蛙の戯言
歩いて間もなく、件の廃工場についた。
下卑た笑い声がここまで響いてくる。こっそりこのまま暗殺してもいいのだが、姐さんは心を折ってから殺すとおっしゃるので、それはできない。一つ一つ、ダメなところを指摘しながら、じわじわと時間をかけて殺さなければならない。
正確にいうと、殺すのは一瞬で構わないし、痛ぶったりする必要もないが、自信の攻撃を全て軽く避け、笑顔で迫るとかして完全に戦意を削がなければならないのだ。
標的も私たちも三名だからそれぞれ一人ずつ担当することになるのだろう。
そう思っていたら、姐さんが行くぞというので私たちはそれに続いた。
方針は問題ない。
ならば行動するのみだ。
姐さんが扉を開けた。
そして部屋を見た私の感想は悪趣味という言葉に尽きる。渓さんも微妙な顔をしている。なんとも残念と言わざるを得ない。これがカッコいいとか悪者っぽいとか何かしらの自信を持っているとしたら、何とも哀れである。
タバコ臭いし、清潔でもない。そこに高そうなソファーやテーブルを置いたところで似合わない。そもそもソファーとテーブルが合っていないし、テーブルの上は散らかっている。
何より目立つのが彼らの服だ。着崩すことが美しいと思っているなら改めた方がいい。
着崩すというのは高等技術なのだ。それを美しく見せるのは至難の業。
完全にカッコ悪い。
そして優男の彼、恐らく水島だろうけど、体に似合わない大きなジャケットはまた残念と言わざるを得ない。
本当はもっと言いたいことがあったが、ここで抑えておく。
何より、それを見ている渓さんと姐さんが恐ろしく怖い。
彼らは私なんかよりもっとそういった芸術とかセンスとかそういったところに精通し、こだわり抜いている人たちなので、先程の密談室の徹底ぶりからもわかるように、こだわりがあるのだ。
そんな人たちから見たら、私以上にツッコミどころ満載に違いない。未だ何もいっていないのは絶句しているだけかもしれないと思った。人間あまりにも驚くと固まってしまうというからね。
そういったことを考えていると、大柄の体躯の男のうち金髪の方がこちらに歩いてきた。多分、永井というやつ。彼のネックレスがまた痛々しい。きっと彼の黒歴史になるだろう。この後長い間生きることができたらの話だが。
「テメェら、ここが俺らのシマって分かって入ってきてんのか、ぁあ?」
と急に怒鳴りつけてきた。典型的な不良スタイルと台本通りの台詞は笑いを誘うけど笑ったら姐さんに怒られそうなので無表情をキープする。渓さんも同じみたいだ。いや、同じと信じたい。
一方で、姐さんは少し驚いたような顔して笑顔になった。
背筋が凍る。私はその笑顔がとても怖い。無知っていいよなとつくづく思う。あの笑顔を見て何も思わないのだから。
彼女を認識して軽い口をきける人なんてそう居ないから彼女にとってみたら新鮮なのかもしれない。
「落ち着きなよ、永井。女性が二人と餓鬼が一人、どんな理由か分からないし、どんな理由でも問題はないんじゃないかな。」
優男—水島の顔はニタニタしていて気持ち悪い。
何を考えているかなんとなくわかるだけに、下品で下劣で品性のカケラもないと罵りたくなるし、そんな罵るより先に殴り飛ばしてやりたいとも思う。
それなのに余裕を見せる姐さんはすごいと思う。心の中で何を思っているのか想像できないししたくもないけれど尊敬したくなる。だから私も大人になって睨むのはやめよう。
「それもそうだ。ここは人も来ない、誰もいない。何しても助けも来やしねぇんだ。俺らが何やっても問題ねぇんだよな。一度だけ聞いてやる。何しにきやがった。」
永井は水島の意見に納得したようで質問を投げかけてきた。一度質問することをまるで慈悲のようだとのたまう上から目線の感じ悪い金髪男。
その質問に誰がどう答えるのか、私たちは顔を見合わせたが、すぐに姐さんが答えた。
「ふむ。妾はここが貴様らのシマだと分かってここにきたのじゃ。思った以上の下衆だったようじゃ。目的は貴様らの死のみ。それ以上は望まぬ。」
姐さんは特別な感情を込めず世間話をするように彼らに言い放った。
同じ貴様でも私に向けられていた貴様とは違う、確実に敵意を感じさせる貴様。鳥肌がたった。宣戦布告だ。一方的な虐殺になるのは確実だろうに。
一呼吸おいて彼らは笑い始めた。
大笑いだ。
涙が出ているのも見える。
よかったな、最期に笑えて。
そういった情を抱いているのは私だけではないはずだ。
「き、君達と会うのは初めてだよね?殺されるようなことしたっけ?」
笑いすぎで答えるのが苦しいとばかりに、水島が言葉を詰まらせながら質問してきた。
「ほう、自覚がなかったか。貴様らが高値で買い上げた武器じゃが、貴様らはそれを売り捌いて大儲けしたのじゃろう?それは規則に反するのよ。じゃから迷惑な貴様らには死んでもらおうということに決まった故ここに来たということじゃ。」
姐さんは苛立ちを表すことなく丁寧に応じた。
「テメェらが俺たちを殺せるとでも?笑わせる。」
前髪と色眼鏡が特徴的な桜田が言った。思っているからそう言っているのに。人を色眼鏡で見るのはいかんね。
加えて彼ら3人は何が悪いのか分かっていないようだった。嫉妬は醜いみたいな顔して見てくる。
それとも私たちを裏社会の人間ではないとでも思っているのかな。
正直、ここに私たち三人が来るのは過剰戦力、本来三人のうち一人でも余裕だし、寧ろ末端を何人か向かわせればいいところだろう。
今回の過剰戦力の意味は組織間の連携、証拠隠滅、調査などそれぞれ戦闘以外に長けた力、権力、立場、地位といった色々が必要だったからなのだ。
末端に任せて何かが起きた時には問題になる。
それを避けるため、また末端では知り得ない情報を使うためのこの面子で直接相手をすることを選んだ。
それなのに相手方は容姿で判断しているのか、まさか負けるとも思っていないようだ。
本来、ある程度の実力者になってくると見た目で強さがなんとなくわかるようになる。
その対策として実力者たちはその見た目を欺く技術を磨くようになった。
その偽装の技術も練度は人によってまちまちだが、それに対して偽装を見破って本来の強さを看破する技術を身につけるようになった。
いたちごっこになったこの強さの予測も昨今は落ち着き、一つのルール (法則) となっている。
<自分よりも技術が低いものの偽装を暴き、本来の実力を看破できる。自分と同等くらいなら偽装をしているという事実がわかる。自分よりも明らかな格上ならば偽装をしていることにも気づくことができない。>
このようなルールが明らかになり浸透したことにより、相手の実力を読み取ったり、相手を欺いたりすることが闘いの重要な側面になっていった。実力者同士の闘いならば確実に行われるといっても過言ではないだろう。
しかしながら、今回こちらの戦力は強さを偽装してなどいない。
つまり、彼らはそれすらも読み取れない程度の実力のものということがわかる。
尚、彼らは読み取れないフリをして自分たちの実力を偽装している可能性もあるが、そこまで綺麗に隠されている場合、実力差を埋めることは難しいので諦めている。そもそも、そこまで実力がある人は規則を破ることなどほとんどないのだから。
彼らの実力を読み取りながら考え事をしていると、部屋の緊張感が一段階上がった。
「なら、試してみるか?」
姐さんのその言葉を合図として、戦闘とも呼べない戦闘が始まる。
姐さんが永井を、渓さんが桜田を、私が水島を相手にすることになりそうだ。
それぞれが散った。
目の前にいる男、水島は木刀を私に向けてきた。
痛ぶって遊んでやろうという心が見え透くようだ。
一方の私は馴染みの武器を構えず、彼を見る。
心を折るために一気に勝負は決めないように、しかしながら、慌てて近くの銃を使われた時の対処に注意しながら、彼に暫く付き合おうと決意し、彼に言葉を投げかけようとする。
<次回>「蛙大海を知る1」 6月9日投稿予定