【二】 令嬢が来た!
エルガの元に、今度はラインホルト公王の妹であり、エルガの母であるグレーテ・フンケルがやってきて尋ねる。
「縁談の話、断っているんですって?」
エルガが言葉なく頷くと、そう、と言って、エルガの前に座る。
「まだ焦る歳ではないのですけどね...」
とつぶやくように言って、エルガを見つめる。
「母としては、まだまだあなたが近くにいてくれる方が嬉しいのですけど、少し気になることもあるのです」
そう言われて、エルガは顔を上げる。
「あなた、誰か想い人がいるのではなくて?」
だがこの言葉に少しだけ顔に朱が乗ってしまった。
「いえ、そんなことは...」
グレーテはその言葉を真に受けず、
「母にも言えませんか?」
と詰め寄ってくる。
その気配に押されて、エルガ嬢が口を滑らせてしまった。
「その...第二王子様」
この言葉を聞いてグレーテは少し困った顔になった。
「ヴァルター様? さすがにそれは難しいわね。あの王家キューレベルン家は純血主義ですし、そもそも国の格が違いすぎます。貴方が悩むのもわかります」
とはいうものの、キンブリー公国はノルド人と同根なので、純血主義に反するわけではないのだが。
「でも、尽力はしてあげます。ヴァルター様もこの国には好意的ですし」
ここまで聞いてエルガはつい、本心を重ねてしまう。
「いえ、ノルドハイム王国ではなく、フネリック王国の...」
最後は小さな声になり、聞き取れなかったが、グレーテにはその真意が伝わった。
彼女は娘を抱きしめ、
「よくもらしてくれました。あとは母にまかせなさい」
と言って、退室した。
(言ってよかったのだろうか)
とエルガは一人、心配になっていく。
確かに四大選帝王国のノルドハイム王国に比べれば、フネリック王国とはまだ国格が近い。
しかしそれでも公国と王国である。
国格の違いは歴然とあるのだ。
もちろん、キンブリー公国から見れば、少し上の国格のフネリック王国は、願ってもない相手だ。
公国の格が上がる可能性もある。
だが問題は、格下と縁組することになるフネリック王国である。
はたして受け入れてもらえるのだろうか。
しばらくして、ラインホルト公王がエルガの元にやってくる。
「公国として、正式にフネリック王国に縁談の是非を打診してみるつもりだ」
と伝えられ、きょとんとしていると、後ろに控えていたグレーテがエルガにウィンクしている。
だが数日して、今度は少し困った表情のグレーテがやってきた。
「まだ返事が来ないのよ、まあ、まだ打診程度でしたから」
そこでグレーテは何かがひらめいたように、娘に言う。
「そうだわ、まだ正式なお礼をしていませんでした」
「お礼?」と聞き返すエルガ。
「あなたを使者に立ててもらうよう、兄に進言します。そこから先は、あなたがうまくやりなさい」
確かに呪殺事件の際のお礼については、気にはなっていたのだが。
こうして、エルガ・フンケルがキンブリー公国を代表して、ディドリク王子にお礼の使者として立てられたのだった。
そして、ディドリクと面会した時のこと。
「私をデートに誘ってください」
こう言ったものの、驚くディドリクの顔を見て
(やらかしてしまった)
とエルガは激しく後悔した。
もっと穏やかに、王子様自らの意思で、それとなく誘ってくれるような、そういう交渉ができなかったのか。
これではまるで、節操なく食らいついていくケダモノではないか。
とは言っても、恋愛経験どころか交際経験さえ過去にないエルガである。
そんなありもしない「恋の高等技術」で勝負なんかできるわけがない。
「エルガ、そのデートと言うのは...」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
エルガは真っ赤になって駆け出してしまった。
フネリック王国第一離宮に設けられていた、公式宿舎に戻ってきて、エルガはベットに頭を突っ込んでしまう。
「ディドリク様はなんて思われただろう。節操のない変な娘、尻の軽い頭のおかしい娘...」
顔を真っ赤にしたまま、布団の中で悶絶する。
「もう...死にたい」
いつしか独り言が涙声になっていった。
「アマーリア、少しお話したいことがあります」
いつになくかしこまって、異母姉メシューゼラがマレーネの離宮にやってきて、話しかける。
もとより三つの離宮はそれぞれ隣接しており、王族、及び館の使用人であれば、自由に行き来できる。
ある日のお昼、兄との法術練習を終えたあと、のんびり寛いでいたアマーリアの元にメシューゼラが話しかけてきたのだ。
場所が食堂で使用人がいたため、
「あなたの部屋に行ってもいいかしら」
と言う異母姉の要求を受け入れて、アマーリアは自室へと移動する。
自室と言っても事実上寝室で、寝台と書机、それにささやかな本棚があるだけ。
その寝台すらも、ときどき兄の寝床にもぐりこんでしまうこともあり、それほど使われてはいない。
「お姉さま、改まって何でしょう」
「うん、ちょっとあなたの意見というか、感覚を聞きたくて」
異母妹を寝台に腰かけさせ、自分は書机の椅子に腰かけながらアマーリアと向き合う。
「私の...意見? それに感覚?」
「単刀直入に聞くわ。あなた、ディー兄様は結婚について、どう考えていると思う?」
まさに単刀直入だったので、反応が少し遅れてしまった。
「この前ガイ兄様が、私とディー兄様に縁談の話を持ってきたのは覚えているわよね」
「はい」
「私の方は、なんとか流していただきました。父上もあまり乗り気ではなかったようでしたので」
「それはよろしゅうございました」
「あの席では、私は乗り気じゃない、ということをはっきり言ったのですけど、ディー兄様の態度はかなりあいまいだったでしょ?」
「ええ」
「私の場合と違って、ディー兄様にとって候補にあがった方って、かなり親密な方らしい。兄様は結婚に対して前向きなのかしら。あなた、何か聞いてない?」
ああ、なるほど、異母姉は自分の方が片付いたので、兄の縁談話が気になってやってきた、ということなのか。
しかし、その具体的な名前、つまりミュルカ嬢とエルガ嬢についてのことは、聞いていない。
(ミュルカさんは私も知ってるけど、そもそも話に出たエルガさんという方を、私は知らない)
「わかりません。そもそもミュルカさんについては良く知りませんし、エルガさんに至っては兄様の話の中で出てきただけの名前でしたし」
「そう...あなたにも言ってないのね」
メシューゼラは少し考え込んでしまう。
しかしこれは予想の範囲内。
メシューゼラが異母妹に、ある考えを開陳する。
「今、この国に、そのキンブリー公国からの使節団が来ているのよ。その代表が、話に出たエルガ嬢らしいのよね」
「エルガさんが、いらっしゃってるのですか?」
「ええ。ブランドが話しているのを聞いたのよ。しかも、何日か第一離宮の方で滞在されるらしいの」
「第一、ということは、ガイ兄様のところですね」
「そう。あそこは広くて公的な宿舎も兼ねてますから。そこで、なんですけど、兄様の真意を測るためにも、エルガ嬢に会いに行ってみない?」
「え...」
アマーリアは言葉に窮してしまう。
(それって、兄様に内緒で、ということですよね。そんなことをして、もし兄様に知られたら)
アマーリアが乗ってこないのを見るや
「アマーリア!兄様がどこの馬の骨ともわからない女につかまってしまってもいいの?」
と、メシューゼラが語気荒く強くでてきた。
(馬の骨って...)
仮にも大商会と、公国の令嬢である。
馬の骨はないだろう、と思ったのだが、メシューゼラの迫力に押されて、何も言えないアマーリア。
「兄様は近親結婚をするつもりはない、と強く断言されました」
今度は語気を落として、メシューゼラが独り言のように話しだす。
「兄様の希望です。私はそれに従います。でも、兄様には大国の姫君こそがふさわしいと思う」
ディー兄様にはいつまでもこの離宮にいてほしいと思っていたアマーリア。
でもいづれ婚姻の話は来る。
その時どうするのか、そして自分はどういう心構えが必要なのか。
アマーリアはそこまで考えてはいなかった。
もし自分が結婚したくない、と言えば、恐らく兄は守ってくれるだろう。
でも、その兄自身が結婚するとなると、どうなるのだろう。
「それにネロモン商会にせよキンブリー公国にせよ、打算が見え隠れするわ」
アマーリアの動揺にも関わらず、メシューゼラが続ける。
「ネロモン商会は一層この国の内奥に食い込むでしょうし、公国は王国とつながって国格を上げようとするでしょう」
メシューゼラは、未だ考えのまとまらぬ幼い異母妹をキッと見つめ直して、
「行くわよ」
そう言って手を取って第一離宮へと向かった。




