【七】 法術対妖術
二週間後、ガイゼル母子の住む第一離宮周辺に鉄釘を埋め、妖術使の襲撃に備える。
離宮内ではガイゼル母子がいつものように生活し、使用人たちの寮がある離れにディドリクとブロム、イングマールが待機する。
イングマールがディドリクに問う。
「今日やってくると、どうしてわかったのですか?」
法術の一つ、予見術です、とごまかしていたが、ベクターに「濃度が上がる日」を予見してもらったからだ。
魔術使いが大気の中に魔素を感じるように、妖術使いもまた自身の妖素を展開する。
しかし魔素が天然の要素であるのに対して、妖術のそれは意思の延長、痕跡である。
その時空の方向に、使用者の未来を想定できるのであり、未来を予知するものではない。
しかし、もしその「呪い」の使い手が、相手方に法術使いがいないと想定していれば、割と簡単に見つけられてしまう。
その意味で一回限りかもしれないが、その一回で仕留めればいい、ディドリクはそう考えていた。
加えて、離宮庭園側に、髪の毛を結んだものを張り巡らしている。
花壇の中、石畳の溝、建物の際に沿ってめぐらされる髪は、敏感なセンサーとなって侵入者をとらえる。
静まり返った屋敷の中で待つこと数刻、ディドリクの手元の髪の毛に、振動が伝わる。
(来た)・・・目で二人に合図をして、音もたてずに、その振動元へと移動していく。
開け放してあった裏戸から離れの裏手に出た三人は、本邸勝手口へと向かう。
手の中の髪の毛の反応を見つつ、ディドリクはそこで足を止める。
(いる 確かに誰かいる)
姿は見えないが、寝室へとつながる控えの間の外側に、人の気配を感じる。
どうやら向こうはこちらに気づいている様子はなく、止まったままである。
(呪詛返しを行う)
ディドリクはかねてよりの予定通り、エスペア語式呪法と古式文法の反射術を組み合わせた呪詛返しを行うべく、罠に近づき、はまるのを待っていた。
ワントブーフはフネリック王国で内通する貴族から王太子の予定表を受け取り、離宮私宅にいる日時を選び、決行する旨をグロックに伝える。
そして当日、離宮外縁にグロックを待機させたまま、保護色ローブをまとい、裏門より離宮内へと潜入する。
「離宮には衛兵の数も少ないし、予定表では魔術師も配備されていないはずだが、万一の時は連絡するので、頼む」とグロックに告げて忍び込む。
保護色ローブとは、滅身術を織り込んだ魔糸で編んだローブで、着用者の気配を絶ち、ある程度周囲の色相と同化するもの。
周囲に完全に溶け込むことはできないが、「目に留まる」という程度なら回避できる。
身を屈め、外壁にとりつき、中の様子を探りつつ、王太子と思しき人物の所在を探る。
(いた)それらしき人物を同定した後、いちばん近い部屋の外側に立ち、ローブが姿を隠しきるのを待つ。
察知した人物めがけて、呪印の矢を放つ。
呪術には対象者の体毛、体液などの痕跡を残す残留物を媒介とする方法が一般的だが、ワントブーフの用いるそれは、呪いの塊を念の矢としてとらえ、そこから呪いを伝達していく方法である。
これを用いると残留物を入手する必要がなくなるものの、至近距離からでないと仕掛けられない。
放った矢に紐づけた思念の糸を手繰りつつ、目標物へと向かう。
(かかった)指先に対象者の肉体を感知して、呪念を発動させる。
肘から、手首から、そして指先から、熱い塊が下りてきて、対象物へと向かう。
思念を用いたものなので、その間に障害物があってもほとんど影響なく、対象物にとりつける・・・はずだった。
「うん?」
妙な違和感を感じて、指先に感覚を集中する。
確かに引っ掛けているはずなのに、そこから先へ進めない。
少し振り込む力を強くしてみると、妙な震えが指先から全身に広がっていく。
思念を発した先、外壁から、黒いしみがあふれてきた。
(何か仕掛けられた)と直感して、思念の矢を引き抜こうとするが、できない。
それではと、その糸を切って出直そうと考えるも、それもできない。
呪いの矢を放ったときのまま、手が動かず、ただ目の前に広がる黒いしみを見つめるだけだ。
黒いしみは、まるで油のような粘り気を見せつつ壁からしたたり、地を這ってワントブーフの元へ流れ込んでいく。
足がとらえられ、そして上半身も思念の糸から逆流するように伝ってくる黒い粘気に囚われていく。
全身から汗を拭きだしながら、ワントブーフは自分の中にあふれてくる「呪い」に恐怖する。
しかし、声が出ない。
いつのまにか自身の周囲に蒸気のような大気があふれ、歪み、包んでいく。
(失敗した? これは呪詛返し?)
この地に優れた文法家や妖術使いはいない、とタカをくくっていたこともあり、呪詛返しに対しては、まったく警戒していなかった。
(呪詛返しへの対策は)と必死に脳内で考えるが、全身を覆い詰みつつある呪詛返しの黒い粘気と圧のため、思考がまとまらない。
(なんとかブロックに連絡を)とも考えるが、その方法も封じられているかのようである。
全身に呪いの粘気が到達する直前、ワントブーフは自身の内側へと死の呪いを放つ。
(もはやこれまで)と最後の力を振り絞り、後事をブロックに託そうとしたのだった。
ディドリクが施術者だけでなく、その周囲をも封じたのは、護衛者との連絡を絶つためだった。
居住区周囲の鉄釘が潜入者を感知していたことから、呪いの施術者が残留物を用いたものではなく、至近距離からの直接攻撃によるものであろう、と判断していた。
屋敷の中には、ガイゼルの衣装に鉄釘を縫い付け、その近くにガイゼルが普段使用している衣服を着せ、立たせておいた。
かなり危険な賭けではあったが、襲来日がベクターによって示された後だったので、素早く対処すれば大丈夫、という目算もあった。
予想通り、ワントブーフは罠にはまり、その中にとらえられた。
ここまではディドリクの計画通りだったが、ここで誤算が生じる。
襲撃者を撃退するだけでなく、その背後にいる者たちも暴きたかった。
それゆえ、呪いをかけた者を捕縛し、尋問したかったのだが。
黒い呪詛返しの粘気に囚われた施術者が、力なく膝から崩れ落ちるのを見て、法術を解いた。
その瞬間、奇妙な叫びをあげて、ワントブーフが倒れる。
それが隠れているグロックへの合図だと知ることなく、急いでかけよる三人、だが、施術者は絶命していた。
「これは」とイングマールが驚いて声を上げると、
「とらわれることを嫌って自害したようですな」とブロム。
敵の恐るべき規律のようなものを感じ取って、ディドリクは恐怖を感じる。
しばらくの間を置いてイングマールが
「ともかく死体を検分してみましょう、何かわかるかもしれない」と言ったが、ディドリクはその望みは薄いと考えていた。
自害してまで秘密を守ろうとする相手が、持ち物に所属を悟られるようなものを持ち歩いているとは考えられなかったからだ。
その時である。
「ヒュルルルル」と風を巻くような音が聞こえたのは。
「危ない!」
ディドリクがイングマールを突き飛ばしてブロムとともに地に臥せる。
三人の頭の上を何かがかすめるように飛んで行った。
「風刃か?」とブロム
「いや違う、あれは」とディドリク。
「あそこだ」とブロムが指さす方向、離宮外部の藪の中から、髭面の小男が、のっそりと出てきた。
「さっきのは音だ」とディドリクが言うと「音?」とブロムが問い返す。
「あれを見て」とディドリクは背後にあった石灯篭を指さす。
それはまるでナイフで切られたバターのように、途中ですっぱりと切断されていた。
「たぶん、超音波メス」と語るディドリク。
「少し遠かったか」とグロックは裏門に近づいてくる。
ブロムとディドリクは藪の方へ走る。するとグロックが大きく息を吸い込み、「ヒュルルルル」とまた先ほどのような声を発する。
ブロムがディドリクを抱えて藪の中へ飛び込むと、その藪の上を超音波メスがないでいく。
「ワントブーフがやられるとはな」とグロックは、施術者の死体から二人が飛び込んだ藪へと視線を移す。
「大事にしちゃならねぇ、と言うことだったが、仇くらいはとらせてもらうぜ」
そしてまた大きく息を吸い込む。
その様子を見て、ディドリクがブロムに問う。
「模擬試合で見せてくれた、あの俊足、今でも出せますか?」と。
ブロムがにやりと笑い、もっと速くなってますよ、と言う。
「見てください、あの超音波メスは声帯を使って出しているようです、つまり」
「そうか、息継ぎの間は技が出せない?」
「あれほど強力ではないですが、音なら僕も使えます、初撃を防ぎますので、その間に」
第三撃が、二人が潜む藪を切り裂いた。
藪から飛び出してディドリクは、ブロムに自分の影に隠れるように言う。
「息継ぎに入ったら頼みます」
グロックは、自分の前に姿を見せて隠れようともしない二人を見て少し驚きながら
(そうとうの自信だな)と次の発射をする。
超音波メスがディドリクめがけて音速で襲来するが、ディドリクもまた大気を振動させ、波を作る。
一瞬空間がゆがんだように見え、その後、グロックの超音波メスがカーブを描くように対象物からそれていく。
波に波をぶつけて、そのコースを変えさせたのだ。
息を吐ききったグロックが次の攻撃のために息を吸い込み始めると、ブロムはその俊足で胸元に飛び込んでいく。
グロックが発射した次の超音波メスは、弱々しく中空に放たれたあと、消えた。
ブロムの剣がその首を落としたからだった。