三話 「紫キャベツと呼ばないで」
アリエは森を駆けていた。治りたての足がズキズキと徐々に痛くなっていくのも構わずに。
汗が首筋から背中にかけて流れる、吸い込んだ酸素が乾ききった喉を刺激するのが嫌で嫌で仕方ない。
それでも足を止めないのには理由があった。
「<<フレイム・ペイル(火矢)>>」
背後に迫る炎の矢を、地面に転がるようにしてどうにか躱す。アリエに当たらなかった矢は、大木を貫き燃え上がらせていた。
「あまり抵抗しないで下さい。なるべく無傷であなたを連れ帰れとの命令ですから」
後ろから歩いて来る男をアリエは睨みつける。何度か見た事のある顔、確かリーゼル王国軍に所属していた男だった。
「ブルゲット……追っ手があんたなんて随分と人手が足りないみたいね」
「生意気な口は治らないものですね」
男はフードを外した。紫のクセがついた短髪に、人を小馬鹿にした胡散臭い顔、笑う時に口角を片方だけ上げてひくつかせながら笑うのが特徴的な男の名は、ブルゲット・リシュラー。
性格も悪く、大して強くもないが魔法に関しては一定の才を見せていたためリーゼル王国軍にかろうじて席のあるような男だった。
「国王の命によりあなたを王国に連行します、抵抗などなさらぬよう」
「国王の命ですって? 国王はトイフェルの奴に操られてんのよ!」
叫ぶアリエの姿を見ながら、ブルゲットは嘲笑うように顔を歪める。
「訳が分かりませんね、トイフェル様が国王を? 馬鹿馬鹿しい、デタラメもほどほどにいうものですよ」
ブルゲットにとって、トイフェルは眩しい存在だった。自分にはない容姿、財力、カリスマ……何もかもを持つトイフェルにブルゲットは憧れを超え崇拝に近い感情を抱いていた。
そんな男にたとえ真実であったとしても、トイフェルが国王を操っていると言ったところで聞く耳を持つはずが無い。
「とにかく、こんな所で捕まってる訳にはいかないのよ!」
体を起こし、再びアリエは走り出す。走り出したアリエを見ながらブルゲットはため息を吐いた。
全く嫌になる、ブルゲットは呆れかえっていた。仮に……まあ逃がす気などこれっちぽっちも無いのだが仮に自分から逃げ切ったとしてどうするつもりなのか? またすぐに新しい追っ手が来る、それから逃げてもまた次がといった具合に。
延々と続く鬼ごっこを想像すれば分かりやすい、しかも永遠に自分が鬼になる事のない鬼ごっこ。
「元気がよろしいようなので……足の一本くらいは焼いておきますかね!」
再び放たれた炎の矢は、アリエの足に向かって放たれた。真っすぐに足に向かう矢を避ける余裕は最早ない、当たれば最後アリエの足は先ほどの大木のように燃え上がり、香ばしい臭いを漂わせながら形を失う事は確実だった。
--こんな……こんなところで……!
「はい、ストーップ」
足と矢のちょうど中間に剣が割り込む、矢は剣に当たると寂しそうに消え失せた。アリエは恐る恐る足を見た。健康的な肉付きの白く若々しい肌に覆われた、十八年間文字どおり共に歩んだ足はまだ炭火焼きにはなっていない。
タイミングは完璧、しっかり足を守りアリエの衣服にも焦げ跡の一つすらない。
確かに完璧だった、気持ち悪いほどに。
「もしかしてタイミング完璧すぎたか?」
「バカ変態守銭奴勇者!?」
「……おい」
スコットは後悔した、それもちょっとでは無くかなりだ。たしかにまぁ色々思惑はあれど助けたことに変わりは無い、それなのに何なんだこの女は。
普通に考えて第一声はそうじゃないだろう……スコットは不機嫌にはならずとも呆れてしまった。どうやらこの女の中の自分の立場を上げるには世界を救う位の善行が必要らしい、と。
「あなたは先ほどの……何故ここに?」
ブルゲットは少し疑問とそれよりも大きな不安を抱かざるを得なかった。
それもそのはず、先ほど放った<<フレイム・アロー(火矢)>>の魔法強度は二、最低が一で最高が十の魔法の中ではそこまで強いではないがそれでも普通なら防御系魔法か魔法付与防具が必要になるはずだ。
それなのにただデカいだけの剣でスコットは止めた、それはブルゲットの知る限りありえない事だった、だからこそ戦闘において素人同然の彼でさえ本能的に察した、こいつは敵に回さない方がいいと。
「なに、ちょっとこいつに用があるんでな。お前にゃ悪いが借りるぜ」
「それは困りますね」
その言葉と共に、スコットの両脇から二人の男が飛び出して来る。手にはそれぞれ剣を携えて。
しかしスコット・スートニー彼は一応勇者だ、腐っても勇者、曲がりなりにも勇者なのだ。金に汚くても口が悪くても勇者と言ったら勇者なのだ。あれよあれよという間に二人の男をのしてしまった。
「おいおい、少し物騒じゃねえか? それともリーゼルじゃこれが普通なのかよ?」
地面に倒れた男たちの鎧には、リーゼル王国の国花であるカーネーションの花を模したマークが刻まれている。
「事が事なんですよ、私たちリーゼル王国軍が追わなければならない程のね。あなたはまだ若い、こんな所で命を捨てたくも無いでしょう?」
「調子乗ってんじゃないわよこの紫キャベツ! 少なくともこいつはあんたより強いんだから! なんたって勇者よ勇者!」
すぐさまスコットはアリエの口を塞いだ。思いっきり力強く。
「ふ…ふふふ、紫キャベツとは……中々いいセンスをお持ちだ……」
ブルゲットは震える手をゆっくりと胸元に向かわせた。アリエは見事に心の傷口を抉ってしまっていたのだ、幼い頃の思い出したくない思い出の一つ……紫キャベツと馬鹿にされなじられ続けた日々をブルゲットは事細かに思い出している、ただでさえ器の小さい男がそんな事をされればどうなるかは明白だった。
胸元から取り出したのは手の平サイズのブルゲットの器並みに小さい赤い水晶の球だった。
それを見たスコットはため息をつく、なんだか今日はため息をついてばかりだ。
だが許してほしい、普段はつかないようにしているのだが今日は仕方ないじゃないか、金にならない仕事をさせられるわ小銭で報酬を支払われるわと散々なんだ……スコットはどうやら今日は自分にとっての厄日であることを確信した。
「王より頂いた魔法道具……火蜥蜴の宝玉を試させてもらいましょうかねぇ!」
赤い光が辺りを覆った、目も眩むほどのまばゆい光の後に現れたのは巨大な蜥蜴。
フレイムサラマンダー、体はゆらめく炎で形作られ黄色い目玉がぎょろぎょろと動きながら獲物を探す、体が高温である事は足元や周りの木々が触ってもいないのに焦げ燃えておくのが示している。
「お前ってホント馬鹿だな……勘弁してくれよ。ノーギャラでこれはきついだろ」
「……ごめん」
蜥蜴の口が開き、炎が集まり始めた。明らかな攻撃の予備動作、スコットはアリエを担ぐと一目散に逃げだした。
「逃げる一択だろこれ!」
後ろから爆炎が襲う、それをどうにか躱しながら走る、走る。とにかく走る。止まれば間違いなく丸焼き確定コース、千二百七十アベルのお手頃価格『勇者と馬鹿のステーキ』の完成。
……まずそうだ。
「どうする気!?」
「うっせえ! 今考えてんだよ!」
走るスコットは洞窟を見つける。とりあえずそこに駆け込む以外に二人が取れる選択肢は無かった。
アリエを洞窟に放り込むとスコット自身も滑り込んだ。見ると蜥蜴から放たれた爆炎が目前にまで迫ってきている。
「<<対魔力障壁・即>>」
洞窟の入り口には障壁が展開され、炎をかき消した。ギリギリもギリギリのタイミングで、展開速度の速いタイプのシールドでなければ間に合わなかっただろう。あのタイミングでその判断ができたのはさすがとしか言えない。
「どれくらい持つの?」
「分かんね、長く持たないのは間違いないな。こいつは展開速度が早い代わりに耐久性は低い」
スコットはアリエの前にどっかりと座ると真っすぐにアリエの目を見た。
「な……何よ? そう言えばあんた私に用があるって言ってたけど……」
「ああ、あるぜ。リーゼル王国第一王女アリエ・F・グラットバイツ」
口元にスコットは笑みを浮かべた。
「仕事の話をしようじゃないか」