【十】 援軍
ディドリク達がガラクライヒ王国のフネリック大使館に来て五日。
メシューゼラが広間へ降りていくと、ディドリクとペトラが地図を見つめて相談していた。
「兄様、それにペトラも。何をしているのですか?」
「やあ、ゼラ、見てごらん」
そう言われてメシューゼラは卓上に広げられた地図を見る。
もちろん地図と言っても観光用のもので、ガラクライヒ全土を描いたものではなかったが。
大使館とセクァーヌ河の位置、東西両岸をつなぐの街道などが記載されている。
その街道に沿って、二人がマークしたポイントが目についた。
「これは...私たちが襲われた場所ですか?」
「そうなんだ。それに加えてあの臭気が感じられた場所も」
そう言われれば、襲撃地点以外にも、小さな点がいくつか落とされていた。
「まだはっきりしないんだけどね、わかるかい?」
ディドリクにそう言われてメシューゼラが地図を見直すと、あることに気づいた。
「兄様、これって、襲撃者がどこから来たか、ということですか?」
ディドリクが少し微笑みを見せて
「さすがはゼラだね、そう、この臭気が残っている場所をつないでみると、街道のずっと東側、ハノンクール城を越えてさらに向こう側の可能性が感じとれる」
「ただ、まだ傾向だけですね」
と、ペトラが補足する。
「僕たちの感知術だと、人の鼻より少しましという程度で、正確な出所までは追えない」
ディドリクはそう言って、これからの策を伝える。
昼前、待望の空陣隊が物資運搬のためにやってきた。
飛来したのは前回と同じく、ヨーン・ズデーデンシーバー。
ただし、彼はまだこの地での暗殺隊について聞かされていないため、天馬一頭だけを借り、文書類を運搬してきただけだった。
ヨーンが大使に文書を渡したあと、ディドリクの元へ挨拶にやってきた。
「殿下、お久しぶりです、と言ってもまだ一週も経っていませんが」
と言いつつ、客間に入ってきたのを見て、ディドリクはこの地で起こった死霊術師との戦いを語った。
「エルガだけでも帰国させようかと思ったのだけど、ここでやつらを殲滅しておいた方が良い、という結論になりました」
そう言うと。ヨーンが「ほお...」と言う顔をして、笑みを浮かべる。
「私にそれをおっしゃられた、ということは、喧嘩っぱやいのを連れてこい、と解釈していいのですね?」
「いえいえ、そういうつもりではありません。それにノルドハイムの軍人をガラクライヒに許可なく入れるとなると、国際問題になりかねません」
「でも、見つからなければ良いんですよね?」とヨーン。
やれやれ、彼とリカルダはノルドハイム王国の中ではまだ穏健な方だと思っていたのに、と思い、ディドリクもひそかに苦笑い。
やはりこれこそが、ノルドハイム気質なのだろう。
しかし、もし彼らに協力してもらえれば、これほど心強いことがないのも確かだ。
「ひょっとしたらそうなるかもしれませんが、とりあえず、嗅覚に優れた、あるいは臭気の追跡ができる術師を呼んでほしいのです」
「それは帝国に暗躍する暗殺隊を倒すため、という名目で良いのですね?」
ヨーンはそれを確認して、すぐさまとって返し、人員を集めてくる、と言い出した。
「いえ、軍人が大量に来られると、甚だ面倒なことになりますから、その術師だけをお願いしたいのです」
ディドリクがそう言うと、ヨーンは、わかってますよ、という顔をして、出ていこうとした。
もう一つの用事、つまり帰国できる準備もお願いして、希望を追加する。
ヨーンが言う。
「殿下、ヴァルター様が常々おっしゃっておられました。こと暗殺隊の存在については我々にも大きな意味がある。決してディドリク様お一人にその責務を負わせてはならぬ、と」
そう言うと、大使から預かった商用書簡を携えて、すぐさまフネリック王国へ戻っていった。
恐らくその足でノルドハイム王国へも向かってくれることだろう。
決戦までの間、また襲撃を受けないよう、アマーリアやエルガ、そして大使ら職員にも警戒を怠らぬように伝え、時を待つ。
その夜、ベランダに出たディドリクは夜空を眺め、警戒とともに、今後のことを思案していた。
「ディドリク様...」
横手から声をかけられたので、振り返るとそこにエルガがいた。
夜着をまとい、恥ずかし気にカーテンの影に隠れるようにして、ベランダへ半歩踏み出している。
「エルガ、どうしました? 眠れませんか?」
「いえ、ディドリク様の気配を感じたので」
二階のベランダは共有になっているため、おそらく音が聞こえてしまったのだろう。
「エルガ、巻き込んでしまい、申し訳ありません」
「そんな...ディドリク様。私は御一緒させてくれて、とても嬉しいのに」
そう言って、全身をベランダに出してきた。
エルガの言わんとしていることはわかるが、それでも危険はかなりある。
「でも、いいですか、現場では命令には必ず従ってください。その命令の意図が伝えられなくても」
エルガはディドリクの前に進み出て、見上げるようにして頷く。
「当然です。私は戦力にはなりませんから」
でも...、とエルガはまだ何か伝えたい気持ちになったけど、今はまだ言ってはいけない、と思い直す。
全ては、全ては、この危機が去ってから。
そう考え、夜空に映えるディドリクの横顔を見つめるのだった。
さて翌朝、早々にノルドハイム王国から空陣隊の一団が到着した。
大群で来るとまずいことになる、という念押しのせいか、軍隊が飛来したわけではなかったが、それでも予定していた「嗅覚の魔術師」だけではなく、何人か見知った顔がいる。
「ディドリク様! 決戦ですね!」
イの一番に飛び出してきたのが、ヘドヴィヒ・メヒター。
ジークリンデや王族の縁戚クレエムヒルト・プレヴェンスタウナーでさえ持て余す戦闘狂だ。
そしてそのクレエムヒルト、さらにフネリック王国での間諜探しの時に尽力してくれたアントン・フリューダイク。
ヨーンの後から出てきたのが、注文していた「嗅覚の魔術師」ウルラッハ・コーベルイ。
小太りのダークブロンドで、見た感じ、人のよさそうな中年親父に見えた。
「殿下、こちらが嗅覚の魔術師ウルラッハ・コーベルイです」
と、ヨーンが紹介すると、
「ウルラッハ・コーベルイです。殿下。今回はご指名いただき感謝に堪えません」
と、ニヤッと笑う。
最初感じた「人のよさそうな」という印象は、この笑みで吹き飛んでしまった。
おそらくこの男も、戦闘狂だ。
「殿下、お久しぶりです。今回の人選、一人を除き私が行いました。どうか不都合があってもヨーンは責めないでやって下さい」
クレエムヒルトがそう言って、フリューダルクとコーベルイを見ている。
おそらく一人を除いて、と言う人物が、
「殿下、死霊術師と渡り合えるかと思うと、もう期待で胸いっぱいです」
と、はしゃぎまわっている。
クレエムヒルトもいささか頭を抱えているもよう。
ディドリクは一同に、ここがガラクライヒ王国領内であることを強調し、必要以上の戦闘は控えるように、とお願いした。
その件に関しては、クレエムヒルトがかなり手綱を握ってくれる期待もあった。
ディドリクは一同を広間に招き、事の詳細を改めて語る。
「まだ敵の拠点がわかりません。そこで、コーベルイさんに異臭の痕跡を追ってほしいのです」
そう言うと、コーベルイがまかせてくれ、と言わんばかりに、大きく頷いた。
「ただその場所が、セクァーヌ河東岸、王城のある方向ですので、拠点が判明するまで、くれぐれも戦闘にならぬようにお願いします」
と重ねて注意する。
ジュードニアで渡り合ったパトルロの配下にジュードニア出身が多かったことを考えても、敵の主流がガラクライヒ王国人であることが考えられる。
その証拠もないままいきなり戦闘になれば、こちらが責められることは必定となる。
まずは、襲撃された大使館二階廊下へコーベルイを連れていく。
この痕跡を残しておきたかったので、大使館職員には二階の掃除を控えてもらっていた。
「もうほとんど痕跡が残っていないのですが」
とディドリクが言うが、コーベルイは気にした様子もなく、
「いや、なかなかひどい悪臭だったみたいですね」
とこともなげに言う。
「私は死霊術というのは詳しく知らないのですが、これくらいの痕跡があれば、十分同定できますよ」
そう言って、何やら小さな魔法陣を廊下の隅、戦った場所、などに描いていくる
呪文を唱えると、その魔法陣は床に溶けこむように消え、コーベルイの手につままれたガラス瓶の中に、黒い気体が集まっていく。
「これが、痕跡?」
珍し気に見ていたメシューゼラが尋ねる。
「ええ、これだけ残っていれば、十分後を追えます」
コーベルイはそう言って、馬車に向かっていった。
ディドリク達は三台の馬車に分乗して、大使館から劇場の地へと向かう。
フネリック王国からは、ディドリク、メシューゼラ、ペトラ。
アマーリアとエルガは大使館に残して、そちらが緊急事態となればアマーリアに魔術通信を飛ばしてもらう。
空陣隊側からは、ヨーンのみを残して、ほぼ全員。
「今回はあの黒檀族の剣士は同行されていないのですね」
途中、車中でヘドヴィヒがこうもらす。
「当初、観光のつもりだったのですよ、まさかこんなことになるとは」
とディドリク。
劇場近くまで来て、コーベルイを下ろす。
常人の鼻ではもうまったく痕跡が消えていたが、コーベルイは一向に気にしていない。
今度は拍子木のようなものを取り出し、そこに大使館で採集した気体を含ませ、詠唱する。
すると、コーベルイの嗅覚が痕跡を捕まえたようだった。
「へへ、こんなに残っているなら、はっきりと終えますよ」
再び街道筋へ戻り、コーベルイが先行、その後を馬車でゆっくりとついていく。
セクァーヌ河、巨石橋を経て、東岸へ。
のろのろとついていく馬車の中で、クレエムヒルトがティドリクやメシューゼラに説明する。
「ウルラッハの嗅覚それ自体も常人離れしていますが、それ以上にやつの臭気に特化した魔術は、十分に信用できます」
サンプルを採取すると、それを離散させることなく、手元に置き、行路や広がりを認知することができるらしい。
「ああ見えて剣の腕も確かだし、頭もよく回ります」
「お嬢、ああ見えて、というのはちょっと可哀想です」
と、フリューダイクがフォローすると、クレエムヒルトが、ふふ、と微笑んでいる。
笑顔になると、ジークリンデと同じような北方系特有の美しさが出てくるのに、頭の中は、これから始まる戦闘のことでいっぱいのクレエムヒルト。
今回のチームの中では一番冷静なはずなのだが。
コーベルイの追跡は王城、ハノンクール城を越えて、ついに王都ルテティアの市域を出てしまった。
ルテティアの東に位置するルンド市。
その市域に入ろうとしているのだ。
だがここでコーベルイの足が止まる。
「どうした? ここが終点か?」
クレエムヒルトが声をかけるが、コーベルイは首を振って答える。
「いえ、そうじゃなくて、ここで臭気が二方向に分かれてます」
馬車から降りて来た一同はその言葉を聞いて、その二方向を問う。
「片方はあの教会から、もう片方は、あちらの城館から」
そう言ってコーベルイ
さらに東と、東南方面にある教会を指さす。
「どうします?」
フリューダイクがディドリクに判断を仰ぐ。
「城館の方は、僕が見てきます」
それを聞いてクレエムヒルトが、
「わかりました。我々は教会を調べに行きます」
そう言って二手に分かれた。




