【十六】 魔女ノトラ
魔女ノトラの呪念を浴びて、地に倒れ伏したディドリクとペトラ。
ペトラは既に意識を失い、ディドリクも四肢の動きを封じられ、魔女の前に意識を失いかけていた。
ノトラの呪念は、単体で暗殺が可能なレベルであり、ヘムやオルガのそれとは力量が全然違う。
ディドリクも自身の周りに障壁結界を張っていたものの、精神を通じても侵入してくるノトラの呪気には抗しようがなかった。
身体の中を駆けまわる黒い瘴気。
絶え間ない不快感と、全身から抜けていく力。
一方ノトラの方も、連れて来た手駒があらかた倒されてしまったことを悟った。
魔術の霧を張ったベーメラ、魔術戦をしけていったフェルラとピコはこの場で倒された。
かろうじて無事なのはワーワラだけだが、彼女も針を食らって負傷している。
もう一人の法術師を仕留めに行かせたヘムとオルガからも連絡がない。
それなりに強い者を選別してきたつもりだったのに、こうも簡単に倒されるとは。
ノトラの方でも改めて法術師の強さに驚いていた。
それだけに、もうここで確実にこの法術師を仕留めておかなくては。
そう思い、懐から細身の長剣を抜き放ち、ディドリクの首を斬り落とそうと接近してきたときである。
上方に魔術攻撃の気配を察し、ノトラは咄嗟にその場を離れる。
地面に焼け焦げた跡が残るが、襲撃は上からではなく、前方からだった。
疾走する馬から赤髪の少女が火炎弾を上方へと撃ちだしたのだ。
ジュードニアで戦ったとき、ノトラはこの赤髪姫の情報も持っていた。
とにかく目を引く美しい赤髪姫。
それゆえノトラの目はこのメシューゼラの方に釘付けになり、その後ろ、赤髪姫にしがみつくように乗っていたもう一人の妹姫には気づかなかった。
「このディドリクの妹だね」
ノトラはそう呟いて、馬の足元に礫弾を飛ばす。
法術師のように力場を用いるものではなく、礫に魔術をかぶせて飛ばす術だ。
足元に礫弾が落ちて、馬は驚いて倒れそうになる。
メシューゼラはそれを察して、アマーリアを抱えながら、飛ぶようにして馬から降りて、立ち上がる。
乗ってきた馬は幸いなことに転倒せず、その場に立ち止まった。
ノトラとの間に、ディドリクとペトラが倒れているのを見て、メシューゼラの頭に血が上る。
「よくも!」
立て続けに、炎弾を魔女目掛けて連射。
ノトラは炎弾を風の壁で遮り、上昇気流ではじく。
突然の戦闘となり、ノトラの目はすっかりこの赤髪の少女にとらえられていた。
(すると、もう一人の法術師はまだ大使館にいるのか?)
と、その後ろにいる少女は全く眼中に入ってなかった。
(ならばこの赤髪は魔術師だろう。すぐに倒して大使館へ向かわねば)
と考えなおす。
大使館に向かったはずのヘムとオルガからの連絡がなく、大使館からこの赤髪の魔術師が来た、ということは、二人が敗れた可能性が高い。
そう判断して、決着を急ぐことにした。
一方、姉がノトラに突っ込んでいき、ノトラがそれに対応したため、時間的余裕が生まれた。
アマーリアは三度、古式詠唱に入る。
そしてノトラの呪念攻撃のタイミングをはかる。
メシューゼラの炎弾をはじき、睨み合う形で対峙するノトラが、周囲の大気を呪いの気に染めていく。
ヘムがやったような、呪術弾としての呪念ではなく、大きな力で空間を占め、相手を飲み込み、滅ぼさんとする大技。
それがノトラの周囲から立ち上がってくる。
吐き気を催すような圧迫感、臭いはしないのに嗅覚が腐食させられるような、濃密な暑苦しい空気感。
それらを感じてメシューゼラは後ろに飛びのく。
「遅いわ」呟くように声を発して、ノトラは呪念を空間ごとメシューゼラに放った。
だがメシューゼラが背後に飛びのいたのは、逃げるためというより、アマーリアとの交代のためであった。
「反射!」
アマーリアがメシューゼラと入れ替わる形で、その呪念空間の前に立つ。
二人の少女を襲う、腐食の呪念、周囲の空気ごと入れ替わってしまうかのような、広く、強く、濃く、巨大な瘴気、呪念。
だがその呪念の空間はアマーリアを取り巻こうとしつつ、同時に放ったノトラの方へと空間を広げ、膨らんでいく。
アマーリアの前にやってきた呪念空間はそこでとどまり、空間の拡大が後方へと広がっていく。
反射術は量的な拡大には影響されず、その方向を変換する。
放たれた膨大な呪念空間が今度はノトラへと戻っていったのだ。
「解呪!」
ノトラは咄嗟に、自身が放った呪念に対して解呪を行い、自身に向かってくる膨大な悪意ある呪念を浄化させた。
魔術師にかかわらず、優れた妖術師と言うのは、自身の技を完成させたとき、常にそれを破る方法を考えておくものだ。
ノトラもその例にもれず、この圧倒的な呪術に対しても、自身が完成させたと思った時から、それを解呪する方法は研究していた。
しかしそれは相手がそれをしてきたときのため、というニュアンスが強く、まさか自分が自分に放ったものを解呪することになるとは考えてなかった。
「おまえが...やったのか?」
ノトラは、メシューゼラの背後から突然現れたように見えた銀髪の少女に目が釘付けになった。
この娘の存在に気づくと、ノトラはその姿に見覚えがあったことに気づく。
(この娘は...確か教皇領パトルロの地下牢で見た娘だ)
(この娘も、ディドリクの妹だったはず。と言うことは、こっちの娘が法術師だったのか?)
と、ノトラはかすかな記憶を手繰り寄せる。
あの時は、ルーコイズの手下によって影魔法で拉致されてきたか弱い人質にしか見えなかった。
いや、その記憶以前に、そもそも長い時間を使って研鑽を積み、その果てに法術の技量にたどり着く法術師が、こんなこどもだなんて、とても信じられない。
ディドリクの若い姿を見てはいたが、その姿よりもはるかに若く、幼く、こどもそのもののように見えた少女が、法術師だって?
理屈では理解できるが、自分の常識、感覚がどうにも追いつかない。
しかし今、自分の目の前で見せた奇跡の技は、熟練の魔術師や妖術師を思わせる「反映」の技だ。
だが同時に、魔術師が行う「反映」とも微妙に違っていることにも気づいていた。
一撃で仕留められなかったアマーリアの法術を見て、メシューゼラは、自分の役割を思い出した。
アマーリアが術を放つタイミングをそろえること、あわせること。
おそらく自分の攻撃魔術はこの魔女には通用しない、と思われたが、それでも注意を引けば、アマーリアとの連携で成功確率があがる。
小さな氷弾を作り、ノトラへとぶつける。
当然のごとく魔女ノトラは難なくこの小氷弾の連射を躱す。
またもや自身の前に風を送り、そのコースを替えさせたのだ。
ノトラの方もメシューゼラの意図はわかっていたが、アマーリアの術、その全貌を把握できないため、この魔術攻撃に対して丁寧に対応していくしかない。
だが、視界の隅に、唯一生き残っていた魔女、ワーワラがゆっくりと立ち上がるのが見えた。
(ワーワラ、背後に回ってあの二人を撃て)
ノトラが思念でワーワラに連絡する。
呪術の思念伝達は、魔術や法術の念話とは違い、上から下にしか流れない。
従ってワーワラからの返信は受け取れないが、十分に伝わってことは確かだった。
アマーリアの方も、メシューゼラが矢継ぎ早にノトラを攻撃してくれているおかげで、周囲を見回す余裕ができ、このワーワラが立ち上がるのに気づいていた。
そして、アマーリア自身も、これを利用する。
反射術の前に、兄譲りの眼術を用いてワーワラをとらえたのだった。
メシューゼラの途切れることのない攻撃を受けていたノトラが、らちがあかないと見て、再び呪念詠唱に入る。
アマーリアには通じなくとも、この赤髪には通じるはずだ、と思ってのことである。
ノトラの指示を受けたワーワラが、自身に治癒術をかけ、ディドリクに食らった針攻撃の傷を癒して、立ち上がる。
細身の剣を構えて、魔術攻撃をしている赤髪娘の後ろにいる、少女に狙いを定める。
自身の気配を消し、銀髪の少女をじっと見つめ、スキをうかがう。
そのとき、その銀髪の少女が自分を見たように見えた。
気づかれたか、と思い、剣を腋下に構えて、からだごとぶつかっていく。
呪術を用いて気配を消しての速攻、これでとらえられるはず、そう思って、獲物に襲いかかる。
「グガッ」
手ごたえあった。
ノトラがメシューゼラの小氷弾を避けつつ、反撃の呪念を呼び出し、ぶつけようとした刹那。
左後方から、ワーワラが突っ込んできた。
腹部に感ずる痛み。
ワーワラが細身の剣に全身を預けて、ノトラに突っ込んできたのだった。
「ワーワラ」
「え? ノトラ様?」
驚いたのはワーワラも同じ。
確かに自分は銀髪の小娘に照準を絞り、突進し、刺し貫いた、と思っていたからだ。
メシューゼラが全身全霊の力を振り絞り、燃焼術を二人にぶつける。
二人の注意がお互いに向けられているスキをついて放たれた炎の術。
抗すべくもなく、二人は火に包まれ、燃え上がる。
絶叫とともに、二人の魔女が絶命したのがわかった。
燃えていく魔女を見つめながら、メシューゼラはハッと気が付く。
「兄様!」
ぜいぜいと濁った呼吸を繰り返し、朦朧とするディドリクとペトラの元へ駆け寄り、治療術を試みるが、あまり効果が見られない。
アマーリアがよろよろと疲れた足を引きずりながら加わって、治癒の法術をかける。
ゴホッ、ゴホッ、と大きな咳をして、気道から薄墨色の瘴気が吐き出される。
施術者であるノトラが倒れたため、継続して体内であばれる様子もなくなり、少しずつ瘴気が吐き出されていく。
ペトラもまた薄墨色の瘴気を吐き出し、少しずつ呼吸が戻っていった。
治癒をほどこすこと、数十分。
ようやく肌に血色が戻り、二人の意識が回復していった。