【十三】 教皇領魔術戦決着
アマーリアの言葉に驚くギルベルタ。
しかしアマーリアはそれ以後、口を開こうとはしなかった。
扉が静かに開き、パトルロが入ってきた。
「ギルベルタ、なぜここにいる」
「おじいさま!」
この言葉を聞いて、アマーリアはなぜ暗殺隊と関係がなさそうな少女がここにいるのか、把握した。
この娘は教皇領暗殺隊頭目の孫。
しかしこの頭目は、家族である孫には、自身の仕事を伝えていなかった、ということなのだろう。
「ロベールがこの女の子をつかまえてきてひどいことをしていたから」
「この娘は法術師と言って、それはそれは恐ろしい術を使う悪党なんだ、見かけに騙されてはいけない」
と、孫娘に強く言う老人は、見た目はもうかなりの高齢に見えたが、声は力強かった。
「悪党って...なんちゃら王国の王女って言ってるわよ、それ嘘なの?」
ふーっ、と深いため息を吐いて、ペトルロは置いてあった椅子に腰かけた。
「嘘ではない。この娘はフネリック王国の第二王女だ」
ペトルロはアマーリアの口から封術紙がはずされているのを見て
「娘、反論したいことがあれば、儂の言葉の後に発言することを許す」
そう言って、パトルロはギルベルタに事情をほんの少しだけ説明する。
知っての通り、儂の故郷はこのジュードニア王国北方にある、現在の帝都、ホルガーテ王国だ。
そこで魔術研究に明け暮れていた私に、王国の権威者から、国政に関与する仕事に誘われた。
魔術によって帝都に敵対する一味を掃除する仕事だ。
儂はそこで働いて、出世し、ある地位についた。
帝都の最高機関、五芒星と呼ばれる一員になったのだ。
そして帝都の安寧を国内で達成できたとして、儂はこの教皇領へ派遣された。
そこで家庭を持ち、お前の父やその兄弟姉妹をさずかり、この地に根を下ろした。
おまえの両親に不幸があり、この屋敷へお前を引き取った、このあたりの経緯はもう言うまでもないな。
だが九年前、帝都五芒星から連絡があった。
恐ろしい魔術を使う集団が現れ始めたと。
儂は帝都に戻り、上司である帝国王妃の弟君から、その魔術師の抹殺を命じられた。
ここで言葉を切って、アマーリアを見つめる。
ギルベルタがそれを遮って、
「じゃあ、この娘がその『恐ろしい魔術師』だって言うの?」
「わしはそう認識しているのだが、どうかね、反論はあるかね」
とアマーリアに言葉を促す。
アマーリアは迷っていた。
ここは裁判の場ではない。自分は囚われの身だ。
自分達の立場を表明するべきか、しかしそれは、知らず知らずのうちに自分たちの情報を流してしまうことになるのではないか。
兄はよく言っていた。「法術の基本は、隠匿、秘匿にある」と。
法術と言う言葉を使っていたので、自分と兄が法術師であることは伝わっているのだろう。
しかしそれ以上、法術について極力触れないように、考えながら言葉を紡いでいった。
「私が生まれる前、私の同母兄が二人、貴方たちの呪術で殺されました。二人とも生まれて一年も経たない間に、です」
反応を見つつ、と思ったが、どうもうまくいかない。
やはりこの封術紙で力を封じられている影響だろうか、直感がまったくはたらかない。
「一番上の同母兄が、私や、異母兄を危険から救ってくださいました。そこで兄は私たちを殺そうとしている勢力を排除しようとこの国にやってきました」
こう言って、言葉を切る。
だが、この老人の表情は変わらない。
「行く先々で襲われました。私たちは私たちを殺そうとする人たちを退けたかったのです。それがあなたの言う『恐ろしい』と言うことなのですか?」
公園入り口でグレゴールを倒したヘドヴィヒが、ディドリク達の元へと駆け込んでくる。
そこでは既に戦端が開かれていた。
その中で目を引く、彼女の上司ヴァルター王子の戦い。
彼は今、敵の頭目と対峙していた。
「ディドリク、悪いな、こいつは僕にやらせてほしい」
すると傍らにいたディドリクは
「助かります、僕はどうしても倒したい相手がいるので」
そう言って、公園に植えられた木々の木陰に剣を向けている。
公園中央噴水池周辺では、メシューゼラが巨漢と、ブロムが何人かの剣士と戦っていた。
ヴァルターの元へ向かおうとしたヘドヴィヒだったが、彼がディドリクにかけた言葉を聞いて、そちらへ向かうをやめた。
ヴァルターは今、戦を楽しんでいる。
自分にも覚えがある気持ちを察して、ヘドヴィヒもその戦いを遠目に眺めることにした。
ヴァルターは左手に剣を構えつつも、利き腕である右手を口元に近付けて、詠唱を行っている。
これから放つ技に対しての、連続詠唱である。
向かい合うルーコイズはそれに応えるべく、結界を展開していた。
それぞれ詠唱を終了し、発現されるタイミングを図っている。
「帝妃ゲラの弟ゲムの手の者だな。名はたしか...」
「ルーコイズと申します、殿下。貴殿のような強力な魔術師と対戦できること、喜びに思います」
こう言って口元に笑みを浮かべるルーコイズを眺めつつ
「他国の血統を絶たんとするお前たちの野望、他人事ではないのでな」
公園の地面をブクブクと泡が吹くように、ヴァルターの足元から何かがルーコイズに向かっていく。
かつて王都でグレゴールと戦った時に見せた、黒い蔦の攻撃。
それが地を這うようにルーコイズに襲い掛かる。
しかしルーコイズの結界は既に完成しており、その蔦がルーコイズにとびかからんとする前に、切り刻まれてしまった。
ただの物理結界ではない。
その領域に入る者を切り刻む、攻防一体の結界だ。
もちろんヴァルターも、この程度で倒せるとは思っていない。
ルーコイズの結界、その質を見極めるのが目的だったからだ。
再び黒い蔦がヴァルターの足元からルーコイズへと向かう。
しかし今度は結界の直前で停止して、ルーコイズの周囲、結界領域ギリギリのところを取り囲むように回り込む。
そして、黒い蔦が振動した。
ルーコイズの立っている場所が舗装されていない地面だったため、土煙が舞い、立ち上がった。
結界が土埃を切り刻む。
だが同時にそれが結界の鑢の目につまり、さながら土の盾のようなものがルーコイズの周囲に出来上がった。
ヴァルターが右手を差し出すと、その指先から細い、糸のように細い青焔が土壁を貫いた。
しかし、手ごたえがない。
結界のあった場所に出来上がった土壁が、その貫かれた場所から崩れ落ちる。
だがそこにルーコイズの姿はなかった。
ヴァルターもそれは想定内。
影魔法を使った可能性もあるが、むしろ何かのエネルギーをぶつけて攻撃してくる方を考えていた。
案の定、背後から空気の渦が渦巻いて、先端を錐のようにしてヴァルターに襲い掛かってくる。
乾いた鋭い音を立てて、ヴァルターが立っていた位置の何かがはじける。
しかしヴァルターもこれを躱して、その風錐の発射地点と向きあっていた。
(速い)
お互い、相手の移動速度にも警戒の色を強めていた。
この時、木々の間に感じられた妖術の渦と対峙していたディドリクの方は、突如気が抜けたように、その妖術が萎んでいくのを感じた。
(逃げの術か?)
そう思い、間合いをとるよりも攻撃を優先して、風刃を影の濃い場所に放った、
妖術の痕跡は、消えてしまった。
前夜の襲撃、その時に感じたノトラの妖術。
それに違いない、と思ったのだが、どうやらここでは戦うつもりではなかったのか。
周囲に残っていたいくつかの妖術痕跡も消えていく。
(観戦か、それともスキをうかがうだけだったのか)
そう思いつつも、妖術索敵は解かずにその場を離れた。
ヴァルターとルーコイズの戦いは、決着の時を迎えていた。
ルーコイズが両腕を広げると、彼の身体が発光する。
その光がいくつもの条を作りヴァルターに襲い掛かる。
だが光が切り裂いたと思ったのは、ヴァルターの形をした青い炎のみ。
光の通過後、炎はまた一つにまとまり、揺れながらヴァルターの身体になる。
ルーコイズは、ヴァルターがこの分身を作って別の場所に移動したのか、と考えたが、周囲にそれらしき気配は感じられない。
ルーコイズの目が、この戦いを見つめているヘドヴィヒをとらえた。
ヘドヴィヒの目が笑っている。
するとこれはノルド人の北方魔術の一つなのか、と思い、周囲に結界を展開しようとした。
その矢先。
目の前にあるヴァルターの形をした青い炎がさらに温度を上げ、炎の線となって、今度はルーコイズへと襲い掛かる。
全力の防御結界。
しかしそれすらも、ヴァルター青焔術の高温と強い力で切り崩され、溶かされていく。
そう、ヴァルターの青焔術は、相手の魔法式すらも溶かしてしまうほどの高熱に達するのだ。
結界の中に閉じこもる危険を察してルーコイズが結界から逃げる。
その刹那、さらに青い炎から強い針のような青焔が伸びて、ルーコイズの脳をとらえた。
眉間を撃ち抜かれて、帝都の戦闘魔術師、その大御所が倒れていく。
ヴァルターは移動したのではなく炎の中にいて、炎と一体化していたのだった。
「殿下、さすがです」
ヘドヴィヒがヴァルターの元へと駆け寄ってきた。
だが、自身の十八番である青焔術を連発して、ヴァルターは膝をついていた。
「さすがに疲れたよ」
「殿下の青焔術、私たち魔法師団の中でも見た者はそう多くありません。いろいろ勉強になりました」
「自身を炎に化体するのはね、まだまだコントロールできないところもあるので、あんまり見られたくなかったんだけどな」
ヴァルターは苦笑いするが、ディドリクも、目前で見たヴァルターの実力に感心しきりである。
「ヴァルター、こういう本格的な魔術戦は僕も初めてかもしれません。ヘドヴィヒが言うように、勉強になった、というのは同じ気持ちです」
ヴァルターは今度はいささか皮肉めいた笑顔になり、
「僕には君の法術の方がよっぽど恐ろしいよ」
と言って、笑いながら座り込んでしまった。
あらかた公園に潜む暗殺剣士、暗殺魔術師はカタがついたようだ。
「さて」と言って、ディドリクも眼前のペトルロ館を見据えた。
「少し休んだ後、五芒星第二席の元へまいりましょう。おそらく中の連中はこの戦いを見ていたはずですし、隠れるのはもう意味がないでしょう」
「そうだな」と言って、ヴァルターは腰を上げた。
「暗くなると、地の利を知る連中の方が有利になるかもしれない。明るいうちに決着をつけよう」