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ハカマイリ  作者: 山納 櫻
3/14

金曜日の当番

「母さん俺ね、明日父さんに手紙を書くんだ!」

少年は椅子の上に立ち、元気よく言った。

今日は父の日でもなければ夫の誕生日でもない。

しかし私は彼の性格をよく理解していたため、別段驚くようなことはしなかった。

「また突然ね。どうして書こうと思ったの?」

持ち帰った書類をまとめながら、息子の言葉を引き出してやる。

「え、ええっとね・・えっと、ケーキとかシュークリームとかとってもおいしかったから・・・・?」

週末しか会えないお詫びの意を込めて、夫は三日に一回ほどの頻度でお菓子を買って帰る。

「それならこの間『ありがとう』って何度も言ってたじゃない。本当は何かお母さんに隠し事があるんじゃないの?」

わかりやすい性格をしている。中身はつくづく父親似だ。

「ま、まあいいじゃん! とにかく俺は書くからね! 絶対部屋に入ってこないでよ!」

私と同じ一重の目をペタンと潰して笑うと、慌ただしくリビングから出ていった。

明日は私の誕生日だ。


~~~~~~

朝起きると誰かに見られている気がして、呼吸が荒くなる。すぐに見ているのはロストだと気が付き、彼をにらみながら洗面所に向かう。

『死んだらどうなるのか』そんなことを子供のころはよく考えては眠れなくなっていた。それが十五を過ぎたあたりですっかり考えなくなり、彼女と付き合い始めてからはまた考えるようになった。

『僕たち二人のどちらかが死んだら、どうなってしまうのだろう』と。

この場合どうなるか気になるのは生きているほうだ。

彼女はどうだかわからないが、僕のほとんどは彼女に支配されていた。彼女が意図して、とかそんなものではない。僕が彼女を受け入れ、彼女が僕を侵食していった。彼女を失ったら、と考えなかったわけではない。考えなかったわけではないが僕は彼女の浸食を止められなかった。

非は僕にあるのだ。僕が彼女に沈んでいった。

彼女がいなくなったとき、突然僕の中から水なのか空気なのか、僕を構成する上で必要な要素がこぼれて抜けていった。水にぬれて乾いた紙みたいに、僕は使えなくなってしまった。

社会が一冊の本だとしたら、僕の戻るページは、その時点で残されてはいなかったのかもしれない。

軽石みたいに空っぽになってしまった僕には、もう彼女を取り戻すほかないのだ。

顔を洗うと、どろどろとした頭の中が少しだけ洗い流される。三度顔を流すと、タオルで手と顔を拭いた。

気づけば、このタオルは一週間ほど選択していなかったかもしれない。

僕はタオルを洗濯カゴに放り込んだ。

金曜日の洗濯当番は僕じゃない。


~~~~~~

『家』というものの安全は、ほとんどがその機能ではなく、社会の秩序で成り立っている。

この間の老人の家だってそうだ。

シャッターなんてバールがあれば破壊できるし、窓ガラスなんて言うまでもない。第一、インターフォンをならせばたいていの人間はドアを開けて出てくるのだ。

ただ、オートロックという仕組みだけはよくできたものだと最近になって実感していた。

あれはよくできた防犯機能だ。

古いマンションの一階から男が出ていくのを確認すると、十分待ってから部屋の前に立つ。

インターフォンは僕の家のものと同じ音がした。

「はーい」

若い女性の声。先日確認した感じだと、二十五辺りだろうと思われる。

「風で傘が飛んできたんですけど。こちらのお宅のですかね・・・・」

傘は足元の傘立てに全てきちんと並んでいる。そのうち一本を抜き取り、カメラに向かって掲げて見せる

「うちのかもしれないです。すみません、今行きますね」

無害そうな声になんだか悲しくなる。

これほどまでに、この国は平和なのだ。

酒に酔って電車に轢かれた女のために、無害な人間が何人も殺されるというのは、中々に理不尽なことだと思う。ただ、合理性と彼女のどちらを取るかと問えば答えるまでもなかった。

結果から言えば、彼女は『子供がいる』とか『今日は特別な日』だとか喚いて乞うたが、終始背を向けることもなく、玄関で僕の前に立っていた。想像以上に立派な母親に僕は心をえぐられた。

後ろで子供が寝ていることは僕は最初から知っていたし、彼女の行動を見れば簡単に分かった。

「そんなこと言われても困る、これは必要なことなんだ。本当にごめんなさい」

これ以上大声を出されるのは困る。

それよりも僕を困らせるのは彼女の感情だ。

僕は殺人鬼でも殺し屋でもないのだ。彼女の言葉の一つ一つが僕の心を穴だらけにして腐らせていくのだ。

目をつむって、僕は彼女の喉を力強く突いた。反対側から刀身が出るのではないかという勢いで刺すと、彼女は倒れ、身もだえ始めた。

それから動かなくなる瞬間まで、僕は目を離すことができなかった。

目を離させてもらえなかった。

寝ている子供を殺めるほうは、先ほどに比べれば幾分かましだった。

子供は何も持っていない。持っているものが多ければ多いほど、人は死にあらがうのかもしれない。

血の流れが人それぞれ微妙に違っていて、子供の赤い血は小さく、それでもその分勢いよく溢れて彼が暴れ動く度に、まるで彼を押さえつけるように勢いは増した。

足元まで血が広がってくるのに気が付き、僕はすんでのところで後ずさる。

足元まではロストに守られていなかったので、靴下に染み込んで貰っては敵わない。

「いたっーー」

ガシャンと白いカラーボックスに背をぶつけてしまった。その弾みに中に入っていたものや、隣に置いてあった電話機が崩れ落ちていく。

カラーボックスの一番上に置いてあった怪獣のフィギュアは、電話機に向かって頭から落ちた。肩の部分を充電器にぶつけ、床に勢いよくぶつかると、腕がポロリと落ちる。

「痛そうだ・・・・」

思わず呟くが眼下に広がる赤い床を見るととても申し訳なくなり誰に対してでもなく咳払いで誤魔化した。

«留守番電話が一件あります»

ピーと音がなる。

ガサゴソという雑音の後、僕と同じように男が咳払いをした。

«もしもし、今日は帰りが遅くなりそうだ。十時くらいになると思う。タケルは今日は特別に起きてていいとしよう! 帰ってきたらお母さんはタケルの部屋に行っててな。タケル、絶対お母さんに言っちゃだめだぞ? じゃあまた後でな»

ピーともう一度耳を付く音が流れる。

先程電話がなっていたのだろうか。余裕が無いせいで気が付かなかったみたいだった。

子供が電話に出ていたらまずかったかもしれない。

『今日は帰りが遅くなりそう』と言ったのでひとまずは大丈夫だろう。

黒みがかった血は少しずつ固くなりつつあるようだ。

僕は何か忘れ物や証拠になるものがないか確認するとその色に飲み込まれまいと、足早に部屋を出た。


~~~~~~

冬になってクローゼットから出したコートのポケットから百円玉が出てきたらなんとなくいい気分になる。

僕は七月の今日、思い出したように財布から二百円を取り出してコートのポケットに隠した。彼女のコートにはまだ入っていないようだったのでそちらにも入れる。どうせ彼女のことだから自分が入れたか入れていないかなんて覚えていないのだろう。

「何してんだ?」

ロストは僕の足元からクローゼットに滑り込み、コートと僕の間に立って至近距離で尋ねてくる。

「冬納めの儀式だ」

僕らしい、僕たちらしい遅すぎるダラダラとした冬納め。

「今は夏だと思うんだけど・・・・まあ君らのことを理解できるとは思っていないけど。特にあの女のほうは分からないといったらありゃしない」

『あの女』とは彼女のことだろう。

「前から思っていたけど、君は彼女と面識があるのか?」

姿を知っていたときにも思ったことだ。

「面識があるか・・と聞かれれば、多分『ない』と答えるのが正しいのかな。ただ君の周りのことは大体抑えているみたいだ」

「変な悪魔だ」

彼を馬鹿にすると予想外に彼は「本当に変なんだよ」と困ったように笑った。

彼女の姿かたちでその表情をされると、なんだか間が抜けてしまう。

あまり見ない表情だった。

「ところで君はまだ三人しか殺していないけれど、こんなペースでいいのかい? もう僕たちが会ってから二週間たった」

「大丈夫だ。彼女は死んでなかったんだ、いつでも戻ってこられるさ」

軽く返す。

「もう少し焦ったらどうなんだ? ボクだって暇じゃないんだよ」

「暇だろう」

・・・・・・

「・・暇だけど、疲れるんだよ」

「分かった、少しは急ぐよ」

実をいうと精神的にこれ以上のペースは苦しかった。

いくら考えまいと思っても、僕が殺した彼らが生きていたらどんな生活を送っていたか一人称の視点で想像してしまう。

そのたびに息を整え、体の震えを抑えるのに苦労するのだ。

彼だって分かっているはずだった。

やっとロストがコートの前から消え、僕は自分のものより二回りほど高価な彼女のコートを整えて銀色のポールにかける。

そこでロストがもう一度同じ場所に戻ってくる。

「君は、彼女が死んでいないからとか言っていたけど・・・・」

ゴクリと唾液を飲むと、喉ぼとけは普段よりも不器用に上下した。

「なんで仕事を辞めてしまったんだ?」

・・・・・・

「時間が無くなると困るだろう」

正解は『嫌いだったから』だ。

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