失の日
彼女が死んだというのに、彼女に一番近いところにいるのは、涙も流さないどこぞのハゲだ。
そいつが延々と木をたたいて何か言っている。
僕がそいつの頭を睨んで歯ぎしりをすると
涼太は「おい」と小声で言い、周りに隠れてガムを手渡してくる。
ガムの表面の固い部分をがりがりと噛み潰しながら、今度は後ろのほうでおいおいと泣いている高校時代の同級生に目を移す。
昨日彼女の死を知ってから明け方まで泣いていた僕は、涙も出せずにこんなことをしていた。
彼女は老婆を助けようとして死んだ。聞こえはいいが、第一老婆は助かっていないし、彼女はそんな善行を好む人間でもない。
何があったかというと、彼女は酒に酔っていた。友人と昼から飲んだ帰り道、閉まった踏切の真ん中で転んでいる老婆を見つけ、おぼつかない足取りで老婆のもとに駆け寄り、起こそうとしながら電車に轢かれた。
老婆は認知症で、踏切が鳴りだしたにもかかわらず棒をくぐって行ったという。
僕は認知症と酒に腹を立てたが、認知症を治す薬を開発する気も起きなければ、その日の晩から禁酒をすることもせずにヤケ酒に暮れていた。
その結果、幽霊のような表情、幽霊に表情はないだろうと言われれば、ますますそれに近い表情で葬式に出席し、無害な人間を睨みつけるという奇行に出ているわけだ。
上下の歯で薄く伸び切ったガムを舌で丸く戻し、それをまた不相応な力で噛む。
「なあ、俺はどうしたらいいんだ・・・・?」
残り60年近くあるであろう人生を僕は一人でどうやって生きていけばいいのだろう。
小さな声で味のなくなったガムを口に放置しながら漏らす。
自分に向けた言葉ではないと知っていた涼太は、黙って従姉の遺影を見ていた。
僕もやがて顔を彼女の写真に向ける。
自動車免許の写真だったろうか、少しむすっとした不器用な笑顔の彼女は、人々の中央にぽつんとおかれていた。
別に笑う必要のない写真なのに、僕は「みんな免許は笑顔の写真だ」と嘘をつき、無理して笑った彼女はあとから真実を知って怒っていた。
葬式がどのくらいの時間で終わったかは覚えていないが、僕は涼太と葬儀場を出た。
「当たり前だが、大丈夫じゃなさそうだな。家まで送っていくよ」
彼がそう言うので
「大丈夫」
と聞こえるかもわからないような声量でそう言い残して原付にまたがる。
行きにどうやってここに来たかは覚えていなかったため、携帯で地図を見て、とりあえずは知っている道に出ようと川沿いを走った。
「疲れたな・・・・」
こんなことがあったにも関わらず、金曜日に仕事を早退してそのまま朝まで泣きながら酒を飲んだ僕の体は限界のようだった。
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ベッドで横になっているが、ここは自宅ではない。体の限界を感じたため、たまたま通りかかったラヴホテルに1人で来たのだ。バーラストだかバルストだかいう名前のこのホテルはひどく古びていて、客は怪しすぎる年齢差の男女が1組いるくらいだった。
「ここ、幽霊屋敷みたいだよね」
104号室の中でそう話しかけられる。後方からの声だった。
僕が慌てて振りむこうとするとそいつは
「一瞬待って、今振り向かないで!」
なんて、自分から現れたくせに焦ったような声色で言った。同時、振りむこうとする僕の首がぴたりと止まった。
数秒後、「もう振り向いていいよ」とそいつが言うので振り向くと、そこには黒い霧のような、けれどよく見ると人型をしている何かが立っていた。
「やあ、晴也くん。はじめましてだね」
彼、なのか彼女なのか何の代名詞が正しいのかはわからないが、『なにか』は元気に僕の名を呼んだ。
「誰・・・・?」
化け物じみた物体・・・・気体を見て最初に僕が発した言葉だった。
それを聞くとそいつは笑い
「そんなに驚かないんだね。この姿に変わった甲斐があったよ。」
これでマシだということなら、本来はどんな姿をしているのだろうか。
「僕はね、ううん・・・・・・僕は、ロスト! 『喪失』みたいな意味だね。僕は君の喪失をどうにかしようと思ってここに来たんだ」
「喪失を・・・・?」
自己紹介をしたロストはそのようなことを言った。
「簡単に説明すると、願い星のこの僕が、君の願いを叶えに来たんだよ。とは言っても、その様子じゃ君の願いなんて1つに決まっているだろうけどね。」
願いをかなえる・・・・そしてこのビジュアル・・・・
「悪魔か何かか?」僕がそうこぼすと
「んな・・・・! 失礼な、僕は悪魔なんかじゃないぞ!」
そしてこう続けた
「ボクは・・・・」
「僕は?」
続きが語られない様子だったためオウム返しをする
「まあ、悪魔みたいなものかもしれないな」
正直なところ悪魔か悪魔でないかはどうでもよかった。彼が、それ以上に重要なことを言っていたから。
「願いをかなえるって言った? じゃあ今すぐに・・・・!」
僕の言葉を遮り、挑発じみた口調で彼は語りだす。
「それはできないよ~」
は・・・・?
ベッドから腰を上げ、精算機に向かう。
「できるよ、君の願いをかなえること」
ポケットから万札を取り出したとき、彼はそう言った。
「彼女を、死ななかったことにすればいいんだろう?」
それはさっき・・・・
「できないって言っただろうって? 君が勝手に早とちりしただけさ。ボクができないといったのは『今すぐに』のほうだ」
「できるってことか・・・・?」
「ただし・・・・いくつか条件があるけどね、50個ほど」
条件か、悪魔じゃないか。今の僕には、内容や個数なんてものはどうでもよかったのだが。
「早く教えろ」
僕が半ば睨みつけるような勢いで彼に問うと
「焦らなくても教えてあげるから。ボクが君に課す条件は、その願いをかなえるための生贄を50人用意しろってことだけだ」
生贄?五十人?
「話が理解できないかい?」
表情のない彼は、ニタっと笑ったような声で僕の心を読み取った。
「殺すんだよ。五十人。それだけでいい」
そんなことを言った。
「悪魔だな」
「そうかもしれないね」
五十人殺せば彼女が生きた世界線に変えられる。もしそれが本当なのであれば、乗ってみるのもありだ。
それがこいつの嘘だった場合俺はどうする。間違いなく死刑かそこらだろうが。
嘘だった場合の結末が、今の僕にとって特別不幸なことなのかと自分自身に問いかける。
「わかったよ。その話、乗った」
彼はゆらりと体を揺らしながら、上機嫌そうに、歌うように話し出した。
「それはよかった。君の願いは僕が絶対にかなえてみせるさ。提案したのは僕だからね、その過程もできる限りは手伝うことにするよ」
喜びの声と同時にロストの体が霧のようにばらけて僕の体にまとわりつく。
「犯行中はこんな感じでいいかな?」
黒い霧に覆われ、お面をかぶった、性別も年齢もわからない姿だった。