【第4話】その握りしめた拳は、誰の為にあるのか
どれだけ走っても呼吸が弾まない。
心臓が弾んでいる感覚も、足に溜まる疲労感もなく、
無限に加速していけそうな錯覚に陥ってしまう。
だが、勢いに乗って走るスピードを更に上げようとすると、
「現状のレベルにおける限界値を超えています」
と頭の中に響いた声にすぐさま行動を制限された。
現状のレベル?
限界値ってなんだ?
整理が出来ない情報が多すぎて、思考が全く追いつかない。
後方から風が唸る音を感じ、
足を止めずに顔の動きと視線の動きだけで対象を捕捉する。
ちょうど人間のサイズくらいの火球。
複数の存在が接近してきているが、
ドラゴンから吐き出されたものに違いない。
俺を通り越して前方へと伸びる火球から発せられた光の強さと、
風を切る音の大きさから、後方から向かって来る対象のおおよその方向はわかる。
体を横に倒すようにして、
急に走る進路を右に90度変えて、火球をかわした。
すぐに切り返して、左に90度。
更に火球をかわす。
元の進路に戻して、ドラゴンとの距離は一定に保つ。
後ろを振り返って確認。
大丈夫。
ほとんど距離は縮まってない。
目標を無くした火球が地面に突き刺さる度に、勢いよく土と草が舞い上がり、
月のクレーターのような地形をところどころに作っていく。
その中の一つの火球は、どこに当たるわけでもなく、
前方の遥か彼方に見える山の方向へと向かっていった。
なんとなく気になって行方を見守っていると、
「ズームアップを行いますか?」の声が頭の中で響いた。
ズームアップ?
俺はよくわからなかったが「頼む」と呟くと、
目の前に新たなウインドウが展開された。
山の方向に飛んでいる火球を、
ほぼ上空から捉えた俯瞰的な映像が映し出され、
その先にはゴツゴツとした岩などが乱雑に散らばった荒地が地面として見える。
映像は距離間の微調整を繰り返し、
最終的には火球目線のものへと切り替わった。
更に山の斜面へと距離が近づく。
唐突に現れた。
人間の存在。
驚き、恐怖で目を見開いた表情。
無理だ。間に合わない。
次の瞬間、火球は、その人間に衝突した。
燃え盛る炎の中で、揺らめく黒い影のような存在は、
膝を折り、身悶えを繰り返し、
そして、すぐに動かなくなった。
体の輪郭から光のような粒となって、形を徐々に消していく。
「フルパーツの肉体を持つ対象のLPが0になりました。刑を執行します」
無情な宣告が俺の頭の中で響くと同時に、
画面は2分割され、元々流れていた映像は右に移動し、
新たに左に展開された映像には、
暗がりの部屋の中に置かれた1つのベッドが映し出されていた。
その上には、微動だに動かず仰向けに横たわる人間らしき存在がある。
ところどころに配線が伸びたヘルメットのようなものを頭に取り付けられていて、
顔から足もとまでは全ての体にきつく包帯が巻かれているようだ。
なんだ?
どういう状況だ?
ふいに画面が黒い何かで覆い尽くされる。
カメラが引くと、そこには両手を叩いて喜びを露わにするゴリラが佇んでいた。
「こいつ・・」
もしかして俺を銃で撃ったやつか?
ゴリラはカメラに背を向けてベッドに向かって足を進めると、
手持ちのマッチに火を点けた。
引いていたカメラのアングルが、ゆっくりとゴリラの手元に寄っていく。
「おい・・何をするつもりだよ」
まるで投げ捨てるかのように、
なんの躊躇いもなく、マッチが宙に放り出された。
チリチリと静かに。確実に。
胸元に落とされた炎は、浸食し、
包帯を食い破るようにして、皮膚を、肉を、焦がしていく。
立ちこめてゆく黒い煙。
炎で照り返されたゴリラの表情に、
恍惚とした狂気が滲んでいるように見えた。
映像に上乗せされる形で「炎の刑、執行」の文字が浮かぶと、
スタジアムで起こる歓声のような大音量が響き渡った。
すぐさま追随するように様々な言葉が画面を走る。
【死ねぇぇえええ!】【ワロス】【実に良いねぇ】
【燃っえーろ!燃っえーろ!】【祭りだぁあああ!】
【いやいや、こいつあんま動かないからつまんなくない?】
俺はどうすることも出来ず、
呆気にとられたまま画面を見続けていた。
待てよ。嘘だろ?
人間が焼かれているのか?
本当に?
なんで?
意味がわからない。
そんな全く追いつかない俺の思考を置き去りにするように、
左右の2画面は暗転し【ご視聴ありがとうございました】の白いテロップが浮かぶと、
一瞬にしてウィンドウごと姿を消した。
得体のしれない浮遊感。
地に足がついていない感覚というのは、
まさにこういう状態なんだろう。
何も言葉が出て来ない。
今、目の前で起きた出来事の整理をしたいが、
そうもいってられない現実がある。
視界の左隅。
空中に展開されたままの自分のライフポイント表示は、
じわりと減算され続けていた。
後方で走るドラゴンを振り向きざまに横目で確認。
急に足を止めたドラゴンは、
胴体を反りながらその場で大きく息を吸い込んだ。
鋭利な牙が覗く口元に、
光の束が弧を描いて収束していく。
一瞬の静寂。
脅威は臨界点を超えて。
弾きだされた紅蓮の火球が、辺りを閃光に導いた。
「炎竜ガルアオロスの攻撃、エナジーフレアです」
完全不可避の存在感。
絶望が、形を成して来襲する。
先ほどの炎で焼かれた人間の姿が、
否が応でも脳裏でフラッシュバックした。
再び前方のウインドウに目をやると、
残りのライフポイントは既に10を切っている。
減算されていく無機質な数字。
今、この時も。
自分の寿命が、
目に見える形で失われていく。
俺はいつか頑張ろうって、そう思っていた。
今よりも世の中が良くなって、
やるしかないって状況に追い込まれたら、必ず。
きっと、やる。
そうやって都合の悪い現実からは目を背けて、
何も変化がない怠惰な毎日を送り続ける。
気がつけば、自分に対してつく嘘だけが、
年齢を重ねるごとに上手くなっていった。
23歳にもなって、無職。
生活費は全てが、ばぁちゃん持ち。
働かないことが当たり前になり、
ばぁちゃんの世話になることが当たり前になり、
腰を丸めても黙々と働き続けるばぁちゃんの存在は、
ただの日常、当たり前の出来事であって、
ばぁちゃんの日々の苦労を労わろうなんて気持ちは、
いつしか完全に消え失せていた。
ばぁちゃんが死んだら。
遺してくれた金がなくなったら。
仕方ないから、その時はニートをやめて働くかって。
都合の良い金づるみたいに思っていた。
両親と幼い時に離れ離れになった俺は、
物心ついた時からばぁちゃんの元にいた。
決して気が強くなかったけど、
俺が学校でイジメにあえばなりふり構わずに盾となって守ってくれた。
「親が居なくて寂しい」と膝を抱えて部屋で泣いていたら、
朝まで何もいわずに寄り添ってくれた。
就職して、すぐに自分の都合で退職した際も、
「あなたなら大丈夫。ばぁちゃんはわかってるよ」と理由も聞かずに見守ってくれていた。
俺が小さい頃から既に見た目がばぁちゃんで、
大きくなってからは余計に老けたばぁちゃんになったけど、
この世で俺が頼りに出来る唯一の、かけがえのない家族だった。
働かなくなってから、5年もの長い間。
俺の可能性を一切疑わず。
ただ信じて、ずっと信じて、待っていてくれたのに。
馬鹿だな、俺は。
本当にどうしようもない。
ばぁちゃんから貰ったたくさんの優しさに甘えるだけ甘えてさ。
何も恩返しが出来てない。
ありがとうの一言すら伝えられてない。
追い込まれて。
死の直前になって。
どうすることも出来なくなった今、
ようやく本気で、ばぁちゃんの為に何かしたいって。
ちゃんと真っ当に生きたいって思えるなんてさ。
遅すぎるよな。
いったい俺は、何をやっていたんだろう・・
ふざけんなよ。
涙は出んのかよ、この体。
ごめんな。
ばぁちゃん。
馬鹿な孫で、本当にごめん。
もう一度・・
もう一度生まれ変われたらさ。
その時は絶対に・・
「その時は、なんだ?」
「えっ?」
頭の中で反響する声。
だが、抑揚のない機械的なものではない。
「生まれ変わらなくても、これから生きてやればいい」
温かみのある芯の通った頼もしい声だった。
「俺の名を呼べ!」
「な、なんて?」
「俺の名は、キャプテン・ゼロカイザーだ!」