【四】 継承と譲位
「汝はかつて一度死に、そして新たな生を受け入れた」
魔法博士は語り、ディドリクがそれを聞く。
「汝が生まれた時、後継者としての叡智の芽が遠く我の元まで響いてきた。いち早く知った我は、他の高弟に染まることを恐れ、汝を隠し、そして見守った」
「だが汝は六歳の頃、殺された。あの恐ろしい暗殺隊の手によって」
「我は汝に魔法博士の座を命に代えて、汝に送り、そして汝の中で我が叡智を残さんとした」
「命の継承により、我の足跡は消えた。先代第十三世魔法博士の数多ある高弟たちの目からも、我は消えた。」
「されど汝の第二の生命がそのときより始まった。我は第十四世魔法博士の地位を捨ててでも、汝の命と未来が惜しかったのだ」
「それゆえ、我の肉体としての命は既に滅びておる。だが魂として、智としての我は魔法博士の系譜の中で生きておる」
「汝に望むのは、第十四世の次ではなく、第十四世そのものとして、魔法博士を受け継いでほしい」
かつて疑問に思ったことがあった。
フネリック王国男児の中で、自分だけが何の影響も受けず、健康であったこと。
同母弟が二人、異母弟が二人、次々と妖術師たちの毒牙にかかり、異母兄であるガイゼルも、まさに命を落としかけていた。
そんな中、なぜ自分だけが妖術師の影響を逃れていたのか。
あの頃は、妖術による暗殺が徹底していなかっただけだろう、と考えて、深くは追及しなかった。
だがキンブリー公国にせよ、ベルベットのニルル王国にせよ、暗殺計画が実行された国は、皆徹底していた。
なぜフネリック王国の自分だけが、影響を受けなかったのか。
今ここに、一つにつながってきた。
影響を受けなかったのではない。
幼かった自分もまた、妖術師の毒牙にかかっていたのだ。
そして死んだ?
しかし今、自分は生きている。
そして幻としての生を歩んだわけではなく、肉体もあり、しかも結婚して子までできようとしている。
肉体は確かにある、それは疑うまでもない。
すると「死んだ」と言うのは比喩で、なんらかの力、たとえば第十四世魔法博士の力により、自分は生かされた、ということなのか。
いや、仮にそうだとしても、なぜ現行の魔法博士が自分の顔をしているのか。
恐ろしい仮定が頭に浮かぶ。
「あなたは、わたしなのですか?」
「否」
魔法博士は抑揚のない声で、冷静に語り、続ける。
「汝の死は自然の摂理として、我は知った。現実の死であると同時に、仮想の死でもある」
仮想の死?
魔法博士は「死んだ」と言った。
法術か魔術か、未だ自分の知らない秘儀で、生命を取り換えたのかと思ったが、どうやらそういうことでもないらしい。
「法術の奥義、予定調和」
こう言って、魔法博士はディドリクの反応を待つ。
「厳格なる予知は、それ自体が事実の記録となる。それゆえそれに遡って、来たるべき未来という現在を書き換える。これこそが法術の奥義」
かつて教皇領でメルトンから聞いた魔法博士の奥義。
そこでは「時間の支配」と推測されていたが、ここにつながってきたのか。
予知という手段をとるにせよ、起こるべき未来は、起こってしまった過去と一つになる。
それを現在に引き戻し、それを書き換える。
魔術的視点、予知力視点で見ると、それは未来という名の過去が書き換えられたことになる。
未来が現世となり、現世が過去となる。
これによって、第十四世は、死ぬはずだった自分の命を、生きるはずだった命に書き換えた、ということなのか。
「この解釈であっているでしょうか」
ディドリクは自分の考えをぶつけてみた。すると
「然り」
と答えが返ってくる。
「されど奥義は強い代償を求められる。私は自身の力を汝に転写して、それをなした」
二度にわたる大きな講義。
経過する時間を一瞬の内に凝縮したその術は、実は奥義の一端でしかなかった。
継承術を維持しながら、自身の命を転写した。
それが意味するのは...第十四世の消失?
生きていて、かつ死んでいる。
未来にいて、かつ過去にいる。
それが、死ぬはずだった自分の命をつなげるために?
あるべき時間軸を、予言ではなく事実として知り、かつ、それすらも変えてしまう力、それこそが魔法博士の奥義。
そしてそれを明かしながら、なおかつ継承を強制するのではなく、希望として語る。
この第十四世の懐の深さ、そしてそれに見込まれた自分という存在。
それらを考えていくうちに、ディドリクの考えはまとまりつつあった。
魔法博士の未来(第十五世)としての御座ではなく、
魔法博士の現在(第十四世)としての御座。
その継承を望んでいる、というのだ。
それは継承と言うよりも、譲位と言った方がふさわしいのかもしれない。
「魔法博士の継承...しかし、僕自信は魔法博士そのものが何たるかを知りません。魔法博士になると、どうなるのでしょう」
この言葉を聞き、賢者ヒューゲルは魔法博士について語り始める。
それは全叡智の掌握。
全ての奇跡の支配。
人知を超えた存在の頂点にして、末端、中核にして外皮。
秘儀を行い、魔法に通じんとせんとする者に、法術を、魔術を、妖術を、その他奇跡の秘儀を、システムとして整理維持し、支配下におくこと。
全てに超越し、全ての頂点になり、かつ全ての先端になること。
魔法術の全てを統括する存在になること。
あまりに概念が広すぎて、いささか頭がクラクラしてしまうが、要するにこの世で使われる奇跡の術をもらさず管轄するということか。
それによって得られるものは、叡智の喜び、超越の至福。
深淵にすぎて、今までイメージすらしたことがなかったが。
知識を求めて叡智に至る。
法術のみならず、魔術であれ妖術であれ、至高の座ではないか。
ディドリクの心はその概念にとらわれ、魅了されつつあった。
「いくつか確認させてください。もし僕がそれを拒絶したとき、あなたはどうなるのですか」
「継承術が再び継続されるだけ。そのときは新たなる者が、譲位ではなく、第十五世への継承となる」
「さきほどの説明では、私の命を書き換えたことで、現在の師は魔法博士としての地位を維持できていないように聞こえましたが」
「然り。今、我は魔法博士であって、魔法博士ではない」
第十三世魔法博士の高弟、孫弟子たちが、第十四世魔法博士の気を見失ってしまったことは、そこに原因があった。
そして今、周囲に伏す第十四世高弟の老人たちも、活路を失って、こうしているのだろう。
「だが案ずるには及ばぬ。もし汝が拒絶したとしても、汝は元の世界で生きていける」
命を返せ、ということにはならないらしい。
「ではもし僕がそれを受けた時、あなたはどうなるのでしょう」
「既に我は死んでいる。譲位をなし『第十四世魔法博士の継承術』が消えたとき、我も使命を果たし終えたことになる」
「では、現在いる僕の世界はどうなるのでしょう」
「二重の存在は許されない。この地上における汝の姿は、幻と消える」
現在の地上のしあわせは消え、同時代の人間が体験することのない永遠の叡智の中に移動することになる。
肉体の幸福か、智者としての喜びか。
第十四世が重ねて問い、求む。
「我が意を受け、我が位に上らんことを求む。少年よ」
第十四世魔法博士、賢者ヒューゲル・ブラウン。
今まで棒立ちだった姿から、両腕が地面に水平に上げられ、真横にかかげられたのを見た。
その道へ進むことで、永遠の、そして至高の智者、無限の賢者となることができる。
ディドリクはその魅力に抗えず、そちらにむかって、台から降りた。
魔法博士の叡智。
魔法博士の秘儀。
全てを知り、全てを操り、全てに超越した知性を得る。
そうだ。自分はここに向かっていたはずなのだ。
賢者ヒューゲル・ブラウンが、自分を見出してくれていた。
しかも死にかけた時、いや、予知として死んだときに、自身の命を使い、それを引き戻し、生を与えてくれた。
自身がその期待に応えられるよう、習熟してくれるまで待ってくれた。
人としての戦いを、幸せを体験するための時間を与えてくれた。
にも拘わらず、それは魔法博士としての希望に過ぎず、断っても良い、とまで言ってくれる。
結論は出たのではないか?
ディドリクは、その広げられた両腕に向かって、歩み始める。
「だめーっ」
声そのものは決して大きくなかった。
だが、この法術結界を綻びさせるには十分の、命を賭した声が響き渡る。
懐かしい声。
心の中、最も深いところにあった声。
小さな力が、自分の背後に届いたのを感じた。
なにか小さなものが、自分のからだをつかまえている。
力そのものは弱々しい。
しかし、胸に回された両腕から伝わってくるその心が、カギヅメのようになってディドリクをとらえる。
「だめ、行かないで、この世界から消えないで」
背中からだきついたアマーリアが、半ば涙声になりながら、ディドリクをとどめていた。