【一】 新居
イヴリンの「学校へ通ってみたい」発言は、王家の中に衝撃を巻き起こしていた。
もっとも、一王女の留学問題が王家の話題を独占してしまうことこそ、むしろ平和の象徴とも言えよう。
反対派の急先鋒がイヴリンの母パオラ。
まだ9歳の女の子を外国に留学させるのに不安しかなく、猛反対。
賛成していたのは、イヴリンの兄弟姉妹たち。
もっとも、積極的賛成から「まぁそれもいいんじゃないか?」という消極的賛成まで、熱の高さはそれぞれだったが。
いくつか意見が出たあと、ガイゼルが王太子として「認める」発言を下す。
だがパオラを宥めるために、ディドリクに大使を兼ねて行ってもらってはどうだろうか、と打診してきた。
ガイゼル夫婦は結婚後、第一離宮を離れて王城西端に新居を構えていた。
ディドリクも第二離宮を離れて近くに新居を持つつもりだったが、まだ適当な場所が決まっていなかった。
そこでいっそのこと、ガラクライヒ王国なりコロニエ教会領なりに新居を持って、近隣との友好関係の礎となってはどうか、という提案である。
ディドリク自身は悪い考えではない、と思えた。
エルガにとってフネリック王国は外国である。
しかし二人にとって外交使節という立ち位置になるのなら、気を使う要素も減るだろう。
両国からの独立性も保たれる。
だが気になることが一つあったため、母マレーネに尋ねる。
「母上、私自身は王太子としての兄上の意見に従いたく思っています。御許可願えますか?」
マレーネは家族会議の席上、沈黙を続けることが多かった。
正妃イングリットや、あるいは年若い第二側妃パオラへの配慮からだったのだろう。
皆の注目が集まる中、マレーネは受け入れた。
「かまいません。あなたの好きなようになさい」と。
帝都や教皇領、あるいはジュードニア王国等に比べれば、コロニエもガラクライヒも近隣の国と言っていい。
遠い都市でも馬車なら十日ほどだし、今なら空陣隊も使える。
そんな遠くへ行くわけでもない。
了承を受けるや、ディドリクはアマーリアの肩を抱き、
「アマーリアも連れて行きます」
と、宣言する。
留学場所は隣国コロニエ教会領に決定した。
当初はガラクライヒ王国の方が意見としては優勢だったが、何より隣国であること、そしてその国際性などからコロニエに決定した。
コロニエ教会領に限らず、三つの選帝教会、あるいは中規模の教会領でも、大学、学院などは自国領域の者より他国出身者の方が多い。
ガラクライヒ王国も世俗王国としては格段の国際性を持ってはいたが、教会領とは比べるべくもない。
それは教皇領へ行った時、多種多様な国、民族がやってきていたことからもうかがい知ることができた。
受け入れる側も、慣れていることだろう。
加えて、ガラクライヒ王国とフネリック王国の間に挟まれているコロニエ教会領の母語は、両国と同じガラク語である。
イヴリンの学校生活、それをバックアップする第二王子夫妻。
この計画に沿って、準備が着々と進んでいく。
コロニエ教会領、及び留学予定の聖ヤコブ教会学院所属の文法学院初等部から留学の許可を得て、いざ、出発。
数名の護衛、大使邸書記官とともに、ディドリク個人の使用人も同行する。
メイドのリュカと、その夫で従僕のレムリック、そして二人の幼い娘ナネットも同行。
さらに、自由に動ける耳や目とするべく、ペトラにロガガも指名してついてこさせた。
もっとも二人が必要になるような、きなくさいことにはならないはずであったが。
滞在するのは駐コロニエ領大使公邸の館に隣接する住宅。
留学の話が決まってから早かったため、とりあえず手近な屋敷を買いあげた。
そこがイヴリン、ディドリク、アマーリア、そしてリュカの一家の生活の場となるのだ。
離宮に比べるとはるかに手狭ではあるが、この少人数ならば問題はあるまい。
王家の兄妹には二階と三階にそれぞれ一間ずつ私室を割り当て、荷物を運ぶ間、ディドリクは大使リュゲリッツの元へ挨拶に行く。
「殿下、急な話でいささか驚きました」
リュゲリッツは外交省OBの老人で、本国の王城でも何度か一緒に仕事をしたこともある、旧知の間柄。
「突然のことですまない。名目上は僕が大使になるけど、仕事も報酬も立場も今までと同じだと思ってほしい」
とにこやかに握手する。
「いえいえ、王子様、老齢ゆえもう引退したく思っておりました。仕事の引継ぎを済ませて本国へ帰らせてもらおうかと」
「そんなことを言わず、ぜひもう少し、力を貸してください」
ディドリクは握手した手に力を込めて、お願いする。
「いやあ、困りましたなぁ」
と言いつつ、リュゲリッツも笑いながら、返している。
「わかりました。この老骨、最後のお勤めをさせていただきます」
と言って、今度はリュゲリッツの方から、力強く握り返してきた。
屋敷に戻ると、アマーリアとイヴリンが一緒に部屋のもようがえをしている。
家具を運び込んだ使用人たちに、テキパキとその配置を指示するイヴリン。
アマーリアはリュカやその他の使用人と同じようにイヴリンの指示に従っている。
最年少のイヴリンが全てを取り仕切っているように見えた。
だが、ここはアマーリアの部屋だった。
「お兄様」
ディドリクの姿を見つけると、ポテポテとアマーリアが走ってくる。
「だいたい片付いたみたいだね」
「みんな、イヴが取り仕切ってくれて」
と、少し恥ずかしそうな、嬉しそうな顔で状況を語ってくれた。
すると二人に気づいたイヴリンもまたトコトコと走ってきて、
「どう? お兄様。アマーリア姉様の部屋も私が飾らせてもらったわ!」
「私は質素なままでも良かったんだけど」
「だめよ! 姉様。私たちはフネリック王国の顔なんだから。いつなんどき来客があるかわかりません」
と、力強く胸を張って答えるイヴリン。
部屋は桜色の壁紙を中心にして、扉奥にクローゼットと寝台、窓際に磨かれた書机が配置され、椅子やソファもその書机を中心に配置されている。
「兄様の部屋も飾ってみたの!」
と、恐ろしいことを言い始めたので、こわごわと自分用の書斎にあてられた部屋を覗いてみた。
こちらは淡い水色を基調にして、ところどころに濃い紺のポイントが入った壁紙、そして真っ白な書机、木目のわかる床と絨毯。
だが、その壁紙に描かれた伝説の古竜と戦う勇者の絵を見て、
うっ、と声が詰まってしまった。
「イヴ、こういう派手なのはいいから」
「ええーっ」
イヴが不満そうな声を上げる。
「諸国を旅して悪いやつらをやっつけたお兄様の部屋、その装飾にはピッタリだと思うんだけどなぁ」
いったいどういうセンスだ、と思いながらも、ディドリクは苦笑い。
「イヴ、ここはぼくだけじゃなくて、エルガも住むんだよ」
「あっ」
と言って、口を押さえるイヴリン。
どうやら全然考えてなかったようである。
「まあまあ、良いじゃありませんか」
と後ろからエルガが近寄ってくる。
「三階の寝室の方はまだ手が入ってませんし、私がお仕事の邪魔をしにくることもありませんから」
しゅん、と萎れているイヴリンの傍らに寄って
「それにここに永住するわけじゃありません。留学するイヴちゃんの気持ちの良いようにさせてあげるのもよろしいのではないでしょうか」
そう言って、イヴリンの肩に手をかけると
「エルガ姉様!」
と、くるっと振り向いて、エルガに抱き着くのだった。
移動初日が慌ただしく終わり、夕暮れ。
夕食をとり、それぞれが明日への想いを抱きしめて、就寝する。
だがディドリクはその時、夢の中で「大きな決断」を求められる予知夢を見た。
目が覚めた後も、何か不安を掻き立てる、それでいて何か崇高な気持ちになっている自分を発見し、わけがわからなくなった。
それでいて、具体的に「何を」見たのか思い出せない。
傍らで眠る新妻の顔を眺めながら、
(結婚生活の不安なのかな?)
と無理に納得させようとした。
朝食のために、階下に降りていくと、アマーリアが既に起床していた。
まだ起きている者は少なく、メイドたちが朝食の準備中である。
アマーリアは兄同様に何か沈んだ表情をしている。
「アマーリア...」
ディドリクが妹の髪に触れると、顔を起こして、兄を見つめる。
「わけのわからない、不安な夢を見ました」
「僕もだ」
その夢をどう解釈するべきか、わからぬまま沈黙が続く。
やがて家人が起き出してきて、朝食となった。