【十九】 幻韻術
金属人形の操縦者を発見できないクレエムヒルトは焦っていた。
周囲を見ると、人形勢におされて疲労の色が濃い。索敵を続けるクレエムヒルトを守るように戦っていたメシューゼラがフラフラし始めている。
他の者も防戦一方の状態。
かろうじてヴァルターだけが一体ずつ人形を倒してはいるものの、一体倒しても二体出てくるような状況で、終りが見えない。
ひょっとして人形に感覚器がとりつけられたのだろうか、と思い、索敵をあきらめて、人形の観察に切り替えた。
クレエムヒルトを守る空陣隊の騎士たちも、徐々におされていく。
人形を観察しても、感覚器がとりつけられているようすはない。
絶望的な気分になりかけたとき、金属人形以外のものが数体目についた。
人形の周囲に、羽根を取り付けた昆虫状の人形が飛び回っている。
だがそれは攻撃するでもなく、人形の周囲を飛んでいるだけ。
よく見ると、常に人形の背後に回るように飛び、頭部をこちらに向けている。
もしや、と思い、その昆虫人形に氷弾を飛ばしてみる。
昆虫人形はよけるでもなく、あっさりと撃ち落とされる。
同時に、ヘドヴィヒに向き合っていた金属人形の動きが止まる。
ヘドヴィヒがそれを見て体当たり。
一体だけだが、その金属人形は後方に吹っ飛ばされた。
「お嬢? 今こいつの動きが一瞬止まったようだったけど」
ヘドヴィヒが振り返ると、クレエムヒルトは満面の笑み。
「そのぶんぶん飛んでいる蠅みたいなのが、人形の目よ」
その情報が持つ意味は一瞬のうちにヘドヴィヒに伝わる。
「わかった!」と叫んで、ヘドヴィヒは攻撃の対象を金属人形から昆虫人形へと切り替えて、氷弾を放った。
次々と撃ち落とされていく昆虫人形。
同時に金属人形の動きも、止まったり、見当違いのところをうろうろ歩き回ったりし始める。
動きの鈍った人形を、ヴァルターがまとめて砕いていく。
形勢が一挙に動き、金属人形は攻撃力を失った。
「勝った」
メシューゼラがこう漏らしたその時、小さな羽虫のような音が聞こえた。
既に金属人形との戦いのさ中から鳴っていたのだが、消耗戦のような戦になってしまっていたため、気づかなかった。
それがここに来てようやく、メシューゼラの耳に聞こえてきた。
「なに...?」
すると視界が急に歪み始める。
大地がゆっくりと動き始めた。
同時に、聞こえていた小さな持続音が耳の中でどんどん大きくなっていく。
やがて音は頭の中で響き渡り、まともな思考ができないほどに広がっていく。
「あ...あ...がっ...」
頭の中で音が暴れている。
決して大きな音ではない。しかし耳を塞いでいても、頭の中の音がはねまわっているようで、どんどん重くなってくる、
メシューゼラだけでなく、ヘドヴィヒ、ズデーデンシーバー、フリューダイク、クレーベル、コーベルイと、次々と頭を抱えて倒れていく。
クレエムヒルトも頭を抱えて、いままさに倒れようとしている。
「これは...なに?」
ただの羽虫のような、しかしそれでいて、頭の中で何者かが暴れまわっているような、不思議な、小さな音。
その音が頭を、全身を支配しようしている。
あまりの苦悩に、メシューゼラが、空陣隊の騎士たちが次々と失神して、倒れていく。
「へっへっ」
木陰の中から、金属人形に似せた金属のヘルメットを脱ぎ捨ててヴラッシェルスが現われる。
「パーヴェルスが作ってくれたチャンス、うまく生きたな」
こう言いながら、懐から細身の長剣を抜き、失神して倒れているメシューゼラ達の元に近づく。
「この前戦った時には見なかった顔もいるが、まあいい。とどめをさしておくか」
メシューゼラの髪をつかみ、首筋を露出させ、頸動脈を長剣で切り裂こうとしたその時。
パシィッ。
長剣を持つ手に冷たく痛い氷がぶつかりヴラッシェルスは剣を落とした。
「その赤髪の美姫を失うのは、人類の損失だとは思わんのかね、きみは」
破壊された函車の影から、ヴァルターが頭を抱えながら、ゆっくりと立ち上がった。
「こりゃ驚いた、儂の幻韻術をくらって平気なやつがいたとはな」
メシューゼラを投げ捨て、ヴラッシェルスは長剣を構え、ヴァルターと向き合った。
「幻韻術...幻術の一種か。視覚や嗅覚をたぶらかす術はよく見たが、聴覚にはたらきかける幻術は初めて見たぞ」
フラフラと立ち上がるヴァルターだったが、ヴラッシェルスの幻術が効かなかったわけではなく、他の騎士たちとは魔力量がけた違いに違うため、それで失神までには至らなかっただけだ。
そうとうダメージをくらってはいたのだが、北方でも一二を争う魔術戦士ゆえ、ここでもなんとかなるのでは、という気概を見せている。
一方ヴラッシェルスの方も、ふらつくヴァルターを見て勝機があるかもしれない、と思い、この魔術戦士との戦いに臨む。
「この状態なら、勝てる可能性があるな」
そして、再び幻韻術を発動させようとしていた。
一方、ディドリクと向き合うようにして現れたケパロス伯。
「ほとんど不死身のネキシントンを、魂魄転移を封じて焼き殺すとは、なかなか見事だな」
その姿を見て、ディトリクは二人に自分の影に入るように指示する。
(こいつがネキシントンと同じ死霊術師なら、同じ法術が通じるかもしれない)
そう考えて、アマーリアに念話で詠唱を開始させる。
ディドリクの背中を守るような形で、後ろについていたペトラは、ディドリクとケパロスが向き合った時から、既に詠唱が始まっていたことを悟る。
すると間もなく、周囲から白い手が地面より浮き上がり、三人をとらえようと包みこむ。
ディドリクもアマーリアも、これを振り払うそぶりも見せず、この無数の白い手につかまれたままだ。
ペトラはこの白い手をふりほどこうとするが、ダガーを持つ腕そのものを抑えられてしまう。
次々と群がるその白い手が、三人の頭を押さえようと上に伸びてきた時。
法術兄妹の詠唱が完了し、発動式が発せられる。
「魅圏!」
「拡大!」
三人の頭を押さえようとする白い手が震えながらに上昇を止め、地面に戻っていく。
続いて、最初の発動式を宣言したディドリクを中心にして、ある魔的な力の波が広がっていく。
自身の勢力圏を魔術的に構築し、そこへ侵入しようとする別の奇跡の術を追い返す力、魅圏。
それをアマーリアの拡大術で押し広げ、ケパロスの死霊術の接近を無効化したのだ。
しかもその勢力は同心円状に広がっていき、ついにケパロス伯をとらえた。
「おおっ?」
ケパロスは自身の術が発動せず、それどころか法術師からなにか力の圧のようなものを受けて、動揺する。
「ペトラ、今だ!」
ディドリクのこの声で、弾かれたようにペトラがケパロスのもとへ飛び込んでいく。
ガキン!
ペトラのダガーはかろうじてケパロスの剣で受け止められた。
だが、術が封じられては勝ち目がない、とばかりに、逃げの体勢に入る。
それを見て、ディドリクの魅圏がいっそう広がっていく。
ディドリクの放った術は、ヴァルターと対決していたヴラッシェルスの元にも届く。
「うぉっ!?」
術の発動がままならなくなったことに動揺するヴラッシェルスを見て、ヴァルターが疲弊したからだでつっこむ。
ドスン、と鈍い音がして、ヴァルターの剣がヴラッシェルスの胸を貫いた。
だがヴラッシェルスも疲弊の極致にあったヴァルターをつかまえ、耳の近くに全力の幻韻術を放つ。
すでにそうとうダメージをくらっていたヴァルターも、それを受けて失神してしまう。
相打ちのような形になって、二人が大地の上に倒れた。
「ちぃっ」
その様子を視界の端でとらえたケパロス伯が、自身の影の中へ溶け込もうとする。
影魔法。
影を入り口として、指定された別の場所へ転移する魔法。
妖術師が得意とするものだが、もちろん魔術師でも近い距離なら転移術として使う時がある。
ケパロスもまた、それを使って自身の古城へと帰ろうとしたのだ。
「ペトラ!」
と、ディドリクが叫ぶ。
魔術の腕は高くないものの、少ない得意技として影魔法に秀でたペトラに、その発動を命じた。
「はい!」
と叫んで、自身の影を展開し、そこへディドリクとアマーリアを誘う。
漆黒の影の世界。
ペトラは前方を行くケパロスを見つけ、空中を浮遊するように、影の中を進んでいく。
ディドリクがペトラの腕をとり、アマーリアはディドリクのからだにしがみつきながら。
城に戻ったケパロス伯は、待機していたパーヴェルスに、事の次第を簡単に説明して、防戦準備に移る。
自分が影魔法を使ったとき、背後からついてくる者を感知していたのだ。
おそらくあの法術師兄妹が追ってくる。
しかしノルドハイムの空陣隊と赤髪の魔術王女は、ヴラッシェルスが無力化してくれた。
ここであの法術兄妹と決着をつけるつもりで、体制を立て直す。
追ってくるのなら、自分が出口としているこの大広間に現れるはず。
そう踏んで、ケパロスが待ち構えていると、ほどなくして広間の床に黒い影が広がり、三人の人物が現われた。
「強い、という報告は受けていたが、さすがだ、法術王子」
自分達を待ち構えていたケパロス伯を見て、ディドリクは少し不思議な気分になる。
(逃げたのではなく、ここに誘い込まれた?)
そんな考えが浮かんだが、だとしてもケパロスの様子が、何か罠を仕込んでいるようには見えない。
それどころか、戦そのものにも自信がないようにさえ見える。
もちろん、そういった仕草、態度も含めて罠の可能性もあるのだが。
考えてみると、このケパロスという相手は今までの暗殺隊と違うところが多い。
まず五芒星の一人でありながら、部下の数が少ない。
ネキシントン、人形遣い、妖術師と、実質3人。
途中加勢に来た魔女ノトラの方が、人員としては多かった。
そして強力な術を持っているにもかかわらず、この自信なさげな態度。
ディドリクは待ち構えていたケパロスに対して、
「五芒星第三席ケパロス伯で、間違いありませんね?」
と切り出してみた。