【十一】 諸国の思惑
その前夜、宿営地に戻ったヴァルターがヘルベルト国王から呼び出しを受ける。
国王居室に向かうと、早々にコンコツ族との戦いについて説明を求められた。
「コンコツ族の『塔の巨人』はなんとか撃退できたものの、操り慣れている印象でした。帝都軍が出してきた金属の巨人はギミックを仕込んでいたのが特徴でしたが、練度という点ではコンコツ族の方が優っていたかと。しかしそれ以上に...」
ここで言葉を切って考えこむような姿勢を見せたので、父王は次を促した。
「ディドリクが使った『法術』という魔術、私はまだ見たこともありませんでした」
ディドリクは法術の思想や原理を古式文法家以外には語っていないため、何度かともに戦ったヴァルターでさえ、魔術の一種、と解釈していた。
「なるほど、小国の、しかも我らの身内であるからと言って、侮るなかれ、用心が肝要、と言うことでもあるか」
ヘルベルト国王のこの言葉を聞いて、ヴァルターが抗議する。
「ディドリクは我々に対して敵意は持っていません。今のみならず、未来においても」
「ずいぶん心を動かされたようだな」
ヘルベルトは濃紺の瞳の奥に、青い焔をきらめかせる。
「まあ俺だって、妹の子だ。他国人ではあるが、争いたくはない」
ディドリクとアマーリアの母マレーネは、ノルドハイムから嫁いできた、当時まだ王太子だったヘルベルトの実妹だ。
政略結婚ではあったが、これにより、フネリック王国がはるかに格上のノルドハイム王国に対して敵意など抱くことはない。
「だがそれでも、為政者たるもの、万一については考えておかなくてはならぬ」
そう言って、ヴァルターに次の指示を与える。
「なんらかの道筋はついたようだし、俺は明日にでも帰国する。後の指揮は、お前とジークリンデでやれ」
「姉上はまだ帝都に?」
「うむ、しかし間もなくこちらに合流する」
そう言って、名目上全軍の指揮権はジークリンデが、空陣隊は引き続きヴァルターが率いるよう命令を下した。
オストリンデ王国陣営。
この副都においても、オストリンデ王国は他の遠征軍と同様、宿営地を設けていた。
首都が落とされ、王族以下、宮城を捨てて避難してきたため、副都にある別離宮だけでは手狭過ぎたのだ。
王族は別離宮に残っている者が大半だが、王太子フョードル・ニコラエヴィチ・グラヴィヨフはグロッパ将軍やストロチナ女侯らとともに、この宿営地で寝泊まりしていた。
「そうか、戦況はようやく好転しつつあるのか」
そう言ってフョードル王太子は、グロッパ将軍を出迎えた。
宿営地に設けられた、作戦参謀室。
そこに戻ってきたグロッパ、ストロチナらから報告を聞いていたところだ。
「いえ、まだ楽観は禁物です。なんとか進撃を食い止めた程度ですから」
「一日も早く我らが麗しの都ペトロニツキに戻りたいものだのう」
このところ、激務と戦況の悪化で顔からどんどん血色がひいていった王太子の、久々の緩んだ表情である。
「帝国の援軍は強力です。特にあのフネリックから来た少年魔術師と、帝都瑠璃宮の金属巨人」
とグロッパ将軍が言うと、ストロチナも続けて
「そうね、見たこともない術だったわ。悔しいことに我が魔法兵団だけではあの巨怪を追い返すことはできなかったでしょう」
王太子がそれを受けて
「なるほど。他国がそんな強力な武器を持っている、ということも用心しておかなくてはいけない、ということかな」
「もちろん私どもの書記官が、できる限り詳細に記録をつけております」
とグロッパ将軍。
連携して外敵と戦いつつも、戦後のことも視野にいれる各国であった。
帝国軍中枢、マクティミウス陣営。
ディドリクと会談した後、4人の法術師たちは、マクティミウス元帥の元へ出向いた。
帝都作戦会議に呼び出された4人の法術師は、マクティミウス元帥からさっそく労いの言葉を受けた。
「おお、よくおいでいただいた、マーブリアン猊下」
帝国軍の宿営地は、他の三大国や遠征諸国の陣営に比べていささか古めかしい貴族屋敷だったが、その客間で元帥将軍自らが出迎えた。
法術師として呼ばれたものの、身分としてはここでは最上位の教皇代理である。
マーブリアンにも、最大限の礼を尽くそうとしている。
いくつか事務的な会話をした後、次の戦いからはこの四人が前線に出ることを約束する。
そのため、各国の編成、異教徒達の情勢などが伝えられる。
それらの会話をしながら、メルトンは眼前の相手がゲムとはそれほど強くつながっていないとを察知する。
かつてかれらの師であるケルティーニ師が、瑠璃宮で策動する怪しげな動きは、帝都の皇帝一族とは別に、独自の動きをしているようだ、と言っていたことがある。
マクティミウスは皇帝の弟だが、見るからに武骨な軍人で、とても策略の中に生きる政治家には見えなかった。
(我々の背後にはジュードニア王国、及び教会領がいる。いかに帝都瑠璃宮とて、我々に手は出せまい)
マクティミウスとマーブリアンが軍議を重ねる間、そう考えていた。
軍議を終えて、ジュードニア王国が提供してくれている宿舎へ戻ろうとしたとき、メルトンが異様な気配を感じる。
屋敷の玄関口で、教皇代理と目配せをする。
「マーブリアン」
「うむ、わかっている」
マーブリアンも小声でメルトンに答え、平静を装いつつ、宿舎へと戻っていった。
ジュードニア王国が提供し、名目上は教皇領公邸となっている宿舎に戻った一行は、旅装を解くや、話しこむ。
軍議やディドリクとの面会はそっちのけで、帝都宿営地で感じた気配について話しあう。
「白い少女が来ているのか?」
開口一番、メルトンが切り出す。
「白い少女?」
「あなたが言われていた、女性の法術師です」
ランベル博士の問いに、メルトンが答える。
「白い少女に会ったことがあるのは、ケルティーニ師とあの兄妹だけだ」
マーブリアンも感じていたのだが、断定はまだ早い、という結論だった。
「しかし、なぜ? 師の話によると、白い少女は帝都を出ることはない、ということだったが」
コロルが疑問をぶつける。
「ディドリクの話によると、白い少女シシュリーは帝都側に正体を隠しているとのことだったが、もうその必要がなくなったのか?」
マーブリアンも、明らかに感じた、ここにいるはずのない『もう一人の法術師』について、考えている。
「ことはそう簡単ではない。白い少女が帝都の暗殺隊と、なんらかの点で協力しているとすれば」
メルトンが呟くように続ける。
「別の意図があるのかもしれないが、我々に危害が及ぶ可能性がある。警戒はしておかなくては」
この言葉に、一同、深く頷いた。
教皇領からの法術師達と軍議をしたのち、マクティミウス元帥は客間裏の控室へ戻った。
そこには以前からずっとこの危機を訴え、オストリンデ王国に大使格として逗留していたフィーコが待っていた。
元帥はフィーコにも同席を求めたのだが、やんわりと断られていた。
しかし会談そのものは聞いていたようで、元帥に労いの言葉をかけた。
元帥はそれに応えて頷いたが、控室には別の人間も到着していた。
「これは枢密顧問官殿、こちらにおいでとは知りませんでした」
部屋の片隅で簡易椅子に腰かけていた長身痩躯の男に気づいた。
表向きは枢密顧問官、実体は瑠璃宮五芒星第一席ヌルルスである。
「いえ、おかまいなく。今回はゲム閣下の密命ゆえ、挨拶が遅れましたこと、失礼しました」
と語った。
マクティミウスが簡単な記録調書をしたためた後、退室。
部屋にはヌルルスとフィーコが残った。
「まさかあなた自ら来られるとは思いませんでした」
フィーコがこう言うと、ヌルルスが密命だ、と言うことを強調しつつ、
「おまえが対異教徒で動けないことは承知している。そこで私がこの機会に、法術師どもと対決する」
簡易椅子に腰かけ、魔法杖に上体を預けながら、静かに語った。
「何人か連れてきている。顔を見せておくので、お前は知らぬふりをして、対異教徒にあたれ」
そう言って、指を鳴らすと、数名の男女が入ってきた。
そう言われてフィーコがその顔を見ていると、途中でハッとして視点が動かなくなる。
「シシュリー? なんであなたまで」
「こいつの鬼眼はあてになる」
シシュリーが口を開くより早く、シシュリーを手で制してヌルルスが答えた。
「ケパロスまでやられたとなると、片手間ですることではなくなってしまった。法術師を滅ぼすこと、これがはるかに重大になってきている」
「わかりました。僕は、見て見ぬふり、と言うことでよろしいですね?」
「そういうことだ。ゲム閣下は帝都による暗殺ではないということにしておきたいらしいからな」
こう言ったのち、シシュリー以下の面々がフィーコに挨拶を交わした。
「シシュリー以外は五芒星の欠員候補に考えていた面々だ」
とヌルルスは言ったものの、フィーコには今一つその強さが感じられなかった。
ただ一人、底知れぬ力を感じさせる童女シシュリーを除いては。
フネリック王国宿舎。
マーブリアン達を送り出した後、ディドリクは出撃に備えて待機していた。
そんな中、ディドリクの部屋にいたアマーリアもまたある異変を感じていた。
「兄様、強い力が西から来ます」
待機していた部屋、その扉口に立っていたアマーリアは、とことこと小走りに走り寄って、兄の傍らに立つ。
力を出すためのいつもの姿勢、頭をつけて右の耳を左胸に押し当てる。
その心音によって、観測術理が発動される。
「誰だ?」
兄の問いには答えず、しばらくの間集中するが、ほどなくして口を開く。
「白い少女、だと思います」
ディドリクも妹が感じたその波長をとらえ、同様の感覚を得る。
「シシュリーが、ここに来ている?」
そして得体の知れぬ不安が二人を包んでいく。
境界線の東側、異教徒コンコツ族の陣営。
こちらも、これまで無敵の進撃を続けていたその原動力、塔の巨人が倒されて、ひどく動揺していた。
牛の頭蓋骨を被り、熊皮のマントに身を包んだ大男が立ち上がり、民衆の動揺を鎮めていた。
その後ろで黒や赤のローブを来た一群が、今後のことを話しあっていた。
「向こうにも巨人がいたのか」
演説を打っている男同様、この人物も牛骨を兜のようにしてかぶり、各リーダー格の意見を取りまとめていた。
「負けたわけではありません」
傍らにいた、やや小柄な男、彼は牛骨はかぶっていないが、リーダー格同様、黒い髭まみれの若い男が、弁明するように言う。
「そうだな、帝国の巨人とは互角以上だった」
リーダー格の男がこう言うと、赤いローブの女が
「後ろで見ていましたが、私どもはあの巨人よりも、最後に出てきたあの奇っ怪な魔術の方が脅威でした」
「ベキタルイ、お前たちならなんとかできるか?」
「正体がわかりませんので、なんとも」
ベキタルイと呼ばれた女が答える。
「シャグイ、魔術の正体がわからなくても、術者を攻撃するのは有効なのではないか? 我々がやられたように」
シャグイと呼ばれたリーダー格の男が、その声を受けてベキタルイに問う。
「どうかな、やってくれんか。我々の巨人術では、ピンポイントでの攻撃は難しい」
「やれ、と言われればやってみますが、正直あまり自信がありません」
ベキタルイの言葉を聞いて、少し離れたところに座っていた暗いカーキ色のローブを着た若い男が言う。
「ベキタルイ殿の言葉とは思えぬ気弱さですな」
「あの魔術は見たことがない。帝国北方の攻撃的な魔術や、南方の暗器を使った術、あるいは幻術や、西方の死霊術とも違う」
ベキタルイはこう答えるが、話しているうちに、だんだんとやる気になってきたみたいである。
「何人か連れて潜入してみよう。ところでシャグイ、食い物の方は大丈夫なのか」
突如話題を替えられたが、シャグイは冷静に語る。
「まだ数日なら持つだろう。首都の食糧庫を抑えたからな」
そう言って、恐らくそこから奪ってきたのだろう、手に持った干し肉にかぶりつき、尖った犬歯で切り裂いた。
ベキタルイが音もなく立ち上がると、それに続いて何人かの男女が立ち上がる。
皆一様に赤のローブに身をまとっている。
「では」
こう言って、赤の魔術師達が出ていく。
それを見送ったあと、この一群の中ではほとんど身に着けていない先ほどのカーキ色のローブの男が静かに言う。
「私たちも少し調べてみます。あの光術は、我々の方に記録があったような気がしますので」
「そうか、ジュルティ、お前もベキタルイを手伝ってやってくれ」
「わかりました。調べたのち、追いかけて合流します」
ジュルティと呼ばれたその若い男も退出していった。
赤の魔術師とジョルティが出ていったあと、シャグイがやせ細った顔の老人に語り掛ける。
「フンバイ、明日もう一度しかけるぞ」
「昨日死にそこねたからの。明日は死ぬ気でやるよ」
フンバイと呼ばれたその痩身の老人は、暗い瞳でニヤリと笑った。
各国、各陣営の思惑をはらみながら、次の日になろうとしていた。