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ハカマイリ  作者: 山納 櫻
4/14

竹林の男

ふらりと、水曜日の十時、原宿駅で降りる。

僕がいた会社はそれなりに簡単に休みが取れ、有休をとった日には竹下通りってやつを歩いてみたりした。

実際に僕が歩いたものをいわゆる『あの』竹下通りといえるかは怪しいところがあった。

人は全然いない。土日や夜には騒がしい店員たちも店の後ろでおとなしくしている。

ただ原宿駅で降り、行きつけの美容院を左に眺めつつも入ることはなくただその通りをゆっくりとあるく。僕の歩くスピードを見てか、足に泥でもついているのかといった目で左右の暇な人間たちは僕を観察するのだ。

反対側に出て、またゆっくり戻ってきた僕を見ればこれまで以上に不審そうに見てくる。

僕は彼らを見ながら歩く。

そのまま改札を通り、山手線を余計に一周した後に新宿駅で降りる。

重い足取りで京王線新宿駅に着く。十二時前のホームは若干混むが座れないほどではない。

列車が、コンクリートの匂いを含んだ風とともにホームに現れる。

閉鎖され、自然と隔離されたような地下の空間だが列車が運んでくる風は外の天気によってにおいが違う。

晴れの日の乾いた匂いが僕は好きだったが、外の雨の匂いを感じながらそれと無縁の空間に滞在している優越感もまた良かった。

列車は走り出し、緑が増えていくにつれてスーツ姿の人間は減っていく。平日の京王線の下りは、服装で降りる駅がわかることが多い。

登山用のリュックサックを背負った人は高尾山へ行く。ユニフォームを身に着けた人は味の素スタジアムに行く。手ぶらで楽しそうに話す中年男性は大方府中競馬場だ。

彼らを車内から送り出し、高尾山口駅で折り返してから最寄り駅に帰るのだ。

今日降りたのは最寄りの二つ隣の駅だった。

駅から五分ほど歩いたところに、小さな路地がある。竹が道路に身を乗り出し、少し圧迫感のある通りだ。

僕はガードレールに腰かけて時間を確認する。

「午後一時十五分」

「外でやるのかい? それも昼に」

ロストは落ち着きのない様子で、僕の前をうろちょろとしながら言った。

「大丈夫だよ。ここは一時間に一回くらいお年寄りが通るくらいのもんさ」

ポケットからタバコを取り出し、蓋を開けると穴に差し込んだ。

ボタンを押すとかすかに振動を感じる。

ロストがポケットに手を突っ込んで魂が抜けたように、もともと魂なんてあるのかわからないがなんだかぽかんとして、手に集中していた。

「何してんだ?」

声をかけるとハッとしてこちらに帰ってくる。

僕は冬場の白い息よりもずっと薄い煙をロストとは反対側に吐いた。

これは水蒸気でもはや煙ですらないらしいが、人の姿をされると少し気を遣ってしまう。

風向きは彼とは逆だ。

一本吸いきるまで五分ぴったりだ。

吸い殻を携帯灰皿に押し込むと、そのままガードレールに座ったまま無為な時間を過ごす。

竹の林を通って路地をすり抜ける風は涼しくて気持ちがいい。

彼女よりも綺麗な髪の毛をなびかせるロストはとても綺麗だった。

「そのビジュアル・・彼女より清潔感があるし、女の人らしいね」

僕のコメントに彼はクスリと笑った。

「いいのか? そんなことを言って。バレたら起こる人間だろ、君のガールフレンドは」

「それはそうだ。内緒にしておいてくれよ」

「どうかな」と言ったロストは、腹や首を痒そうにこすった。

「蚊に食われたか?」

「んなわけあってたまるか」

・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・

沈黙が続いた。

十五分くらい誰も通らなかった。

計算内だった。

僕は二、三か所くらい蚊に食われ、自制することなく掻いているとその部分が赤く腫れ、中心に小さな〇ポチが見えた。

「来たぞ」とロストが僕の腰を小突いたのはその頃だった。

前に殺した老人よりは一回り年が若いであろう男は、半分ほど燃え尽きたタバコからまたはいを振り落として、慣れた手つきで口に運ぶ。

僕の前を通りすぎるとき、彼は少しだけこちらを見るがさほど気にせず声をかけることもなかった。

先ほどと同じような気持ちの良い風が吹くと、気持ちよさそうに白い煙を上向きに吐き出して、彼なりに軽い足取りで道を抜けていく。

気持ちの良い晴れ模様に林を通りぬけた気持ちの良い風、隣に座る美女と今日はまだ訪れていない反対側の閑散とした住宅街。

ポケットに小さなサコッシュのメインの口に手を突っ込むと、僕はナイフではなく天然水を取り出した。

ぐしゃぐしゃにつぶれた柔らかいペットボトルを開けるのに多少てこずったが、開けて飲んだ時にはその純水が僕の心を潤した。

「ふう」と汚れのない透明な息を吐きだしたときには、彼は通りを抜けて駅のほうに歩いて行った。

ロストは水分補給をして標的を逃す僕と、気持ちよさそうに歩く老人を交互に見つめていたが、何を思ったか口をとがらせて眉を左右非対称に曲げて僕を見た。

「飲みたいのか?」僕がペットボトルを軽く上にあげて聞くと「うん」と答えて受け取った。

残り少ない水をぐいと飲みほして、彼女は気持ちよさそうに息をついた。

「何でやらなかったんだ?」

彼の質問が意味をなさないことは彼自身分かっていたのだろうが、一応と聞く。

「ううん、殺されない人がいてもいいと思ったんだ。雰囲気が良かった」

「ご機嫌な殺人鬼さんだ」

そう彼は言うが「僕は殺人鬼にはなれないよ」と答えた。



その日、若い女が小さな路地で喉を貫かれて死んだ。



~~~~~~

原動機付自転車で、深夜に徘徊する。

時速五十五キロメートルほどで走るのを徘徊と呼べるか、という件に関しては議論の余地があるが結構冷え込む七月の夜、ダウンジャケットを来て走る峠は原付でも十分に楽しめる者だった。

「お前はどうやってついてきてるんだよ。足がムカデみたいで気持ちが悪い」

両側を森に挟まれた道で、僕の横をずっと端ってついてくるロストは相当に薄気味悪い。気味が悪いを通り越して奇抜ですらある。

「じゃあこうしよう」

彼は僕の後ろに飛び乗った。

重さは全く感じられない。彼はやっぱり存在しないものなのだと改めて実感した。

コンビニに行ったがグリーンガムが売り切れていた腹いせに何も考えずに山のほうへ走ってきてしまった僕は、ロストを後ろに乗せてこの微妙な速度で走る。

ブランドバッグを提げた女を殺してから三日、僕は五人の人間を殺していた。

留守番している二人の子供に公園で昼寝をしていた女に酔っぱらいの中年二人。

そのいずれとも会話を交わすことなく、彼らの生き様や年齢を知ることなく殺していた。

これは僕が意識的にしていることだと思う。

先日下調べまでして殺した親子は、収穫としてみればとてもよかったかもしれない。

けれど僕の精神状態は最悪だった。子供の所に行かすまいと仁王立ちする母親、無害な子供、父親からの留守電。それらが僕に彼らの人生を断ち切ったことを思い知らせて来たのだ。

あれから数日は毎日嘔吐した。

吐き気を催すとどうしても耐えようとしてしまう。

その一秒一秒がとても苦しく、彼らを頭の外に追いやろうとすると一層吐き気は増した。

吐き気には一時間ほど耐えられる。

吐いた後は水で口をゆすぐが、それでも口の中に人の血が這う感覚を覚えて何度も歯を磨くのだ。

錯覚は簡単には消えない。その時はいつも原付で近くのコンビニまで行ってガムを買い、水を飲む。

今日コンビニに行ったのは珍しく嘔吐したからだ。

原因は、女がおとしたスマートフォンに一件のメッセージ通知が来ているのを見てしまったからだ。

メッセージは非表示で内容は見ていない。しかしそれがかえって僕の妄想を掻き立てた。

「それにしてもすごい山道だな、ここ。原付で通るような道ではないだろ」

車通りの少ない大垂水峠を時速三十五キロほどでゆったりと走る中彼は多分顔をゆがめて言った。

「・・そうかもしれない。普通は中型以上のバイクか車で通る道かもしれないね、でも僕は好きだよ。ゆったり走ると気持ちがいいし」

後ろから来た軽トラックに、左ウィンカーを出して追い越しを促す。軽トラはハザードランプを光らせて走り去っていった。

「「大迷惑だけどな」」

僕たちは声を合わせて笑う。

「でもここの法定速度は三十キロなんだよ? 何も悪いことはしてない。むしろ周りが超えてて悪い」

「それは・・」とロストは言う。

「そうだな」と続ける。

吐き気はとっくに収まり、吹き付ける風の爽やかさだけが残っていた。

僕たちの他には、真っ赤なキャビンの箱からタバコを取り出す老人が歩道を歩いているだけだった。

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