【二十】 白い道
「何をいまさら」
「だとしたらケパロス伯、どうか降参していただけませんか。」
(なんだって?)
と言うような顔をしたケパロス伯に対して、ディドリクが提案をする。
「五芒星第二席のパトルロ氏は、自らの館で降参してくれました」
「たいそうな自信だな。勝負はついている、とでも言いたげだな」
そう言うと、ケパロスの目に闘志が戻ってきたようだった。
「そもそもお前らは我々と対決するために母国を出てきたのだろう。そんな言葉が信用できるか」
「いえ、僕たちの仇敵であるノトラは滅びましたし、僕たちの目的も、暗殺隊の無力化にあるので、戦わなくてすむのならそれに越したことはありません」
この申し出がケパロスにとってはすこぶる意外だったのだろう、しばらく考えた後に次の言葉を出した。
「生憎だったな。お前にもう戦う意味が薄れていても、我々には『法術師を倒す』という目的がある。それに...」
ここで言葉を切って、ケパロスがニヤリと笑った。
「魔術師として、死霊術師として、法術家と戦いたい、という気持ちは本当だぜ」
どうやら、ディドリクの降伏勧告は、ケバロスの戦意に火をつけてしまったらしい。
広間にはいくつか扉があり、その扉がゆっくりと開き始める。
現れた異形の戦士たち。
甲冑を身にまとい、完全装備した重騎士、軽装で動きやすい細身の剣を持つ戦士、チェーンを振り回しながら隙を伺う男、槍を構える男、など。
総勢6人ほどの戦闘員が出てきたが、一様に顔色が浅黒く、死体が動いていることを思わせた。
死体を操り、時に乗り移る死霊術。
しかしその動作を見ている限り、どれもこれも俊敏そうで、ネキシントンのゆったりとした死体の群れとは異なっていた。
おそらくこのケパロス伯の死霊術は、死体を群れのように扱うのではなく、数を減らして一体毎の戦闘性能を引き上げているのだろう。
しかし強く速い剣士を出すのは通常一体か、せいぜい二体。
それを六体も出してきて、それぞれ別の動き。
人形遣いの男と同様、数多くの手駒を個別に操れる、このケパロス伯も類稀なる術師と見ていいのだろう。
しかもケパロスはマントで身を包み、四肢の動きをまったく見せていない。
自らの術だけで、この六体を操っているのだ。
(強い)
死体の襲撃が開始される前から、ディドリクは直感していた。
『通常であれば、法術師が魔術師や妖術師に負けるわけがない』
第十四世の言葉が頭にちらつくものの、この目の前にいる死霊術師は、これまで戦った魔術師とは様相を異にしている。
(つまりまだ僕が未熟だ、ということだ)
ディドリクはこの強敵を前にして、なぜか第十四世の言葉や意識が脳内を駆け巡っていた。
そしてその中から、ある答を見出す。
ディドリクがアマーリアを抱き寄せ、その頭部を左手で抱え、自分の胸に押し当てる。
兄に抱き留められたアマーリアは、右の耳でディドリクの鼓動に触れる。
ディドリクはさらに抱きしめるように、右手で妹の左の首筋を包み込んだ。
柔らかな肌の下から、頸動脈の鼓動が伝わる。
二人の鼓動が、一つに溶け合う。
六体のうち、四体の死体戦士が、剣を振り上げ斬りおろした。
しかし兄妹には届かない。
四本の剣は間違いなく二人のいた場所に振り下ろされ、二人はそこから動いた形跡もなく、映像は残っている。
アマーリアの頭を胸に抱きかかるようにして包み込む、ディドリクの姿。
(幻術?)...とペトラは思った。
(幻術? いや、違う)...とケパロスは考えた。
幻術のように見えるが、二人はそこから動いていない。
そもそも幻術だとして、なぜそこにまだ映像が残っているのか。
二人は、そこにいて、そこにいない?
アマーリアがディドリクと同調した時、周囲が白い闇に覆われた。
「兄様、何も見えません」
だがそれを見るディドリクが妙な顔をする。
アマーリアはしっかりと目を閉じていたのだ。
瞼を持ち上げなければ見えないよ、と言おうとして、それがアマーリアの意思によるのではないような気がした。
二人で一つの鼓動の元に同調させ、大きな力を得ている。
その代償なのだろうか。
ディドリク自身も瞼は開いているものの、何も見えない。
周囲は真っ白だ。
冬の天候が厳しい時、雪の中で何も見えなくなることがある。
そんな白さ、そんな闇だ。
しばらくして、二人は少しずつ周囲の状況が見え始めた。
依然として真っ白だが、そこはケパロス伯の城、その大広間。
影魔法によってやってきた、瑠璃宮五芒星第三席の根城。
その主は自分たちと対立し、今まさに死霊術を放ったところだ。
だがどうだろう。
白い闇の中で兄妹が見たのは、まったく動かない死体戦士、ケパロス伯、そしてペトラ。
いや、よく見ると動いている。
だがそれはゆっくりと、にすらならないくらいのかすかな動きで、一秒が24時間のようにさえ感じてしまうくらい、遅い速度。
鼓動の同調が起こった時、二人の中の力が一つになって循環しているのを感じていた。
ディドリクの力が、血流が、魂魄が、嵐となってアマーリアの中に流れ込み、アマーリアの命が、魂魄が、奔流となってディドリクの中に流れ込む。
二人は今、魂魄と命を共有している。
そして一つになった力が、真っ白に輝いて、二人の中に流れ込み、またあふれ出す。
この恐るべき強敵との戦いのさ中、法術の力が一つ、ヴァージョンアップしたのだ。
だがそれはまだ、卵からかえったばかりの姿、雛型にすぎない。
なぜならそれは一人の法術師としての力ではなく、二人でようやく一つの域に達しているにすぎないから。
溶け合った二つの力。二つの魂魄。
アマーリアの瞼が開き、徐々に周囲の情景に慣れていく。
すると自分たちの前に、より強い白色が、さながら道を作っているように開けているのが見えてきた。
兄の鼓動を聞き、自分の鼓動を兄に伝える。
幼い頃から、いや生まれた時から感じていた、鼓動との一体感。
呪いの空気が立ち込め、自分の兄達を殺していった、恐るべき魔女術の空気。
自分は男ではなかったので、その呪気は受けなかった。
だがまだ生まれる前に授けられた兄からの祝福は、この鼓動への一体感を生み出す力となったのではないのか。
至上の至福に身を焦がしながら、溶け合っていく力と命に、陶酔していた。
それゆえ、これはまだ「未熟」なのだろうか、とも考える。
確かに、単体として術をこなすこと、それが一人の術者の姿として高等なのだろう。
しかし、だからと言って今の状態が未熟だなどと言えるのだろうか。
全身を包む、痺れるような陶酔感。
この力は法術の力?
そうかもしれないけど、それ以上に、私たち二人の力だ。
ディドリクは愛しい妹を抱きしめながら、自分の前にある、白いかたまり、白い道を見る。
これがなぜ見えるのか。
頭の中で、その答えが鳴り響いている。
「天眼」
これが天眼なのだ、と。
天眼が法術師に現れたとはどういうことなのか。
南方のジュードニアで、教皇領で聞いたように思うが、思い出せない。
今まさに、自分達兄妹は天眼を得、なにかに向かっている。
ペトラは、そこにあってそこにない、不思議な存在感を示すその兄妹を見つめていた。
違う世界、違う空間に立っているような姿。
ケパロスの方はもう少し深く見ていた。
つまり、これが法術の力なのだ、と。
ゲムが恐れ、シシュリーがよくわからない示唆を与えていたこと。
それらがここに繋がっているのか、と。
攻撃をしなくては。
そう考えた瞬間、ケパロスの意識が消えた。
白い光がケパロスと死体戦士を包む。
「白」を受けて、死体戦士も止まる。
何かが起こった。
ペトラはそう直感したものの、その何かがわからない。
今、とてつもなく恐ろしいことが行われた。
しかし具体的にわからない。
ペトラが死体に近づくと、それは塩になっていた。
ヒトの形をしていたが、やがてサラサラと崩れ落ち、塩の小山になる。
ケパロスだったものを見ると、それは磨かれた石のようになっている。
やがてヒビが入り、小石のかたまりとなり、砂になる。
ペトラは夢を見ているような、幻覚を見せられているような、わけのわからない感覚になり、尻もちをついてしまった。
ディドリクとアマーリアは?
まだそこに姿はあるが、同時に、ここにいてここにいない、何か舞台の芝居を見ているような感覚になる。
そう言えば、かつての主人シシュリーが遠くへ連絡をするとき、こんな感じになったことがあった、と思い出すが、この兄妹のありようは、それ以上の奇怪さ。
だがやがて、ペトラは尻に振動を感じる。
屋敷が、崩れようとしているのだ。
這うようにして、ペトラはこの屋敷から逃げ出す。
今の主人の動向も気になるが、自分一人でさえ逃げられるかどうかわからない。
影魔法も使えなくなっている。
そんな中で、ペトラはようやく屋敷の外へ出た。
振り返ると、屋敷が、ケパロスの城が、あの死体戦士やケパロス伯と同じように、無機物か何かのようになって、固まり、ひび割れ、崩れていく。
ディドリクは、アマーリアは、どうなったのか。
声を出そうとして出せないペトラは、その崩壊を眺めているだけだった。
ディドリクとアマーリアは、白い塊が絨毯のように敷き詰められた中を歩いていく。
ここはどこなのか、どこに繋がっているのか。
夢の中の道をあてどなくトボトボと歩いている、そんな感覚。
だが、その道は目的地に到達しない。
いつまでも、いつまでも。