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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

誕生日に秘密

作者: 未由季

 金網は今年も、破れたままだった。

 くぐり抜けるとき、切れた金網の先端が、Tシャツの裾を裂いた。思わず舌打ちが出る。去年は余裕で抜けられたはずなのに。

 来年はもう少し、侵入方法を考えなきゃいけない。


 工場の裏手に回る。家から持ってきたスコップを、乾いた地面に突き立てた。そのままざくざくと穴を掘りすすめる。

 遠くで、蝉が鳴いていた。

 手の甲で、額の汗を拭った。穴はだいぶ大きくなった。


 そろそろ、いいかもしれない……。


 手提げかばんから、小さな人形を取り出す。叔母の海外旅行土産だ。わたしはこの異国の人形を、今日までずっと学習机の片隅に飾ってきた。一方お姉ちゃんは、同じ人形をベッドサイドに置いている。


 穴の中に、人形を落とす。人形は愛らしい瞳を空に向けている。口元には静かな微笑み。当たり前だけど、これから自分の身に起こることを、まるでわかっていない顔だ。

 わたしはスコップで土をすくいとった。人形の上にかけようとしたとき、背後で声がした。


「何してるの?」


 ぎくり、と肩が跳ねた。


 ――見られた。見つかった。


 息を止め、おそるおそる後ろを振り返る。

 彼女が立っていた。


「あれ? えっと……」

 向こうもわたしの顔に覚えがあるみたいだ。

「確か、同じ塾だよね……?」


「うん」

 わたしはうなずき、そろそろと立ち上がった。スコップを後ろ手に隠す。頭の中では、必死に言い訳を考えていた。


「わたし、町田っていうんだけど。西小の」

「あ、うん」


 咄嗟に、今はじめて知ったような顔を作った。だけど本当は半年前、塾に通いはじめたときから、わたしは彼女の名前を知っている。町田つばき。塾に来ている六年生の中で一番背が高く、一番髪の短い女の子。わたしはいつも、こっそり彼女の姿を目で追っている。


「そっちは、東小だよね?」

 町田さんが訊いてきた。


「うん」

 わたしは緊張しながら答えた。今まで、町田さんとはちゃんと喋ったことがない。町田さんの周りにはいつも、西小の子たちが張りついている。町田さんは人気者なのだ。


「名前……」

「茗荷谷、彩夏」

「茗荷谷さん」

「うん」


 会話が途切れると、町田さんは元々鋭い目をさらに鋭く細め、わたしを見た。わたしはぎゅっと、スコップを握りしめた。

「えーっと……」

 今考えたばかりの言い訳を口にする。

「飼っていたカブトムシが死んじゃって。でもうちマンションだから埋めるとこなくて。それでここに、埋めに来たの」


「カブトムシ?」

 町田さんはぽかんとした顔になった。

「茗荷谷さん、カブトムシ飼ってたの?」


「え、うん」

 嘘だってバレただろうか。本当は幼稚園のとき以来、カブトムシになんか触ったことない。だけど、これ以上いい言い訳が思いつかなかった。


 本当のことは教えられない。人形を埋めに来ただなんて、言えない。


「べ、別に女子でも、カブトムシ飼う子いるでしょ」


「うーん……」

 町田さんは奥歯に何か引っかかってるみたいな顔になった。

「でもなんか、茗荷谷さんとカブトムシがいまいち結びつかなくて――」


 だって茗荷谷さん、すごく女の子っぽいから。

 町田さんはそう言うと、距離を詰めてきた。

「わたし、埋めるの手伝うよ?」


「あ、いい。もう終わったから」

 わたしは後ずさり、町田さんに穴を見られないようにした。町田さんはさして怪しむこともなく、「そう?」と首をかしげた。


 背中にびっしょりと冷や汗をかいている。早くこの場から立ち去らないと。いいや、町田さんのほうが先にどこかへ行ってくれないと。


 わたしはまだ、目的を果たしていない。


「ねえ茗荷谷さん、どうやってここに入ったの?」

 町田さんは周囲を眺め渡しながら言った。


 工場が閉鎖されてから、三年が経つ。その間、ほとんど人の出入りはなかったのだろう。裏手には用途不明の機械類が、錆びの浮いた状態で放置されている。立ち入り禁止の札が掲げられ、門には頑丈そうな鍵がかけられていた。


「金網が破れているところがあって、そこから……」

「ふうん」

「町田さんはどうやって入ったの?」

「うちは普通に門から」

「え? でもあそこ、鍵かかってるでしょう?」

「鍵なら、ほら」


 町田さんはポケットに手を突っこむと、鍵の束を取り出した。指先に引っかけ、くるくると回して見せる。


「どうして?」

 わたしは驚きの声を上げた。


「親父から借りた。ちょっと探検してみたくて」

 町田さんはそう答え、舌先を出した。

「うちの親父、先週この場所買ったんだよ。再来月には新しい機械運んで、工場はじめるんだって」


「嘘……」

 わたしはショックのあまり、へなへなとその場に座りこんだ。こんなのってない。

 それじゃあわたしは来年から、どこに秘密を埋めたらいいのだろう。


「大丈夫?」

 町田さんが駆け寄ってきて、わたしの腕を取った。そのとき、わたしの背後に穴を見つけて、ぎょっと目を見開いた。


「だめ!」

 咄嗟に両手で穴を隠そうとした。だけどもう、意味がないことは明らかだった。


「何それ」

 町田さんが、わたしの掘った穴を指差す。

「カブトムシじゃないじゃん」


 眉間に皺を寄せ、町田さんは訝しげに穴を睨んだ。

「茗荷谷さん、なんなのこれ」

 なんで人形埋めようとしてるの? 町田さんが問う。


 ――もう、誤魔化せない。


 わたしは観念して、口を開いた。

「秘密を、作ろうと思って」



 ■ ■ ■



 中学生になってから、お姉ちゃんは徐々にわたしを遠ざけるようになった。


「彩夏に言ってもわかんないよ」

「彩夏にはまだ早いと思う」


 それでも尚、お姉ちゃんのすることにわたしが興味を示すと、顔を真っ赤にして怒った。「彩夏には関係ないでしょ!」と言い捨て、部屋に閉じこもってしまったときもあった。


 お姉ちゃんは秘密主義者だ。

 それに、ものすごく薄情。


 お揃いで持っていたペンケース、マフラー、枕カバー。お姉ちゃんはいつの間にか別のものを使うようになっている。「前のはどこにやっちゃったの?」と訊けば、「えー? よくわかんない」ととぼける。

 きっとお姉ちゃんは、わたしとお揃いのものを持ちたくないんだ。わたしを恥ずかしいと思っているんだ。

 ペンケースはお気に入りだったけど、もうお揃いじゃないとわかったら、全然かわいいと思えなくなってしまった。


 お姉ちゃんは夜中にこそこそ、誰かと電話で話している。部屋で眠っていると、壁越しに、楽しそうなお姉ちゃんの声が聞こえてくる。朝になって、「昨日は誰と喋ってたの?」と尋ねたら、お姉ちゃんは怖い顔をして「秘密」と答えた。


 お母さんは夜十時からのドラマを、わたしに絶対見せてくれない。それなのにお姉ちゃんとは一緒に見ている。「どういうドラマなの?」と訊いても、二人は含み笑いをするばかり。「んー、彩夏にはまだ難しい内容かな」なんて、お姉ちゃんはすまし顔で言う。わたしとお姉ちゃんは、四歳しか離れていないのに。


 そんなことが重なって、わたしもわかってくる。

 お姉ちゃんはもう子どもじゃない。だんだん大人に近づいていってるんだ。


 わたしも早く、お姉ちゃんと対等になりたい。

 年齢以外で、お姉ちゃんとわたしの差ってなんだろう。


 お姉ちゃんには秘密がいっぱいある。

 友達とどんなことをして遊んでいるのか。いつもスマホをいじくっているけど、何をしているのか。この間一緒に歩いていた男の人は、誰なのか。全部、お姉ちゃんは秘密にする。


 大人に近づくって、きっと秘密を持つことなんだ。

 そう気づいたとき、わたし自身は何も秘密を持っていなかった。学校でどんなふうに過ごしたとか、誰と遊んだとか、わたしは食卓に着くたび、なんでも家族に話してしまう。部屋の中、机の引き出し、ノートの中身、すべて見られて困るようなものなんてない。


 秘密を作ろう。わたしは心に決めた。そうだ、一つ歳を重ねるごとに、秘密を増やしていこう。


 そうして迎えた十歳の誕生日、わたしは足の爪を切って、廃工場の裏手に埋めた。爪には赤いマニキュアが塗ってあった。

 誰も知らない、わたしだけの秘密。マニキュアは一週間前、お母さんのをこっそり持ち出して塗った。それから誕生日まで、家族の誰もわたしの足の爪の赤色には、気づかなかった。


 翌年も、同じ場所に秘密を埋めることにした。

 嘘をついて、はじめてひとりで映画を観に行った。そのときの半券を、穴を掘って埋めた。映画の間中ずっとそわそわしていたから、内容なんてほとんど頭に残らなかった。だけどわたしは満足だった。


 今年はどんな秘密を作ろうか。

 机に頬杖をついて、考えを巡らせていたとき、視界の片隅に人形が入った。お姉ちゃんとお揃いでもらった、お土産の人形。

 これを手放せば、わたしはお姉ちゃんよりも大人になれるんじゃないか。

 お姉ちゃんより先に、人形を捨ててやる。

 お揃いのものを持って喜ぶなんて、子どもっぽいことは卒業するんだ。


 わたしの人形が消えているのに気づいたとき、お姉ちゃんはどう思うだろうか。大事にお揃いの人形を持ち続けている自分を、恥じるだろうか。それとも、してやられたと悔しがってくれるだろうか。

 お姉ちゃんの反応を想像して、わたしは胸をわくわくさせた。

 

 そんなわけで、人形を埋めに来た。今日はわたしの誕生日だ。



 ■ ■ ■



「ふうん……」

 わたしの話を聞き終えると、町田さんは重々しく息を吐いた。

「そっかあ……」

 どう反応していいかわからないって顔だ。


 話すんじゃなかった。わたしは激しく後悔した。別に親しくもない、ただ塾が同じだけの子から、突然こんな変な話聞かされて、町田さんはきっと困っている。


 ――ああ、もう消えてしまいたい。


 町田さんの記憶を消すことはできないから、わたし自身がこの場から消えてなくなってしまえばいいのに。

 自分の行動を言葉で説明してみて、なんてくだらない、幼稚なことをしていたのだろうと気づいた。

 だからわたしは、いつまでもお姉ちゃんやお母さんの仲間に入れないんだ。

 秘密を持ったくらいで、大人になんかなれない。 


「ごめん、もうしないから。ここが町田さんのお父さんの工場だなんて知らなかったの。こんな馬鹿みたいなこと、もうやめる」


 わたしは早口で言った。すると、町田さんから意外な言葉が返ってきた。

「別に馬鹿みたいじゃないよ」


「え?」

「秘密を持つって、なんかいいじゃん」


 町田さんはにっと笑うと、細長い腕を伸ばして、穴から人形を取りあげた。

「でも、さすがに埋めちゃうのはかわいそうだよね、人形が」


 町田さんから押しつけられ、わたしは人形を受け取る。表面についた土を指先で払ってやると、人形の微笑みが深くなったように感じた。わたしは思い出した。人形は、叔母がわたしたちのために選んで買ってきてくれたものだ。こんな場所に埋めちゃいけない。子どもじみた自分と決別するための道具にしちゃいけない。


 わたしが人形を胸に抱くと、なぜだか町田さんのほうがほっとした表情を浮かべた。

「ちょっとわかるよ、茗荷谷さんの気持ち」


 カシャン。町田さんは鍵の束をポケットに突っこんだ。

「わたしもね、たまに焦るときあるんだ。わたしこんなんでいいのかなって……」


「嘘だあ」

 わたしは言った。視線は町田さんのポケットの辺りを捉えている。

「だって塾に来てる子たち、みんな町田さんと仲良くなりたそうに見えるよ。町田さん大人っぽいし、塾の先生だって町田さんにだけなんか態度違うの、すごいなーって思うもん。もし町田さんと入れ替われる魔法があるなら、わたし絶対使うよ」


「ねえ茗荷谷さん、わたしたち同い年だよ?」

 町田さんは苦笑いを浮かべて言った。

「確かにさあ、わたしは周りの子に比べたらでかいし、実際中学生くらいに見られることも多いけど。見た目と中身は別でしょ?」


 そうやって諭すような言い方が、すでに同い年っぽくないんだよなあ。思ったけれど、口には出さなかった。たぶん町田さんは、そういう話がしたいんじゃないんだ。


「鍵」

 わたしは町田さんのポケットを指差した。


「鍵?」

「よくお父さん貸してくれたね。普通、仕事場の鍵なんか子どもに貸さないよ」


「ああ……」

 町田さんの眉間に、深い皺が寄った。その顔を見ていたら、不安になった。わたしは知らずに、町田さんを傷つけたのかもしれない。


「うちはいっつもそうなの。面倒臭がりで。基本、親父たちはわたしに興味ないからさ。わたしが何言っても、好きにしたらいいよ、やりたいことやったらいいよって。全然心配なんかしないんだ。放任主義ってやつ」

 だから不安になるんだよね。町田さんは続けた。

「わたし、間違ったことしないかな。もしわたしが何か間違ったとき、誰がそれを指摘してくれるんだろう。間違ったまま大人になったりしないかな。早く、自信を持って自分ひとりで判断できるような大人になりたいよ」


 わたしはそっと町田さんから視線を逸らした。町田さんの表情を確かめるのが怖かった。自分を恥ずかしいと思った。

 焦るときあるんだ。そう訴えた町田さんに、わたしはさっきなんと言った?


 飛んできた球を反射的に打ち返すように、なんの考えもなく「嘘だあ」と否定した。

 町田さんの事情も背景も、何一つ知らないくせに。

 まるで自分だけが重いものを持たされている気分で、言葉を放った。わたしの軽すぎる相槌は、彼女を思いのほか傷つけたのかもしれない。

 町田さんは、秘密を作りたいというわたしを肯定してくれたというのに……。


 わたしは今度こそ慎重に考え、口を開いた。

「町田さんはきっと、信頼されてるんだと思うな……」

 意を決して再び町田さんに目を向けると、彼女は不思議そうな顔で見つめ返してきた。


「仕事場の鍵貸してくれたり、好きなことしていいって言ってくれたり、きっと町田さんはお父さんからすごく信じられてるんだよ」

「それはだから、放っておかれてるだけだって」

「でも、仕事場の鍵貸してくれるってよっぽどだと思うよ。もし町田さんがそこで何かやらかしたら、仕事に影響出るかもしれないでしょ? それでも貸してくれるってことは、町田さんは絶対間違ったことをしないって、お父さんが考えてることにならない?」


 わたしは唇を閉じた。少しの間、沈黙が流れた。

 やがて、町田さんがぽつりと言った。

「そうなのかな……」


「そうだよ」

 わたしは強くうなずいた。

「お父さん、きっと見てないようで町田さんのことちゃんと見てるんだよ。だから万が一町田さんが何か間違ったことしたとしても、すぐに気づいて注意してくれるよ」


「うん……」


 町田さんの肩が下がるのを見て、わたしはほっと安堵の息をついた。良かった。わたしはちゃんと、町田さんと向き合えたみたいだ。


「ありがとう、茗荷谷さん」

 町田さんからお礼を言われると、お腹いっぱいごはんを食べた後みたいな、ほくほくとあったかい気持ちにあった。


「わたしのほうこそ、ここで変なことしてたのに、引かないでくれてありがとう」


 そこで町田さんは、思い出したようにわたしの胸の中の人形を見やった。何か企んだような顔になって、

「代わりの秘密、作ろうか」

 言いながら、その場にどかりと腰を下ろした。脚を投げだし、地面に後ろ手をついて、うーんと伸びをする。

 わたしはちょっと考え、町田さんの隣に座った。スカートが土で汚れるかもしれないけど、まあいいや。


「代わりの秘密って?」

 訊き返したわたしの声に被せるようにして、

「茗荷谷さん、中学受験組?」

 町田さんは話題を変えた。


「ううん、違う。普通に公立」

「だよね。私立受験するなら、今の塾なんか来てないだろうし。受験組はほら、駅前のほうの塾行ってるでしょ」

「あ、やっぱり西小でもそうなんだ」

「そうだよそうだよ」


 わたしはちらりと、町田さんの脚を見やった。よく日焼けした、走るのが速そうなふくらはぎ。その表面を、一匹の蟻が這いまわっている。


「じゃあわたしたち、中学で一緒になるんだね」

 わたしは言った。西小と東小の児童は、中学では同じ学区になるのだ。


「茗荷谷さん、部活何入るかもう決めてる?」


「全然」

 わたしは首をふった。

「町田さんは? 決めてるの?」


「うん。バレー部。今もバレークラブに入ってるんだ」

「町田さん、運動神経良さそう」

「そうかな」

「いいの? 実際。運動神経」


「えーっと……」

 町田さんはちょっと考える仕草を見せて、

「秘密」

 いたずらっぽい顔で、笑みをこぼした。


「中学に入ったらわかるよ。もしかしたら同じクラスになるかもしれないじゃん」

「そうだね」

「それに中学の体育って、二クラス合同だって聞いたよ」

「あ、そうなんだ」


 話しながら、わたしは何度も町田さんの脚に目をやった。

 くすぐったくないのかな。

 町田さんは蟻の存在に気づいていないみたいだ。蟻はさっきから好き放題にふくらはぎの表面をうろちょろしている。


 もしも今度の塾で――わたしは想像してみた。もしも今度の塾で、わたしと町田さんが今みたいに親しげに話しているところを見たら、友達はみんなびっくりするかな。 

 仲が悪いわけじゃないけど、塾の教室ではいつも西小と東小でなんとなく分かれて席に着いている。お互いに様子見している感じだ。たぶん何かきっかけがあれば、通っている小学校とか関係なく、みんな友達になれると思うのだけど、今はまだそんな段階じゃない。

 彩夏ちゃん、いつの間に町田さんと仲良くなったの? 友達からの質問に、わたしは答えるだろう。「秘密」と。


「今度の塾、隣同士座ろうよ」

 わたしの考えを読んだみたいに、町田さんが言った。それから片手でふくらはぎの蟻を払い落した。


「あ」

 思わず声がもれた。


「え?」

 町田さんはわたしの顔を覗きこんだ。

 変なタイミングで声を上げたせいで、ずっと脚を見ていたこと、気づかれたかもしれない。なんだか気まずくて、わたしは顔を伏せた。


「わたしと並んで座るの、嫌?」


「ううん、嫌じゃない。座ろう」

 わたしは慌てて答えた。


 町田さんが言う。

「でも、わたしたちがどうやって仲良くなったのかは、みんなに秘密ね」


 そうか、代わりの秘密を作ろうって、こういう意味だったのか。わたしは納得した。

 町田さんが身じろぎする。その拍子に、肩と肩とがぶつかった。いつの間にかわたしたちの距離は近くなっていた。わたしは町田さんの体温を意識した。


「彩夏」

 町田さんが、わたしの名前を呼ぶ。返事をしようとしたら、頬に一瞬、柔らかいものが押しつけられた。

「誕生日おめでとう」


 わたしは驚き、声を失った。


「今のも秘密だよ」

 わたしの耳元で囁いて、町田さんは素早く立ち上がった。


「中学生になったら、一緒にバレー部入ろうよ」

「え、でもわたし、バレーボールなんてやったことない」

「大丈夫だよ。中学からバレーはじめる子がほとんどだろうし、わたしが練習付き合うから」

「わたし町田さんみたいに背高くないし」

「これから伸びるよ、きっと」


 考えておいてね。町田さんそう言うと、さっさと歩きだした。

「また塾でね」


 遠ざかっていく背中に、わたしは慌てて声をかけた。

「うん、またね」


 町田さんの姿が見えなくなって、わたしは静かに立ち上がった。頬にはまだ、さっきの感触が残っていた。片手でそっと頬を押さえ、まだ埋めていなかった穴へと近づく。頬から放した手を穴の上にかざし、はらはらと動かした。それからスコップで丁寧に土をかぶせた。


 十二歳の誕生日、わたしは女の子からキスをもらった。

 その秘密を、ここに埋める。

 

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