一話 「最悪の出会い方」
暑い、ただただ暑い。その日はやたら暑かった、道ではミミズがフライになり、飲み水の売り上げがやたら良さそうな日だった。
太陽に照らされながら、ぐだくだと道を歩く人影が一つある。
彼の名はスコット・スートニー、勇者である。
「……暑いんじゃボケェ!」
口は悪いが勇者である。
勇者だって独り言も言うし暑さにイライラする事は彼が自ら証明している。
太陽に憎しみを込めた視線を送りながらも歩みは止めない、背中に背負った自分の身長ほどの大剣をちょくちょくブン投げたくなりながらも必死に次の村を目指していた。
汗を滝のように掻きながら、ぶらぶらと歩いている彼の前に道の脇の草むらからぼろ雑巾が飛び出してきた。
いや、言い方が悪かった。訂正するとぼろ雑巾のような人間が飛び出してきたと言うべきだと思う。
「お願い! 助けて!」
ぼろぼろの茶色いローブを纏っているが、声的には女それも若い女だ。ふらふらになりながらスコットに助けを求めてくる。そのすぐ後にジャイアントグリズリーが草むらから後を追うように飛び出してきた。
大抵の男や巷によくある物語ならば、ここで彼女を危機から救いそこから物語が始まるというのが世の常という物ではないのだろうか? ましてやスコットは勇者である、ここは流れ的にも是非とも爽やかな笑顔で彼女を救っていただきたい。
しかし彼女の目の前の勇者は全く予想できなかった表情を浮かべていたのである。
不愉快極まりない時の表情を『苦虫を噛みつぶしたような』と表すことがあると思う。だが考えてほしい、普通に生活している中で嫌な事や頭にくる事は多々あるがそこまで顔を歪める事があるだろうか? 苦虫を噛みつぶしたような顔などそうそうできるものではない。心の中でどう思っていようともだ。
苦虫を噛みつぶす? 虫を口の中に日常的に入れる人間などまずいないだろう、口の中に虫が入ろうものなら小さな羽虫でさえ強い嫌悪感を抱くというのに苦虫と来れば相当だ、苦虫を噛みつぶしたような顔は人生の中で一度は見ておきたい。
そして彼女は幸運にも見る事が出来たのだ。この日初めて彼女は、『苦虫を噛みつぶしたような顔』を見た。
「えっ? 何その顔? 助けて……くれるよね?」
そうこうしている内に熊はすぐ後ろまで迫っていた。スコットは深く大きく、心底嫌そうにため息をついてから動物系モンスターに対して鎮静作用のある煙玉を投げつけると熊は落ち着いたのか森の奥へ大きなケツを左右に振りながら帰った。
「ありがとう、おかげで助かったわ」
フードを取るとやはり若い、少女と言っても差し支えないのではないだろうか。金髪に程よく日焼けした白い肌、切れ長でやや強気な印象を受ける両目は右が青、左が赤の美しい色合いだった。
美人というよりかは可愛らしいと言った方がいい、およそ万人受けしそうな顔立ちの少女を助けたのだから多少もしくは多量の下心を出してもいいはずなのだが彼は違う。
「そうかよ、そりゃ何よりだ。じゃあちょっと待ってろ」
紙を取り出しさらさらと慣れた手つきで何かを書くスコットを彼女は不思議そうに眺める。
何を書いているんだろう? 彼女は疑問と好奇心が織り交ざった視線をスコットに向けていた。
「名前は?」
「え? えっと……アリエよ」
「はいはいっと……んじゃこれな」
押し付けるように渡された紙をアリエはまじまじと見た。
な、なんじゃこりゃ!! らしくない叫びを少女は心の中で叫んだ。自分はそんなキャラじゃないと思っていたが心の中とはいえ、そう叫ぶだけには十分な内容がそこに書かれていたのだから仕方ない。
「ジャイアントグリズリー撃退及びそれに関わる経費の請求……ってええ!? お金取るの!?」
「何言ってんだ? 当たり前だろ。俺はタダ働きはしないのがポリシーなんでな、勇者として報酬はしっかりもらうぞ」
それは請求書だった。なんとも淡々とした、温かみというか人間味みたいなものが全く感じられない文字で書かれた文章にアリエは愕然とした。
請求書と目の前の男を何度も見る、首にぶら下げている五芒星のネックレスから目の前の男が勇者であることは事はとりあえず間違いなさそうだ。
アリエは信じたくなさ過ぎて、危なく請求書を破きそうになるがギリギリで踏みとどまってから呼吸を整える。
「一応聞いとくけど、あんたほんとに勇者なんでしょうね? 勇者って人助けしたらお金取るの?」
訳の分からん事を言い出したとスコットはうんざりし始めた。ただでさえ暑くてイライラしている所に金にならなそうな奴が突発的に依頼を持ってきた、身なりから見ても多くは出せないだろうしジャイアントグリズリーを追っ払ったくらいじゃ請求額も引っ張れないだろうという事は初めて見た時から分かっていた。
だからこそあの時、スコットはとてつもなく不機嫌だったのだ。
「お前……どんな田舎から来たんだよ? 金を取るのかって? 当たり前だろうが勇者は慈善事業じゃねぇんだから、ほれ書いてあんだろ? 請求額の五千アベルをきっちり今すぐ払ってくれ」
「五千アベルなんて……今の私じゃ……」
「払わなくてもいいが払わなかった場合は、冒険者組合利用規約違反で捕まんぞ?」
渋々アリエは袋を取り出すとずいぶん時間をかけて五千アベルを取り出した。
何故たかが五千アベルを取り出すのにやたら時間が時間がかかったのか? 五千アベルなど紙切れ一枚出せばそれで済むというのに。その答えはスコットの手の上を見れば明らかだった。
「お前これほとんど小銭じゃねえか! ジャラジャラ渡しやがって、当てつけかコノヤロー!」
「うっさいわね! しょうがないじゃない、小銭しかないんだから!」
二、三枚小銭を地面に落としながらスコットは受け取った金をしまいながら改めてアリエを見る、随分と薄汚れた格好をしている割には何とも言えない品のようなものが所々に見えるがそんな事はスコットにとってはどうでもよかった。
「あんたこの辺で一番近い町か村って知ってる? ……って質問に答えたから金払えとか言わないわよね?」
「ったく……人の事なんだと思ってんだか」
「守銭奴でしょ?」
あんまりだとは思わないだろうか? 助けてやったというのに少しばかりの金銭を要求しただけでこの言われようである。どうやらこの女の中ではずいぶんと低い位置に位置付けられたらしいとスコットは察した。
「随分な言い草だなおい‥‥…でもまあ守銭奴ってのは悪くない響きだな金は守る価値のあるものだ」
スコットは笑いながら、説明する。
「この道を真っすぐ行けば三十分くらいでパイナルって村がある」
「そう、ありがと。じゃあね、もう会わないように願っとくわ」
アリエは勇んで歩き出したがニ、三歩歩いてすぐに盛大にこけた。見るも無残な物だった、それなりの年の娘が顔面から地面に向かって行ったのだ、これを無残と言わずしてなんと言うのだろうか? どうやら草むらから道に飛び出した時に足首をひねっていたらしい。
アリエはうつ伏せのままピクリとも動かない、スコットは必死に笑いをこらえていたがあまりにも動かないためそのうち、死んだのか? と思い始めたころ突然アリエが体を転がし仰向けの格好になった。
顔は真っ赤で鼻血が少し出ている、ちなみにアリエは思ったほど強烈に顔面を打ったわけではなかったが、少し嫌味を言ってから颯爽と立ち去ろうとした矢先に派手に転んだ事がとにかく恥ずかしかったのだ。
「あんた名前はなんていうの?」
とてもじゃないが恥ずかしくて顔なんか見れたもんじゃないと、あえてスコットの方を見ずにまるで空に問いかけるが如く質問した。
「スコット・スート二―だ」
この時スコットの声は明らかに笑いに堪え震えていた。
「足を捻った私をパイナルまでおぶって運ぶのっていくらかかる?」
「そうだなぁ、まぁ三千アベルってとこにしといてやるが?」
「パイナルまでお願いするわ!!」
「いてえのか?」
「めちゃくちゃ!」
そんなこんなでスコットはアリエに自分の大剣を背負わせると、アリエを背負い歩き出した。どうやらもう少しだけ二人の旅は続くらしい。