【八】 アマーリアは想う
ものごころついた時から、その人の後ろについてまわるのが心地よかった。
一生懸命ついてまわっていると、足を止めて目線を自分の位置に落として、幼いからだを受け止めてくれた。
転んで膝頭をすりむいて泣いていると、優しく抱き留めて、タオルやハンカチで止血してくれた。
まだよく回らない舌で一生懸命話しかけていると、しっかりと聞いてくれた。
一つ一つは小さなことだけど、それらが最初から自分の周りで暖かく守ってくれていた。
父も優しかったけど、お仕事が忙しく、会えないことが多かった。
母は兄にばかりかまって、自分の方は見てくれない。
メイド達は優しくしてくれたけど、夕刻には帰宅したり、寮へ戻っていく。
夜になっても自分に話しかけてくれる、かまってくれるのは、その人だけだった。
幼い時からメイドがついていて、一人一室での生活。
でも兄の部屋に行くと、膝の上にちょこんと乗せてくれて、お話をしてくれた。
歳は八つも離れていたけど、小さな子どもを面倒くさがらず、いつもかまってくれた。
ある夜、嵐になり、暗がりの中で雷鳴が轟いていた。
怖くて眠れず、寝台の中でガタガタ震えていた。
大きな音がして飛び上がってしまい、ついに恐る恐る、寝間着のまま隣室の兄の部屋へと向かった。
兄はまだ起きていて、書を読んだり、何やら書付けをしたりして勉強している。
(邪魔をしてはいけない)という気持ちと、
(邪魔をしても、許してくれる)という気持ち。
ドアが開くとその視線が私の上に落ちて、
「どうしたんだい、アマーリア」
と優しく声をかけてくれる。
「雷が怖くて」
そう言うと「おいで」と合図して、自分の近くに招き寄せてくれる。
書机の脇にあった寝台に入れてくれて、優しく抱きしめてくれる。
雷鳴はまだ響いていたが、その暖かさ、その心音を聞いて、不安はなくなり、まどろみの中へ落ちていく。
翌朝、目を覚ますと、兄は優しく髪をなでてくれていた。
それ以来、寂しくて胸が張り裂けそうになったり、眠れなくなったりしたら、ときどき兄の寝室にもぐりこんだ。
ときどきメイドに見つかることもあったが、兄に対する信用からか、
「仲が良い」と見てくれた。
周囲にいるのがおとなばかりだったので、
「可愛いね」
と言って頭をなでられたり抱きあげられたりしても、不安と恐怖で体が強張ることが多かった。
しかし、兄だけは、頭や肩、背中や腕を、なでたりさすったりしてくれるととても嬉しかった。心地よかった。
布団の中で、左胸に頭をつけて心臓の音を聞く。
とくん、とくん。
その音を聞きながら、頭や肩をなでられていると、自然と眠りの中に入っていけた。
守られている、包まれている。
この安心感が、心の中に生まれる不安や寂しさを取り除いてくれた。
少し大きくなると、文字や勉強を教えてくれた。
王族は学校には行かず、家庭教師がつく。
それは聞いていたが、兄が教えてくれることの方がよほど楽しかったし嬉しかった。
兄に喜んでほしくて、一生懸命のめりこんでいった。
やがて兄が呼び出した霊体からも教えてもらったが、ある時、兄の不興を買ってしまった。
急に黙り込んだその姿に、これまで感じたことのない、底知れぬ恐怖を感じてしまった。
見捨てられる、嫌われる...そんな恐怖だ。
だがすぐに兄は戻ってきて、
「嫉妬だった」と謝罪して、抱きしめてくれた。
嫉妬? 兄が私に?
よくわからなかったけれど、それから後は自分が習得していくことについて、いつも評価し、励まし、また是正してくれた。
そしてまたいろいろなことが脳裏をかすめる。
ノルドハイムに行ったこと、従姉ジークリンデと踊ったこと、そしてその帰路。
寂しいことも多かったけれど、この人の側にいればいつも心が満たされる、そう思っていた。
そして今聞いた、自分が出生する前の話。
(私の身は、その人の祝福で包まれている)
それが、自分の中に、清らかな流れとなってしみこんでいく。
またある時、兄はこうも言った。
やがて誰か別の人と結婚して、それぞれ家庭を持つことになる。
だがそうなっても、身の内に流れる同じ血は、死ぬまで変わらない。
兄妹とはそういうものだ、と。
リュカとレムリックの娘を確認した後、ディドリクとアマーリアは王城へ向かい、昨日の続きやら報告やらをする。
細かなことを報告したりされたりした後、ガイゼルから兄妹会議の開催を告げられる。
一通り一段落したあとの午後、王城の一室で、王家の兄妹たちだけによる兄妹会議が催された。
テーブルには六つの椅子。
従者たちも退室させ、久しぶりの兄妹だけの会議、連絡会だった。
席が六つ、と言うことは、まだシャルロッテは呼ばないのだろうか、と思いながら、ディドリクはアマーリアとともに席に着く。
続いてガイゼルがヘルムートを伴って現れ、最後にメシューゼラがイヴリンを伴って現れた。
ヘルムートもイヴリンもしばらく会わない間にすっかり成長している。
もちろんまだこどもではあるけれど、呂律の回っていなかった赤子ではもうない。
ヘルムートは着席する前に
「ディドリク兄様、アマーリア姉様、おかえりなさい。久しぶりにお会いできて嬉しいです」
と、歳に似合わぬおとなっぽい口調で挨拶する。
「ヘルムート。大きくなったね。もちろん僕の方も大きくなった姿を見れて嬉しいよ」
ディドリクもそう言って、着席した。
続いてやってきたイヴリンは、ヘルムートより年上なはずだが、メシューゼラに甘えながらの挨拶である。
「兄様、姉様、イヴリンです。覚えてくれてますか?」
「もちろんだよ、イヴ。ゼラみたいにどんどん綺麗になっていくね」
ディドリクがこう言葉をかけると、えへ、と満面の笑顔。
「ほんとに綺麗。ゼラ姉様もこれくらいの頃から輝いていたのですか?」
と兄を見つめながら、アマーリアも嬉しそうに言う。
全員が着席するのを見て、ガイゼルが話し始める。
「六人全員そろっての兄妹会議は初めてかな。今日は懇親会みたいなのにするつもりだったんだけど、急ぎ伝えておかなくちゃいけないことがいくつかできたんだ」
「何ですか? あらたまって」
と、メシューゼラ。
「ほんとは政治的なことを、この兄妹会議の議題にはしたくなかったんだけど、父上から伝えられる前にこの場で言っておきたくてね」
少し申し訳なさそうなガイゼル。
メシューゼラが何かを察したかのように目を光らせたが、続く言葉を待っている。
「実はディーとゼラに、縁談の話が来てるんだ」
さして驚くでもなく、メシューゼラは(やっぱり)と言う顔をしている。
ディドリクもそういう話題は時間の問題だろうとは思っていたので、落ち着いて聞いている。
むしろ、アマーリアとイヴリンの方が動揺しているようだった。
「姉様、結婚しちゃうの? 家を出ていくの?」
「イヴ、まだ決定じゃないし、それにもし嫌なら拒絶はできるはずだ」
ガイゼルはそう言って、イヴを宥める。
「具体的に、どういう方からその話が来ているか、聞いても良いですか?」
ディドリクの問いに、ガイゼルが答える。
「もちろんだ。父上からもブランドからも、私の口から伝えることを許可してもらっている」
少し間を置いて、ガイゼルから縁談相手が伝えられる。
「ディドリクには二組。まず、キンブリー公国からだ」
「キンブリー公国?」
「公国の令嬢、エルガ・フンケル嬢が輿入れしたい、というご希望なのだ」
あのエルガ嬢が? とディドリクは公国で起こった呪殺事件を思い出した。
公国内部で起こった事件なので、同行してもらったが、その時はそんなそぶりはなかったので、最近、ということなのだろうか。
いやまて、ジュードニア王国でヴァルターが言ってた言葉をここで思い出す。
(エルガ嬢も会いたがっていたよ)と。
と言うことは、キンブリー公国の意思というより、ノルドハイムの意思が背後にあるのかも、と考えてしまった。
「国格と言う点では王国と公国なのだが、キンブリー公国の後ろにはノルドハイム王国がいる」
とガイゼルの説明。
なるほど、ノルドハイムの意思、と言うのは、ガイゼルも把握している、というこことか。
「それでもう一組と言うのは?」
ディドリクが聞くと、ガイゼルが少し答えにくそうにして
「それが...ネロモン商会なんだ」
これにはディドリクも驚いてしまい
「ひょっとして、ミュルカ・ネロモン嬢ですか?」
と尋ねてしまった。
「うん。形式的には貴賎結婚になってしまうんだが、ネロモン商会の経済力、ネットワークを考えると、もう貴賎には該当しなくなるんじゃないかな、というあちらさんの言い分だ」
「元よりこの国ではあまり貴賎結婚とか、国格とかにはやかましくないですしね」
「そういうことだ。だから逆に、この縁談話はまだ打診段階なので、断ってもらっても構わない」
「次は、私ね。どこから話が来てるんですか?」
メシューゼラが目を輝かせて質問する。
(あれ? ひょっとして期待している?)
一瞬そう思ったが、次のガイゼルの言葉に対する反応で、全て吹き飛んでしまった。
「ガラクライヒ王国王太子、ペピーヌス五世殿下だ」
「げっ」と言う顔をしたメシューゼラ、期待がいっぺんに吹き飛んでしまったようだ。
「四大選帝王国ガラクライヒの嫡男で、ゆくゆくは選帝大国の国王になる人物なのだが」
「兄上、我らが妹姫は、お気に召さないご様子ですよ」
ディドリクは笑いを押し殺すように言った。
「だってディー兄様、あそこの王家、頭が悪そうなんですもの」
あああ、なんということを、と思いつつ、凡庸な人物に見えた、というのは、ディドリクも同意見。
ガラクライヒが西方の選帝王国としての地位を保っているのは、その官僚システムゆえであり、王家の人柄や能力、個性で成立してるものではない。
確かに現在の選挙帝政が成立した頃には優秀な国王が次々と出たが、一千年にも及ぶ歳月の中で、ガラクイヒの王政はすっかり飾り物になってしまった。
「王族の娘だから、政略結婚は仕方ない、と思ってますわ」
とメシューゼラが続ける。
「四大選帝大国であるガラクライヒ王国と結びつけば、フネリック王国の将来にとっても有益だ、というのも理解しているつもりです」
テーブルに出されていたお菓子をむしゃむしゃと食べながら、
「でもねぇ、あの王太子さまはねぇ」
といささかご機嫌斜め。
さすがにからかうのは可哀想なので、ディドリクがガイゼルに確認する。
「この話もまだ打診段階なんですよね?」
「そうだよ、もちろん断っても構わないし、ガラクライヒ王国レベルだと、他にも候補というか縁談話を進めているだろうからね」
メシューゼラがほっと安心したように息をもらしたのだが、ガイゼルが何か含みがあるようなそぶりを見せたので、それを尋ねてみる。
「兄上には、何か他にも思うところがあるのですか?」
「もちろん私も、政略結婚と言っても弟妹の意思は尊重したいと思ってるよ。ただこの話は、ディドリクのものとは違って、前国王ペピーヌス四世の希望らしいんだ」
あの人当たりのよさそうなご老体か、とディドリクもメシューゼラも思い出した。
「兄上の御苦労もわかりますが、それだと当の王太子の意思ではない、ということにもなりますね、政略結婚ですからそんなもの関係ないと言えば関係ないですけど」
「でもあの方が相手だと、ちょっと断り辛いのも確かよね」
帝都へ行く途上立ち寄ったとき、はるかに国格が下であるフネリック王国に対してもいろいろ暖かい言葉をかけてくださった。
「でも、私は嫌」
とはっきり言いきったメシューゼラ。
「わかったよ、その方向で進めるよ」
とガイゼルも受け入れてくれた。
「心配しなくても良いよ、内政は私の担当だし、王家の者が全員政略結婚をしなくちゃならないなんてことはないからね」
その言葉の裏には、自分の婚姻で、政略結婚の責務は既に終わっている、という意図が見えた。
そういった面を、長兄に押し付けてしまうのは少し心苦しいな、という想いが、ディドリクの中で走っていく。
「で、ディーはどうする?」
「正直なところ、兄上にお世継ぎが誕生するまではしたくない、というのもありますが、少し考えさせてください」
「それでいいよ。ちなみに二人とも室に迎えるというのでも構わないからね」
それは考えてなかったので、少しむせそうになるディドリクだった。




