【三】 奥義に到達できなかった者
「後継者、と言うことは、第十四世はおろか、既に第十五世も存在している、ということなのですか?」
ディドリクのこの質問に、メルトンは
「いや、これはまだ観測もされてないし、推測の域を出ない。そもそも第十四世すら、観測範囲でしかないから」
と、やんわりと否定寄りの見解を出し、さらに
「ただ魔法博士の襲位と言うもの自体が、外部からは観測しづらいのだよ」
ともつけ加える。
「国王の襲位や、皇帝、教皇などの即位と違い、魔法博士の襲位は内外に公表されたりするものではない」
「法術の奥義にしても、我々がそう呼んでいるだけで、魔法博士自身がどう呼んでいたか、定めていたかもはっきりしませんし」
ブランケもこれに続ける。
従って、今ブランケが解説したことも、概ねこれは認めてもいいだろう、という範囲に過ぎないと言うのだ。
系譜に続き、次は法術の概論と術理が、今度はメルトンによって語られる。
法術が後天的、と言うのは師も言われていたが、もう少し付け加えると、膨大な時間を伴って達成されるのがほとんどだ。
学理、術理を学び、霊言文字や神言文字を自家薬籠中に収めるまでに習熟し、その上で古典古代、あるいは古式術式を解釈していく。
これは一朝一夕でできることではなく、短くても半世紀は必要とされ、その程度の時間で収まっていることさえ稀なのだ。
それゆえ、法術師と言うのは高齢の者が多い。
君たち兄妹のような若い法術師が生まれたことなど、記録にはほとんどない。絶無、と言うわけではないのだが。
法術が、魔術、妖術等に対して優位であるのは、このかけられた時間によるところも大きい。
その背景に学理があり、真理に到達した賢者の研究が累積されている。
基本的に、個別の術式のみを発展させてきた魔術とは、この点において大きく異なる。
かけられた時間の深さと重さ。
そして法術の奥義が『時』と関係しているらしい、という観測、あるいは解釈もこのあたりから出てきている。
術理、学理の真理に到達するには、人の一生はあまりにも短いから。
個々の法術、術理にまでは立ち入らなかったが、だいたいの概要が終わった。
ここまで聞いて、ディドリクには少し不思議に思われる点があったので、それをメルトンにぶつけてみた。
「高齢でない者は僕とアマーリアの二人だけ、と言われましたが、するとシシュリーはどうなるのでしょう?」
相変わらず感情の見えぬ顔で、メルトンは答える。
「確かにあれは、見た目、幼い姿をしているな、見た目は」
妙にひっかかる言い方だが、シシュリーは化けている、ということなのだろうか。
「しかしあなた達二人は、正真正銘、見た目通りの年齢だ。そこに私は興味をひかれている」
「もう一つよろしいでしょうか」
「私に越えられる範囲なら」
「シシュリーにも言われたのですが、鬼眼について教えてください」
ふむ、とメルトンは少し考えて、それは難しい問いだ、と言って語り始めた。
ごくごく簡単に言ってしまうと、鬼眼と言うのは『奥義』につながる道、階梯だと言われている。
それを観測するものとして『天眼』という術理もあるのだが、両者の区別は...難しいと言わざるをえない、そもそも区別の必要があるのかどうか。
鬼眼の発現者は、古より一世代に一人、と言われているが、例外も多いので、それはあてはまらないと考えても良いだろう。
天眼よりは少ない、とは言われているのだが。
また魔術師の魔力量、あるいは妖術師の妖力、そういったものに対する素質、素養のようにも言われるが、定義が決まっているわけでもないのではっきりしない。
ただ、後天的な学理、古式術式に対して、鬼眼は先天的なもの、くらいは言えるかもしれない。
もっとも、歴代の魔法博士がその二つを常に満たしていたかどうかについては、明確にはわからないのだ。
第九世以降の話だ、という研究者もいる。
シシュリーは鬼眼の持ち主だ、と言われ、本人もそれを自負しているらしいのだが。
ここで話を切ったメルトンは、少し迷ったようなそぶりを見せた。
もっともそれでも表情は変わらないのだが。
「あなたに言っていいかどうか、少し判断がつきかねているのだが、非常にまれな『若い法術師』であるあなたには言ってもかまわないだろう」
そう言って、メルトンはブランケに退出を命じた。
「ここからは法術師同士の会話になる。席を外してくれないか」
意外なことにブランケはにこやかに微笑んで快諾し、部屋を出ていった。
「君の友人らしいが、この処置はわかってくれると思う。法術師として語りたいので」
ディドリクが了承すると、メルトンが続けた。
「君も薄々は感じているだろろうが、ケルティーニ師はもう長くない」
「それは、ケルティーニ師が『奥義』に到達できなかった、と言う意味なのでしょうか」
「まぁ、そうとも言えるかな」
「ケルティーニ師は第十三世魔法博士の高弟の一人だった」
さすがにディドリクもこの発言には驚いてしまった。
「でも、第十三世は、百年以上前の人だと伺ってましたが」
メルトンは続いてケルティーニ師について語り始める。
ケルティーニ師は既に百五十年以上、二百年に近い生を歩んでおられる。
だがついには『法術の奥義』には到達できぬまま終わる、そう言っておられた。
第十三世魔法博士は先代の第十二世が優れた弟子を数多く育てられたことを思い、自身も弟子の育成には力を入れておられたらしい。
その中に後の第十四世魔法博士がいたのかも知れないが、ケルティーニ師にはそれが誰なのかはわからなかったそうだ。
そしてもう一つ、その弟子の中には、シシュリーはいなかった、ということだ。
師はシシュリーが第十二世の弟子で第十三世の同門か、あるいはその孫弟子相当なのか、と考えておられるようだが。
シシュリーが第十三世どころか、第十二世につながる者かもしれない。
このことは、深くディドリクの頭の中にしみこんでいった。
なるほど、それくらいの時間を経ているのであれば、シシュリーは既に『法術の奥義』に到達しているのかもしれない。
だがシシュリー自身が鬼眼に言及していたり、それによってディドリクにアクセスしてきたことを思うと、どうもそうではないような気もする。
ディドリクはメルトンに種々の解説について感謝し、その研究室を辞することとなった。
「私からもできるだけ解説したのだから、君たちも新しい情報があれば、どうか提供してほしい」
メルトンはそう言って、またの訪問を求め、ディドリクもそれを快諾した。
「兄様」
と、アマーリアが帰りの馬車の中で、兄の左胸に自らの頭を寄せる。
「少し難しかったね」
「はい」
アマーリアは目を閉じて、まるで眠りに入ってしまったかのよう。
しかしそうではなく、自分の頭でできるだけ理解しようと、メルトンの言葉を思い出していたのだ。
大使館の公庭で、プロムに剣術の稽古をつけてもらっていたメシューゼラだったが、突如強い視線を感じた。
「誰?」
視線の気配がする方を向くが、そこには誰もおらず、ただ大使館本邸へつながる小さな木の扉があるだけだった。
「どうしましたか、姫」
優れた剣士であるブロムが気づかなかった、ということは、剣士の殺気ではなく、魔術師か妖術師の気配だったのか?
メシューゼラも中級程度の魔法が使える。
その魔術気配だったのかもしれない。
その気配はメシューゼラが振り向くとすぐに消えてしまったが、強い感情が感じられた。
その感情が友好的なものか、敵意なのか、そこまではわからなかったのだが。
しばらくして、その気配の正体が判明する。
大使館に来客があり、ボーメン卿が応対したのち、メシューゼラを呼びに来たからだ。
「帝都から、フネリック王国の方に、と面会が来られてます」
そう告げられて、メシューゼラは汗を拭き、少し湯でカラダを流して着替えた後、対応することとなった。
「長い時間、お待たせしてしまい、申し訳ありません」
そう言って応接間に現れたメシューゼラが見た人物。
茶色の上衣に灰色のズボンを履いた、中年の紳士がそこにいた。
しかし、メシューゼラはその人物が、さきほどの気配の正体だ、と見抜いていた。
「いえいえ、こちらこそ予約もなく、いきなりの訪問、たいへん失礼いたしました」
そう言って茶色の服を着た紳士は詫びて、名を名乗った。
「私は帝都文化学術省のペピルトーンと申します。文法学院の教授もやっております」
「フネリック王国第一王女、メシューゼラです。生憎と兄は今この大使館にはいません」
「そうですか、それは残念です」
そう言ってペピルトーンは、またの来訪とその予約、そして言伝を残す。
「帝都文法学院の方から、何人かの教授、博士たちが、ぜひディドリク・フーネ様と歓談したく、帝都への御来訪を願い出ておりますと、と」
そう言って、書面をメシューゼラに手渡した。
「ご訪問をお願いしたい日時について、相談いたしたく考えてますので、後日、また訪問させていただきます」
日時については、とりあえず明日また来ると言い、もし不都合なら、この教皇領にもある帝都・大使館まで連絡いただきたい、と言うことだった。
表面上は、穏やかな予約を取りに来た来訪だったが、あまりにもタイミングが良すぎる。
帝都・瑠璃宮の暗殺隊をいったん退けたその直後、この帝都からの招待である。
当然裏に瑠璃宮の意図がある、と考えられるだろう。
そんなことを思案しつつ、メシューゼラは、兄と妹の帰還を待っていた。




