【四】 この娘は愛されていない
ガイゼルの成人式、及び王太子の任命式が終わってのちのある日。
研究科でディドリクは自身の研究と平行して、領土の地勢などを調べていた。
呪いをかけた者が国内の可能性、国外の可能性等を考えてのことである。
その日も朝から情報をまとめ、国内の塩土や森林地帯について調べた後、帰宅すると、何やら屋敷があわただしい。
馬車を馬場に預けたあと、玄関口に来ると、メイドのリュカとヴィヴィアナが出迎える。
「若、陛下がお見えですよ」と嬉しそうに告げる。
はて? と思いながらも玄関わきの応接間に入ると、家族全員がそろっていた。
中央にエルメネリヒ王、それを取り囲むように三人の妃と弟妹たち、ガイゼル、メシューゼラ、アマーリアに、幼いイヴリンまで。
イヴリンはパオラに抱かれていたが、他の面々は軽く着飾っている。
メシューゼラが一歩前に踏み出して
「ディー兄さま、お誕生日おめでとう!」と言って、花束を差し出してくる。
「え?」と言って、ガイゼルを見ると、
「いや、ディーから『誕生日とか、そういうのは要らない』って聞いてたことを伝えたんだけどね」と苦笑い。
「そんなのダメよ!」と激しくメシューゼラが遮って、
「ガイ兄様のは王太子の式とかあったので盛大になっちゃったけど、あれほどのことはできないにしても、私たち兄妹も祝いあうべきだわ!」
ディドリクが母の方に目を向けて
「陛下にもこういう大げさなのはいい、と伝えたはずなんですが」と言うと、
「それがそのつもりで、内々に家族だけで、というつもりだったのだけど、ガイゼル様とメシューゼラ様が来て...」
「兄上!」とディドリクがガイゼルに再び視線を移す。
するとガイゼルも
「いやまぁ、私もゼラの意見がもっともだと思って」ともごもご言葉を濁す。
「まぁ、いいではないか」と父王。
「皆、おまえの誕生日を祝いたかったのだから」
少し間をおいて、ディドリクが謝辞を述べて、にっこり微笑む。
「いえ、もちろん、嬉しいです、みんな、ありがとう」と。
心なしか、その目元が湿っているように見えた。
応接間と言っても、それでも離宮内である。
隣接する第2の客間とつなげるとそこそこの広間になり、皆でディドリクに祝辞を述べたり、食事をとったりしている。
「にーさま」と小さな声で、アマーリアが寄ってきたので、左肩に抱き上げてやると、不安そうな顔から、笑顔に変わる。
「アマーリアもありがと」と言うと、頬に頬を寄せてくる。
父王がやってきて、言う
「ディドリク、すまないが政務があるため、これで戻る。しかしおまえを祝えて嬉しかったぞ」と言い、帰り支度を始める。
「父上、来ていただいて、僕も嬉しいです」
「ガイゼルのこと、今後もお願いね」と耳打ちした正妃とともに帰っていった。
応接間に戻ると、メシューゼラが腕をとって引っ張っていく。
「イヴ、ディー兄さまに、挨拶なさい」と、パオラの腕に抱かれている末の姫君のところに連れていく。
腕から降ろされたイヴは、まだあぶなっかしげな足で立ち、
「ディー兄さま、おめれとうおざいます」と舌足らずな声で、祝う。
「ありがとう、イヴ」と言って、ディドリクもイヴの頭をなでる。
母、姉、同様、きれいな赤毛である。
「ディー、あらためて、11歳の誕生日、おめでとう」とガイゼル。
「いつか、ちゃんと礼を言いたかったし、こういう場をもうけてくれたゼラには感謝だな」と言うと、
「礼?」
とディドリクがきょとんとすると、ガイゼルが耳元で
「解呪のこと。まだ公にできないからね」と告げた。
「僕の方でも伝えたいことがありますので、またあとで」とディドリク。
そして振り返ってみると、ディドリクの誕生日祝いだったが、すっかりメシューゼラが中心になっていた。
ディドリクがアマーリアの元へ戻り、
「アマーリアもお誕生日にはお祝いしてあげるよ」と伝えると、嬉しそうにしがみついてくる。
ところがそれを聞いてメシューゼラが詰め寄ってきた。
「ディー兄さま、ひどい! アマーリアの前に私の誕生日じゃない」
「あ、いや、もちろん、ゼラも」と言うが、
「ひょっとしてディー兄さま、私の誕生日を覚えてくれてないの?」とさらに追撃。
後ろにいたガイゼルが面白そうに、クッ、クッ、と口を押さえている。
「いやー、私もさっき、問い詰められたんだよ」
「兄さま、二人とも、ほんと、ひどい。一か月後なんだから!」
ふんっ、と反り返るメシューゼラ、和やかな中、周囲に笑みが流れていく。
「ごめんごめん、ゼラ、必ずお祝いするよ」とディドリクが言って、その場は収まった。
ディドリクはおしゃべりの渦中にいたメシューゼラから少し離れて、メシューゼラの母パオラの元へ行く。
「パオラ様、少しよろしいですか」
「ディドリク様、娘が失礼しました」と言うも、顔はほころんでいる。
衣服は黄と緑を主にカジュアルにまとめているが、豪華な赤毛が強い印象を与えている。
メシューゼラが「炎のよう」と形容した髪は、頭部から放たれ、肩口に流れていく。
その豊かな髪の量が、まさに燃え上がる炎のようであった。
「あれがメシューゼラの可愛いところじゃないですか」と受け流す。
そして少し声を潜めて、
「パオラ様の郷里について、少しお伺いしたいことがございますので、後日、いろいろ教えていただけますでしょうか」
「まぁ」とパオラは目を輝かせる。
「私共のところへ来ていただける、ということですね、ゼラも喜びます」
自分の名前が出たことに気づいたメシューゼラが、飛ぶように会話に入ってくる。
「ディー兄さま、わたくしの離宮に来てくださるのですか!」と、母の前では敬語になるメシューゼラだった。
「ええ、少しパオラ様に教えていただきたいことがありまして」
「嬉しい! 歓待しますわ、ディー兄様」
「少し調べものをしておりますので、急ではございますが、明後日、いかがでしょうか」とディドリクが伝えると、赤毛の母娘は快諾した。
先のガイゼルの成人式には及ばなかったものの、血族によるディドリクの誕生日祝いは、優しい空気の中で終わった。
その夜、来客が帰ったあと、メイドたちが後片付けをする中、ディドリクは寝室に戻り、いくつか調べものをしていた。
やがてその後片付けも終わり、泊りのメイドたちは寮に戻り、通いのメイドたちも帰っていく。
しん、とした闇の中、寝室の書机で、ろうそくの光の中、ディドリクが古典文法の書籍を眺めていた。
静けさが耳に痛くなるような、そんな騒ぎの後の夜。
燭台の灯がほのかに揺れ、寝室の外に誰かが立っているのがわかった。
「にいさま」と、か細い声がドアの外に聞こえる。
ドアのところに行くと、幼い妹が枕を抱えて立っていた。
その姿を見て、少し驚いたディドリクが「どうした?」と尋ねると、
「あの…あの…一緒にいてもいい?」と、消え入りそうな声で聞いてくる。
「おはいり」と部屋の中に入れたディドリクは、寝台の縁にアマーリアを座らせる。
その横に腰かけると、アマーリアが、腕をつかみながら、
「静かで...怖いの」と震えるように言う。
母さまは?と尋ねると、もう寝た、と言う。
泊まり込みの使用人たちも既に寝所についている頃。
「母さまは、私がいろいろ聞くと、おイヤみたい...」
ディドリクは幼い妹のこぼした言葉に、ハッとなる。
確かに母は、自分にはいろいろ気を使ってくれる。
学院のこと、研究科のこと、父や兄との関係などいろいろ聞くし、心配もしてくれる。
しかし、アマーリアに話しかけている様子はついぞ見たことがなかった。
継承権を持つ男児を産むことに情熱をかけていた母。
しかし第二子、第三子は病に倒れる。
まだそれが何者かによる「呪い」であることは伝えていない。
そしておそらく最後の子になるかもしれない、と思ったのが、期待に反して継承権を持たない女児だった。
妹との温度差は、うすうす感じていたが、妹本人は、既に直感的に感じていたのだった。
(この娘は...愛されていない?)
アマーリアがしゃべることばも、メイドや兄のしゃべることばに影響されていることが多い。
母からのことばをまねているのを聞いたことがなかった。
「おいで」
ディドリクはろうそくを吹き消して、妹を自分のベッドに招く。
「今日は僕と一緒に眠ろう」
つらそうな、悲しそうな顔をしていた幼い妹の顔が、明るくなった。
兄の左側に横たわり、頭を兄の左胸につける。
ディドリクは左側に妹の頭を抱えるようにして横になり、
「深くもぐると、息ができなくなるよ」と言うが、
「兄さまの心臓の音」と言い、そのまま眠りについた。
ディドリクが髪を、そして頬から首筋を優しくなでる。
頸動脈の脈動を聞き、ディドリク自身も、胸の中で何かがキラキラ輝いているような感覚になる。
あの洞窟の博士から講義を聞いた時、妹が生まれたとき、そして解呪を行って倒れてしまった時。
似たような感覚に襲われたことがあった。
そんなことを意識しながら、ディドリクもまた眠りについていく。