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ハカマイリ  作者: 山納 櫻
2/14

苦痛の老人形

血が滴る。体にべっとりとついて離れない赤い血から抜け出そうともがく夢を見て、気の重い朝を迎えた。

生暖かいシャワーが心地悪く、三十五度まで温度を下げる。

今日、僕は人を殺すのだ。一度も使わずに戸棚の奥にしまい込んであった砥石を昨晩初めて使った。削れた石の匂いは案外強く、一時間ほど部屋に残っていた。

「血が嫌ならさ、別に刃物を使う必要はないんじゃないか?脅しが必要なわけでもないんだし。全員殺すんだろ?」

ロストは言った。七時間半も寝たのに、目の下にクマができていることに気が付いたのだろうか。いや、恐らくまた心の中を覗いてきたのだろう。プライバシーのかけらもない悪魔だ。

「殺すならちゃんと血を見てあげないと申し訳ないと思うんだ。彼らは死んでいるのに、僕は殺した実感がないなんて、それはいいことではないよ」

「殺しに善意を含めるってこと? なんだい、そのサイコパシーな発言は。そういうこと言うのやめたほうがいいぜ、嫌われる」

わざとらしく後ずさりしたのち、彼は丁度良い場所にあった椅子に腰を下ろした。

「ま、ボクは結構好きだけどね」

バカみたいで。顔を近づけて補足する。

サコッシュに穴を開けて小型の包丁を入れるポケットにする。

二丁あるうちの思い入れのない方だった。

僕がスーパーマーケットで素甘を買ってきた時にサイズがマッチしたためよく使っていた程度だ。

返り血のことは気にしなくていいとロストに言われていたが、初めてなので一応安物の薄いウィンドブレイカーを着ていく。

「いいかい? 立ち止まっちゃいけないんだ。殺しの最中も、終わったあとも。結構息も上がるし、運動嫌いな君にはキツいと思う。けど効率よく殺したら、忘れ物を確認して、走って去るんだ。いいね?」

彼はやけに丁寧に忠告した。それもそうだ。せっかく生贄が手に入ると思ったのに、一度目で終わってしまったらかなわないだろう。

「大丈夫だ。落ち着いて済ませるよ、まだ最初の一回なんだ」

ふうん、とどこか含みのある相槌を打った。

「落ち着いているなら特に言うことは無いさ」

それより、と僕は言う。

「街中ではあまり話しかけないでくれ。周りには君が見えないんだろ? 返答してる僕が気の触れた人みたいじゃないか」

「んな・・この期に及んで晴也くん、君はそんなことを気にしているのか?」

「この期に及んでって、どんな時期になったって言うんだ。彼女は帰ってくるし、僕は引っ込み思案なんだよ」

「その様子なら大丈夫そうだな」

ロストはいつもとは違う調子で、拍子が抜けたようにふらりと揺れた。

昼から出かけたのは、彼女の墓をきれいに保たなくてはならないと思ったからだ。

彼女は帰ってくる。ただ今の彼女はこの墓の下にいる。それは紛れもない事実だった。

「てっきり墓参りなんてしないものかと思ったよ。また彼女は帰ってくるとか言って」

「彼女は帰ってくるよ。ここから帰ってくるんだ。今はここから動けないから、僕が言ってあげないとだめなんだよ」

へえ、と彼は興味なさげな相槌を打った後

「でも包丁を持って彼女の墓に行くのはどうかと思うけど?」

と、ありもしない表情をにやりと曲げて言う。

「それはまあ・・・・確かに・・」

僕も彼の意見には同意せざるを得ず、不満げにそう返した。

「包丁持って墓参りって頭おかしいし、今日は出るか。その辺で夜まで時間をつぶそう」

「それがいいよ」


~~~~~~

霊園のすぐそばに人口の湖がある。僕たちは汚れた湖の綺麗な湖畔に腰を下ろした。人が少なかったのは、火曜日、いわゆる平日の昼間だからだろう。

数分、何も考えずに騒がしいスワンボートや、ガラガラの遊覧船を眺め、おもむろに立ち上がる。

「飲み物買ってくるよ」

湖畔から道を隔ててすぐのところにあるコンビニエンスストアで、スミノフアイスとほうじ茶とポッキー、電子タバコの種を買う。

店を出て、舌が溶けるほどに甘ったるい味のする煙をゆっくりと吸い込む。何の達成感も何の重みも感じたことはないが、五年余り僕は同じ銘柄を選んでいた。

ただ単に脳みそが化学物質に負けているだけなのだが、どうにも喫煙者は、この行為に一服という名前を付けてよきものに感じたいし、事実そう感じてしまう。

「人間には学力ってものがあるみたいだけどさ・・」

二本目を吸いながら帰ってきた僕にロストは無き顔をしかめて言った。

「ボクから言わせてみればね、タバコを吸う人間と泥酔する人間が一番頭が悪いと思うな。要するに君は僕の基準では世界一頭が悪いってことだ」

「なんでそんなに怒ってるんだ?」

「怒ってないけど?」

そっぽを向いてツンデレ風にいうかと思ったが、きょとんとしたような声色で返ってくる。

「表情って、大事なんだな」

「どうやら、君らにはそうらしいね」

彼は立ち上がる。

「じゃあ表情を作ってやろう」

今度は顔がなくてもわかる、何かを企んでいる声色だ。

ひひ、と声まで出して笑っている。

「こんな感じで・・どうかな?」

・・・・・・・・

「ーー」

彼女だった。彼女でないことは分かる。ここで言っているのは姿かたちのことだ。彼が作った彼女は、完璧に、『彼女』だった。

「それでいいよ」

「・・・・え? いいの?」

彼、彼女は、どちらだろう。これはロストなのだから彼でいいだろうか。

彼は人の表情で、目を丸くし、口を開けて、僕によくわかる彼女の表情で驚いた。

「別に君が彼女のまねごとをしたって彼女はいるし、君の姿は僕意外に見えないんだ。別に迷惑は掛からないだろう?」

「まあ、そうだけど」

彼はバツが悪そうに何を見るでもなく僕から目を外した。僕が思っていた反応をしなくて不満だったのだろう。

先ほどまで目の前に浮かんでいたペットボトルが五十メートルほど遠くに流れていた。

僕たちの会話は、間が長く、一言一言がゆっくりだった。

「何か食べれたりするの?」

「ああ、多分できるけど」

「泥酔、してみるか?」

「してたまるか」

馬鹿というのは、何もかも訳が分からないから嫌いだ。彼らのように。


~~~~~~

インターフォンを押すと、しわくちゃな顔をした老人が戸を開けた。

怒りっぽく、わがままな彼は面を付けたまま訪問してきた若人に叱りつけた。

「すみません」

僕は謝り、カバンに手をやる。

刃は老人に目を向けるように、玄関から漏れ出る光を跳ね返し彼を照らす。

歯を食いしばる。体はふわふわとして地に足が付かず、震える手の感覚もあまり感じられない。連動しない節々を必死に繋ぎとめ、最も鋭利な部位を柔らかなのどに突き立てる。

老人は声を上げない。彼の最後の発言はなんだっただろう。僕に対する叱咤であったと思い出し、どうしようもない同情の念がこみ上げる。

「ロスト」

「気に病むことはないよ。君は残り少ないひとり身のじいさんの命を、友達も多くて愛される若者の命に引き換えるんだ。こんなこと君以外にできないぜ? 悪いことじゃないさ」

それは違う。

「ロスト、僕はたぶん、子供を殺す。そのほうが簡単だからだ。それは何より罪なことで、僕が死んでも償うことはできないんだ。でも・・・・」

「悪かったよ。それを覚悟で君はやったし、また君は死ぬわけにはいかないんだろ? でも大丈夫だ。不安になったら僕にいつでも声をかけてくれよ。君がいくら悪くても、僕は君から離れることができないんだ」

開いたままの濁った瞳を閉じてやる。

なんて苦しそうな表情で死んでいくのだろう。

「すみません」

頭を下げて彼の命が完全に断たれるのを待つ。

・・・・・・

「死んだよ」

ロストがそう言う。

「わかった」

数センチ浮いたような、力の入らない足で、地を強く蹴る。

「さあ急げ、ここで終わっていいのか? バレちゃうぞー?」

隣で愉快気に僕を煽るロスト。先ほどまでの態度はどこへ行ってしまったのだろうか。

一瞬だった。ウィンドブレーカーを途中で脱ぎ、腕に抱えて駅まで走った。駅についてからはもうほとんど覚えていなかった。

頭がふわふわとして、何分立ったかもわからない。体感時間もわからない。

「ーーーー・・・・」

疲れて声も出ない。ソファに深く腰掛け何を見るでもなく目を開けたままだ。

「目が乾くぞ、君、もう二分も瞬きしてないぜ?」

「そういえば」と言葉は続く。

「人って一分間に二十回も瞬きするらしいね。それだけ目をつむっていれば、何か見逃しているんじゃないかって不安になりそうってもんだな。あ、瞬きした」

食事をとろうと、そう思った。昼に食べたポッキー以外、僕は今日何も食べていなかった。

「気にしてるか? 人を殺したこと」

「うん・・・・まあ、結構」

刃物は立ち去るときに抜き取ったため、『吹き出す血液』なんてものを目の当たりにしたわけではない。応えたのは先ほどまで威勢よく叱りつけていた人間が、目の前で、文字通り『死んだ目』をして倒れている光景だった。

人形のようになってしまった彼を見て、人間とは何だろうと本気で考えてしまった。魂とは何なのだろうと。

死んでしまった老人は、もう彼ではなかった。少なくとも僕にはそう感じられた。

「あのさ、傷心しているところ悪いんだけど、まだ一人目だよ?」

「五十人、か・・・・」

あの、人ならざるものを僕は五十人も作り上げなければならないのだ。

「これは簡単な計算なんだが」

彼は呆れた顔をしてグルグルとテーブルの周りを歩き始める。

「この市の人口は五十万人だ。君が殺すのはそのうち五十人。今は違うけれど君は働いていたよね。一日八時間くらい」

「うん。それが・・?」

「この市の中で君が今から殺す人の割合は、君の一日の労働の中に当たる三十秒弱と同じくらい。大したことないってこと。君は三十秒の労働を辛いと感じたことがあるか? ないだろう」

微妙にわかりずらい例えに気が抜ける。

「三十秒の労働も、結構つらいもんだ」

「せっかく慰めてやってんのに・・罰当たりな奴だな」

「慰めなんていらないさ」

「言っとけよ」彼は綺麗に、綺麗に笑う。

僕も笑った。彼女がゲームセンターで取ってきた人形たちは、この日全て捨ててしまった。

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