書会が魔術養成訓練になっていたが、それでも書籍を読むことは続けていた。
一通り訓練のようなものが終わった後、気を鎮めて古代語の講読会になる。
この日使ったのは、古典古代末期の喜劇。
有名な作品で、その中のフレーズがいくつか、後世の文典や呪文、成句などに転用されている。
「ほら、ここ」とディドリクがある人物のセリフを指でなぞる。
妹たちは少し考えていたが、
「兄様、これってラグの文典にあったあのセリフ?」とアマーリアが気づいたので、ディドリクがそのラグの文典を本棚から持ってくる。
こちらは現代語に訳されたものだが、同じ喜劇から取られたものが記載されていた。
「原文の方で詠唱して、格の方向を変えてごらん」
とディドリクに言われて、アマーリアが目を閉じてイメージする。
すると今度はうまく幻を呼び出せた。
アマーリアと同じ姿の幻が、座っていた椅子の周囲に現れ、まるでもう一人のアマーリアが動いているかのような動作をする。
「はい、文を元の形に戻して」と言われて、その幻を閉じる。
「原典を正しく解釈できたね」と言われて、アマーリアも嬉しそう。
その後、またしばらく魔術訓練をしたあと、メシューゼラが
「ねぇ、ディー兄様、魔術のこと、もうお母様に言ってもいい?」と尋ねてきた。
魔術が教皇庁から「有意な力」として承認されたのは、ほんの数世代前。
それまでは長く異形の力として、迫害対象になっていた。
現在ではそれを武力の一つに拡張したりして、利用できる技術としてとらえ始められてはいるが、まだまだ往時の記憶、邪教の習俗として覚えている地域、種族は多かった。
ましてや、魔術は遺伝ではなく突然変異なので、貴族の中にもその恩恵にあずかれない者は多く、そこからくる偏見や無理解なども存在している。
少数とはいえ、魔術を使える者が存在しているこのフネリック王国で、魔術研究があまり進んでいなかったのもそこに原因があった。
「もう少し正確にコントロールできるようになってからにしようね」とディドリクが言うと
「私、もう正確にコントロールできるわ」とメシューゼラ。
確かに彼女は単に魔術を使えるだけでなく、細かなコントロールもできるようになりつつあった。
だがディドリクの目から見るとまだまだ不完全だったので
「でもね、ゼラ、それは平常時、落ち着いた環境があるからなんだよ。魔術を実際に使う時って、そうじゃない時がほとんどなので、もう少ししっかりと身につけてからの方が良いと思うんだ」
「はぁい・・・」と言ったものの、不満げな表情を見て、もう少し付け加えてやる。
「言っちゃいけないってことじゃないよ、そのうち僕も立ち会って、ちゃんとその場を設けてあげるからさ、もう少し訓練しよう」
「約束よ、ディー兄様」と言って、納得したようす。
法術は、魔術に比べてもっと学術化、体系化されていることもあり、社会の認知度、許容度ははるかに高い。
だが、広く深く古典古代、あるいは太古の文献やもろもろの文字を収集し、その上で発展させてきた過去があるため、簡単に利用できない。
それゆえ、魔術とはまったく違う理由で研究が進んでいる地域は少なかった。
神聖帝国では、教皇庁と帝都にいくつかの研究機関があるのみで、そこに携わっている人材も少ない。
それに対して、妖術はまだ多くの国で禁忌の術として危険視されているところが多い。
妖術が下賤の者たちの中から起こってきたものであること。
魔術や法術のように体系化されたものではなく、施術者の身体的特異性、あるいは異常性によって行使されることが多く、術者には異常者が多いからでもある。
先のワントブーフなども、一見すると普通の人物に見えたが、死のハードルが通常人より著しく低い。
人を殺すことに何の躊躇もないだけでなく、自身の死さえも簡単に考えてしまう。
暗殺者と言う者は、訓練により人の死の重みを越えていくものだが、ワントブーフは先天的に「死」と「命」が軽かったのだ。
「にいさま」とアマーリアが眠くなってきて、ディドリクの座る椅子の左側に割り込むように入ってくる。
それを見てメシューゼラ。
「少し前に気づいたのだけど、アマーリアっていつもディー兄様の左側にひっつくよね」
「だって、兄様の心臓の音、気持ち良いから」と小さな声で応える。
「心臓の音?」
「うん、とくん、とくん、って」
一緒に椅子の上に座り、左側からディドリクの胸に右耳を当てて、だきつくようにしがみつく。
アマーリアの左耳から左の首筋をなでながら、ディドリク。
「もっとちっちゃな時にこうやってだっこしてあげてたのがクセになって残ってるのかな」
と答えたが、実はもっと深い理由があることに、彼自身、気づき始めていた。
「ふうん・・・」と言って、メシューゼラが椅子の右側から割り込んでくる。
「じゃあ、私はこっち」
大人用の椅子ではあっても、さすがに三人も入ると窮屈だ。
「ゼラ、きみも眠いのだったら、家に帰んなきゃ」と言っても、聞きそうになく、アマーリアのまねをしてか、耳を胸に押しつけてくる。
ディー自身も嬉しかったため、しばらくそうしていた。
二人の体温が心地よい。
しかしさすがに汗ばんできたし、メイドに見られるのも少しイヤだったので、二人を引き離す。
半分眠り込んでいるようなアマーリアをベッドに入れて、客間に戻ると、
「アマーリアはディー兄様と一緒の部屋で寝てるの?」と聞いてきた。
ディドリクが頷くと
「私もここで生活したいな」と、少し声を落としてもらす。
「僕は嬉しいけどさ、そんなことをしたら、パオラ様が寂しがるよ」とディドリク。
メシューゼラがハッとして顔を上げ、笑顔でディドリクを見上げる。
「そうよね、母様が寂しがるよね」と明るい表情を見せて、戻っていった。
メシューゼラは少し前から短髪だった髪を伸ばし始めていた。
それがもう肩に届き、セミロングになろうとしている。
その綺麗な赤毛を揺らしながら帰っていく後ろ姿。
その姿を見送った後、寝室に戻ったディドリクは、窓からこぼれる月明かりの中で、自身の左胸を押さえていた。
「ここにはなにかある」と考えながら。
あの洞窟の賢者、第十四世と出会ったとき、アマーリアが生まれた時、兄の解呪に成功した時。
胸の鼓動がふだんとは違うことに気づいていた。
そしてそれに引き付けられるように左胸の側にやってくる妹。
今日首筋に触れた時、その妹の頸動脈の脈動と、自身の鼓動が重なっているように感じたこと。
その意味を考えながら、ディドリクは寝台にもぐりこんだ。