【十五】 法術の奥義
瑠璃宮五芒星と、妖術師ノトラの情報を問うたディドリクだったが、それほど新しいことは出てこなかった。
そこで一度大使館に戻り、戦いの傷をいやすべく、二日の時を過ごした。
「アマーリア、もう一度ケルティーニの元へ行ってみようと思う」
「はい、わたくしも同道させていただいて良いのですね?」
その二日後の朝、アマーリアにこう持ち出すと、メシューゼラもかんできた。
「兄様、私は? 私は?」
「そうだね、ゼラも一緒に行こう」
ディドリクの言葉を聞いて満面の笑顔になるものの、
「でも最初から、アマーリアと一緒に『行こう』って言ってほしかったな!」
と、少し拗ねたようなポーズ。
「ごめんごめん。でも法術からみなので、ゼラだとまた前みたいに弾かれるかな、という気もしたんだよ」
そう、名目としてはパトルロの屋敷、暗殺隊の拠点を教えてもらったことへの礼、という名目だが、法術師同士の因縁についても聞きたいと思っていたのだ。
だが、まだノトラ達妖術師のその後こそ補足しきっていないが、この南方での暗殺隊については、あらかた決着がついた。
ジュードニアに到着した頃のことを思うと、はるかに危険は少なくなっている。
「だからゼラだけ面会を拒絶される可能性が高いけど、その場合は教会の方に行って、肖像画の進み具合なんかを見ておくのも良いかな」
「え、一人で?」
「ペトラかブロムを付けようか? ノラでもいいけど」
少し考えて、赤髪姫は答える。
「いえ、一人でいい」
戦いが終わった一昨日、ディドリクは疲れてはいたが、ケルティーニに面会を求める使者を立てておいた。
その時は一人で行くつもりだったが、ケルティーニの方から
「もう一人の法術師も連れてこい」
とも言われていた。
恐らくベクターではなく、アマーリアのことだろう。
「そう言えばベクターはまだ眠らされたままだな」
と思い直し、ベクターを呼んでみるが返事がない。
霊体にはなっているが、ケルティーニやシシュリーのような海千山千の法術師と向き合っていくには、彼の知識が重要だったのだが。
それゆえ、シシュリーは彼を、この戦場から遠ざけようとしたのかもしれない。
朝食を済ませて、フネリック王家三兄妹が出立する。
一応護衛としていつもの二人、黒檀族の剣士ブロムと、シシュリーから派遣された戦闘メイド・ペトラも同行させる。
ただし今回はもう戦いになることもないだろう、と思い、馬車の中ではかなり落ち着いた雰囲気だ。
メシューゼラはこういう時、いつも会話の中心にいる。
アマーリアもよく笑うようになった。
と言っても、呵々大笑とかにはほど遠く、微笑みを浮かべる程度ではあるのだが。
表情が見えにくかったペトラとブロムも、ディドリクの妹たちの前で、いろんな表情を見せるようになってくれている。
メシューゼラはブロムに、剣士としての心構えや、技の練度向上などについても聞いている。
ちょっとしたピクニック気分。
南国特有の暑熱はまだまだ続くが、この日はかなりすごしやすく、さわやかな風も吹いていた。
おしゃべりをしていたので、サン・マルコ教会へはあっという間に着いた。
礼拝堂受付で到着を告げると、前回と同じ僧衣をまとった人物が対応に出てきた。
来訪を告げるが、やはり予想通り、通してくれるのはディドリクとアマーリアだけのようだった。
もっとも、対談している途中で眠らされてしまっても少し困るので、これはこれでいいか、と考え、
「それじゃ予定通り、ギャリコ親方のところにでも行っておいで」
と言って、メシューゼラを送り出す。
ディドリクとアマーリアは、以前と同じくケルティーニの書斎兼寝室のような部屋に通された。
そこには数日前と同じかっこう、同じ衣装でケルティーニが座している。
おそらく影の中に潜んでいるのだろうけど、あの二人の従者は見当たらない。
そして、勧められた椅子に座る。
今回はそれほどの敵意は向けられていないように感じた。
術比べ、あるいは勝負をつけに来たのではない、と言う言葉を信じてくれたのかもしれない、などと考えていた。
「面会の許可、ありがとうございます。報告に来ました」
簡単に挨拶をすませて、マーブリアンの元へ訪れたこと、ペトルロ配下の暗殺隊と戦ったこと、妖術師は取り逃がしてしまったことなどを報告する。
「まあ、当然かな」
とつぶやくように言って、少し考えるケルティーニ。
「しかし、パトルロとは戦わず、か」
「パトルロを御存じなのですか」
ついこう漏らしてしまったディドリクだったが、少し後悔した。
同じ教皇領に住む、奇跡の術のトップだ、知らないわけがない。
だがそれには答えず言う。
「法術師が魔術師と戦えば勝つのは当たり前。だがその中にあってもパトルロならひょっとすると、というくらいの術はもっておろう」
それはそれとして、とゆっくりと視線をディドリクの上に落とすと、
「この前の返事は持ってきてくれたのか」
と聞いてきた。
この前の、というのは、このケルティーニと『白い少女』シシュリーのどちらにつくか、という問いだ。
だがもちろん答など出せない。
そもそも二人が争っている理由、その背景なども知らないのだから。
「情報をいただいたことには感謝しています。しかし、私にはお二人が争う理由も経緯も知らないので、判断できないでいます」
と正直に答え、もちろん敵対する意思などないことも加えてみる。
だが以前と違い、ケルティーニはこの問題にはあまり熱を持っていないように見られた。しかし、
「ふん、先送り、と言うことか」
と、ディドリクの答えには不満だったことがうかがえた。
「しかし、格下を相手にしていたとは言え、ペトルロの部下を壊滅させたことは評価してやらんでもない」
そう言って、ケルティーニは強い視線を兄妹に向ける。
「せっかく来てくれたのだから、私の方からも質問がある。お前は誰に法術を学んだのだ」
ディドリクはどう答えたものか、そもそも答えるべきなのかどうか、逡巡していた。
以前のように、隠匿、秘匿を理由にして隠しても良いのだが、次のケルティーニの問いがさらに強く踏み込んできた。
「法術の性格上、若くしての独学など、不可能だ。君は魔法博士の誰かから習得したのではないか」
ディドリクが答えられずにいると、
「第十三世か、第十四世か、と睨んでいるのだが、どうかな?」
ここで初めて、ケルティーニの顔に笑みが浮かんだ。
もちろん好意的な笑みではなく、皮肉めいた笑みだったのだが。
「君は、魔法博士について、どの程度のことを識っているのだ」
今度は質問の方向を変えてきたので、ここでようやくディドリクが答える。
「第十三世まではかろうじて記録が残っている、とは聞いています」
「実在については?」
「そこまでは深く研究したことがありません」
ケルティーニは視線をはずし、左手にある書棚から、一冊の紙束を取り出し、その頁を繰り出した。
「私は今、魔法博士の系譜を編んでいる。これがおそらく最後の研究になるはずだ」
椅子の背もたれに沈み込み、深い息を吐く。
「しかし、それとは別に、君や、君の妹のような、十代の法術師という今までの常識では考えられぬ存在に驚いている」
これは以前にもベクターから少し聞いたことがあった。
法術というのは後天的要素が強く、それゆえ研鑽を積み、古典古代の文法を自身と一体化させる必要があるため、時間がかかる。
魔術や妖術に年齢の差があまり見られないのに対して、法術の完成者は圧倒的に高齢の者が多い。
だが、シシュリーは幼く見えたが、と思っていると、
「研究を進めていくに従って、気になることが出てきたのだよ」
今までの敵意が消え、同行の士と話すような熱で語り始める。
「それは、魔法博士なる存在が、いつ頃『法術の奥義』に到達したのか、と言うことだよ」
『法術の奥義』...これは初めて聞いた言葉だ。
第十四世の夢講義では、その言葉はでてこなかった。
いや、ひょっとすると言葉で概念化していないだけで、実質は伝えられていたのかもしれないが、言葉としては聞いたことがなかった。
「第三世まではその痕跡がない。そもそも第三世までは実在が疑われている。そして二百歳まで生きたと言われる第八世の頃には完成していたと、私は踏んでいる」
二百歳? 『法術の奥義』とともに、気になる用例がさりげなく語られていく。
そしてさらに続ける。
「私は君に、そのヒントが伝授されているのでは、という期待も少しあったのだがな」
そう言って、目を閉じて瞑想に入る。
しばらくの間、沈黙が支配するその部屋で、ようやくケルティーニが口を開く。
「おまえに見てもらいたい場所がこの教皇領にある」
そう言って、影の中に潜んでいた従者の一人、メルトンを呼び出す。
「メルトン、ヒューゲルの洞窟へ案内してやれ」
深くフードを被ったメルトンがコクリと頷いた。
サン・マルコ教会でディドリク、アマーリアと別れたメシューゼラは、徒歩でギャリコの工房へと向かった。
教会周辺の落ち着いた、静かな空気から、活気のある独特の匂いが充満した工房街へとやってきた。
この日はスカートで、暑さもあって腕や肩も肌を出していたため、注目を集めてしまったが、そんなことにはおかまいなく、工房へと進んでいく。
受け付けにいた徒弟に来訪を告げて待つこと数分、ギャリコがやってきた。
「やあ、お姫さま。供も連れずに一人で来たのかい?」
手を拭きながら、上半身がシャツ一枚になったギャリコがやってて、椅子をすすめ、自分も座る。
「兄は仕事があるので、私だけ、進捗状況を見せてもらいに来ました」