蛙大海を知る1
渓は静かに相手の男を観察する。
仕入れた銃の中から武器を選ばず、桜田は素手で戦うつもりのようだ。指に嵌める金属の武器、メリケンサックを片手に嵌めている。
「僕はなんでここに来やがったんだ?餓鬼が来る場所じゃねぇんだ。そこの女が言った通り俺らを殺しに来たってか?今正直に謝るなら素手で殴って許してやるぞ。出なきゃこれでボコボコにして大人の言うこと聞けるように教育し直さなきゃいけねぇな。そこの女どももすぐに従順になるさ。怪我しないうちの方が利口だぞ?」
桜田はメリケンサックを見せつけて脅す。
しかし、そんなもの渓には関係がない。
彼の真骨頂は調査・偽装・暗殺等で、本来、正面からの戦闘は得意ではない。しかし、一対一ならばその限りでないし、得意ではないだけで、苦手でもない。もし、彼には戦闘が無理だと思っているのなら、認識を正した方がいいだろう。しかも、相手は渓の実力を見抜いていない様子。渓は自分の力量と相手の力量を推測った上で考える。
(相手にもならない。一人で制圧も可能だろう。しかし、命令では彼の心を折らなければならない。さて、どうしたものか。)
彼は命令を遂行する方法を考えている。彼にとって一瞬で桜田を殺すのは児戯にも等しい。
しかしながら、それをしてしまえば、桜田は自分が殺されることを認識することもできずに死んでしまう。
実力の差も理解できず、また絶望もしないのだ。
渓は考慮の末、相手を挑発する。
「梢様がおっしゃる通りあなた方を殺しに来ました。それと、教育が必要なのは君たちじゃないの?」
無表情なのは変わらないが言葉が崩れている。
桜田は怯えるどころか、自分が脅したにも関わらず、冷静さを崩さない渓の淡々とした態度に激昂する。
「俺を舐めてんのか?お望み通り、地べた這いずりまわるまで痛ぶってやる。」
桜田は渓に殴りかかる。
しかし、渓は平然と避ける。
こんなにもノロマな攻撃が彼に避けられぬはずもない。
「まず、服装だけど、似合ってないよ。全てが悪趣味。シャツが崩れて肌が見えてる。桜田って名前だから桜の刺青って安直すぎると思うよ。同じ桜でも問題はデザインなんだ。ついでに言うと、スラックスのサイズ小さすぎるよ、買い直したら?」
本来の渓は丁寧な言葉遣いなんてしない。
目的にあった話し方・態度をとる彼だが、今回は素で問題ない為か生き生きとしている。殴ってくる桜田をかわしながら、息も上げずに相手を馬鹿にする。
「調度は、高いもの買えばいいってもんじゃない。部屋の雰囲気・統一性そして何より片付いた部屋でないと。調度が哀れ。」
批判の応酬に遭い、尚且つ自分の拳が擦りもしない状況に桜田は苛立っていた。
苛立ちのあまり、未だ決定的な実力差に気付いていない。
渓の息は全く上がっていないのに、桜田は息が荒く話すことも難しい。
(おっ?そろそろか。我慢が足りないね。戦いの中で冷静さを失ったら終わりなのに。)
「最後に君、弱すぎる。だからやられるんだ、こんな風に。」
渓は軽く脚を上げて彼の鳩尾を蹴った。
桜田は吹っ飛んで壁に激突した。
気絶はしていないようだがしばらくは動けそうにない。
服が乱れることもなく桜田を吹っ飛ばした彼は桜田を見た後で辺りを見回した。
(弱いな。梢様もまだみたいだし、トドメは後にしておこう。焦って銃を使ってくるかもしれないから念のため。まぁ使われても問題ないけど。)
渓はそんなことを考えながら相手の口撃を再開した。
それと同時に、桜田に近づいていく。
彼はしゃがみ込んでついでとばかりに肩の関節を折り、桜田の攻撃手段であろうパンチを潰した。
想像以上の痛みにに喚くが建物中に響く筈だった彼の叫び声は掻き消され、渓にしか聞こえない。
自分の叫びが仲間に聞こえていないことに気づいて恐れをなすも、もう手遅れでしかない。
震える彼に渓は近づき髪を引っ張り目線を合わせ囁く。
「終わりだよ、若造。」
<次回> 「狩人の嗜み」 6月10日投稿予定