【十】 実妹誕生
フネリック王国東北方、コロニェ教会領との国境近く、バルティアの森。
その中にある炭焼き小屋で、三人の男が会話していた。
外にはこの中の一人が乗ってきた馬車と従者が待機している。
薄暗い室内で、貴族と思しき男が椅子に座した他の二人を見下ろしている。
「失敗したのか?」
すると髭面の小男が答える。
「まだそう断定はできゃあせんぜ、旦那」
もう一人、黒いフードとローブに身を包んだ長身の男が
「もう一度やってみるつもりだが、その前にもう少し情報が欲しい」
少し間をおいて、貴族風の男が返事をする。
「具体的には?」
「誰が呪いを解いたのか、そしてどうやって解いたのか、どこまで気づいているのか」
黒いローブの男が淡々と答える。
「わかった、こちらでも調べてみる」そう言って帰り支度を始めるが
「瑠璃宮との約束は必ず守る、それは上の連中に伝えてくれ」
「ただし、それ以上に、こちらの身元が王家にばれぬように留意してほしい」
髭面の小男がニヤリと笑いながら
「俺たちゃプロですぜ、そこんところは信頼していただかないと」
貴族風の男がうなづいて、出ていく。
馬車の去る音を聞き、二人きりになったあと、髭面が言う。
「小物だな、ありゃ」
黒いローブの男がそれを受けて
「そういう方が使い勝手がいい時もあるさ」
そして、誰に言うともなく、
「しかし...わからん。この国にエスペア語の呪いを解ける者がいるとは思えないのだが」
「なんなら援軍を頼むか?」
「いや、あまり上司の顔に泥を塗りたくないしな、もう一度やってみる」
黒いローブの男が考えるように黙ってしまうと、髭面が、
「本国の方も至急の仕事ってわけでもなかったしな、何よりここまで十年以上の仕掛けだったし、成果も出てる」
それを受けて黒いローブの男。
「そうだな、仮に我々が失敗したとしても、後続の者が対処しやすいように、記録は残しておかんとな」
と言い、身支度を始める。それを見て髭面が
「行くのか?」
「ああ、王都に入ってまたしばらく様子を見る。万一荒事になったら、頼むぜ」
髭面がニヤリと笑うのを見て、黒いローブの男は出ていく。
小屋の外は、夜の闇に包まれようとしていた。
年が明けて、高等科三年Aグループの終業式が近づいてきた。
王立学院は教養の付与を目的としているため、開始時期に従って、Aグループ、Bグループと別れている。
そのうち、ディドリク、ブロム、カスパール達の所属するAグループだけ先行で卒業となり、目前となっていた。
そんな冬のある日。
ディドリクの母マレーネがいよいよ出産ということになり、知らせを受けたディドリクは、急遽実家へ。
ディドリクが帰宅した時、お産は既に終わっていて、助産師やメイドたちがあわただしく行き来していた。
メイドのリュカがディドリクを見つけて
「女の子ですよ! 妹君ですよ!」と笑顔で伝えてくれた。
母のいる部屋に入ると、そこには父王もいた。
ラフな私服でマレーネの傍らに座り、笑っている。とても幸せそうな顔だ。
「坊ちゃま、こちらへ」と手を引かれて、籠のような寝台に寝かされている赤子を見る。
うっすらと生えた銀色の髪。小さな呼吸。眠っているのか閉じた目。
側にいた助産師に「触ってもいい?」と聞くと、助産師は「優しくね」とウィンクしてみせる。
そっと手を伸ばし、頬に触れてみる。
「やわらかい...」前の弟の折りは、生まれた直後から大変だったので、とても触れることなどできなかった。
しかし今度は健康そうで、異常はなさそうだ。
(お祈りが、少しは効いたのかな)と思って、ディトリクの顔も少しほころぶ。
それにしても、なんというやわらかさだろう。
今まで触れたやわらかいもの、毛皮やなめし皮、毛糸の服やいろいろな繊維、どのやわらかさとも違う、優し気なやわらかさ。
父と母の元へ行き「おめでとうございます」と言うディドリク。
エルメネリヒ王は小脇にディドリクの頭を抱え、うんうん、と頷きながら、微笑んでいる。
しかしこの時、母の表情が喜びつつも、少し曇っていたのを、ディドリクは目ざとく見つけてしまう。
それでも母はディドリクを見ると「ありがとう」と言い、微笑んで見せた。
再びディドリクは妹の元に戻り、じっとその姿を眺めていた。
なぜか胸のあたりに、熱い力がかけめぐってくるようだった。
これは第十四世に叡智を授けてもらった時のような、胸のうずきでもあった。
もう一度、ゆっくりと手を伸ばすと、赤子が目覚め、その人差し指をつかんだ。
「まあ!」周囲にいたメイドたちが声を上げる。
ディドリクのからだの中に、その指と掌を通じて、何かが流れ込んでいくのが、そして自分の方からも何かが赤子へと流れていくのがわかった。
またすぐに赤子は眠ってしまったが、ディドリクは嬉しくて、崩れた表情がしばらく戻らなかった。
「名前は?」
そのあと眠ってしまったので、翌朝、母に聞いてみると
「アマーリアよ、陛下がつけてくださったの」とのこと。
ディドリクは赤子が眠る寝台に近づいて
「アマーリア、アマーリアかぁ」と頬を指先で触れる。
昨日感じた柔らかさが指先に伝わってきて、また表情が緩んでしまう。
寝顔を眺めながら、ディドリクは通学の準備を整え、離宮にある家を出ていった。
高等科を終えれば、研究科に進む。
父王との約束、三年以内を達成して、王立学院での研究が可能になるのだ。
しかしそれ以上に、何か新しい生活が始まるような予感に包まれるのだった。
ここまで第一章としておきます。
次から少し時が流れて、第二章。
世界がもう少し広くなる予定です。