【十七】 空を覆うもの
「魔女ノトラが敗れたようです」
クルクスホーンの報告を受けて、森の中の城主ケパロス伯は黙り込んでしまう。
「やつの配下も全滅しました」
これを受けて、ヴラッシェルスが口を開く。
「ここにノルドハイムの空陣隊が加わるとなると、もう我々の手にはおえんかもしれんな」
「ここは伯爵さまのお力をあてにするしかないかもしれません」
パーヴルスの言を受けて、ケパロスが重い口を開く
「政治的な対応をする、ということか? しかしやつらはここを知っている。仕掛けられたら戦わざるをえん」
「俺はかまわんよ」
ここまでケパロス同様沈黙を保っていたネキシントンが会話に加わる。
「俺にとってはガラクライヒもノルドハイムも、ましてや帝都暗殺隊とかもどうでもいい。俺の死霊術がやつらに通じないままってのが、いささか癪にさわる」
「政府の連中に介入されるのは、これまで隠密裏に動いていた瑠璃宮の意図を損ねてしまう」
ケパロス伯は一同を見渡し、戦う意志の有無を聞いた。
「戦うのはやぶさかではないさ。ただノトラを倒した相手というのは、かなりの準備がいるか、と思ったので」
「妖術師は慎重すぎていけねえな。世間ではそれを『臆病』ともいうんだぜ」
「ネキシントン! 貴様はノトラがどれほど強かったから知らないから」
「やめんか、二人とも」
ケパロスが仲裁に入る。
「伯爵様よう、あんたも同じ死霊術師なら、俺の気持ちはわかってくれるんじゃねえか。負けたままってのはどうも寝覚めがよくねえ」
ケパロスの顔に、うっすらと笑みが浮かぶ。
「よかろう。ただし今度は無策と言うわけにはいかぬ。少なくとも彼らの行動を知っておこう」
そう言ってパーヴルスの方を見ると、
「そうですな、やってみます」
と、若い人形遣いが言って、立ち上がった。
黒い沼だった。
周囲は漆黒の闇に包まれた夜。しかし、自分がつかっている沼は、まるで一切の光を遮断されたような黒さ。
もがけばもがくほど、深い底へと沈んでいく。
その時誰かの手が伸びてきて、引きずり上げられる。
沼から引き出されたが、まだ息が整わず、胸の中から沼と同じ色をした何かが吐き出され、少しずつ息ができるようになる。
そんな感覚、そんな夢。
「ディドリク!」「兄様!」
遠くから呼ぶ声が聞こえる。
懐かしい声、優しい声、力強く、励ますような声。
あの向こうに、自分の帰るべき場所がある、そんな気持ちを抱かせる幾多の声。
その声を受けて、ようやく鉛のように重かった瞼を持ち上げることができた。
見知った顔が、大切な顏が視界に飛び込んでくる。
だが声を出そうとすると、まだ重い咳が胸を、喉をしめつける。
気が付くとメシューゼラが抱きついていた。
「良かった、もう目を覚まさないんじゃないかと思った」
傍らにはアマーリアが手を握って祈っていた。
「兄様」
と、静かに消え入るような、それでいて震えているような声で。
そしてエルガが寝台の横で、涙を流しながら、微笑んでいた。
「ほんとによかったです。わたし、わたし...」
「到着してみると、君が青い顔でぶっ倒れていたから、びっくりしたよ」
寝台の頭の方から声が聞こえたので、そちらを見ると、ヴァルターが覗き込むように見ていた。
心配そうな、それでいてどこか安心したような顔だ。
そしてそこがようやくそこが寝室だと気づくと、周囲には妹たちだけでなく、ノルドハイムの人々もかけつけてくれていた。
ヴァルター、クレエムヒルト、フリューダイク、ヘドヴィヒ、コーベルイ、ズデーデンシーバー、クレーベル...。
「ありがとう、ゼラ、アマーリア、エルガ、心配かけたみたいだね」
まだはっきりとは声を出せなかったが、瀕死の自分を治癒してくれたであろう妹たちに感謝する。
「それで、ノトラは?」
一息入れて、メシューゼラに尋ねる。
「それは僕も興味あるな」
とヴァルターも説明を促す。
それを聞いて、メシューゼラが待ってましたとばかり、事の次第を説明する。
「そうか、ノトラを倒したのか」
呟くようにもらすと、メシューゼラが得意満面に、再びそれを話す。
「私とアマーリアでやったのよ! メインはアマーリアだったけど」
「ありがとう」
と、ディドリクがぽつりと言うと、メシューゼラ。
「兄様、呪いの魔女は、私たち兄妹みんなの仇です。ありがとう、なんて言わないで」
「そうだったね、おめでとう、かな」
「それで、よろしい!」
メシューゼラの力強い言葉を聞いて、ディドリクは瞼を閉じた。
ディドリクが眠ったのを確認して、ヴァルターがメシューゼラに聞いた。
「ディドリクはもう大丈夫なんだね?」
「はい。ペトラはまだ眠ってますけど、二人とも瘴気はほぼ全て吐き出したので、時間さえ経てば回復すると思います」
「すると後は、暗殺隊の残りか」
ヴァルターがこう言うと、メシューゼラも肯定する。
「はい。ですが、兄にはもう少し休んでほしい」
そう言って、ディドリクの寝顔を見つめる。
「それでいいさ。もし戦になるとしたら、万全の体勢であってほしいし、我々としても急ぐ用事でもない」
空陣隊の面々は、長期戦になることも覚悟して、宿泊装置付きの函車で来ていた、
ヴァルター、クレエムヒルトの王族は大使館で泊まり、それ以外の面々は、その函車に留まることとなった。
かくして数日が過ぎ、ディドリク、ペトラ、ともに回復し、改めて今後の対策を練る。
まず対ガラクライヒ王国。
もし万一、暗殺隊との戦いや、大使館にノルドハイムの軍人を招いていることを問われれば、暗殺隊のことも含めて説明に行くつもりだったが、その動きはない。
暗殺隊の方でも公にする意図がない、と確認して、瑠璃宮五芒星第三席との決戦に臨むことになった。
「そのケパロス伯という人物とは、君が対決するのかい?」
ヴァルターが尋ねると、その答えに興味津々といった様子で、ヘドヴィヒ、コールベイ、フリューダイクらも目を輝かせて聞いている。
「いえ、担当は決めずに、そこは情勢を見て」
こう言ってディドリクは、自身の中に覇気が薄れていることに気づく。
「申し訳ありません。魔女が消えたと知って、少し安心してしまって」
「まぁいいさ、でも一応確認しておきたいのだが、我々の誰かが対峙することになったら、その誰かがケパロス伯との戦いになっても構わないんだな」
ヴァルターが念を押し、ディドリクが肯定すると、ヘドヴィヒが嬉しそうに声を上げた。
「私がやってもいいんですよね?」
だがディドリクはヘドヴィヒの戦い方では今度の相手は荷が重いかもしれない、と感じていた。
「かまわんが、死霊術や人形術はおまえの魔術と相性が悪い。無理だと思ったら引くことを忘れるな」
と、ヴァルターに言われていた。
庭に集結した一同は、魔鷲隊での出動に決める。
王都から観察される可能性はあるが、時間短縮できる方が大きい、という判断だ。
ノルドハイムからヴァルター達を運んできた魔鷲は全部で八羽。
その半数、四羽に函車を一つ、そして天馬3頭にそれぞれフリューダイク、コーベルイ、ヘドヴィヒがまたがって出陣となる。
函車の中からその出陣を見ていたディドリクは、以前運んでもらった時の旅客仕様ではなく、軍事装備の姿に目を奪われる。
魔鷲と呼ばれる巨大な空の怪獣は、翼長だけでも10mはあり、その巨大な姿が宙に舞うのは壮観だ。
函車は一つだけだが、宿泊施設を外しているので、ディドリク達が乗り込んでいても、軽々と運んでいる。
ヴァルターによると、旅客用の時は2~4羽で運ぶことが多いが、一羽でも十分運べるだけの力があると言う。
全身は茶褐色の羽毛に覆われているが、その下にある鋼のごとき筋肉は人間が用いる槍や刀剣では簡単に傷はつけられない。
そんな巨大な筋肉のかたまり、そして細部を調節し、飼い主である魔術師とのコンタクトもとれる程度の魔力も秘めている。
こんな部隊が頭上から落下物を落としていけば、それだけで強力な戦力になるだろう、と思われた。
だが、空陣隊の軍団が空を舞い上がったとき、木々の中から彼らを観察する者がいたことには、誰も気づいていなかった。
魔鷲とは対照的な、掌大の小さな昆虫人形。
甲虫のようなそれは、映像をとらえられる感覚器としての目を持ち、まだ触覚状のアンテナから、主である人形遣いに連絡することができた。
あっという間に、ケパロス伯の城が鎮座する森の上空に到達した魔鷲隊。
さすがに森の中には着陸できないため、その入り口、ディドリク達が戦った場所、少し開けた土地に着陸しようとしたとき。
「あれはなんだ」
と、コーベルイが天馬の上から大きな声で注意を促す。
城の方から、雲のような一塊が近づいてくる。
「鳥か? いや、違う、あれは」
フリューダイクが函車に乗っているヴァルターに注意を促すと、それはすぐに目の前にせまってきた。
それは金属のかたまり、金属の鳥、金属の虫、金属の獣どもだった。