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魔法博士と弟子兄妹  作者: 方円灰夢
第七章 ツィトロンの花咲く都
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【十六】 既視感

♪語らずや、君、その瞳の見つめる先を、憧れもちて その見つめる先を~


近頃、町ではやりの一説を口ずさみながら、エンリケッタがギャリコ親方の工房に現れた。

ギャリコ親方の工房で、泊まり込みの仕事をしている幼馴染、父の弟子でもあるアントーニオに差し入れを持ってきたのだ。

昼の少し前からくりやに立ち、東方由来の包丁という大きなナイフを操り、さまざまな具材をはさんだパンをこしらえていく。

水筒に紅茶を詰めて、いざ、おでかけ。

暑熱の厳しい季節だが、今日は少し風があり、涼しい。

サン・マルコ教会脇にあるギャリコの工房が父の工房から近いこともあり、それほど汗をかかずに着いた。

エンリケッタが生まれる前からの友達同士であるギャリコとラボージェ、その工房は勝手知ったる、というところ。

表玄関ではなく、工房に直結している狭い裏庭の勝手口に回り、トントンと軽快に足音を立てながら工房へ向かう。

いた!

アントーニオが座り、横でギャリコがいろいろと指示を出している。

まだ昼休みには入っていないようなので、そこで足を止めるエンリケッタ。

そこでようやく工房全体を見渡す。

父ラボージェの教会壁画の仕事が終わり、協力してくれた各工房は休みになっていたり、小さな仕事を受けているだけ。

このギャリコの工房も職人の数は1/3以下になっている。

そんな様子を俯瞰するように眺めていたエンリケッタだったが、ある一点で、視線が釘付けになる。

(あれは...だれ?)


ギャリコの工房に着いたメシューゼラは、進捗状況をうかがうとともに、細かな調整のために、また被写体として椅子に座る。

ギャリコが肖像に手を入れたり、それとは別のスケッチをしたりしていると、そこにアントーニオとフランコもやってきた。

「姫様、来ていただけたのですか」

アントーニオがそう言って、目を輝かせた。

「兄が所用で教会の方に行きましたので、同行させてもらいました。時間ができたので、少し見せて頂こうかと思いまして」

姫様と呼ばれたメシューゼラは、姫様らしくよそ行きの顔で答える。

「大歓迎です。どうかまた座っていただけますでしょうか」

そう言って画布の対面に椅子をすすめた。


相変わらず鋭い視線だ。

まるで射すくめるかのように、あるいは睨んでいるかのようにさえ見える。

しかしこの前の訪問で、かれら絵師というのは、そうやって対象をとらえているのだ、とわかったため、もう恐れはない。

むしろ、その視線の前に、自分の美質をできるだけさらそう、とさえ思ってしまった。

絵師の方もそれがわかって、その被写体から発せられるオーラのような映像を、極力画布の中へ落とし込もうとする。

緊迫した、それでいて奥深い心が通うような時間、空間。

絵師とオブジェは、存在するという一点を通じて、そこにある世界を形作っていく。


永遠にも続くかと思われた時間は、ギャリコがいくつかアントーニオに指示を出したことで中断する。

メシューゼラも息を継ぎ、緊張が解けた。

「姫君、もう少し緊張を解いてくれてもいいんですぜ」

とギャリコが笑いながら言う。

「そ、そう?」

メシューゼラも頬がゆるんでくる。

「そういう柔らかい、優しい表情も姫の美質の一つなんですから」

「でも親方、俺はこの研ぎ澄まされた、鋭利な表情も大好きです」

「バカ野郎、平民でまだ徒弟風情のてめえがそんな口を利いちゃいけねえ」

ポカリとアントーニオの頭を軽くなぐるギャリコ。

とは言っても、これが彼らの冗談だ、というのは伝わってくる。二人の目も笑っているし。

「そんなこと言われたのって初めてだから、すごく嬉しいわ」

メシューゼラもそう言って、笑顔になる。

アントーニオは、少し顔が紅潮していくのを感じた。


「兄や妹のも見せてもらっていいかしら」

そう言うと、フランコが二人のキャバスに覆われていた布を外し、見せてくれる。

しばらく眺めて

「すごいわ、もうこれほとんど完成じゃないの?」

「いやいや、まだまだこれからです。ここからが肖像画家の腕の見せ所なんで」

そう言ってギャリコはニコニコしている。

するとフランコが、

「何か注文があれば承ります」

と言ってくれるが、初めての肖像画なので、どこが良くて、どこを修正してもらえばいいのか、わからない。

そもそもこの段階で、実物そっくりに感じていたのだから。

そのことを素直に話すと、

「ハハハ、まあそう硬く考えなくても、軽く希望という形でいいんですよ」

とギャリコが教えてくれる。


休憩に入ったらしい、と判断して、エンリケッタがおずおずと進み出た。

「あの...アントーニオ、お昼を持ってきたんだけど」

いっせいに視線が自分の方に向けられて、緊張してしまうエンリケッタ。

「おう、すまねーな、エンリケッタ。アントーニオはもう二~三日預かるから、ラボージェに伝えといてくれ」

エンリケッタは少し近寄って、目に留まった赤髪の少女を見た。

近くに来ればわかる。数日前見せてくれた、スケッチの少女だ。

ラフ画のときに、すごくきれいな人だ、とは思ったが、目前に見ると、また違う存在感を感じてしまう。

整った顔立ち、若さが濃縮したような輝く肌。深い湖を覗き見るような神秘的な瞳。

そして何よりも、人の髪とは思えないほどの美しい赤が輝く赤髪。

赤髪、と言っても、たいていの赤髪は、ブルネットの色相が落ちたようなもの。

赤というより薄い褐色に近かったり、黒の濁りが入ってたりするものだ。

ところがこの少女の赤髪はどうだろう。

赤髪が多いこの南方でも、こんなに美しく朱の色が発色している赤髪は見たことがない。


「姫様、こちらはラボージェの工房んとこの親方の娘でさ。アントーニオが所属してて、例の大壁画を担当してた工房の」

ギャリコに紹介されて、メシューゼラは笑顔を向けた。

「はじめまして。私は北方のフネリック王国から来たメシューゼラです」

儀礼的ではあったけど、にっこりと微笑んだメシューゼラの顔は、今度は愛らしさの方に振れた。

ポカーンと見つめていたため、エンリケッタは挨拶が遅れてしまう。

「失礼しました、私は壁画を主としてやっている工房ラボージェの娘、エンリケッタです」


「北方の田舎育ちなので、肖像画なんて生まれて初めてなの。完成がますます楽しみになってくるわ」

そう言って、くるくるとスカートを翻しなから、まるで舞うようにしゃべるメシューゼラ。

どこが田舎育ちなんだろう、とエンリケッタは思いながら、その美しい声や所作を目で追っていた。

もちろん多少の謙遜はあったが、王族レベルでなら田舎育ち、という表現は間違っていない。

しかし兄とともに、帝都の皇帝嫡孫の成人式に出たり、ノルドハイム王国の戴冠式に出たりして、それなりの場数を踏んでいるのだ。

平民目線で見れば、とても田舎育ちとは見えないのだろう。


「ヴァルター殿下が持ってきてくださる仕事はありがたいのですが、やはり男の絵ばっかりですと、姫様のような美姫の注文が入りますと、こちらも気分が高揚するってもんでさ」

「まぁ、お上手ね」

なごやかな歓談の後、午後の仕事になる。

少し画布の前に座った後、メシューゼラは退出を告げた。

「今度は兄と妹をひっぱってきますわ」

そう言って、メシューゼラは出ていった。


退出後、エンリケッタは画布とアントーニオを交互に見つめる。

「綺麗な人だったわね」

アントーニオは、別に取ったスケッチを見つつ、画布に少しずつ手を入れている。

「ああ、まさに女神のような美貌だろ?」

エンリケッタは、熱に浮かされたようなアントーニオの視線に、否が応でも気づいてしまう。

「あんな人の横に座って、恋を語らう男性は、どんな男性なんだろう」

その瞳の中に、情熱と同時に、一抹の寂寞を込めるアントーニオ。

「おいおい、小国とは言え王国の姫君に恋こがれてしまったのか? しっかりと身分をわきまえろよ」

とギャリコが冷やかし気味に声をかける。

「わかってますよ」

と、少し苦味を見せながらアントーニオは答える。

「でも、この胸に、憧れを抱くくらいは禁じられたりはしないはずだ」

と、小さな声でつぶやくのを、エンリケッタは聞いてしまった。



サン・マルコ教会。

面会を終りにしかけたケルティーニを見て、ディドリクが声を上げる。

「お待ちください、まだ伺いたいことがあるのです」

しかしケルティーニはあくびをかみ殺しながら、

「儂は疲れた。どうか今日はこれで引き取ってほしい」

そう言うと、カラダをいっそう深く、椅子に沈みこませた。

「聞きたいことは、メルトンに聞くが良い。既に私の知識は、彼にほとんど全てを移している」

そう言うと、眠りについてしまった。


「それではこちらへ」

メルトンに誘われるるまま、兄妹は教会の外に出る。

「師も言われましたので、ご質問は私が承ります。ただし、答えられないこともございますが」

と口を開く。

声を聞く限り若い成年男子のようだが、姿かたちからは性別、年齢が測りがたく、ネズミ色のローブに覆われている。

馬車の元に戻ってきたが、まだメシューゼラは戻っていない。

「これから行くのですか?」

と尋ねると

「よろしければ。馬車はこちらで用意しますので、貴殿の馬車には言伝を残して、ここに置いてもらってかまいません」

とメルトン。

それほど時間もかからなさそうだったので、馬車に言伝を残して出発する。

もし夕暮れまでに戻らない場合は、先に帰ってほしい、と。


教会の馬車は、内装に布団などが敷いてあり、すこぶる快適で、あっという間に教会東側の洞窟入り口についてしまった。

たぶん徒歩でも行ける距離だったが、メシューゼラとの待ち合わせを考慮して、時間短縮を心がけてくれたのだろう。

「ここはかつて、魔法博士たちが、魔法博士になる前に、修行した、と伝わっているところです」

洞窟はかなりの大きさ、広さで、その入り口にしめ縄のようなもので遮られてはいたが、またいで入れるしろもの。

メルトンがそれをまたぎ、ディドリクがアマーリアを抱えて縄をまたぐ。

「兄様」

「しっかりつかまって」

と、中に入った後、自分の帯をつかませる。


山肌の入り口にある洞窟だったが、入り口しばらくは踏み固められていて、道ができていた。

そしてその入り口に足を踏み入れた時、ディドリクには強烈な既視感が襲ってきた。

(ここは...ヒューゲルの洞窟、と言ったか?)

内心で自問しながら、ディドリクはその不思議な道を歩いていく。

(まちがいない、ここは確かに来たことがある。ここは...?)


奥に入るに従って、湿った道に木の葉の残骸が敷き詰められているらしいことがわかった。

水路は流れていないが、適度な湿度がある。

洞窟の道と言ってもかなり広く、十分に人が立って歩ける高さ、幅である。

徐々に光が薄れ、足元は見えないが、広さと木の葉の道で、それほど困ることはない。

先頭にメルトンが、そしてディドリクの後ろには、彼の帯をつかみながら、アマーリアがぴったりとついてくる。


しばらく進むと、ぼんやりと薄明りが見えた。

松明ではなく、光る魔石がはめこまれた通路だ。

それを越えてまたしばらく進む。

闇の中での行進は、距離の感覚がだんだんに薄れていくが、今度もまた光る魔石の照明が目に入った。

メルトンはその二つ目の照明の前でとまり、岩肌にくりぬかれた室に施された扉を開く。


「ここです」

メルトンがまず入り、室内の魔石照明に灯りをともす。

と言っても、それでもまだ相当に暗いのだが。

ディドリクが、続いてアマーリアが足を踏み入れる。

その室は乱雑に散らかっていて、卓と思しきものの上には古びて化石のようになってしまった紙片が積み重なっており、床も地面が見えないほどに紙片が散乱している。

二つの卓と、二つの椅子、のような痕跡。

壁面には、かつて書棚であったようなくりぬきとその痕跡が目に入る。


ディドリクの胸の中にあった既視感は、ここで頂点に達した。

(ここは...、ここは...)

メルトンが語りかける。

「法術師として、あなたの考えを聞きたいのです」

だがディドリクにはその言葉は頭に入ってこなかった。


(ここは、幼き日、あの第十四世に夢の中で講義してもらった場所だ)

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