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魔法博士と弟子兄妹  作者: 方円灰夢
第九章 死霊術師
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【八】 第四人称

大使館へ戻ったときには、既に夕刻になっていた。

少し早めの夕食を執った後、ディドリクはペピーヌス四世への謁見についてのみ大使に語り、襲撃者については伏せておいた。

そのこともあり、兄妹以外の、ペトラやエルガまで口が重くなる。

だが、敵の狙いがかつての呪術者達のように王家の人間と言うのではなく、ディドリク個人であることを匂わせている点を指摘するが、

「兄様だけが狙われているからと言って、そんなこと安心材料にはなりません」

メシューゼラがそう言うと、エルガ、ペトラも同意する。

「結局、敵であることには変わりないのですから、あのネキシントンという男を討つことが肝要なのではありませんか」

ペトラはこう言って、攻勢に打って出ることを提案する。

だがディドリクは、あの不気味さについて警戒する。

「たしかに二度の襲撃は撃退できたけど、敵が異様に落ち着いているのが気になる。術の正体がわからないのも不安だし」

「あまりにも簡単に撃退できましたものね」

ペトラも、相手の力量が見えないことに警戒心を見せている。

ともかく大使館を出る時にはひとりでは出ないように念押しをして解散した。


それぞれの部屋に戻ったものの、ディドリクは寝付けない。

就寝時刻としてはまだ少し早かったこともあり、夜風にあたろうと思い、ベランダに出る。

大使館宿舎は、ジュードニア王国と同じ作りで、二階に要人宿泊室がある。

その窓辺には小さなベランダが用意されていて、外気を取り込むことができる。

「静かだ」

と一人ごちるディドリク。

その静けさと、乾いた夜風の心地良さにしばらく身をゆだねていたが、あることに気づく。

静かすぎる...?


寝台に入る時間ではあるが、それにしても就寝時刻としてはまだ少し早い。

館内で仕事を残している者もいるはずだし、そもそも不寝番が何人か起きて活動しているはずである。

そういった諸々の音がまったく聞こえない。

いや、それどころか、大使館を包む周囲の音さえ入ってこない。

少し奇異に感じて、認知結界を張ってみる。

だが、その認知結界が、大使館邸の外側に届かない。

おかしい...。

そう思い、室内に戻り、廊下に出てみる。

静かな世界。

認知結界には、館内の職員たちの寝息が入っていた。

建物全体が、眠りの中に沈んでいる。


そのとき、誰かがやってくる気配があった。

「殿下、なにかおかしいです」

自室から飛び出したペトラが、廊下に現れ、やってくる。

二人は二階にある各寝室へと向かい、妹たちを確認する。

メシューゼラ、エルガは、死んだように眠りこけている。

アマーリアの部屋へ向かおうとして廊下に出た時、気配のないまま人影が浮かびあがってきた。


「う...」

ディドリクは思わず声をもらしてしまった。

その人影はよく知ったある人物の形をとっていた。

ジュードニア王国で倒した、ジャスペールだ。

続いてその背後から、別の姿が沸き起こる。

帝都庭園で魔術戦を繰り広げたプロイドンだ。

これにはペトラも目を見開いて驚嘆する。

「おまえは、死んだはずだ」

だが声は先細っていき、恐怖がたち優っているかのよう。

その他、次々と戦いで死んだ者たちが姿を見せ始める。

「幻影か? それにしては...」


廊下の床から沸き起こる、死んだはずの人影の群れ。

それぞれの手にはそれぞれが得意していた獲物を持ち、迫ってくる。

ディドリクはためしに風刃を撃ってみた。

幻ならあたって消えるはず、という目論見だったが、その人影は、よけた。

プロイドンの姿をした人影が、鞭を振るい襲ってくる。

驚きがあったため、反応が少し遅れ、ディドリクの寝間着、腕の部分を切り裂いた。

これは幻ではない、実体がある。


周囲を異様な臭気が包み込む。

いやなにおいだ。

ディドリクが今度は法術箴言を唱えながら、風刃をぶつける。

何人かにはあたったたものの、さほどのダメージを与えたとも思えず、くしゃくしゃと丸まって消えていく。

はたしてあれも実体があるのか、それとも幻なのか。


屋内ゆえに炎術を使うわけにはいかない。

そこで風刃と氷弾を打ち出すのだが、命中しても次から次へと違う人影がわいてくる。

そして、臭気がいっそう濃くなっていく。


「ぐぐっ」

うめくような声を発して、ペトラが倒れた。

廊下の上で、苦しそうにもがいている。

臭気のせいか?

そう思ったディドリクも、腹の底から、嫌なものがこみあげてくるような感覚になり、足が痙攣してくる。

ドサッと床の上に倒れる。

かろうじて腕が少し動いたため、床への直撃にはならなかったものの、胃から肺腑へこみあげてくる不快感に、立っていられない。

目がくらみ、意識が遠のいていきそうになる。

ダメだ、ここで倒れたら、殺される。

そう直感するも、意識が薄れていく。

ヒトガタの中により大きな姿があらわれ、笑っているように見える。

あれが本体か?

薄れゆく意識の中で、それを睨みつけるも、やがて腕も動かなくなっていく。


ディドリクとペトラが廊下に倒れ伏した時、そのひときわ輪郭が鮮やかな人影が、つぶやく。

「へへ、どうってことはねーな」

その人影は、懐からやや長めのダガーを取り出し、近寄ってくる。

「おまえらが俺の操る死体を燃やした時からこの戦いは始まっていたのさ。この臭気がお前たちの力を封じてな」

ディドリクは体の自由を失い、視覚も消えつつあったが、かろうじて その言葉だけは耳に響いた。

からだの中の血管という血管に、死臭のような臭気が入り込み、それがぐるぐると体内を回っている感覚だ。

それがこの男のいう臭気なのか?

あまりにも簡単に死体を燃やせたこと、あれが罠だったと言うのか? 死臭を吸わせるための。

「法術と言ってもたいしたことはねーな、俺の死霊術の方が上回ったってことだな」

そう言って、ひときわ輪郭のはっりした人影が、ディドリクの首を切り落とさんとして、ダガーを上げた。


だが、ダガーは振り下ろされない。

輪郭のくっきりとしたその白い人影は、ディドリクを通して廊下の向こう側に視線が釘付けになっていた。

人影、即ちネキシントンを宿したその男が見たのは、廊下に小さな子供だった。

いつ出て来たのか、部屋から出てきたその子供の姿。

既に視力を封じられていたディドリクだったが、認知結界により、脳内にその映像が結ばれていた。

(だめだ、アマーリア、おまえは逃げなさい)

心の中でそう叫ぶが、声が出ない。



「法術がたいしたことない、と言ったのか?」

アマーリアの声音だ。

しかし、口調がいつもと違う。まるで別人だ。

ネキシントンが見たその姿は、黒っぽい映像に変わり、その目だけが、純白の光を放ち、爛々と輝いていた。

御座みくらなれに命ずるやらんかと』

不思議な曲用、屈折をともなって、文言もんげんが放たれる。

ディドリクの、唯一残されていた聴覚にもその言葉は届いたが、それはどこか聞き覚えがあるにも関わらず、思い出せなかった。


その文言もんげんが再び放たれると、幾多の人影が苦しそうにうめき、痙攣するように揺れていく。

なれこそ、そが泥に戻れかしと』

声は間違いなくアマーリアのものなのに、しゃべっているのはまったくの別人。

しかしディドリクにはこの言葉、言い回しに、遠い記憶がゆすぶられた。

(あなたは...、あなたは...)


「ぐぉうーーん」

人影はくぐもった声を出し、何かに侵食されるかのように悶え、消えていく。

一つ、また一つと。

消され方も様々で色を失って、水に薄まるように消えていく者、ひび割れてパリパリと砕けて細片となり消えていく者、うねりながら縮まっていく者、等々。

ネキシントンの人影も、おふ、おふ、と苦しみながら、その姿を消されていく。

「お前は何だ、お前は誰だ、お前は」

ジュン、と水滴が焼けた鉄板に落ちるような音を残して、消えていく。


アマーリアの姿をしたものは、それを確認するや、ディドリクが倒れている場へとやってくる。

御座みくらがそれをつかみだし、消し去ればかしか、滅すればかしか』

異様な文言を放つと、ディドリクのからだの中から、臭い、黒い、粘るような気体が出ていった。

嘔吐するように、吐き出すように。

ディドリクのからだから出た、黒い、液体のような気体は、まるでそれ自体が命を持っているかのように、もだえ苦しみ、消えていく。

何かが焼かれ、滅していくかのように。


同時に、ディドリクのからだに五感が戻ってくる。

重い瞼を、筋肉の力で持ち上げることを意識するかのようにして開くと、そこにアマーリアの姿を認める。

「まだ死んではいけない」

アマーリアの姿をしたものが、そう言う。

今度は正規の現代文法だ。

からだをふらふらと起こして、廊下に座り込んでしまうディドリク。

五感と筋肉の力は戻ってきたが、まだしびれが残り、意識もフラフラとしている。

だが、それでも自分が誰と対面しているか、ぼんやりとわかってきた。

「あなたは...あなたは先生なのですね」


「二百年の時をかけて、なれに基礎を授けた。よもや魔術師や妖術師に後れを取るなどとは思わなかったが、あれは未経験であったか」

目の前にいるのは、第十四世魔法博士だ。

そう直感はするものの、詳細までは思い出せない。

また、その不思議な文言も、確かに学んだはずなのだが、まったく使わなかったこともあり、失念していた。

御座みくらとは、第四人称代名詞。

話し手、対手、他者の三者を超えて超越的に存在する天、あるいは神格の人称、第四人称。


永劫の歴史の中で、ヒトが忘れ去ってしまった、天界の人称代名詞。

それを受ける動詞語尾に、一聴して判別がつかない異様な曲用変化をもたらす法動詞。

それらは遠い昔、夢の中で、法術発露に至る古式文法の要綱として、たたきこまれたものだった。


「研究が足りぬ。学べ。極めよ。そして神格の高みに至れ。御座みくらなれに術を授けたのは、道楽ではない」

白く爛々と輝くアマーリアの瞳から光がかき消すように消え、がっくりとそのからだが床に倒れる。

ディドリクが慌ててかけよってみると、妹は寝息を立てて、深い眠りの中にいた。

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