【十五】 反射
大使館の一室で、結界の認知を通じて魔女の接近を悟りながら、アマーリアは自分の術について考えていた。
兄から学び、ベクターに助言を受け、そして兄妹の師である十四世によって蒙を啓いてもらった術。
その中で、自分にとって親和性のある一法術、古式文法。
今それを発現すべきときなのか。
なすべきことと、できること。
それが自分の頭の中でぐるぐると動き回っていた。
玄関口で待機するアマーリア。
普段なら老人用の手取り台として使っている椅子を出してきて正面に座り、迫りくる妖気に対応していた。
そして傍らにはメシューゼラが立つ。
「アマーリア、敵?」
「はい。何かを放ったみたいです」
何かが打ち付けられるような音がしたかと思うと、扉全体が妖気に包まれた。
扉の隙間から、何か白いものが忍び込んでくる。
「姉様、呪符です」
アマーリアの声に反応してメシューゼラが炎弾を撃つ。扉の隙間から侵入した紙片がアマーリアに向かって飛んでくると、それが炎に包まれる。
紙片はまるで生き物のように、炎の中で悶え苦しみ、うねりながら燃えていく。
続いて、第二、第三の紙片が扉の隙間から現れ、宙を舞って襲い掛かるも、メシューゼラの炎弾によって焼かれていく。
結局、六枚の紙片が扉を越えてきたが、全て燃やされて灰になっていった。
だが、扉の向こうには、いやらしい妖気がまだうずまいている。
「姉様、試したいことがあるので、出て見ます」
アマーリアがこう言って立ち上がり、扉に近づいていく。
「わかったわ。もし強襲があれば、私がガードする」
アマーリアの背後から、両手でしっかりとその肩を抑えるメシューゼラ。
(ああ、なんて力強くて、頼もしいんだろう)
アマーリアは一瞬、その姉の腕の中に全てを委ねてしまいたくなる気持ちを抑えて、扉に手をかける。
(でもこれは、私にしかできない)
そう思い、勇気を振り絞って、扉を開けた。
一方外からは、二人の妖術師が大使館門扉を観察していた。
「反応がない。やられたみたいだ」
やせぎすの中年女ヘムがこう言って、全身に妖気を滾らせる。
対してオルガは依然として藪の中から、
「わかりました。私も呪いの気を放ちます」
と言って援護態勢をとる。
扉が開き、そこに小柄な少女の姿が現われた。
「あれが? あれが法術師?」
扉の向こうから現れた小柄で、まだ幼さを残す少女の姿に、二人とも唖然としていた。
「法術師というのは高齢の者が多いはずだが」とヘム。
「いえ、お婆さまの話では、ディドリクという者もまだ少年だと聞いています。その妹ということであれば」
オルガもこう言ったものの、眼前の光景に信じられないものを見ているような気持になる。
とは言え二人とも、まだ成熟した法術師とは対戦したことがないため、切り替えていくことにした。
「魔術師だと思えば普通だ。仕掛けるぞ」
そう言ってヘムが全身の妖気を呪念に変えて、扉を開けた少女、アマーリアに向けて放つ。
扉に手をかけた時からアマーリアはかねてより考え、研究していた文言を詠唱していた。
そしてそこに第十四世から学んだ第四人称の古式術を反映させ、ある秘術を構築する。
扉を開けた時その詠唱と構築は完成し、閉めの魔文で閉じる。
「反射!」
常人には見えない呪念のかたまりが、ヘムからアマーリアへと一直線に進んでいく。
その背後には、さらにオルガが別の呪念を放とうとしていた。
ヘムの呪念は青灰色。嵐の海の呪念。
それに対してオルガの呪念は緑色。山の怪異の呪念。
攻撃型妖術における呪念は、それぞれ太古の昔より叡智の人、預言の人の心を崩してきた。
その素となったのが、大地の精、大気の精、大海の精、などから汲み上げられて、人を憎み呪詛を投げつけてきた悪精達の気。
呪念には、常人には見えずとも、その種類を色で語ることが多いのはそのためだ。
そして今まさに、大海の悪精から組み立てられて、吐き気を催すような青灰の呪念がアマーリアを包み、その心と肉体を滅ぼそうとしていた。
アマーリアがそれをよけようともせず、それどころか常人のごとくまるで呪念が見えていないかのように立ち尽くしているのを見て、ヘムは
「これでしとめた」
と直感する。
しかし!
少女の周りに渦巻く青灰の呪念が、少女を取り込まず、進行してきた同じ速度で、戻っていく。
「え?」
何が起こったのか、判断する時もなく、その戻ってきた呪念はヘムにとりつき、そして通過していった。
「ヘム、どうしたのですか?」
オルガがヘムに声をかけるが、その時既にヘムは応えることができなくなっていた。
鉄くずが、あるいは銅が錆びていくように、ヘムだったものが、赤黒く、青黒く、ぼろぼろのかたまりに変化していた。
本来ヘムの呪念を食らった者が起こす症状だ。
金属の錆のようになってしまったヘムだったもの。
それがバリバリと音を立てて崩れていく。
ただの錆びたかたまりになっていく。
「ひっ」
オルガはそれを見て恐怖した。
ほんの数秒前まで、簡単に「勝った」と思っていた。
それが一瞬で逆転し、相棒が自らの術で滅んでいる。
オルガは思わず自分が放とうとしていた緑色の呪念をしまいこんだ。
理屈は、経緯はわからなかったが、同じように呪念を放つと自分もああなる、と直感したのだ。
だが目前の少女の使った術がわからない。
攻撃をしたようにも見えず、ただ突っ立っていいるだけ、に見えた。
(呪念以外のワザで)
オルガはこう思い直して、懐から紙片を取り出す。
目の前で起こったヘムの死に動揺してしまって、さきほどの紙片攻撃が通用しなかったことを忘れていたのだ。
もっとも呪符の紙片攻撃を破ったのはアマーリアではなく、メシューゼラだったのだが。
オルガは芝の上に十枚の紙片を並べ、詠唱し、そして命ずる。
「あの小娘を食い殺せ」
紙片が芝の上をすべるように、アマーリアに殺到する。
「反射!」
再びアマーリアが詠唱し、命令する。
アマーリア目掛けて高速で突っ込んできた紙片が全て、くるりと反転して、放ったものの方へ戻っていく。
「違う、わたしじゃない! あいつだ!」
放った時と同じく、高速で戻ってきた呪符。
それが遮られることなく、オルガにとりついた。
「ぎゃっ」
断末魔の声を上げて、オルガが倒れる。
紙片が喉に、腹に、上腕部に、下肢に、そして顔面にとりつき、標的の身体から生気を吸い取っていく。
体液すらも抜き取られて行き、乾いた薄い褐色のかたまりが残される。
扉に襲来した紙片呪符がもし効力を発していたら、自分もこうなっていたのかもしれない。
アマーリアはその紙片呪符の力を認識した。
アマーリアの後ろから出てきたメシューゼラも、その紙片呪符の威力に戦くが、同時にアマーリアがしたことにも驚いていた。
自分が援護し、妹が力を発揮できるように、という覚悟だったのに、勝負はほとんど一瞬でついてしまった。
アマーリアが兄から託された戦。
メシューゼラは魔術戦のような、激しく力を打ち合うものを想定していたからだ。
しかしアマーリアがやったことは、火を噴いたり、氷弾を撃ったりするものではなかった。
ある術がある術を上回り、それによって一瞬で決着する、というもの。
アマーリアが勝敗が決したのを確認してか、がっくりと膝をつく。
「アマーリア、どうしたの? あいつらの攻撃があたったの?」
メシューゼラが心配して肩を抱き起すと、
「いえ、姉様、少し緊張してしまって。大丈夫です」
と言って、起き上がる。
「それより、兄様がピンチです」
(おそらく念話で連携していたのだろう)
メシューゼラは異母妹の言葉を聞くや、大使館の馬場にとって返し、一頭の馬を連れて来た。
「おいで、アマーリア!」
そう叫んで妹を自分の背中に乗せて、一路、ディドリクが向かった方角へと馬を走らせた。