【二】 聖ヤコブ教会学院入学式
コロニエ教会領はその名の通り、首都コロニエにそびえたつコロニエ教会主座を首都とする。
政治の中心はこの主座による司教会議によってなされているが、それ以外は通常の世俗国家と大差ない。
教会領大学聖ヤコブ教会学院とその付属学校である初等部、高等部は教会領主座にあり、主座の学者たちにより運営されている。
秋の日、入学式を明日に控えて、何組かの家族が学校の下見に来ている。
ディドリクもイヴリンを連れて、下見かたがた警備の確認に来ていた。
「お兄様、警備つきの学校生活なんて、わたしちょっと...」
「そうは言っても王族だからね。世間には身代金目当ての誘拐なんてのもよく聞く話だし」
でも少し萎れた表情を見せる末妹に、
「心配ないよ。個別の警備がついて行動が制限されるわけじゃないし。それに教会領はどこも信徒が社会の目になっているから、組織的な犯罪は起こりにくいし」
そう言ってディドリクは、イヴリンに首飾りをかける。
「ゼラやアマーリアにもしてあげたけど、これで連絡ができるから、何か危険がせまったらこれで連絡してごらん」
まだ魔力がそれほど強くないイヴリンなので、首飾りの珠にはディドリクの魔力を付与している。
「え、これがあると、お兄様といつでも連絡がとれるの?」
安全対策のはずなのに、なぜか瞳がキラキラと輝いている。
「危険なときだけだよ、迎えに来てとか、お食事に連れてって、とか、そんなので使わないように」
「だいじょうぶでーす」
と言って、ニヒヒ、と笑っている。
どうやらそういう使い方をする気満々に見えたけど、それはそれでいいか、と思いつつ帰路についた。
晴れて、入学式当日。
この日ばかりは正装して父兄貴賓席に向かったディドリクとエルガ、アマーリア。
傍らには本国からこの日だけは、と、空陣隊を使ってパオラとメシューゼラもやってきていた。
「兄様」
式会場前の広場に到着するや、ディドリクに抱き着く赤髪の異母妹。
淡い橙色を中心にして綺麗にまとめ上げたよそ行きドレス。
しかし装飾はそれほど派手ではなくむしろ少な目。
プリーツスカートの丈も、さすがにミニスカではないけど、ひざ下くらいまでで、軽快で動きやすそう。
「ゼラ、今日の主役はイヴなんだから、あんまり目立っちゃいけないよ」
と言ってはみたものの、やはりメシューゼラは綺麗だ、と兄バカだとわかっていても思ってしまう。
「イヴ、式は私たちも見てるからね」
「お姉様、今日の衣装は秋らしくてステキ」
そういってメシューゼラの腰に抱き着くイヴリンは、聖ヤコブ教会学院の制服に身を固めている。
こちらはカーキ色に金糸で小さく刺繍された文字が載ったもの。
ドレスアップしたメシューゼラとは比べられないけど、それでも美しい赤髪が映えて一段と綺麗に見える。
じゃれあう姉妹の後ろに立ったパオラが
「ディドリク様、イヴの後見を引き受けて下さり、感謝に堪えません。これからもイヴのこと、よろしくお願いします」
と言って頭を下げてきたので、
「いえいえ、僕の方もここでいろいろ仕事を覚えていきたく思ってましたので、渡りに船だったのですよ」
などと言って、和やかに過ごしていく。
パオラの娘たちである異母妹から少し離れて、学院前の広場を見渡していると、やはりメシューゼラは人目を引くようだ。
姉妹や義母の警備もかねていたため、ディドリクは緩めの結界を周囲に張っていた。
するといくつか話し声も聞こえてしまう。
「あれは誰だ?」
「たしかフネリック王国の『赤髪の美姫』じゃないのか」
「その『赤髪の美姫』の妹が入学するらしい」
「なんでも独身だっていうぜ、確か17歳」
「俺、立候補したいけど、王族じゃ無理だな」
「眼福眼福」
などと言う声が耳に入ってしまった。
どうやらイヴリン、パオラと歓談しているときの注目度は群を抜いているようだ。
イヴリンもそれに気が付いて、こっそり姉に耳打ちする。
「すごい。みんなお姉様を見てる」
「赤髪が珍しいだけよ」
いろんな園遊会に出た時も注目を浴びていた経験もあり、いささか辟易気味でもあるメシューゼラ。
このやりとりを聞いてディドリクが
「イヴも可愛いからすぐにこうなるよ。でも簡単に男の誘いにのっちゃダメだぞ」
こう言うと、パオラが横で笑っている。
「ディドリク様がお父様みたい」
「さすがに父上が来ることはできませんから、その分です」
一方でアマーリアは、自分やディドリクに向けられた視線にも気づいていた。
(王族が人目を引きやすいのはこういうこと?)
と考えていたが、兄に向けられた視線の多くが学生の父兄、とりわけご婦人方からのものであると気づいて、
(私というより、兄様よね)
と考えなおして、兄を見上げている。
もちろん父兄たちの中には、アマーリアを見つめていた者もかなりの数いたのだが。
王族兄妹、というのは、意外と早く情報として行き渡っており、ただでさえ注目度は高い。
加えて、王族はめったに学校制度の中には入ってこないため、珍しい、というのもある。
とはいえ、国格としてはフネリック王国よりも高位にある選帝候の一つ、コロニエ教会領である。
大国の資本家子弟や、有力貴族の子弟なども名を連ねていた。
フネリック王国の王立学院同様、聖ヤコブ教会学院でも年齢による選別が緩いため、新入生も下は7歳くらいから、上は15くらいまでいる。
貴賓席から見ていると、新入生も大小凸凹した感じに見える。
式自体は簡潔ですぐに終了したが、新入生も同年齢同士で固まる傾向があるらしく、イヴリンの周りにも人の輪ができてしまい、合流するのにかなり手間取った。
適度に賑やかで、適度に楽しい。
(しあわせって、こういうものなのかも)
アマーリアはディドリクにくっついたまま、そんなことを考えていた。
その後、パオラとメシューゼラは、リカルダの操る空陣隊輸送部隊の函車に乗って、帰国していった。
「近いうちにまた来るわ」
というメシューゼラの明るい言葉を残して。
帰宅した後、食事をとってそれぞれ自室へと戻っていく。
ディドリクがエルガとともに休んでいたこともあり、アマーリアはあてがわれた自室へと戻る。
寝台に腰かけ、一人部屋の空間を見つめていたが、幼い頃のように冷たい孤独感はもう感じない。
すぐ近くに兄がいる。
自分より年若いイヴリンもいれば、新しく家族になったエルガもいる。
ペトラとロガガも一階に部屋を与えられている。
遠く離れていてもメシューゼラさえ近くにいるように感じていた。
夜風が窓の外で鳴っているのが聞こえる中、眠りの中に落ちていった。
一方のディドリクもまた、しあわせを感じていた。
教皇領から帝都瑠璃宮五芒星の暗殺隊が壊滅したことを知らされて以降、意識は国内のこと、家族のことに向かっていく。
法術師として生きることも、古式文法を極めようとしたことも、あるいは恐ろしい魔術戦の中に身を投じたことも、みなどこか遠い世界の、別の物語のように感じてしまう。
戦ってきたこと、出会った人々、それぞれの国での出来事、それらはまるで誰か他人が書いた物語の中のヒトコマのように感じていた。
寝台の中、自分の隣に眠る、若き新妻の寝顔を見つめつつ、兄のように、子どもが授かったのではないか、という予感めいたものもあった。
(これからは家族のため、国のために生きる人生なんだ)
そう思いつつ眠りにつこうとするのだが...。
目を閉じて横になっていると、瞼の裏に、何やらチリチリと刺激するものを感じる。
(なんだろう、すべて終わったはずなのに)
寝返りを打ちつつ
(これまでの戦いの記憶が、安らぎに不安を投影しているのかも)
しかしそう感じながらも、やがて眠りの中に入っていく。
...入っていくはずだったのだが。
「ディドリク、さらなる高みへ」
誰かに呼ばれるような声を聞いて目を開けると、またあの白い世界が広がっている。
いや、よく見るとそれは黒い世界でもあった。
白であり黒であり、色のない世界。
自らは病衣のような、袖の短いブカブカの貫頭衣を着ている。
診察台のようなところに座っているのがわかり、周囲を見渡してみる。
何もない世界、色のない世界。
だがやがて目が慣れてくると、周囲に蹲る影が見えてきた。それも無数に。
それらは一様に老人の姿をしており、ディドリクを囲むように蹲っていた。
その後ろ、かなり離れたところに、声の主と思しき存在を認める。
「ディドリクよ、双にして一、個にして双の、新たなる後継者よ、我が言葉を受けることを望む」
「アマーリア、さらなる深みへ」
眠りについた、と思っていたアマーリアは、優しい、それでいて強さを秘めた声に起こされる。
小さな、高い台の上に自分が座っていることがわかる。
その下に目をやると、底の見えない、黒くて白い、白くて黒い闇が広がっている。
声はその下から聞こえる。
だが高い台の上にあって、その下に無限とも思える闇が広がっているのに、そこに「落ちる」という感覚、概念が起こらない。
そこは上と下、天と淵しかない世界に見えた。
その遠い底、深淵の彼方から、声が聞こえる。
「アマーリアよ、双にして一、個にして双の、新たなる理解者よ、我が未来を支えることを望む」