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【第7話】世界はそれを、魂と呼ぶんだぜ



「ちょっと~剣聖くん、いつまで寝てんのよ~」



「あ・・もうそんな時間か。昨日も会社の接待で夜が遅くなってさ」



俺は眠気の引力を無理やり引きはがすように、

意識的に少し勢いをつけて枕から頭を起こし、壁掛け時計に視線を向けた。



針はちょうど9時を指している。



なんだ。



休日にしては、まだ早いじゃないか。



不思議に思って視線を戻す。



彼女は何か言いたげな様子で

唇を尖らせたまま体をモジモジさせてベットの傍らに立っていた。



まったく、しょうがない。



手のかかる子猫ちゃんだな。



苦笑いを浮かべたまま彼女の腕に手をやると、

そのまま自分のもとに強引に抱き寄せる。



「ちょ、ちょっと剣聖くん」



直視することが出来ず、急に目をふせて恥じらいをみせる彼女。



実に可愛らしい反応じゃないか。



主導権を逃すまいと彼女の顎の下に手をやって、

軽く上に向けさせながら絡めるように視線を合わせた。



「寂しいなら寂しいって、素直にいえよ」



「も~意地悪。剣聖くんには、なんでもバレちゃうな~」



彼女はふふっと笑みを漏らした。



暗黙の了解を示唆するように、そっと瞳を閉じて、俺を待つ。



重り合う二人の唇。



離さない。



もう俺は・・



一生キミを離さない!



「いいから、そろそろ離せよ」



え?



唐突に意識に割り込んできたノイズのようなしゃがれた声に反応して、

俺はゆっくりと(まぶた)を開けた。



樹齢1000年。



横殴りの激しい嵐もありました。



環境を一変させるような規模の大きい地震もありました。



そんな様々な困難に直面しながらも、大地にしっかりと根を下ろし、

長い年月によって刻み込まれたことを容易に想像させる深く縦裂した樹皮のような存在感、

もとい彫りの深い顔の(しわ)を、俺は、今、目と鼻の先で確認しています。



夢から目が覚めた、と認識するまで、およそ10秒。



夢のまま一生を過ごしたかったと、現実を理解するまで、およそ5秒。



どうやら俺は、この瞬間も、

全く面識のない樹皮なババァと熱い口づけを交わしているらしい。



「あじゃぱぁぁぁぁぁあああ!」



想像の斜め上を行くファーストキスの展開!



子猫みたいな可愛いほんわか女子との甘い甘いマシュマロのような意識とろける系のやつはどこいったんだ!



慌てて仰け反るように頭を引くと、

ゴンッ、という鈍い音と共に後頭部に痛みが走る。



「いったーっ!」



頭をさすりながら後ろを振り向くと、どうやら店舗の外壁のような場所に打ちつけたようだった。

知らない間に、俺はこの店の外に隣接されたベンチに腰かけていたらしい。



通りを行き交う人達はまばらで、向かい合って立ち並ぶ店舗を見たところ、

古民家のようなレトロで落ち着いた雰囲気の店内にも人の気配はあまり感じられなかった。



「まぁなんだ。落ち着け、な?」



目の前のババァは全く取り乱した様子もなく、

上着のポケットから刻みタバコが先に詰まった煙管を取り出した。



マッチで起こした火を先端に灯して、吸い口から軽く一息すると、

ふーっと宙に白い煙を吐き出す。



「LP10貰うからな」



「はい?」



「こっちにしてみりゃ急に強姦されたようなもんだろうよ。

LP10ぽっちであたしとキス出来たんだから、むしろ有難いと思いな」



ヒキガエルとブルドッグを足して2で割ったようなアニマルフェイスのババァが、

どの口でいってるんだろうか。



罰ゲームをくらった本人が、罰ゲームにかかった費用を全額負担しなければならない理不尽な感情を、こんなタイミングで理解しようとは。



「あ、でもお前、もうLPねぇな」



ババァは俺を見つめた後に、勝手に宙に向かって透過ウィンドウを展開すると、

ステータスなどの詳細な情報を一読しながらそういった。



この世界では、あれだな。



個人情報の保護なんて、ないようなもんだな、おい。



「ん?炎竜の鱗だと?」



細めた瞳が怪しく光る。



「お前のレベルにしては、随分と大層なもん持ってるじゃねーか」



見定めるような視線を向けたまま、何か思い(ふけ)った様子で静止している。

頭の中でカチャカチャとそろばんでも弾いているのだろうか。



「LP1000で買ってやる。キス分はタダだ。どうだ、悪くない取り引きだろ?」



むしろキス分は心の損害賠償としてこっちが貰いたいくらいなんだが、

という怒りの反論をグッと飲み込む、

大人の対応をする俺に誰かささやかながらの拍手をして欲しい。



そうはいっても、まだこの世界の仕組みも良くわからないし、

現状の疑問点を聞くにしてもだ、

唯一の頼みの綱である太郎くんもエリスちゃんも見当たらないし、

少なくとも現段階で失っているLPを全て補填できると考えたら、

この話は悪くはないのかもしれない。



「じゃあ、それで頼みます」



「そうかい」



取ってつけたような笑みを浮かべて、

ババァは展開されている透過ウィンドウの持ち物の欄から、

【炎竜の鱗】をクリックするように促してきた。



「すぐにLPに反映させるよ」



そのまま指でクリックすると、

新たに【売買を成立させますか】という文字が出現し、

横に並ぶ【はい】【いいえ】のボタンに対して、

俺は【はい】のボタンを押した。



持ち物の欄から【炎竜の鱗】が消え去ったのと同時に、

俺のLPの表示欄が限界値を超えて1003/360となると、

警告を促すようなオレンジ色の装飾が、数字を囲うように繰り返し点滅を始めた。



「なにこれ?どういうこと?」



首を傾げる俺を尻目に、ババァは再び煙管から吸いこんだ煙を宙に吐き出しつついった。



「お前、びっくりするぐらいになんも知らねーのな」



透過ウィンドウの左端の列に縦に並ぶアイコンの中から、

人の全身を輪郭のみで表したようなアイコンを押すように促される。



俺がそのアイコンを押すと、上乗せで展開された透過ウィンドウは、

くるっと回って、正面から水平へと土台となる位置を変えて、

中心から30センチくらいの高さに伸びるように緑色のワイヤーフレームで構成された3Dの人体模型が出現した。



【実体構成率20%】と記載された表示を見る限り、

これは現状における俺の体の状態を表しているんだろうか。



目、鼻、耳、口、脳、喉、といった部分だけは、

ワイヤーフレーム内の区画が緑色に塗りつぶされている。



その他はワイヤーフレームのみでからっぽの状態だが、

右腕の肘から下にかけての部分は、俺の現在の状態を表すように形状そのものが存在しなかった。



「お前の無くなっているその右腕は、まだ治せる。

あたしの店にある応急セットのアイテムを使用すればいい。

もちろん対価のLPはしっかり貰うけどな」



まだ治せる、という点に若干の引っかかりはあったが、

ババァは間断なく言葉を続けていく。



「クエスト終了後の3時間が過ぎたタイミングでは、損傷した体は元に戻せなくなる。

限界値を超えた余剰分のLPも、同じタイミングで全て消失してしまう。

だから早いところ買いたいものがあったら選んだ方がいい」



慌てて透過ウィンドウを確認すると、先程までは気付かなかったが、

LP欄のすぐ近くで【余剰分の消失まで 残り15分】と、

ご丁寧な記載を添えてカウントダウンが進行していた。



次から次へとよくもまぁ、知らん情報ばっかりだな!



無表情のまま空を見上げるように煙管を吹かしているババァを置き去りにして、

駆け込むように店の中に入り、俺は辺りを見渡した。



今の(はや)る気持ちを落ち着かせる為にというわけではないだろうが、

天井からは淡い光を放つランプが等間隔に垂れ下がっていて、

年季の入った木造の内装に、より暖かみをもたらしているようだった。



入り口付近の木棚の上を見ると、どこか既視感のある赤い十字マークに目がとまる。

プラスチックのような白い箱の中心に描かれた特徴的なデザインだった。



箱の前には【応急セット・上級】と紙の札に書かれており、

もう一つの値札には【LP700】とあった。



「たっか!」



余剰分のLPどころか、普通に足が出てるじゃねーか!



「おいババァ!これより安い応急セットはないのかよ!」



「それが・・人に頼みごとをする態度かい」



空に向かって、これみよがしにゆっくりと煙を吐いて、一言。



「ねーよ」



「ねーのかよ!」



そしたらなんだ?



右腕を治しただけで、余りのLPは全部使い果たすってことか。



嘘だろ。



本当にないのかよ・・



ほぼ他力で獲得した経緯はあったにしても、

あんだけやばそうなクエストを達成して得た報酬だ。



少なくとも直近の生活に限っていえば、

ある程度の余裕が生まれるものだと高を括っていたのに。



むしろ現状のLPの上限値から食い込むような、

マイナスからのスタートになるなんて想像もしてなかった。



店の奥に向かって、縦に仕切るように向かい合わせの木棚が並んでいる。

俺は中央通路のような場所を歩き、首を左右に振りながら棚の中を確認して進んでいくが、

確かにそれらしきものは見当たらない。



「嘘なんてついて、どうするんだね」



店の入り口でけだるそうに背中をもたれかけながら、ババァはいった。



俺はどうしても諦めきれずに、前に向き直して歩き出そうとしたが、

焦りで足が空回り、前に突っ伏す形で倒れてしまった。



投げ出した左手が、店の奥のショーウィンドウのガラスにあたると、

冷たい硬質的な感触を僅かに残して、空を切った。



バリンと派手な音を立てて、砕け散ったガラス。



大小様々な破片が床に広がると、店内を重苦しい雰囲気が包み込んだ。



残された静寂が罪悪感に拍車をかけていく。



「すみません。弁償しますから」



と顔を上げた、その時。



目が合った。



いや、そうじゃない。



その目はこちらを見ているようで、

結局はどこも見ていないような焦点の定まらない(おぼろ)げなものだった。



ガラスにまみれて床に転がる【処分品】の札を見て、更に動揺が隠せなくなる。



薄汚れたガラスケースの地面の上に、直接、体育座りをして、

膝を抱えたまま微動だにしない、裸の女性。



最初は人形かと思ったけど、呼吸に合わせて小さく肩が動いていた。



生きている。



何よりも特筆すべきは、割れたガラスの破片で切られた体から、

傷口を伝うように血が滲んでいたことだった。



本物の血液が流れてるのか?



生気をほとんど感じさせない彼女の青白い体。



疲労が色濃く残るくぼんだ瞳は、未だ焦点が定まっていないように見えた。



俺は意識をして彼女の額に視線を合わせると、



「対象のデータが存在しません」



頭の中に抑制された機械的な声が響いた。



想定外の展開に、言葉を無くす。



この世界で生きているのに、データが存在しない?



そんなことって・・



背後に人の気配を感じて振り返ると、

見下ろすような視線をこちらに向けてババァが立っていた。



「その女、あんたが買うのかい?」



振り向き直して、裸の女性に目をやると、

足もとに【LP5】と書かれた値札が落ちていた。



俺は、小さく息を飲む。



さっき走ったりしてる最中に、

ものの3分ぐらいで消失したLPと、同じ価値じゃないか。



生きてる人間が、たったLP5で・・



ふいに湧き上がった疑問を、そのまま言葉にして投げかけた。



「処分品って、いつまでここに置かれてるんですか」



「この後すぐかもしれないし、一か月先かもしれないし、

そもそもそんな先までこの子は生きているのかねぇ」



その声色には、この状況をどこか楽しんでいる節さえあった。



頭の中で繰り返し反響する声。



いつまで生きているかは、わからない。



どうする。



右腕を治して、彼女を買った後に残るLPは298。



これが多いのか少ないのかも良くわからない。



落ち着け。



冷静になれ。



走っていた時に、およそ3分でLPが5消費していたと仮定すると、

1時間ではLP100の消費になる。



激しい運動をしなければ実際はこれよりも減るだろうが、

LPを増やす為のアクションを起こさずにいたら、およそ3時間で、死ぬ計算になる。



今、この女性を助ける為に、LPを払うことは、可能だ。



ただその後は?



この世界にデータが存在しない彼女は、恐らくLPの概念に囚われていない。



つまり、自分でLPを稼ぐ手段を持たない特殊な存在なのだ。



実体は存在しているが故に、喉が渇いたり、腹が減ったりもするだろうが、

誰かを頼ることでしか生きてはいけない。



そんな生産性を持たない、偶然出会った赤の他人を、

自分の命を懸けてまで守る理由なんて・・



肺を、底から絞るように深く息を吐き出して、

目を閉じたまま、宙を仰いだ。



無理だろ。



俺は太郎くん達のように強くもない。



自己犠牲のような誰かに無償で捧げる献身性も、困難な未来を切り拓いていく勇気もないんだ。



絶対に無理だ。



諦めるしかない。



ババァの横をすり抜けて、無言でその場を後にしようとする。



「別に気にすることはない」



背中で言葉を感じながら、後ろ髪を引かれる思いを断ち切るように入口へと歩みを進めていく。



「自分に都合の悪いものはな、見なかったことにすればいいんだよ」



俺は、ハッとなって足を止めた。



過去も、そして、この時も。



頭の中で先回りして。



俺は決して悪くはないと、

もっともらしい理由を探してさ。



現実から目を背けて、避けて、避けて、避け続けた結果、

なんも中身がない空っぽの自分自身だけが残ったんだろうが。



本当は、どうしたいんだよ。



助けを求める気力もなく。



虚ろな表情で俺を見つめていた彼女。



その姿を見て、どう思ったのか。



怖くて、不安で、俺なんかには無理だって。



心が押し潰されそうになる中で、



「この人を助けたい」



それが、俺の意志だろうが。



正解、不正解なんてこの際よくわからない。



わからないけど。



俺が生きて、この人も生かして。



最後に笑い合えてたらさ。



ここで決めた選択は、

きっと正解だったって思えるんじゃないかな。



悔いなく生きていく為に。



明日に繋がる目の前の一歩を、重ねて。



ひたすら積み重ねて。



未来を掴んでいくしかない。



歯を食いしばれよ。



立ち向かえ。



逃げんな。



もう逃げんな。



ここから逃げたら、俺は前に進めないだろうが!



不安で震える左手を抑え込むように、

拳をきつく握って、振り返った。



「俺は、その女性を守ります」




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