【六】 ベクターの復帰
大使館に戻ったディドリク達は、今後の予定を考えていた。
「肖像画ができそうだから、このあたりでそろそろ帰国してみようかと思うんだ」
こう切り出したディドリクに、メシューゼラとノラが賛成する。
「賛成。ガイ兄様の結婚式にも出られませんでしたし、久しぶりに会いたいです」
「私も帰国は嬉しいです。リュカがどうなったのか少し気になりますし」
対帝都法術師問題もあるのでまたすぐに戻ってくるだろうけど、空陣隊の協力を得ている今、かなりの時間短縮ができるはずだ。
そんなわけで、異論はなさそうだったので、ボーメン卿にそれを伝えに行く。
さらに、ペトラ、ブロムにも伝えて、その日は終了。寝室に戻る。
だが一つ、当地を去るにあたって気になることもあるので、それを解決しておこうと考えていた。
そこでアマーリアを呼んで、やろうとしていることを伝える。
「はい、兄様、私も気になっていました」
と相変わらず小さな声で応えて、ディドリクが腰かける寝台の横に、ぴょこんと座る。
召喚術式を詠唱し、正式な魔術通信で呼びかける。
「ベクター、我が声に応えよ」
反応はなかった。
だがこれも予想通りだったので、今度はシシュリーに呼びかける。
「シシュリー、我が声に応えよ」
こちらもしばらくの時間沈黙が続いたが、やがて白い靄が兄妹の前に立ち現れる。
時刻は夕刻を過ぎて、深夜とまではいかないが、夜の闇の中。
「何用ですか」
きわめて機械的な言葉で、その白い靄がヒトガタを取り始める。
しかしそれはシルエットだけで、実体にまでは変化しない。
「シシュリー、報告と質問、そしてお願いがあります」
「まずは報告です。遅れてしまったことをお詫びします」
そう言って、ジュードニア、教皇領での暗殺隊をほぼ駆逐したこと、教皇領で法術家と接触したことなどを伝えた。
「そうですか、瑠璃宮の第五席を倒し、第二席を引退させましたか」
「私たちの宿敵である妖術師はまだ健在ですので、引き続き追うつもりですが、ひとまずこの地には大きな脅威がなくなったと考えています」
「わかりました。それで、ケルティーニは私についてどう言ってましたか?」
この問いにはどう答えたものか、一瞬躊躇したのだが、ケルティーニの元へ行くように言ったのはシシュリーだったので、できるだけ私見を交えず報告する。
「なるほど、あの方らしいですね」
「わからないことが多すぎたので、ちゃんとした答えができなかったのですが、シシュリーはケルティーニと対立しているのですか?」
「いいえ。少なくとも私はそうは考えておりませんが、ケルティーニがそんなことを言ったのですか?」
「ケルティーニ自身から聞いたわけではなく、態度からそう感じただけです。それと、ケルティーニの高弟の方からも少し話を聞きました」
「高弟? そうですか、彼も門弟を抱えていたのでしたね」
直接聞いたものかどうか、かなり迷っていたのだが、思い切って尋ねてみる。
「シシュリーは第十二世魔法博士の弟子なのですか?」
少しの沈黙の後、シシュリーが答える。
「それに関しては、今はまだ秘匿の原則を貫かせてもらいます」
「そうですか、失礼な質問になっていたら、陳謝します」
「いえ、失礼と言うことはないのですが、その答えには、私の出自も含まれてしまいますので。時が経てば語れることもあるでしょう」
一通り報告も済んだので、ディドリクは今回呼び出した主旨へと入っていく。
「今回、お呼び立てしたのは、お願いがいくつかあったからです」
「なんなりと」
「そろそろベクターを眠りから解き放っていただけないでしょうか」
「ベクター?」
少しの間を置いて、シシュリーが続ける。
「あれは話を聞かれたくなかったから、というだけでしたけど、まだ眠っているのですか?」
この答にはかなり驚かされるディドリク。
「とっくにあなたが目覚めさせていたのだと思ってましたが...」
しばしの間の後、シシュリーが言う。
「これで大丈夫だと思います。ただし、呼び出すのは私が去ってからにしてください」
「それではもう一つ。ペトラは私の元に置いていても良いのですか?」
「問題ありません。なんならあなたのものにしてしまっても構いません」
あなたのもの、とは過激な言い回しだが、恐らくこちらで雇いこんでも問題がない、ということだろう。
それから、ディドリクは今後の予定を語り、問う。
「まだ我々の仇敵と言っていいノトラとその仲間は追い詰めていません。また協力していただける、と考えて良いのでしょうか」
「ええ、それはもう。私もあの女、嫌いですから」
感情的表現を聞いて少し意外な気分になったが、
「しかし油断はしないように。パトルロと対面したならおわかりと思いますが、法術が魔術、妖術に優るとは言っても、その道のトップとは力の差はそれほどありません」
「はい。もちろんです」
「ノトラは恐ろしい敵です。瑠璃宮であれに対抗できるのはフィーコくらいでしょう」
「フィーコと言うのはオストリンデ駐在の第四席と聞いてますが」
「そうです。瑠璃宮では力を隠していますが、とんでもない化け物です。くれぐれも油断なさらぬように」
パトルロから五芒星の席次は実力の順ではない、と聞いていたので意外さはなかったが、瑠璃宮の中枢さえも騙せている、ということか。
「シシュリーは無理宮の内情について、詳しいのですね」
「そりゃ、ゲマの近くにいますから」
「え!?」
「ですから、彼らと対決することになっても、私を誤射しないでくれると助かります」
ディドリクが言葉を継げずにいると、
「あ、誤解をしないでください。私はあなたの弟達を暗殺していった一味、仲間ではありませんし、瑠璃宮にいるのは別の目的があるからです」
「その目的をうかがってもかまいませんか?」
「いえ、これももう少し待ってほしいのですが、これについては近いうちにお話できると思います」
少し考えた後、ディドリクは答える。
「わかりました」
会談は終り、白い靄は空間に溶け込むように消えていく。
アマーリアと二人っきりになった部屋で、ディドリクは改めてベクターを呼び出してみる。
「ベクター、我が声に応えよ」
すると、壁にシミのようなものがあらわれて、熊皮を被った男が現われる。
「む、フネリックの第二王子か」
そう言って壁の中から近づいてくる。
と言っても霊体なので、姿がはっきりした、という程度でしかないのだが。
「帝都の法術家との対談途中に眠らされたと聞いてました。呼び出しができず、不甲斐ないことになってしまい申し訳ありません」
「ふむ、さようか、我も不意に意識が飛んだので、その間のことは把握しておらぬのだ」
そこでディドリクはこれまでのことを伝えた。
暗殺隊の件については、ディドリクも第一に考えている、ということを知ってたのでとりあえずは喜んでくれたものの、一番の興味は帝都の法術師らしかった。
「第十三世魔法博士の門人か、ということは、我の同門、兄弟弟子ということであるな」
「御存じですか?」
「いや、知らぬ。我は第十三世門弟の中でも早い時期に死んだのでな。我の死後に入門したのであろう」
淡々と自分の死について語るあたり、ベクターもまた『法術の奥義』に近づいて、そして果たせなかったのであろうか。
そのあたりをぶつけてみると、
「そのケルティーニの高弟は、そう言ったのか?」
「はい」
「時の操作、というのは確かにその一面であるが、決して不老不死と言う意味ではないので、間違ってはおらぬが正しいともいえぬ」
確かに、常人とは思えぬ長寿を得ていても『法術の奥義』には届かず、かつ、今まさにその人生を終えようとしているケルティーニである。
時を操つるというだけが『法術の奥義』ではない、というのは納得できるところだ。
「だが、その話は別の意味でも興味深い。ケルティーニは同門であるはずの第十四世とは会っておらぬ、と言っていたのであるな?」
「はい、ケルティーニから直接ではなく、その高弟であるメルトンからの言葉でしたが」
「つまり、ケルティーニは会ってこそいないが、第十四世は存在し、既に襲位は終えていた、という考えなのだ」
第十四世魔法博士は実在した。
そのことを、第十三世の門人であるベクターから聞くと、いよいよ自分の近くにいたかもしれない、系譜上の魔法博士について深い興味がわいてくる。
いや、興味だけでなく、自分が法術家としての道を歩むようになったこの人生について、どれほどの意味があったのか、考えてしまうところでもある。
「しかも第十四世だけでなく、その次の可能性についても、か」
「僕は自分の力について、まず暗殺隊を排除するために使いたいと思ってました。しかしこの力の源、その系譜についても、何かに導かれているように感じるのです」
「まだまだ課題は消化されておらぬ、ということかな」
そう言って、ベクターは考え込むそぶりになる。
「良いだろう、我も法術の継承のために、この霊体としての復帰を果たしたと思っておる。汝への協力を続けようぞ」
「ありがとうございます」
「しかし、次にこの教皇領の法術師と、あるいはそのシシュリーとやらとも対面する時には同席させてほしい」
「もちろんです、僕の方からもお願いしたいくらいです」
ベクターとの対面を終えて、就寝の時間となる。
じっと話を聞いていたアマーリアは、自身の寝台に戻ろうとせず、ディドリクに身を寄せている。
「兄様、怖いです」
聞こえるかどうか、というくらいの小さな声で、ポツリと言う。
「ここに来てから、胸がつぶれそうな、重苦しい圧を感じるのです」
認知結界を習得してから、アマーリアの感覚がどんどん鋭敏になっていくのは感じていた。
アマーリア自身も、それを用いて認知結界を張っているからだ。
だがその感性は結界のためと言うより、彼女自身の内的進化のためともいえるようだった。
それゆえ、その身に、常人では感知できぬ「意思の大気」を感じてしまっているのだろう。
あるいは、その小さな身に収めきれない強力な法力。
法術師としてのアマーリアは、進化するにしたがって、未知の領域が増えているようにディドリクには感じられた。
こういったことについても、関心を持っていかねば、と思い直したディドリクは、幼い妹を招き寄せ、抱きしめる。
膨大な魔力は、その所有者の許容量を超えると、時に気がふれてしまうことがあると言う。
法術師の法力と、魔術師の魔力とは似て非なるものではあるが、注意は必要だろう。
肩を震わせる幼い妹から、それを受け止めるべく抱きとめるのだった。
一週間の後、肖像画は完成し、フネリック王国大使館に納品された。
その礼と残りの額の支払いに、ディドリク達はギャリコの工房にやってきた。
「良い仕事をさせてもらいました。できれば今後ともご贔屓に」
ギャリコの手をしっかりと握り、ディドリクも
「肖像画という文化をこれまで知らなかったのが、恥ずかしい限りです。こちらこそこれからもいろいろ教えてください」
そう言って、絵を厳重に包んで受け取った。
その後、教会や教皇庁、ノルドハイム王国大使館へも挨拶に行き、空陣隊を出してもらうように要請し、いよいよ帰国の準備が整った。
「たぶん、またすぐ戻ってくることになると思います」
ヴァルターにこう告げて、ズデーデンシーバー率いる空陣隊の函車に乗り込み、教皇領を離陸した。